第7話:残った娘
隣の部屋を整えてクロエを案内すると、エイデンは自室に入り、ベッドに顔をうずめた。
「はあ……疲れた」
死を覚悟した人間と相対する独特の緊張感は、何度繰り返しても慣れない。
どの娘たちも死線に向かう兵士のような悲愴感漂う表情をしていた。
部屋に入ってきたクロエの蒼白な顔が浮かぶ。
気丈に振る舞ってはいたが、手足が小さく震えていることに気づくとたまらない気持ちになった。
絶望と諦観に染め上げられたあんな顔はもう見たくなかった。
「これで最後にしてくれよ……」
生贄として来た娘はクロエで六人目だ。
前任者を恨んでもどうしようもないが、一人になると弱音を吐きたくる。
定期的に娘を献上させ、あまつさえ殺害するような信じられない蛮行が横行していたことに目眩がする。
これほどの残虐な行為がなぜ放置されていたのか理解に苦しむ。
(辺境の地ゆえ目が届かなかったのか……? 確かに俺も地名でしか知らず、興味もない遠方の土地だったが……)
恐怖政治で民を黙らせ、王都から遠い辺鄙な場所というのをいいことに好き放題していた結果がこの城の惨状だ。
城に漂う暗くどんよりとした空気は、ただ手入れが行き届いていないだけではないだろう。
犠牲になった者たちの慟哭がいまだこびりついているようだ。
「若い娘を百人以上、犠牲にするとはな……」
考えれば考えるほど、暗い気持ちになる。
王都にいれば、こんな闇は見えなかった。
もちろん、王宮には王宮の闇がある。
様々な謀略が巡らされ、富と権力の奪い合いが行われている。
だが、エイデンはうまく根回しし、先回りをして陰謀の種を潰し続けた。
人心掌握に長けていることもあり、ある意味政争に向いていると自分でも感じていた。
だが、何の因果かこの辺境の地に赴くことになり、これまでとはまるで違う人生を歩むことになった。
(これはこれで悪くないと思ったんだがな……)
煩わしい策謀まみれの生活から抜け出し、不便ではありつつもゆったりと暮らせるのでは――と期待していなかったといえば嘘になる。
(だが、結局この有様だ)
廃墟のような城と前任者の不始末を押しつけられ、何もかも放り出して王都に帰ろうかと思ったことも一度や二度ではない。
だが、次々送り込まれてくる生贄の娘たちを放っておくことはできなかった。
偽善かもしれないが、せめて生き残った娘たちには幸せになってもらいたいと奔走した。
5人が無事に生活しているのは、王都に残している側近からの連絡で確認している。
細々《こまごま》とした手続きに追われる羽目になったが、生贄の娘たちを守ることができるのは自分だけだと確信していた。
もし別の貴族が赴任すれば、ただの民草である娘たちなど意にも介さず放り出しただろう。
帰る場所も家族も失った娘たちは路頭に迷うことになる。
それがわかっていて見て見ぬ振りをするほど、無慈悲にはなれない。
(だから腹をくくった……)
最後まで責任を持つならば、辺境伯の職務を全うするしかない。
失態の尻拭いをし、新たに信用を取り戻す必要がある。
エイデンはその一歩を踏み出したばかりだ。
(まずは人を増やすことが先決だが――)
そこに生贄の娘など、勘定に入っていなかった。
「俺のそばにいたい、か……」
必死で見つめてくる、クロエの若草色の目が浮かぶ。
他に同じ要望を出した娘がいなかったわけではない。
いずれにしろ、たった一人で放り出された不安の解消と、王子であるエイデンに嫁げばいい暮らしができるだろうという打算が透けて見えた。
王宮にいたエイデンからすると、露骨でお粗末な野望だった。可愛らしいとさえ思った。
そして、現実を知った娘たちは三日も経たないうちに要望を取り下げた。
どこまでも続く灰色の丘、冷たい風のふく寂しい辺境の地、楽しい娯楽のない薄暗い陰気な城。
こんな場所を終の棲家にしたいと思う若い娘などいない。
事実、生贄の娘たちはすぐに根を上げ、王都へ行きたいと申し出てきた。
(当然だ……)
いつでもすぐに王都に戻れる手立てがあるエイデンですら、時折この仕事を返上してさっさと王都での暮らしに戻りたい衝動に駆られるのだ。
(きっと、クロエも一週間もしないうちに『王都に行きたい』と言い出すだろう)
なんなら一度王都に連れていってもいい。
華やかで活気があり、欲しいものが何でも揃う王都を目にすれば、あっという間に虜になるに違いない。
(書類の準備をしておくか。年齢は18歳だし問題なさそうだ)
隣室に案内したとき、クロエにいくつか質問をしておいた。
クロエは18歳で、村長の家の養女だと話していた。
(話し方もしっかりしているし、育ちも良さそうだ。すぐに家も仕事も見つかるだろう)
さすがに15歳以下の娘を一人暮らしさせられないし、情緒不安定な娘には手厚く面倒を見てくれる下宿先を探した。
だが、クロエなら一人暮らしをさせても大丈夫だろう。
(どんな仕事に就きたいのかも聞いておくべきだな。花が好きそうだったな……)
クロエは大事そうに鉢植えを抱えてもっていた。
棚の上に飾っただけで、何の面白みもない部屋の雰囲気が明るくなった。
(うん、花はいいな)
エイデンには夢があった。
この城を再生させるだけでなく城下町も作り、王都にはかなわないまでも賑やかで楽しい土地にしたいと考えていた。
正妃の息子ではあるが第8王子という、ほぼ間違いなく王位には届かない立場だ。
もちろん、王都で王を補佐する仕事もやりがいはあるに違いない。
だが、辺境とはいえ一国一城の主になるのも悪くない。
そう思って誰もが敬遠する辺境の地を受領したのだ。
このノースフェルドを皆が住んでみたいと思える土地にしたい。
考えるだけでわくわくしたものの、実際に足を運んで衝撃の事実を知ったというわけだ。
(まずは足元からだな。この居住している城をなんとかせねばならない……)
使用する一部の部屋だけを片付け、廃墟を間借りしているような状態だ。
陰気で心が沈みがちになる城に、花はいい考えだと思った。
(まずは城内を花でいっぱいにしたい。庭園はまったくの手つかずだ。いずれはそれを町中に広げて――)
(そう言えば、南の国には花の都と呼ばれる街があるらしいな)
(参考にしてみるか。周遊するのは落ち着いてからになるが……)
こういうときは王族である特権がありがたい。
友好関係にある国ならば、簡単に行き来できるのだ。
(楽しみになってきたな。そうだ、クロエにもっと花のことを教えてもらって――あと、人手も必要だから――)
眠気が押し寄せてきた。
(クロエも眠れているといいが……)
隣室で初めての夜を過ごそうとしている黒髪の少女を思い浮かべた。
(綺麗な子だったな。艶々の黒い髪に緑色の目……白いドレスがよく似合っていた……)
エイデンは静かに眠りに落ちていった。