柳南市奇譚⑪ジェネシス 後編
~30分後~
ウエムラ精肉店の店先に座り込み、もうじき肉のブロックを食べ終わりそうになっている、‘‘銀色の類人猿’’の10メートル後方に、厳重な装備に身を固めた、屈強な男たちが集結していた
柳南市猟友会のメンバー5名と、玉串県警特殊機動班、通称‘‘特機’’のメンバー6名、そして、この現場の指揮をとる、特機の班長の石原政彦警部である
その近くには、中田、桂子、本松教授の姿もあった
そしてその横には、例によって特機の移動に使われた囚人護送車と、1台のパトカー、さらにいざという時のために待機させている、5台の救急車が停められていた
「では、お願いします…!」
石原の言葉に、猟友会のリーダーが右手を挙げる
そのサインに頷き、4人の猟友会メンバーたちが、いっせいに猟銃を‘‘銀色の類人猿’’に向かって構える
「撃てぇっ!」
猟友会リーダーの号令の直後、4発の銃声が1つに溶け合うようにして、その場に響き渡った!
しかし…!
「………ダメだ…!」
猟友会リーダーが呟いた
「麻酔弾の注射針が、あの体毛に阻まれて、皮膚まで届きません…!ナイフも通さなかったというあの体毛には、麻酔銃は通じないようです…!」
悔しそうな表情で言う、猟友会リーダーに、
「わかりました。あとは、我々が引き継ぎます。どうもありがとうございました」
そう応える石原警部だった
銀色の類人猿は、自分の体毛に弾かれた麻酔弾にはまったく反応せず、肉を食べ続けていた…
「みんな、聞いてくれ」
整列した特機のメンバー6人を前に、石原が語りかける
「すでに説明した通り、あの類人猿は、罪のない1人の男子高校生が、不幸な事件に巻き込まれた結果の姿だ。我々は、命をかけて、あの少年を救助しなくてはならない!」
「はい!」
石原の言葉に応える隊員たち
「先ほど、そちらの本松教授と協議した結果、組み立てた作戦を説明する!時速100キロの車にはねられても死なず、ナイフや麻酔銃も通さない強固な体毛を持つあの類人猿だが、付け入るスキが1つだけある!…それは、呼吸だ!」
そこまで話して、石原は本松教授の方を見る。その石原の視線に頷き、隊員たちの前に歩み出る、本松教授
「…ほとんど不死身に近い状態だと言える、あの類人猿…息子ですが、もともと植物専用に作られているジェネシス細胞にとって、逃れられない弱点だと考えられるのが、呼吸です。…脳への酸素の供給をストップしてやることができれば、活動停止状態にさせ、捕獲することが出来る可能性が、極めて高いと考えられます…!」
その後を、石原が引き継ぐ
「そこで、我が特機で…いや、玉串県警全体でも、逮捕術・格闘技において最強の6人に集合してもらった!作戦名はズバリ、‘‘スリーパー作戦’’だ!あの類人猿の打撃を掻い潜って組み付き、見事、絞め落としてもらいたい!」
「了解!」
石原の言葉に、特機の6人は一糸乱れぬ敬礼をもって応えたのだった
石原警部が、右手を高々と挙げる
そして、
「作戦開始ぃっ!」
声高らかに、号令をかけた
その号令を受け、
座り込んで肉を食らう類人猿の死角から、足音を殺しながらじりじりと近づきはじめていく隊員たちだった…
石原が、中田・桂子・教授のもとにやってくる
「だいじょうぶです。あの6人ならきっと、あの類人猿を絞め落としてくれます」
ちらりと隊員たちの方を見ながら、そう本松教授に声をかける石原
…が、
「…警部さん、お願いがあります」
何かを決意した表情で、石原に声をかける教授
ただごとではないその様子に、中田と桂子も、思わず教授の顔を見る
「もしも…もしも、この作戦が失敗した時は…万策尽き果てたと言っても、過言ではない…と、私は考えています…」
「………」
何も言わず、教授の次の言葉を待つ石原
「…私は、息子の命を助けたいばかりに、息子を人間ではないものにしてしまいました…ですが、そんな私でも、息子を人殺しには…したくありません…!」
「………私も人の親です。その気持ちは、痛いほど…わかります」
そう応える石原。そして、教授の言葉が続く
「息子を生かして捕らえることが不可能になった時は…どうか…息子を殺して、被害者が出るのを止めていただきたい…!」
「そ、そんな…!」
思わず声をあげる中田
表情を曇らせる桂子
微動だにしない、石原
教授は、石原の左腰を指差し、言う
「…警部さん、あなたの腰にあるその銃は、一般の警察官のものとは違う…とても、強力なもののようですね…」
「…ええ、あらゆる事態を想定して、特別に携帯を許可されている、44口径です」
軽く左腰のホルスターを叩き、言う石原
そして教授は続ける
「ナイフも、麻酔銃も通さなかったあの体毛ですが、所詮は有機物です…強力な銃の実弾までは、とても防げない…そして、脳を破壊されれば、いくらジェネシス細胞の再生能力をもってしても、命をつなぐことはできない…いざという時は警部さん、あなたの手で、息子を…止めてください…!」
教授は、涙を流しながら、そう言って石原に深々と頭を下げた
「そ、そんなこと…!」
悲痛な声を漏らす中田
そんな中田と教授の様子を、ただ見つめる桂子
…そして、
「………もしも、ウチの隊員たちが失敗すれば、それは、私の責任です…その責任を、私はきっと果たすでしょう…!」
石原はそう言って、銀色の類人猿の後方2メートルに迫った隊員たちの方を向いた
その石原の背中に、教授はまた、深々と頭を下げるのだった…
その時、
「警部!少しの間、ここを離れます!」
急に、中田が言い放った
「なに?どこへ行くつもりだ?」
怪訝そうな面持ちで尋ねる石原
「時間がありません!説明は後でします!桂子ちゃん、運転を頼む!」
ポケットからスマホを取り出して操作しながら、慌ただしくパトカーに向かって走っていく中田
「え…?!は、はい!」
その勢いに圧されて、思わず従う桂子
石原が止める間も無く、2人を乗せたパトカーが、赤色灯を回しサイレンを鳴らしながら、急発進していったのだった
「………あいつ、何か考えがあるのか…?」
そう言いながら、再び隊員たちの方に向き直る石原
隊員たちは、類人猿の背後、あと1メートルの距離に迫っていた
隊員たちが、石原の方を向く
石原が、また右手を高々と挙げる
そして、その右手を、思い切り振り下ろした!
それと同時に、最も類人猿に近い位置の隊員が、胡座に座り込んだその背中に飛びついた!
流れるような動作で、類人猿の胴体に両足で4の字クラッチを組み、右腕を首に巻き付ける
そして、その右手首を左腕の内肘でロックし、完璧なスリーパーホールドに捕らえた!
「よしっ!そのまま絞め落とせぇっ!」
叫ぶ石原
渾身の力で絞め上げる、隊員
しかし、
スリーパーを極められたまま、立ち上がる類人猿
そして、
自分の胴体に横一文字に巻かれた隊員のスネに、思い切り右拳を叩きつける
「ぐあぁっ!」
脚部の防具が砕ける音と共に、スネの骨が折れる音が響き、たまらずスリーパーを解いて、その場にくず折れる隊員
次の瞬間、2人の隊員が、同時に類人猿の前後から挑みかかる
類人猿が、自分の正面の隊員に、右の拳で殴りかかる
その右拳を体を沈めてかわしながら、正面の隊員はタックルをきめ、仰向けに類人猿を倒し、そのまま両脚をがっちりと抱えこんで動きを封じる
その直後、類人猿の後ろから迫っていた隊員が、類人猿の胴にまたがって、マウントポジションをとる
そしてそこから、流れるような動作で類人猿の右肩を自分の右側頭部で押しながら、自分の右腕を類人猿の首に巻き付け、肩固めをがっちりと極める
「よし!絞め落とせぇっ!」
石原の声が響くが、
類人猿は、自分の首に巻かれた隊員の右上腕を、左手で思い切り握る
上腕の骨が折れる音が、響く
「ぐうぅっ!」
たまらず肩固めを解く隊員
そして、類人猿は上体を起こし、自分の両脚にしがみついている隊員の左上腕に、右の鉄槌を叩きつける
「があぁっ!」
左上腕の骨を折られ、たまらず両脚の拘束を解く隊員
残る隊員は3人…!
立ち上がった類人猿の背後と、左前、右前と、正三角形の頂点の位置で取り囲む隊員たち
「かかれぇっ!」
石原の号令と同時に、3方向からいっせいに飛びかかる
左右の隊員たちが、類人猿の右腕、左腕をそれぞれ脇固めに捕らえ、全体重を浴びせて地面に叩きつける
そして背後の隊員が、がら空きになった類人猿の首に、バックマウントからのスリーパーホールドをがっちりと極める
「よぉしっ!今度こそ!落とせぇっ!」
両手で全力のガッツポーズをしながら叫ぶ石原
…だが、
なんと、両肩と背中に、3人ぶんの全体重を抱えたまま、ゆっくりと体を起こし、立ち上がっていく類人猿
「…バカな…!」
石原が、声にならない呟きを漏らしたその直後、
「ぐえぇっ!」「ぐうぅっ!」
右腕、左腕の順番で、両脇の隊員を地面に叩きつけ、戦闘不能にさせる
そして、最初の隊員と同様に、胴に巻かれた背後の隊員のスネに、右拳を叩き込む
「ぎゃあっ!」
………とうとうすべての隊員を、沈黙させてしまったのだった…!
「なんて、ことだ…!」
呆然とする、石原
「警部さん…もはや、これまででは…!」
そう石原に声をかける教授
類人猿は、きょろきょろと周囲を見渡したのち、商店街の駅とは反対側の出口に向かって、歩き出し始めた
「警部さん…!」
「………」
無言のまま、左腰のホルスターのホックを外す石原
だがその時、パトカーのサイレンの音が近づいてくることに、2人は気づいた
「………これは、中田か?」
サイレンの音の方を見る石原
すぐに、パトカーが石原たちの前に到着し、助手席から中田が降りてくる
「良かった…ギリギリ、間に合ったようですね…!」
そう言う中田に対しての、
「お前、いったい何を…」
その石原の言葉が終わらないうちに、
「最強の助っ人たちを、連れてきました!」
そう中田は言い放った
後部座席から降りてきた、2人の男
それは、
高宮衛と、奥田厳の2人だった
待機していた救急隊員たちが、負傷した6人の特機隊員たちを、3台の救急車に乗せて病院へ向かう
その様子を横目に見ることすら出来ずに、石原は高宮・奥田の2人を凝視していた
「…中田、正直に言え。この前の、炎兵羅亜と邪朱帝子の件…この2人が現場に居た…そうだな?」
「………はい」
長年、特機の班長として、玉串県警最強レベルの警察官たちを率いてきた石原
その石原の、‘‘強さを見抜く眼力’’は、並大抵のものではなかった
「あの時、お前の説明に納得してはいなかったが、かといって他に論理的な説明もつけられず、受け入れるしかなかった。…いま、心から納得したよ。この2人とお前の3人があそこに居たのならば…な」
その石原の言葉に、顔を見合わせて微笑む高宮と奥田
「この2人ならば、きっと…うまくやってくれます…!」
「ああ…!…この現場の責任者として、お願いします…!あの類人猿を、止めてください…!」
そう言って頭を下げる石原に、高宮と奥田は、「押忍!」と応えたのだった
「すみません先輩…明日が全日本大会だっていう、この大事な時に…」
中田が、申し訳なさそうに高宮に言う
「何を言う…この状況で俺を指名してくれたことを、光栄に思ってるよ…!」
例の釣り竿ケースから‘‘双龍棍’’を取り出しながら、応える高宮
「…それは、俺もだぞ、中田さん」
奥田が、それに続いた
「2人とも、作戦は、車内で説明した通りです…!先輩があの類人猿の注意を引きつけ、その隙をついて奥田がスリーパーを極める…!特機の隊員たちは、あの類人猿の打撃にやられてしまいましたが、奥田のタフネスならば、落とし切れるはずです…!」
「了解…!」
「ああ、任せておけ…!」
高宮、奥田の2人は顔を見合わせて頷き合い、類人猿に向かって歩き出した…!
「しかし、もしあの2人でもダメだったら…」
パトカーの運転席から降りてきた桂子が、中田にだけ聞こえるように話しかける
「………」
中田は無言のまま、何かを考えている様子だったが
「………!そ、そうだ!」
また何かを、思いついたようだった
「石原警部、すみません!また少し離れます!桂子ちゃん、運転を!」
「は、はい!」
石原が返事をする間もなく、再びパトカーで出発する中田と桂子だった
「…あいつ、まだ何か、策があるのか…?」
石原はそう言ってパトカーを見送り、そしてまた、類人猿の方に向き直る
高宮と奥田は、類人猿の後方2メートルの位置に迫っていた…!
「今から正面に回り込んで仕掛ける…奥田、隙を見つけ次第、組み付いてくれ…!」
「ああ、わかった…!」
その会話の直後に駆け出し、類人猿の正面に立ち塞がる高宮
そして、
「いくぞっ!」
2つに分けた双龍棍を両手に構え、類人猿の間合いに飛び込んでいった!
類人猿が、自分の間合いに入ってきた高宮に対し、右拳を振り上げる
その右フックをステップワークでかわして類人猿の右サイドに回り込みながら、高宮は右手の短棍で類人猿の右膝の裏を打ちすえる
ガクンと、バランスを崩す類人猿
すかさず、左手の短棍で、類人猿の左膝裏を打つ高宮
類人猿が、両膝を地につき、四つん這いの体勢になる
「今だ奥田ぁっ!」
高宮の叫びが早いか、奥田が類人猿の背後から組み付き、先ほどパトカーの中で中田からやり方を習ったばかりの、スリーパーホールドをがっちりと極めた!
「よしっ!やったぞ!…あとは、彼の体が類人猿の反撃に耐えられれば…!」
悲痛な眼差しで見守る、石原と教授
先ほどの時と同様に、奥田との体格差をまったくものともせず、スリーパーホールドを極められたまま、立ち上がる類人猿
「…たのむ…!これで終わってくれ…!」
祈るように呟く教授
類人猿は例によって右の拳を振り上げ、自分の胴に巻かれた奥田のスネを打ちすえる
しかし、奥田のスネは折れることなく、その打撃に耐える。もちろん、スリーパーも外さない
「いけるぞ奥田ぁっ!全力で絞めろ!」
高宮の激励が響く
「うおおぉっ!」
雄叫びを上げながら、奥田が全身全霊の力を込めて、類人猿の首を絞め上げる
類人猿が、両手で自分の首に巻かれた奥田の腕を、思い切り握る
だが、やはり奥田の腕の骨はそれに耐え、折れることはなかった
「これは…いけるぞ!」
喜びの声を上げる石原
…しかし!
「ぐあぁっ!」
突然、奥田の叫びが響いた
「お、奥田ぁっ!」
なんと、類人猿の全身の体毛がハリネズミのように鋭く逆立ち、奥田の腕や胸、腹や脚を、突き刺していた!
その激痛に耐えかね、奥田の絞める力がゆるむ
その隙を逃さず、スリーパーを振りほどく類人猿
そして、身動きできない奥田の顔面に、左フックを叩き込み、ダウンさせた
「くそぉっ!」
双龍棍を長棍に繋ぎ、類人猿に挑みかかる高宮
その高宮に対し、類人猿は右ストレートを放つ
その右拳を、高宮は双龍棍で受け止める
が、なんと受け止めた双龍棍の接続部が破壊され、そのまま高宮は腹にパンチを食らってしまう
「ぐはぁっ!」
その一撃で、高宮もダウンしてしまった
類人猿は、再び商店街の出口に向かって歩き始める
「…警部さん…もはや、万策尽き果てたと、言っていいでしょう…」
教授が、石原に語りかける
「お願いです…!息子を、人殺しにしないでやってください…!」
涙を溢れさせながら、懇願する教授
「………」
無言のまま、ホルスターから44口径を取り出し、類人猿の頭部に狙いを定める石原
「………今日ほど、自分が警察官であることを、呪ったことはない…!…だが、それでも私は、警察官なのだ………!」
石原の呟きが、虚空に溶けかけた…
その時!
「………む?」
また、パトカーのサイレンの音が、聴こえてきた
そして、また石原と教授のそばに、パトカーが急停車し、中田が慌てて降車する
「………どうやら、またギリギリ、間に合いましたね…!」
そう言う中田に、
「お前、今度は何を…?」
石原が問いかける
中田は黙って、後部座席のドアを開ける
そこから降りてきたのは………
「…はあ?!」
石原の驚きの声も、無理はなかった
そこに降り立ったのは…
可愛らしい赤ちゃんを抱いた…
まだ若い、ママさんだったのだから…
「中田刑事、私にも、ちゃんと説明してください」
パトカーの運転席から降りてきた桂子が、中田に詰め寄る
「いったいなぜ、こんな危険な現場に、2人を連れてきたんですか…?」
「………」
中田はその質問に答えず、きらりを胸に抱いた美里に歩みより、
「坂本さん、あなたたち2人の安全は、俺が命をかけて護ります。…だから、ほんの少しの間だけ、きらりちゃんを預からせてもらって良いですか…?」
そう、美里に言ったのだった
「………正直、何が何だか分からないですけれど…」
戸惑いながら、美里は言う
「でも、私は、中田刑事さんのことを信じます…さあ、きらり…」
美里は、きらりを中田に託した
中田は、きらりを地面に立たせる
きらりの右手を、自分の左手と、しっかり繋いで
きらりは、まっすぐな視線を、歩いていく銀色の類人猿に向けている
その不思議な光景を、何も言えずに見守る桂子、石原、教授、美里の4人
「桂子ちゃん、ちょっといいかな」
ふと、中田が桂子に声をかけた
「…え?な、何ですか…?」
急に声をかけられ、驚く桂子
「きらりちゃんが、手を繋いで欲しいってさ。そうしたら、テレパシーの力が強くなる気がするからって…」
「え………」
中田に言われるがままに、きらりの左手を、自分の右手と繋ぐ、桂子
「希くんは、きらりとテレパシーでやりとりが出来る、波長の合う人間のはずなんだ。きらりがテレパシーで直接脳に呼びかければ、もしかしたら希くんの意識を、呼び覚ますことができるかもしれない………!」
「テレパシー………?」
きらりの横顔を、まじまじと見つめる桂子
「…そうか………そうだったんですね…」
桂子は、すべてを察したようだった
「中田刑事が不思議な活躍をした時………その事件の中心にはいつも、きらりちゃんが居た………」
その桂子の言葉に、きらりは桂子の顔を見て、にっこりと微笑んだ
「………ありがとう、きらりちゃん……あとで、あらためてちゃんと、お礼を言わせてね………!」
きらりは目を閉じ、精神を集中する
1年5ヶ月の人生の中で、最大のパワーのテレパシーを発信するために
「奥田…!大丈夫か…?」
意識を取り戻した高宮が、倒れている奥田に呼びかける
「ああ、死にはしない…それよりも、あれを…!」
きらりたち3人を、指差す奥田
「あれは…いったい、何をしてるんだ…?」
何が何だか分からない、高宮
だが、
「…ふふ、やはりあの赤ん坊、ただ者ではなかったようだな…!」
奥田は、何かを察したようだった
『のぞみさん!めをさましてください!』
そして、きらりの全力のテレパシーは、放たれた…!
動きを止める、銀色の類人猿
そして…
「………僕は…何を…」
希が、意識を取り戻したのだった!
「の、希ぃっ!」
希少年の元に駆け寄る、本松教授
「…父さん…?」
周囲の様子と、変わり果てた自分の姿に気がつく希少年
「………そうか…僕はジェネシス細胞に…支配されてしまったんだね…」
「…ああ、だが安心しろ、お前は、誰も殺してはいない…!」
涙を流しながら、伝える教授
これで一件落着か…と思いきや、
「ううっ!」
突然、両手で頭を抱えてうずくまる希
「ど、どうした希?!」
「…また、ジェネシス細胞が、僕の意識を乗っ取ろうとしてるみたいだ…!」
まだ、危機は去っていないようだった
「そ、そんな…!」
教授が悲痛な叫びを上げる
2人の元に、中田、桂子、石原も駆け寄ってくる
きらりは、美里の元に返され、遠くから様子を見守っていた
「そんな…ここまで来て…!」
石原が、奥歯が砕けそうな歯ぎしりを響かせる
その時…!
「父さん…!緊急停止剤…持ってるよね…?」
希少年は、そう教授に尋ねた
「あ、ああ、…しかし、あれは…!」
「このままだと、僕はまた、ジェネシス細胞に操られてしまう…早く…!たしか、3割は生存確率が…あるんだったよね…!」
希少年のその言葉を受け、教授は背広の内ポケットから、小さなハードケースに入れた、注射器とアンプルを取り出した
「…希、もしもお前が死んだら、私もすぐに後を追う…2人で、母さんに会いに行こう…!」
アンプルの中身を注射器で吸い込みながら、教授はそう言った
中田も、石原も、何も言うことができないでいた
「希、口を開けなさい…」
教授が、希少年の口腔粘膜に注射針を刺そうと…
「待ってください!」
それを止めたのは、
桂子の叫び声だった
「ど、どうしました…?」
教授が、桂子に言う
「本松教授、素人考えで恐縮ですが、その緊急停止剤を、濃度を薄めて使うことは、出来ないんですか?」
そう、桂子は言った
「は…?濃度を薄めて…?」
桂子は続ける
「私たちの目的は、希くんの体内のジェネシス細胞を全滅させることではなく、希くんの意識を乗っ取れない程度に弱めてやればそれで良いはずです!だったら、半分の濃度で使用すれば、生存確率が2倍になる…ということは、ありませんか?!」
「………」
教授は、一瞬、考えて…
「そ、そうか!何も、ジェネシス細胞を全滅させる必要はないんだ!ならば、単純計算だが、半分の濃度なら生存確率は6割、さらにその半分なら…!試してみる価値は、充分にある!」
桂子の土壇場でのアイデアに、目を輝かせる教授
「すみません!あそこの救急車に、生理食塩水があるはずです!それを持ってきてください!」
そして…
4分の1の濃度に薄めた緊急停止剤を、希少年の口腔粘膜に注射する、本松教授
「う、うああぁぁぁっ!」
悲鳴を上げ、苦しみだす、希少年
「希………!」
教授も、中田も、桂子も、石原も、
そして、高宮と奥田も、
祈るように希少年の姿を見守ることしか出来なかった
そして…
希少年の全身に生えた銀色の体毛がすべて抜け落ち、
髪の毛の色が、元の黒髪に戻って、
ばったりと、その場に倒れ込んだ
「の、希ぃっ!」
駆け寄る、本松教授
呼吸や脈、心臓の鼓動を確かめて…
「い、生きて…います!」
その場にいた全員の、歓喜の雄叫びが、駅前商店街にこだましたのだった…!
希少年は、本松教授と共に、救急車で病院に運ばれていった
ふと、奥田が高宮に言う
「まったく、ざまぁないな高宮さん。大の男たちが雁首揃えて事に当たって、最後に事件を解決したのは、あの赤ん坊と婦警さんだった。立場がないったらないぜ…」
「ふふ、まったくだな…」
高宮も、自嘲気味に応える
しかし、
「いいえ、それは違います」
桂子が、それに反論した
「皆さんたちが、命がけで時間を稼いでくれたからこそ、きらりちゃんも、私のアイデアも、出番が巡って来たんです。この結果は、今日ここに集まったすべての人たちが力を合わせたからこその、勝利だと思います…!」
涙を流しながら、それでも最高の笑顔で、桂子は言ったのだった
「…え?」
そんな桂子の手を、
よちよち歩きで近づいてきた、きらりが握っていた
「…わたしも、まったく同じ意見です、だってさ」
中田が、きらりの言葉を通訳した
きらりをその胸に抱き上げ、抱きしめる桂子
「…ありがとう、きらりちゃん。…本当に、ありがとう…!」
ほんの小さな偶然の出会いが、
いくつもの複雑な運命と共に絡み合い、
大きな奇跡に繋がった
これは、そんな小さくて、
それでいて大きな奇跡の物語である
柳南市奇譚 第1部 ~完~