最終話&エピローグ
尾緒神は変な奴だった。初めて会った時、うわ。篠崎先生はなんでこんな人を進めて来たんだ。私と全然関わりのない人じゃねぇか。しかも男って素直に思った。
ただどうしようもなくて、そのまま逃げ帰るのも癪だったから話し掛けた。どう話したらいいのかもよく分からなかったから勢いでいった。そしたらあいつは色々理由付けて、私の勧誘をなんとか誤魔化そうとして来やがった。普通に気持ち悪かった。なんでそんなことされてまで私が勧誘しなきゃいけないんだって思っていた。
でもなり行きで。あいつと『どうして篠崎先生が私達を友達関係だと思ったのか』の謎を解決していくうちに、私は意外とあいつの隣にいられることがわかった。嫌悪感とかそういうのはなく、気を使おうとも思わなかった。それが少し、心地よかった。
どうしてあんなにしょうもないことを真剣に考えたことが、楽しいと思えたのか。尾緒神は変なところで真剣に考え始めるやつで、どうでもいいことで悩む。それが、日常に少し彩りを加えてくれるもののような気がした。私が部活を作ろうと思ったときには、もっと活発的に、派手なことをしないと私の日常に面白さなんてでないと思っていた。皆でグラウンドに石灰で絵を描くくらいのことをしないといけないと思っていた。でも、そうではなかった。
なんだ、そんなことでよかったんだって思った。でも、そんなことがまた難しい。あの事件以降、私は私でそういうどうでもいいことを真剣に考えてみようと努めてみたけれど、そんな小さな悩みどころはなかった。
何もない日々も彼と過ごした。尾緒神は、別に私を否定したり拒絶したりはしてこなかった。漢のホビー魂を一緒に読んで感想を言ってくれるし、おすすめしたアニメを観てくれもした。私が屋上に行って一緒に居ても、嫌な顔はしなかった。
NO部に関しては入ってくれなかったけれど、それは私が嫌というよりも、部活動を嫌っているだけみたいだったから別によかった。私にだって、これだけは譲れない、嫌だというものはある。
そういえば、昔は男の子ともよく遊んでいた。私の好きなもの的にも、女の子よりも男の子と遊んだ方が遙かに楽しかった。お淑やかな遊びは好みじゃない。でも、いつからだろうか。
「赤堂、頼む!一回でいいからヤらせてくれ」
そんな最低な言葉と一緒に、男子と遊べなくなったのは。私は、そういう目で見られることが嫌だった。自分が女だというだけで、性的な対象で見られていると考えるだけで、ただの友達ではいられない隔たりを感じた。私は男友達にはなれないし、体がこんなものである以上、どうしたって意識されるものらしい。
「お前と、ただの男友達と同じように接するだなんて、そんなこと俺には出来ない。俺は!お前のことが■■なんだ!」
長年一緒に遊んでいて、一番仲がよかったやつでさえそうだった。この性格のせいで、この体のせいで。私には、私が好きに生きられる世界がなかった。そう理解した時、どうしようもなさに駆られた。だからといって、男になりたい訳でもなかった。恋愛対象として、女性が好きなわけではなかった。そもそもどうして、男か女かなんて区分けがあるのか。
相手から女としてみられている。それだけで吐きそうになった。女の子扱いをされることが嫌だった。だからといって、クラスの女子と遊んで楽しい訳でもなかった。
私の気持ちなんて分かってないくせに、この辛さもしらないくせに。私は全部理解しているよって顔で近づいてくる奴らは苦手だった。気を使われることがしんどかった。そんなことで、私は友達を失った。気が付いたら私は、〝あばずれ〟なんて呼ばれていた。いや、違うな。元々男子とばかり遊んでいた私は既にそう呼ばれていたらしい。知らない娘の、知らない好きな人が、私に恋していたらしい。元々男子と遊ぶことが多かった私は、密かにモテていたらしい。それが、気に食わなかったらしい。私に寄り添おうとしてきた奴も、私のことをそう呼んでいた。そう呼んでいるところを、聞いてしまった。
ほらな、やっぱり。
私は、誰も信じられなくなった。
尾緒神からは、そんな目線は感じなかった。あいつは、“普通の友達”として私を見てくれている。可哀想な貴方に寄り添う私、なんてことも。赤堂さんは“特別”な娘だから、なんて哀れみを感じもしない。迷惑な時は迷惑そうな顔をするし、楽しい時は楽しそうな顔をする。私を恋愛対象として見る目線も、悪意も感じない。あいつといると居心地がいいと感じたのは、そういうところなのかもしれない。
あいつと居ると、私は私でいても許してくれるような気がした。
外を見ると、青い空が広がっている。心地のよい風が、教室の中を通り過ぎてゆく。家にはまだ、帰りたくない。挑戦状の宝を見つけたあと、私は一度自分の教室に戻って忘れ物がないかを確認しに来ていた。尾緒神とは、このまま解散だ。次に会うのはまた明日で、あの屋上だろう。
私の手には、宝がある。
阿波踊り同好会の、のぼり旗の下に置いてあったものだ。
それは、「俺は男女の友情を成立させてみせる!」というタイトルのライトノベルだった。
尾緒神は言った。
「これは、あれだ。揶揄われたな。」
揶揄われた?と私が聞くと
「赤堂さんに渡したその体操服、結構噂になっているらしいぞ」
へ?と呆気に取られた。尾緒神は、まあつまりだなと言う。
「赤堂さんと俺、付き合っているって噂立っているらしい」
ドキリとした。そうした言葉は、昔にも聞いたことがある。でもその時とは違い、目の前の男には照れている様子などなかった。しどろもどろながらに、此方の反応を伺ってくるような不快な様子もない。尾緒神はその噂が迷惑だと思ってくれているようで、私はそれに少し安心した。ああ。やっぱり、尾緒神は違うんだと思った。
そして尾緒神は説明してくれた。私達が最近急に仲良くなったことに、何か理由があるんじゃないかと疑った人達がいるということを。それは篠崎先生の時と同じような勘違いのお話しで、その内容に理解はできた。
「だから、俺達の関係をどうにか茶化したくてそんなものを仕掛けたんだろうな」
友達だと嘘つくお前達は、滑稽だというような暗示。
まったく迷惑な話だと一蹴する尾緒神に、私は「ああ、全くだ」と軽く笑いながら答えた。そうだ。私はきっと、こんな友達が欲しかったんだ。
そうして安心した時、私はあることに気が付いた。今まで頭の中に掛かっていた靄が嘘のように晴れて。私の思考が回り始める。
たぶん、将河辺さんはこんなライトノベルは持っていない。そもそも彼女は、オタク男子を苦手としている。私ですら、嫌悪されている。だから、“挑戦状”を貰った時にはいい気はしなかった。笑って受け取ったけれど、内容は酷いものではないかと疑っていたからだ。だから私は一人であの謎を解くことにした。そうして導き出したことは、やっぱり空虚なもので。私はこの学校でも――。なんて思った。
本当はその気持ちは一人で処理するつもりだったけど、私は耐えられなかった。気が付けば、尾緒神に頼ろうと勝手に身体が動いていた。
オタクが苦手な将河辺さんが、ライトノベルを使った揶揄い方を思いつきはしないだろう。破ったり燃やしたりするのならともかく、こんな暗示をするような形での使い方はしない。たぶん。
それに、この本には読まれた形跡があった。栞だって挟んである。新品ならともかく、こんなどんなオタクが触ったのかも分からない本を、彼女が隠しはしないだろう。中古かもしれないけれど、本の発行年を見ればごく最近に発売されたものだとわかる。たぶんまだ、中古には出回っていないはずだ。
栞の裏を見る。そこには小さく、尾緒神の名前が記されていて。
私はその時になって初めて、尾緒神がこの件で色々と工作してくれていたことに気が付いた。もしかしたらそれは、私の為にしてくれたことかもしれないと考える。だってそうじゃなければ、あいつはもっと早くから終わらせていただろう。それこそ、挑戦状に書かれたものの答えが『ない』と分かった時点で切り上げていたはずだ。でも、そうしなかった訳は。あいつが面倒臭いことをした理由は。なんて考えが浮かぶ。
「あの時はつまらなかったね、最悪だったねって、お前と笑い合えれば、それは良い思い出になる。友達って、そういうもんだろ」
ついさっき聞いた、そんな言葉を思い出す。
“友達”が悩んでいたから。そんな、あいつらしくない答えが浮かぶ。
いつからだろう。いつから彼は、結末がこうなるように仕組んだのか。挑戦状の内容は本物だ。尾緒神がわざわざ将河辺さんを通して私に渡したとも思えない。
一体いつから、あいつは。あの結末に抗い始めたのか。
まあ、気にすんな
私が言い出して、あいつも言ってくれた言葉を思い出す。
「はは。そんなつもりで、言ったんじゃなかったんだけどな」
私は助けてって意味でそう言ったんじゃない。いや、たぶん尾緒神はそういうのを分かっている。だってあいつはたぶん、私と同じだから。
だからこそ、こうしてわざわざ私には分からないように工作したのだろう。尾緒神はたぶん、将河辺さんのことは知らないし。これでいけると思ったのだろう。図書室にもライトノベルはあるし、ある程度は一般化されてきているから大丈夫だと思っていそうだ。
以前の『存在しない友達関係』の件を後で話した時に、まさか本が盲点になる瞬間があるとは思わなかったなんてことを言っていた。
はは。爪が甘いな、あいつは。
……。不器用な奴。
おそらく彼のものであろう本を、くしゃりと握る。
挑戦状の内容が、どこまで本当だったのかは分からない。
でも尾緒神は。あいつは。こんな終わり方は嫌だと、私の為を思って、友達として抗ってくれていた。私が落ち込んでいる間に。あいつは。
胸がじんわりとして握る。握ったところには彼の名前の刺繍があって。
私は、凄くモヤモヤとした。
今回は、一緒に解決しようって言ったのに。
一人で抗って、そして。
こんな形で、勝手に寄り添って来た。
不器用な奴。不器用な奴。不器用な奴!
「――――っ。ぁぁああ!」
気が付いたら、私は教室を飛び出していた。
*** *** ***
赤堂さんが持って来た挑戦状。そこから始まった一連の出来事は一応の終着をみせた。彼女と解散し、忘れ物がないかと自分の教室にまで戻って来た俺は、自身の席の椅子にぐったりと座りこんでいた。
「ああ。なんとか、終わった」
俺は、今朝読んでいた本を“宝”として偽装した。あの本なら、それなりの理由が付けられると思ったからだ。もう読了したものであるし、赤堂さんに持っていかれてもそれほど困らない代物だという理由もあった。
椅子に座ったとき、疲れが一気に流れ出て来た気がした。頭は、暫く考え事をしたくないと言っている。友達なんて皆よくできてんなとは思っていたが、なるほどこういうものかと思う。今日疲れた分、いつか赤堂さんに頼らせて貰おう。
窓の外をみると、青い空が広がっている。夏らしいくっきりとした雲が、その中を気持ち良さそうに浮いていた。そよ風が、教室のカーテンを揺らしている。このまま目を瞑ってしまえば気持ち良く眠れそうな気がした。
でもそうはしない。
今日はもう帰ってゆっくりとしよう。帰り道に本屋に立ち寄って、新しいライトノベルを買おう。
今は特に欲しいものはないし、ジャケ買いをするつもりだ。並べられた本の表紙を見ながら、面白そうな物語を探すあの瞬間が、俺はたまらなく好きだ。
財布を開け、幸せを買う為の残金を確認する。
……。うん。まあ、一冊くらいなら買えるか。
寂しい懐事情を鞄にしまい、新刊を買うことだけを考えて立ち上がる。
「さて。帰るか」
そう言ったとき。
「――――っ。ぁぁああ!」
1つ上の階から、そんな叫び声が聞こえた。俺はこんなに疲れているのに。元気な奴がいたものだ。そう思いながら教室を出ようとしたら、ドタバタと煩い足音が聞こえた。どうやら、廊下を走ってはいけないことを知らない奴がいるようだ。そう思ったところでデジャブを感じた。もっと言えば、その足音は此方に近づいてくるではないか。
まさか
「尾緒神!」
俺の思考が真相に辿り着く前に、目の前の扉は勢いよく開け開かれた。
「あ、赤堂さん?」
「ゲーセン」
「へ。お、ぉわ」
呆気に取られた俺の胸ぐらが掴まれて引き寄せられる。俺の顔の直ぐ目の前に、赤堂さんの顔が迫る。
「ゲーセン!今から行こうぜ!」
は?え、ゲーセン?
「きょ、今日はもう疲れてだな」
「本!買ってやるから!」
「い、行かせていただきます」
そうして俺は、少し強引に“友達”に連れ出される。
空はまだ青く、俺達の頭上で永遠と広がっていた。