第2話:身代わり
「何してるの、クロエ」
マデリーンが声をかけてくる。
見事な金髪の髪を綺麗に結ったマデリーンは、村一番の美女として名を馳せているだけあって、まるでお伽噺のお姫様のようだった。
「マデリーン……とうとう生贄の子が決まるみたい」
「ああ、嫌だ。最悪。なんであんなおぞましい男の言いなりになんてならなきゃいけないの」
「ひどい話だよね……」
これまで辺境伯の非道を良しとせず、王都に抗議した領民もいなかったわけではない。
だが、カーター・ノースフェルドが更迭されることも罰せられることもなかった。
形式的には『花嫁候補』を集めているだけ。
そして、女性たちがどうなったか調査しても出てこないという、悪魔の証明が機能してしまっている。
そして、カーター・ノースフェルドは陳情した領民を執拗に探し出した。
彼らがどんな目に遭ったか言うまでもないだろう。
報復を恐れ、今や誰も逆らおうとしない。
カーターは4年に1度のおぞましい儀式さえなければ、重い税を課すこともなく生活に口出しもしない、領民にとって都合のいい領主だった。
そういった事情も、娘をもたない領民たちを消極的にした。
「なあに、それ。ブーケ?」
「うん、庭の花を摘んできたの」
「へえ、素敵ね。ちょうだい」
当然のようにマデリーンが手を出してくる。
「う、うん……」
クロエはマデリーンのおねだりを断ったことがない。
――クロエはお姉ちゃんなんだから、我慢して。
幼い頃から母にずっと言われてきたせいなのか、堂々と要求するマデリーンのせいなのかはわからない。
無言で差し出したブーケを、マデリーンが当然のように受け取る。
「いい香り――」
マデリーンが花に顔を近づけた瞬間だった。
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!!」
父であるノアの悲痛な叫び声がしじまを破った。
「っ!!」
クロエは顔から血の気が引くのがわかった。
ノアの叫びの真意は明らかだ。
生贄に自分の娘の――クロエかマデリーンに決まったのだと直感的にわかった。
ごくりという音が隣でした。
目を大きく見開いたまま、マデリーンが硬直している。
(いったい、私たちのどちらが――)
応接室から再び叫び声が響き渡った。
「マデリーンは絶対にやらん!! 誰が生贄になどするものか!!」
「嘘でしょ……」
マデリーンの細い体ががくがくと震えだした。
その手からブーケが落ちる。
色とりどりの花たちが床に落ちて花弁を散らした。
「嫌よ……絶対に嫌!」
「マデリーン……」
「いやっ!!」
そっと伸ばしたクロエの手は、思い切り払いのけられた。
生贄を決める会議は重苦しい空気のまま閉会し、代わりに家族会議が始まった。
ノアとリンジーは蒼白で微動だにしない。
まるで蝋人形のようだ。
マデリーンが激しく皿やカップを叩き割る音だけが響く。
「私が生贄ですって!? そんなのあるわけない!」
ガシャン!! パリン!!
食器が床に叩きつけられるたび、クロエはびくりとした。
「絶対に嫌よ! そんなの認めない!!」
マデリーンの悲痛な声が空しく響く。
だが、マデリーンも理解しているのだ。
生贄選びが難航し、もう『花嫁の儀』の期日を1ヶ月も過ぎてしまっている。
一刻も早く『花嫁』を差し出さなければ、村にどんな災いが起こるかわからない。
辺境伯の苛烈さは、周知のとおりだ。
「そもそも、私はもう嫁入り先も決まっているのよ!」
「えっ?」
寝耳に水の主張に、クロエはおろか両親までもが驚愕した。
「どういうことだ、マデリーン!」
「ニールと婚約の約束をしたの!」
マデリーンの口から意外な名前が飛び出した。
「ニールと……?」
ニールは村で一番の狩人の家の三男坊だ。
大柄だが末っ子として甘やかされたニールは、20歳を過ぎてものんびりと釣りをしたり、皮をなめしたりして過ごしている。
かねてからマデリーンが夫として希望していた貴族の御曹司とは、ほど遠い存在だ。
「おまえ、いつの間に?」
「あんな冴えない男、嫁の来てがないわよね、って馬鹿にしていたじゃない!!」
両親に詰め寄られたマデリーンが顔色を変える。
「うるっさいわね! とにかく、私には婚約者がいるから無理! それに私がいなくなったら、誰が神様を宥めるのよ!?」
マデリーンの鋭い視線がクロエに飛んできた。
「クロエには巫女の真似なんてできないでしょ!」
「……っ」
「そうよ……クロエがいけばいい!」
ハッとしたように、マデリーンが呟いた。
真っ青だった顔に、みるみる赤みが差す。
「だが、クジで……議会で決めたのだから――」
「はあ? 何寝ぼけたことを言ってるのよ、お父様!」
しどろもどろになった父の言葉を、マデリーンが激しく遮る。
「よその家の娘を代わりにしたら揉めるでしょうけど、家族だったら構わないでしょ!? とにかくウチから花嫁を出せば誰も文句は言わないわ!」
「ま、待ってマデリーン」
急に向いた矛先に、クロエは狼狽した。
「そうよ、それがいいわ!」
マデリーンと同じく明るい表情になったリンジーが、手を合わせてパンと打ち鳴らす。
「お、お母様?」
リンジーの顔には引きつった笑みが浮かんでいた。
「そうよ、クロエがぴったりよ!」