第16話:クロエの今後
食堂に行くと、いつものようにクロエが先に席に座って待っていた。
クロエは素直なのに頑固なところがあって、いくら先に食べていろと言っても聞かない。
エイデンが席につくと、いつもクロエの顔がぱっと明るくなる。
自分の存在がクロエの心にいい影響を及ぼしているのだとわかるのは嬉しい。
「待たせたな」
「いえ。今日の朝食は焼き魚のサンドイッチなんですって! ケランが美味しいって言ってたから楽しみですね」
クロエの言葉に微笑み、サンドイッチに口をつける。
サクッとした歯触りに魚の香ばしさと酸味のある野菜が合わさって、絶妙な味わいになっている。
「美味いな!」
「ですね! あとで料理長さんにお礼を言わなきゃ!」
クロエは数少ないこの城の使用人とも、既に親しくなっていた。
これも他の生贄の娘たちとは全然違う点だ。
他の娘たちは自分たちの置かれた境遇を嘆き、城の主であるエイデンだけに話しかけ、ケランたち使用人には目もくれなかった。
彼女たちの追い込まれた状況から、それも無理はないし咎めるつもりは毛頭ない。
だが、他の生贄の娘たちとクロエは、明らかに一線を画していた。
食後のお茶を飲んでいるとき、エイデンはおもむろに切り出した。
「クロエ、おまえがここに来てもう一週間になるな」
「は、はい」
くつろいでいた様子のクロエの顔に緊張が走る。
「そんな顔をするな。別に悪い話をするわけではない」
「……」
だが、クロエは真顔のままだ。
「私……やっぱりダメですか?」
「何が?」
「ここを出て行かなきゃダメですか?」
「そんな話はしていない! 前にも言ったが、好きなだけここにいていい」
クロエの肩からふっと力が抜けたが、完全に警戒を解いたわけではないのが表情からわかる。
一度、家族や故郷から見捨てられた経験があるせいか、クロエは追い出されることを極度に恐れているように見える。
(まだ信用されていないんだな……)
(俺のきまぐれで放り出されるかと心配している)
(それも当然か)
クロエの杞憂を晴らすためにも、きちんと話し合っておいたほうがいいだろう。
「クロエ、改めて聞くが、おまえは今後どうしたい?」
「私……邪魔じゃないなら、ここにいたいです」
「……」
クロエはうつむきながらもはっきり口にする。
「おまえ、好きな男はいないのか?」
「えっ!?」
クロエが驚いたように顔を上げる。
「す、好きな人ですか……?」
クロエの顔がみるみるうちに真っ赤になる。
「すまない不躾で」
想像以上に動揺しているクロエに、エイデンは手を振った。
「あ、あの、言わなきゃ……ダメですか?」
「いや、そういうわけではない。ただ、思う男がいるのなら、そばに行きたいのではないか、と思ってな」
生贄の娘の中には恋人がいた者もいた。
エイデンが密かに連絡を取って、王都で再会した者もいる。
以前の人生をすべて捨て去る必要はない。
新しい生活を基盤にしつつも、取り戻したいものがあれば力を貸すつもりだった。
「村に恋人なんかいません……」
「そうか。ならいい」
なぜかクロエが気まずそうにしている。
「では、家族はどうだ? 村に戻ることができなくても、もし会いたいなら――」
クロエの顔が露骨に強張った。
「いいえ」
迷いのない口調に、クロエが家族と完全に決別したことがわかった。
「そうか。では故郷に戻らず、連絡も取らず、新しい生活を始めるということでいいな?」
エイデンの言葉にクロエがこくりとうなずいた。
とうに覚悟はしていたようだ。
(では、やはり王都がいいだろうな……)
王都には様々な人間が集まっている。
新しい人間関係を作りやすいし、寂しさも紛れるだろう。
仕事も住む場所もいくらでもある。
何より、エイデンの生まれ育った場所で目が行き届く。
クロエはこの城にいたいと言うが、実際に王都に足を運べば気が変わるだろう。
他の娘たちと同じように。
(そうだな、そろそろ人の手配もせねばならないし、買いたいものもある)
「明日、王都に行こうと思うがおまえも一緒に来るか?」
「ええっ、王都にですか!?」
よほど驚いたのか、クロエがカップを取り落としそうになった。
「ああ、どうだ? 私が一緒にいるから心配しなくていい」
クロエの顔にぱっと赤みが差す。
「エイデン様が行かれるなら、ぜひお供させてください!」
「では、明日の朝出発する」
「王都って……ここからだと馬車で一週間くらいかかりますよね? 何を持っていったらいいですか? 私、旅支度をしたことがなくて……」
戸惑うクロエにエイデンは微笑んだ。
「心配するな。最低限のものだけでいい」
明日は馬車ではなく、特別な方法で王都に行くつもりだ。
目をぱちくりさせているクロエがどんなに驚くか、エイデンは密かに楽しみだった。