第3話
放課後。今週は掃除当番にあたっているため、前回のように放課後すぐにでも調査を開始しよう。なんてことはできなかった。今回は特に急いでいるわけでもなかったので、掃除当番が当たっているかどうかは特に気にならなかった。ただなんとなく、そう言えばと思い出した程度のことだった。
「なあ、お前らって付き合ってんの?」
ただ呆然と、機械的に掃除の任をこなしていたとき、クラスメイトからそんな色恋の話が持ち出された。まさかその相手が自分のことだとは思わず、変わらず掃除をしていると、お~い。聞いているか。尾緒神?と目の前をクラスメイトのものと思われる手が上下した。
なんだと顔を上げてみれば、一人の男子生徒が俺を見ていた。そいつの名前は田池 郁人。7月の席替えで席が近くなり、初めて同じ班になったクラスメイトの男子だ。田池は、誰にでも分け隔てなく喋りかける気さくな奴で、これまでも授業中に何度か言葉を交わしたことがある。今のような、他に喋りかける人がいないような状況であれば、暇つぶしに話し掛けられてもおかしくはない程度の関係だ。
彼は、突き立てた箒の上に両手を置き、その上に顎を置いている。目はいつもより少し垂れていて、特段活力がある訳でもない。その表情と身振りからして、掃除に飽きて暇なのだろうことが分かりやすく察せられた。一方の俺は机を運んでいる最中である。
「えっと、なんだっけ」
「だから、お前ら付き合ってんの?って」
「お前ら?お前らって誰だよ」
「誰ってそりゃ」
つぅっと田池の目が動く。それが廊下の方に動いていくので、釣られて目を動かした。目線の先には、赤堂さんがいた。なるほど、と思う。俺の視線に気が付いた赤堂さんは、廊下から嬉しそうな顔をして大きく手を振ってきた。その手には、お昼時に話をした例の挑戦状の紙が握られている。
俺が今日、掃除当番であることは赤堂さんには既に伝えている。てっきりどこかで時間を潰してから、待ち合わせの時間に一年五組の教室にやってくるのだと思っていた。だがそれは違ったらしい。赤堂さんは、今俺の目の前にいる。そんなに楽しみにしてくれているのだろうか。俺は持ち上げている机を降ろすのが面倒だったので、親指だけを持ち上げて赤堂さんに合図を送ると、向こうもサムズアップで返してきた。おお。なんか友達っぽくていいな。
赤堂さんは掃除の邪魔をする気はないようで、それが終わるまでは待っていてくれそうだった。だったら何も言うまい。あそこにいられると迷惑だとか、そういうことは別にないからな。とはいえ、と俺は視線を田池に向ける。こっちは少し面倒そうだ。
まあ、あんまり考えても意味はなさそうだ。ここは素直に答えるのが一番だろう。
「俺と赤堂さんは、別に付き合ってはいないぞ」
あるがままを伝える。誤魔化す必要のある事実はないのだ。それでいいだろう。
「ふーん。そうなのか?」
「ああ」
淡々と会話は進んで行く。
「じゃあ何なんだ?」
「友達」
「ふぅん。最近、毎日一緒に弁当を食べるようになったよな」
「最近友達になったからな」
「ふーん。なにかきっかけでもあったのか?」
「まあな。少々面倒臭い事案が一件。話せば長くなるけど、聞くか?」
「いや、いい。」
机を置いて、少し疲れた表情で笑ってみると、直ぐに断られた。面倒臭くて長い話しになりそうだと勝手に察してくれたようだ。それにこいつ自身は、そこまで他人の色恋に興味がなさげそうでもある。本当に暇つぶしに始めた、ただの雑談なのだろう。
「ところで尾緒神。お前今日、体育の授業で体操服を忘れたって言ってたよな」
「着る物がなかったんだ」
濡れた体操服を着る訳にもいかない。
「あそこにいる赤堂さんが着ているのは、お前の体操服じゃないのか」
田池は赤堂さんを見て言う。ああ、そういうことか。
俺は、どうして田池が赤堂さんと俺のことを恋仲ではないかと聞いてきたのかを察する。だからといって、別に動揺したりはしなかった。それがバレたところで何だというのか。
「そうだな」
端的に答えると、田池の口元の笑みが長く、横に伸びる。ふーん。と、面白いものを見る目だ。なんとなく言いたいことは分かる。
「学校で結構噂になってたぞ」
噂になるようなことか?と思った。他の奴が俺と赤堂さんの関係にどれくらい興味を持っているのかは知らないが、ほっといてくれよと思う。篠崎先生の時のような面倒事になっても困るだけだし。
静かに視線を動かして、伺うように田池をみる。
「俺の体操服って気づかれるものなのか?」
「そりゃあお前、明らかにサイズ合ってないし、胸の刺繍は知っている名前だし」
言われて気がつく。ああ、そうか。確かにそうかもしれない。体操服を学校に借りるとき、ある程度は自分のサイズに合ったものを選ばせてくれる。卒業生が寄付したものが複数枚、忘れた人用に用意されているからだ。全部のサイズが揃っていると聞いたこともある。今日俺が借りた時にも、段ボールの中に溜められた体操服の山を見たじゃないか。
それなのにも関わらず、赤堂さんは明らかに大きなサイズの服を着ていて、しかも胸の刺繍には最近急に仲良くなったと噂の男の名前が入っているときた。そういう妄想が生まれるには充分な素材が揃っていたわけだ。
ちらりと横を見てみると、同じ班の女子の掃除の手が止まっていた。此方の話に聞き耳を立てているのかもしれない。もしかして、この噂って意外と広がっているのか。まったく、俺も恋愛ラブコメは好きだし、色恋沙汰に興味がある時期なのは分かるが、その噂の渦中に俺を置かないで欲しい。どんな形でも、注目を浴びるのは苦手なんだ。
もあもあと、篠崎先生の顔が浮かぶ。またあんなことになるのも嫌だ。
俺は少し溜息を吐いて、やはり田池に事情を話しておくことにした。
「悪い。さっきはああ言ったが、やっぱり聞いておいてくれ」
「お。白状する気になったか?」
「そんなんじゃない。まあ、聞いてくれ。俺と赤堂さんは――」
ついでにその場の女子にも聞こえるように話しをする。こんなことで噂がなくなるとは思わないが、少しくらいは緩和されるだろう。噂に手足がついて面倒事に発展するのだけは勘弁して欲しかった。
まあ、退屈な掃除の時間を過ごすには丁度良い話しでもあるだろう。
「へぇ。そんなことがあったのか」
事情を説明してみれば、田池は赤堂さんのことを子どもみたいな人だと言い、俺はそれに少しだけ賛同した。
「ところで尾緒神。お前って、そういうことで悩んだりするんだな」
掃除の時間が終わり、こちらの少人数教室の方にも担任の先生がやって来る。手早く終わりの挨拶だけをすると、直ぐに解散の形になった。どうせならと、田池に挑戦状のことを誘ってみたが、部活があるからと断られた。彼は掃除が終わるといの一番に教室から飛び出して部活動に励みに駆けていく。その姿は、檻から解放された野獣のようで。俺は、その活力ある後ろ姿に静かに敬礼する。
部活動を頑張れる人のことは素直に尊敬している。自分には、どう頑張っても受け入れられない世界だ。あんな世界の中で努力できる人間は皆凄い。皆、強い。強く生きている。その生き方に青春があるのだろう。あちら側が王道で明るい青春なら、俺は、なんて考えそうになって止めた。考えてもしょうがないことは、考えずにいるべきである。
ついでに、なんだそんなことだったんだね、と軽く話しながら帰るクラスメイト女子にも敬礼をすると、少しだけ変な目で見られた。そうだよ、こんな変な奴が恋なんてしないからね。なんて思いを視線に込めてみるも、伝わった気はしなかった。
彼女達が去り、教室が静かになる。俺は、敬礼していた手を降ろした。一体、何をやっていたのかと、途端にばかばかしく思う。
一番後に教室を出て、廊下に置いてあった荷物を持つ。多分、俺は浮ついている。その暗い人生に、明かりが灯りそうになっていることに。あちら側とは違う明るさを見出せそうなことに。
今の俺には、一緒に居て居心地が良いと思えるかもしれない友達が、この学校生活の中で出来ようとしている。それがきっと、嬉しいのだ。
そんな思いを胸に、ずっとそこで待ってくれていた赤堂さんに声を掛ける。
こんなところで待っていてくれている“友達”を俺は大切にするべきなのだろう。
「悪い、待たせたな」
赤堂さんは背中を壁に預けながら、挑戦状に熱い視線を向けていた。その姿にもの悲しさを感じたが、きっと気のせいだ。俺が声を掛けると、静かな深呼吸をして、赤堂さんは壁を押して軽く跳ね上がった。
彼女は地面に着地すると、表情を一転させて、嬉々とした表情で此方を見上げてくる。
「おう!尾緒神、やっと終わったか。待ってたぜ。いよいよだな。」
期待の色が俺を見る。
「そんなに楽しみだったのか?」
妙にウキウキとした彼女にそう聞いて見ると、「当然!」と返ってくる。
「なんだかんだで、アレ以降真面目に推理をして楽しむ!みたいなことは起きなかったからな。挑戦状とか、なんか面白そうな匂いしかしなくないか!?」
顔をぐっと近づけてくる赤堂さん。その瞳の中は、いつも以上にキラキラと輝いている。でもその瞳の裏には、なんて考えそうになった思考を止める。あまりにも明るすぎる人を見ると、あまりにも自分にとって都合のいいことが起きると、直ぐに相手を疑ってしまう悪い癖。それは、彼女相手には直していかなければいけない。皆が皆、俺と接するときには何かを画策している訳でなければ、猫を被っている訳でもない。そう信じてみることも、きっと大切なことなんだと思う。
赤堂さんの言うアレというのは、例の『存在しない友達関係』のことだろう。それ以降といえば、『放課後の屋上少女』に会いに行くことくらいしかしていない。『放課後の屋上少女』の出題した謎に関しては、結局のところよくわからないままで終わってしまっている。なぜなら、その謎というのが「この学校にある隠された遺産」の話であり、この大然高校のどこかにそれがあるという、謎というよりもトレジャーな話だったからだ。
彼女は、四国に邪馬台国や徳川家の埋蔵金が眠っていると本気で思っているたちの人なのかもしれない。そんなことを思ったことを覚えている。勿論、赤堂さんはその謎に関しても全力で取り組んでいた。けれど、その誰のものとすら分からない遺産は結局見つからず、その後すぐに期末テストが実施されたこともあって、『放課後の屋上少女』の件はうやむやになってしまっているのだった。
「なあなあ!早速開けてみてもいいかな!」
嬉しそうな赤堂さんの瞳が俺を捉える。たしか、その挑戦状は放課後になってから開けて欲しいって言われていたんだったかな。お昼に赤堂さんから聞いたことを思い出しながら、時計の針を見てみる。掃除の時間を挟んだこともあり、時刻は終礼から15分以上は経過していた。
「いいんじゃないか」
「よし!だったら開けるぞ!」
赤堂さんの手が、“挑戦状”と書かれた封筒を止めているシールへと伸びる。シールにはそれほど粘着力がなかったようで、案外簡単そうに外していた。中を開けてみると、中には1枚の紙が三つ折りになって封入されていた。それを取り出すと、赤堂さんはもう一度だけ俺の顔を見た。いよいよだな、と表情で語っていた。俺は少し焦らされているような気がして、じれったく感じた。
赤堂さんは初め、ゆっくりと勿体ぶるように開けようとしたが、直ぐにそれを止めて勢いよく紙を開く。
「おお。おお!なんかそれっぽい!」
嬉々として赤堂さんがその内容に目を通していく。どんな内容が書かれているのか気になっていた俺も、傍らからその紙の内容を覗こうとする。そうすると、赤堂さんは俺にもよく見えるように紙を傾けてくれた。
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挑戦状
我、本校舎に宝隠しけり
その在処へのヒントは以下の通りである
1. 子どもがな、好きなんだよ葉と茎が
2. ある国、日本人の誰もが習う表音文字に隠れる
達成できなければ、宝は回収す
13時までが制限だ
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ここまで(前半)のあとがきはカクヨムの方で残しました。