TSしてチアガールになった元サッカー部の相棒同士が、女の子同士で付き合うまでのおはなし
1
蕾坂高校のサッカー部は、県内でも名の知れた強豪校。そして俺はそこの主将の佐藤大貴だ。俺たちの一番の目標は、県大会を優勝し、そして全国で戦うこと。そのために毎日仲間たちと熱い練習に励んでいるのだ。
「佐藤、おつかれ」
練習終わりにスポーツドリンクを買ってきてくれたのは、俺の幼馴染兼相棒の前田和也だ。こいつの夢はサッカー選手になることらしくて、熱意も人一倍ある。だからこそ俺と合うし、蹴ったボールを通じて繋がっている、そんな関係だ。
「前田ありがと。なんか最近優しいな?」
「そりゃ、佐藤には頑張ってもらわないといけないし」
そう言って、前田はぽりぽりと頭を掻く。
「一緒に頑張ろうな」
「ああ、約束だぞ。今年は、このチームを全国に連れてくんだ」
俺は前田の差し出した拳に自分の拳をこつんとぶつけ、熱い想いを体中に巡らせる。
──この時は、あんなことが起こるなんて知る由もなかったのだ。
積み上げてきた夢が簡単に砕かれることを知ったのは、次の日の放課後だった。
2
その日俺たちは、ミーティングのために教室に呼び出されていた。年度明け初めてのミーティングで、いろいろと決め事があったのだ。
「先生、来るの遅くないか?時間厳守っていつも言ってるくせに」
俺は貧乏揺すりをしながら言った。
部員たちも俺に同意して「そうだよなー」なんて騒いでいた。そんな時、部室のドアを引いて、一人の人物が入ってきた。
しかし、その人物は俺の思っていた顧問の先生ではなかった。というのも、俺たちの顧問は厳しい中年体育教師なわけだが、そこにいたのは一人の新任女性教師だった。ぴっちりとしたワイシャツの上に、淡い水色のカーディガンを羽織っていて、肌には薄くメイクがしてある。
「誰だあいつ。先生じゃないじゃん」
俺はそうやってため息をつく。俺たちの顧問はあの熱血中年教師。今目の前にいる女性とは似ても似つかない。
俺が教室の最前列で頬杖をつきながら女性教師を睨んでいると、その教師はなんだか妖しげな表情で、俺を見つめ返した。その瞬間、得体の知れない悪寒に包まれ、まるで心臓が冷水で締められたような感覚を覚える。
そして、その教師は「いいえ、私はあなたたちの顧問の高橋ですよ」と、言った。
俺は冷や汗を掻きながらも我に返り、首を振る。
こいつは一体、何を言っているんだろう?こんな女教師が俺たちサッカー部の顧問だって?そんなこと、ありえないじゃないか。
俺は気付いたら、立ち上がって反論していた。
「はぁ……?なんであんたがうちの顧問にならなきゃいけないのさ」
俺がそう言った瞬間だった。隣に座っていた前田が俺の肩を叩いて、なんだか不思議そうな目で見つめてきたのだ。
「……佐藤、何言ってるの?高橋先生はもとからうちの顧問だろ?」
(え?どういうことだ?)
意味が分からない。俺がおかしいのか?というのも、部員は誰一人、この教師が顧問だということに驚いていないのだ。
「なんだって?今日から顧問が変わるのか?」
「いや、だから。最初からずっと高橋先生が顧問だっただろ?お前、おかしくなったのか?」
……おかしい。みんなの認識と俺の認識に、明らかな齟齬が生まれている。自分以外のみんなは、この高橋という女がもともと顧問だったと認識しているのだ。一体、この先生は何者なんだ?
そうやって俺が混乱していると、顧問を名乗る女、高橋がいつの間にか目の前に立っていた。
「あなたがキャプテンの佐藤くんね。初めまして、私は高橋です。突然だけど、私には人の過去を変える力があるの。」
「……急に何を言い出すんだ?」
「過去の一点を変えると、それに合わせるように世界も変わっていくの。私は、”自分がこの部活の顧問だった”ように改変したのよ。」
俺は、目の前に立っている女の言うことが理解できなかった。ただ、彼女が只者ではない力を持っていることは悟っていた。
「過去を変えることができる?あんたは何言ってるんだ?」
「言葉で言うよりも、実際に体験したほうが分かりやすいかしらね。佐藤くんは、”もし自分が生まれた時から女の子だったら”……って考えたことはある?」
俺は、高橋の言っていることが全く理解できなかったが、その質問をされた時、なぜか両足が凍りつくようにぞわっとした。さっきとまったく同じ悪寒だ。
だが俺はそんな異変にも怯まず、一歩前に出て「あるわけない、そんなこと!」と高橋を怒鳴りつける。
「……じゃ、想像してみて。もし、ここにいる全員が生まれたときから女の子だったら。”きっとサッカー部に入った”なんて過去も全部書き換わっちゃうわね……」
俺は、得体の知れない高橋の威圧に押されながらも、両足に感じる寒気が気になってしまう。というのも、両足だけが異様にひんやりとして、なんだか気になってしまうのだ。
──俺の足に、なにか起こっているのか。そう思い、俯いて下を見ようとする。
その瞬間、教室を強い風が吹き抜けた。
(……は?)
下を向いた瞬間、俺が観測した光景は信じられないものだった。
俺の腰に巻かれた水色と白の縞模様の”ミニスカート”が、窓から入り込んだ強風にめくりあげられているのだ。それだけではない。俺の上半身はいつのまにかひらひらの服を着ている。『Smile』と文字の表記された服の胸元からは、二つの山が隆起していた。
3
「わっ、はわわっ!?」
なぜか甲高くなっている声を発しながら、俺はスカートを抑える。
自分の格好を注意深く観察すると、水色と白のストライプのミニスカートにお腹丸出しのトップスを着せられており、赤茶色の長いもみあげがさらりと垂れている。髪の背後は観察できなかったが、ヘアゴムで縛られているような感触がした。
そう。それはまるで、サッカー部ではなく、チアガールのユニフォームだった。
俺は思わず動揺し、その場で震えあがる。
「なっ、なんだよこれ……」
「佐藤、なんか様子がおかしいけどどうしたの?」
ふと、背後から女性のやさしげな声が聞こえた。
俺は、恐怖に怯えながら声のしたほうを振り向く。
──そして。そこには自分と同じ格好をした女子の集団がいて、かつてそこにいたはずのサッカー部の男子は全員いなくなっていた。
「だっ……誰だ、俺はお前らなんて知らないぞ!?」
「佐藤、どうしちゃったの?“俺”だなんて言っちゃって。キャラ変?私は前田だよ?幼馴染なのにわすれたなんて言わせないよぉ?」
(前田?幼馴染?おい、まさか……)
前田と名乗る女子生徒は、冗談めかして笑っている。
しかし、その名前を聞いて俺は戦慄した。
前田は確かに俺の幼馴染だが、彼は筋肉自慢の屈強な男子だ。もしや、前田も自分と同じように姿を変えられてしまったのか──
俺は、背筋が凍るような思いだった。
4
「おい顧問!これはどういうことだ!」
短いスカートを抑えながら、俺は高橋をにらみつける。
「だから言ったでしょ?私は過去を変えられる、って。あなたたちはみんな、生まれた時からずっと女の子ってことになったの。そして、世界が事象の帳尻を合わせるように、あなたたちが所属する部活はチア部になったのよ」
佐藤は、何も言葉が出なかった。高橋の言っていることは何も信じられない……信じられないのだが、実際にこの状況を説明する方法が他にないのだから、信じるしかないのだ。
俺は、おそるおそるチアガール集団のほうを見る。じゃあ、こいつらはみんな、俺の大事なチームメイトだっていうことか?
「そ、それじゃあ、みんなの言ってることがおかしいのはどういうことだよ!なんでみんな女の自分を受け入れてるんだよ!」
「だから、女の子のまま暮らしてきたっていう”新たな記憶”があるのよ。男子として生きてきた記憶は全部、”女の子としての人生を歩んできた世界の記憶”に入れ替わってるわ。」
「男の記憶を記憶を失ってる、だって?でもオレは……」
「あなたは特別に、記憶を変えないであげたの。そっちのほうがおもしろいでしょう?」
「ふ、ふざけんな!お前、なにが目的だ!?」
「あはは!私はただ、夢を奪われたあなたの顔が見たかったのよ!あなたは、サッカー部のキャプテンとしてみんなの尊敬を集めたみたいだけど、今日からはチアリーダーとしてみんなを応援するの!ああ、たまらないわ」
「お前、悪魔かよ……」
前にいるのは悪魔のような教師。周りで俺を囲んでいるのは変えられてしまった仲間たち。そして、下にあるのは俺の豊かな胸とミニスカート。俺は目のやり場を失い、ただ天井を見つめることしかできなかった。
「安心して。私は悪魔ではないわよ。あなたが元に戻るチャンスも、ちゃんと用意してあげるわ」
「なんだと?それはどういう……」
「あなたには一か月チアガールとして過ごしてもらう。そして、それでも男の自我を保っていられたらみんなを元に戻してあげる。でも、もし一か月も経たないうちに、あなたの中に女の子としての自我が目覚めちゃったら、あなたたちは一生女の子のままよ」
「何?一か月男の自我を保てば戻してもらえるのか?」
「そうよ、約束は守るわ」
たった一か月だけ、男の自我を保つだけで良い?なんだ、意外と簡単なんじゃないか?
「わかったよ……その約束、覚えてろよ!」
「じゃあ、決まりね。それじゃあまた一か月後」
そういうと、高橋は行ってしまった。
きっと大丈夫だ。一か月の間男の精神を保てば元通りになるのだから。その間はこのチア部でなんとか頑張ってやろう。
5
先生が行ってしまった後、前田が心配そうな眼差しでこちらを見てきた。
「佐藤、高橋先生となに話してたの?なんかいざこざがあったみたいだけど」
「いや、なんでもないよ。解決した」
こいつの記憶は、生まれた時から女だったということにされてしまったのだ。今更事情を説明しても信じてもらえないだろう。
「そっか。じゃあ練習行こう?」
前田はそう言って俺の腕をつかみ、廊下へと引っ張ろうとする。
「まっ待て!この服で廊下に出るのか?」
俺は自分のチア衣装をまじまじと見つめて、顔を赤くする。
「何言ってんの。練習するために着替えたんでしょ。やっぱり今日おかしくない?」
「じょ、冗談だ!さぁ、練習に行こう」
俺は心配そうにのぞき込む前田を直視できず、ごまかすように大声を出し、そして顔を背けた。
前田の顔を長時間見ていると、なぜだか恥ずかしさが沸き上がってくるのだ。
しかし、俺はその後、比べ物にならないほどの恥じらいを感じることになる。そもそも、部室のドアを開けた瞬間から、チア衣装を着た自分を全校に晒さなければならないのだ。しかも、練習場所が校庭だというのだからその恥ずかしさも倍増だ。
(みんなの視線が気になる……ジロジロ見ないでくれ……)
校庭で練習している他の部の連中からの視線を気にしながら、少しだけ前田のほうに身体を寄せた。
6
「みんな集まったね。とりあえず、今日の練習内容は……振り付けの練習ね!」
「ふりつけ」
副部長の前田が、ラジカセを地面に置いてスイッチを押す。そして俺がリアクションする暇もなく、部員はポンポンを両手に掴み、右手を振りながら「わん、つー、すりー、ふぉー♡」と、軽快な音楽に合わせてかわいらしい声を出す。
「どしたの佐藤?一緒に踊らないと!」
「ふぇ、俺もあれを!?」
そもそも、俺は振り付けなんて知らない。
そのはずなのに、なぜかこのダンスの踊り方を知っている気がして、無意識に体が踊ってしまう。両手を腰に当てて、両足を交互に135度挙げる動き。ミニスカートの下の青い見せパンが露出して恥ずかしいのに、体が勝手に動いて止まらない。
右手を挙げてジャンプしながら、左手でスカートを抑えてウインクする動き。そんな仕草のひとつひとつが、サッカー部としての俺の尊厳を強く傷つけていく。
気が付いたら、視界にじわじわと涙が滲んでいた。
傷つけられたのは、俺の尊厳だけではない。今まで共に努力していた仲間たちが大切な青春の記憶を改竄され、露出度の高い服をひらひらさせながら踊っているのだ。なんでみんな、ミニスカートをヒラつかせてあんな幸せそうに笑えるんだ。
応援される側だった俺たちが、どうして「ふぁいと♡ふぁいと♡」なんて甲高い声を出さなければいけないんだ。
永井……お前、あんなに硬派で熱血だったのに、なんでそんな笑顔で飛び跳ねてるんだ。
本村……お前は「恋愛に興味ない」なんて言ってたのに、どうして今は「憧れの先輩が見てる~」なんて目をハートにしてるんだよ……
そして、前田……「一緒に全国を目指そう」って言ってくれたのに、今のお前はその薄布1枚とふぁさふぁさのポンポンで戦うのか?お前だけは何があっても一緒に進んでくれると思ってたのに。でも前田、俺はそんなお前が……
「佐藤、顔が強張ってるよ?もっと笑顔にならないと」
険しい表情になっていた俺に、前田が心配の声をかけてくる。その瞬間、いろいろな想いが体中の至るところからこみあげてきた。
気付けば俺は、涙を流していた。
奪われてしまった夢、強烈な恥じらい、冒涜されている仲間…………いや、俺の涙のほんとうの理由はきっとそれじゃない。それじゃないんだ。
でも、それを認めちゃ全部終わりじゃないか。
俺の瞳から、涙がぼろぼろと滴り落ちている。そんな俺を見て前田が、ぎょっとしてこちらを見つめる。
「うぅぅ……ふぐぅっ」
「だ、大丈夫!?何かあった!?」
俺は涙を止めることができなかった。男の時はどんなに辛くても涙を流さなかったのに。前田のふにふにの手に優しく背中をさすられて、彼の体が改竄されたことを嫌でも実感する。
──俺の涙の一番の理由は、前田、お前なんだよ。
馬鹿みたいな話なのだが、俺は前田に話しかけられるたびに、優しい女子になった今の前田にときめいてしまっている。みんなを男に戻すことを願っているのに、前田の近くにいるだけで彼女に対する恋愛感情が湧き上がってくる。
前田は完璧な親友だった。そんなあいつが今じゃ、こんなにかわいくなってるんだよ。こんなの好きにならないってほうが無理じゃないか。
そんな思考回路になってしまう自分が恐ろしくて、涙が止まらない。
7
「ご、ごめんなさい……ひっく……」
俺は、そう一言だけつぶやいて、体を震えさせながら泣き続ける。前田は、その様子を見てうろたえながら、背中をさすってあげることしかできなかった。そうやって慰められるのをたまらなく嬉しく思ってしまうのだから、俺はほんとうにダメなやつだ。
「佐藤、今日の練習は休んでいい。なんか、調子悪そうだし……」
「えっ……ううっ……ごめん」
俺は涙で赤く腫れた目をこすりながら、とぼとぼ部室へ向かった。
ロッカーを開け、カバンの中を見るとズボンではなくチェック柄のスカートが入っていた。きっと現実改変の影響なのだろうが、今更驚かず、黙って女子制服に身を包むことにした。
俺は着替え終わった後、スカートのポケットに入っていたレースのハンカチで涙を拭く。
(しっかりしろ。俺がみんなを元に戻すんだ)
そうやって自分を鼓舞するが、前田のことを思い出すだけでまた涙が出てしまう。俺は、前田のことを好きになってしまったんだ。前田が女の子になってから、まともにあいつの顔を見ることができないのがその証拠だ。もしみんなが元に戻ったら、前田と俺の関係性も元の男友達に戻ってしまう。俺は、どうすればいいんだ……。
8
「んー……」
気付くと、俺は女子制服で部室の床に横たわっていて、頭には座布団が乗っていた。
どうやら、日が暮れるまで泣き続けて、いつの間にか眠ってしまったようだ。起き上がってあたりを見渡すと、前田が俺の隣に座っていた。
(もしかして、俺が起きるまでずっとそばにいたのか……?)
「あっ、佐藤。起きたんだね。もう大丈夫?」
「うっ……うん……」
俺はやっぱり、前田の顔がちゃんと見れなかった。彼は女の子になったことも、サッカー部だった過去も、何も気づいてない。でも俺は前田の事が……本当は男なのに、女になってしまった前田の事が……
「……あの、さ。前田、この後空いてる?」
自分の進んでいる道がみんなを裏切るための方向だと知りながらも、俺はそんな自分をどこかで肯定していた。
「空いてるけど……どっか行く?」
「あのさ、ちょっと話してたくて」
俺はスカートについた埃を払いながら、精一杯の作り笑いでそう言ってみせた。
9
「佐藤、今日は何か嫌なことでもあったのー?」
俺たちは、河川敷に腰掛けて二人で話していた。
「……ちょと、ね」
「まぁ、言いたくないなら言わなくてよし!話したくなったら話してね」
「あ、ああ。ありがと」
そう言って俺は苦笑いする。前田の優しさに溺れて、もっと話したい、もっとそばにいたいという感情が溢れてしまう。
「ねぇ前田……好きな人っているのか?」
俺は前田の綺麗な横顔を見ていたら、衝動的に聞いてしまった。元相棒が女になった瞬間にこんなことを聞いてしまうなんて、自分でもどうかしていると思う。
「えー!?いきなりどうしたの?困っちゃうなぁ……」
前田は照れながら視線をそらし、俺に向かって肩をぶつける。
そんな愛おしい仕草のひとつひとつが、俺の胸を苦しめているのを感じる。
前田がそらした視線の先に思い浮かべてるのは俺なのだろうか。それとも……
「ごっごめん!急に変なことを言ってすまない!その……忘れて」
俺は怖くなって、焦りながら取り繕った。しかしもう、手遅れだったようだ。前田はすっかり恋バナムードに入り込んで、顔を赤くしながらほっぺを押さえ、左右に揺れている。
「ううん、教えてあげる。私の好きな人……教えてあげる」
「えっ、本当!?」
俺はつい、前のめりになってしまう。前田に好きな人がいるなんて……その事実を知っただけで頭がおかしくなりそうだ。
前田は俺の耳元を手で覆うようにする。どうやら耳打ちで教えてくれるようだ。彼女の口からどんな固有名詞が発せられるか、それを想像しただけで頭がクラクラしてくる。彼女の顔が、俺の耳元に近づく。その唇が……もっと寄って……そのまま右頬まで到達し……やわらかな感触とともにちゅっ、という軽い音が耳元で鳴った。
「今、私の目の前にいる人だよ」
彼女はそう言ってほほ笑むと、立ち上がってスカートについた草を払う。俺はただ茫然として何もできないでいた。
「じ……冗談だよな?あははっ……」
前田は沈黙で返したが、その答えは明らかだった。だって前田の顔が真っ赤だったから。
「ねぇ、佐藤はどうなの?」
前田は、恥ずかしそうに上目遣いでこちらを見つめてくる。
「もし佐藤も私のことが好きなら、ぎゅーってして。ほら」
「えっ……ええっ!」
前田は、両手を大きく開き、目を閉じる。その顔を見ると、全身の細胞から愛おしさがこみ上げてくるのを感じる。それと同時に、いまここで彼女の両手に包まれたら、もう二度と戻れないところに来てしまうことを悟っていた。
前田と一緒に愛し合う幸せを知ってしまったら、もう男に戻る選択は絶対にできず、サッカー部も見捨てることになってしまうだろう。
でも……それでもいいのかもしれない。俺は前田の、すべてが好きになってしまった。やさしさも、声も、さらさらの髪の毛も、俺を見つめる潤んだ目も、あの柔らかい唇も。俺は、気付けば彼女の胸囲を自分の両手で包み込んでいた。
「佐藤、ありがと……私たち、両想いだったんだね」
前田は俺の胸に潜り込み、体をすり寄せる。自分が女体である感覚にはまだ慣れないが、もう当初のような拒絶感はなかった。俺も前田の体に手を回し、密着する。やわらかい彼女の体が気持ちいいし、甘い匂いが鼻腔をくすぐっておかしくなりそうだ。
俺をこんな風に変えた教師は、『女の自我が芽生えたら負け』と言っていた。今の自分の自我が女かどうかはわからないが、俺はもう、男には戻りたくない。
「ねえ、女の子同士で付き合うのっておかしいかな……?」
前田は不安そうに俺の顔を見上げてくる。その宝石のような瞳に見つめられると、頭がくらくらしてくる。
「い、いいんだよ。おかしくても、好きに嘘はつけないし」
俺は、夢を諦めて女子の体に溺れてしまう自分自身を赦すようにそう言った。
「そうだよね……わかった!ありがとう佐藤!」
前田は、嬉しそうに再び胸に顔をうずめ、ぎゅっと俺を抱きしめた。俺はというと、幸せすぎて、もはや放心状態で口を半開きにしている。
「あっあの……本当に俺なんかでいいんだよな?」
「もうっ!いいに決まってるでしょ?心配なら改めて言ってあげるね。大好きだよ♡愛してる」
前田は満面の笑みでそう言うと、俺のほっぺたに鼻を押し付けてくる。その感触がうれしくてたまらない。
俺たちはしばらく経ってから体を離し、ベンチに座る。すると、前田が甘えるように俺の肩に頭をすり寄せてくるので、俺もそれに応じて彼女の髪の毛を撫でた。
「ふふ……佐藤優しい」
そう言って前田は、再び微笑む。その笑顔はまるで天使のようで、この笑顔を俺だけに向けてくれたのかと思うとたまらなかった。この笑顔、もう誰にもわたせない。もうおとこになんてもどれない。おとこにもどるなんて、ありえない。もしもどれるとしても、おれはずっとこのおんなのこでいる。まえだとはなれたくなんてないし、まえだをおとこにもどすなんて、ぜったいゆるさない。
10
次の日、俺はスキップをしながら朝練に来ていた。朝練は任意参加だし、本当はチア部の練習をするのは好きではなかったが、前田の隣にいれる時間が少しでも増えるだけで幸せだった。
「佐藤、おはよう」
「あっ、まえだ♡」
部室のドアを開けると、赤いジャージ姿の前田がストレッチをしていた。
ジャージ姿も映えるなぁ、と抱きつきたくなる気持ちを抑える。その傍らで、ジャージ姿の女子部員たちが雑談しながら練習の準備をしていた。泥と汗が染みついたサッカー部の時とは変わって、甘い香りのする部室だった。
俺も、着替えるために制服のワイシャツのボタンをはずしていく。
「ちょっと佐藤、なんでブラジャーしてないの!?」
肌着を脱いで露わになった俺の乳房を見て、前田が驚いたように叫び、俺は「ふぇっ!?」という声をあげた。そういえば、昨日も着替えたときにピンクのブラジャーを自分が身に着けていることに驚いたが、女性の服装のことは詳しくないので、下着をつけるのをすっかり忘れてしまっていた。
「もう!せっかく綺麗な形なんだし、ちゃんとブラつけないともったいないよ」
「お、おう……ちょっと考えておく……」
俺はそう言いながら、顔を赤くする。人前で乳房を見られるという、女性でも恥ずかしがってしまうようなことを男の俺がしてしまっている……しかも、ほかの部員たちからの怪訝そうな視線を感じてしまう。
俺は乳房を手で隠しながら着替えを済ませ、ストレッチと軽くダンスの練習をした。チア部の活動は少し恥ずかしいけど、やっぱり俺は前田が好きだし、前田の隣にいる女子の自分も好きだ。もう、このまま女の子に溺れてしまいそう……。
11
軽いウォーミングアップを終え、体力作りのためのランニングをする。女子になった俺は前田よりもすこし足が速いようだが、彼女の隣にいたいのでわざとスローペースで走る。風を切ってたなびく彼女のポニーテール。ちらりと見えたうなじがセクシーだ。
しかし、この時の俺は前田に見惚れてしまって、周りが見えていなかった。
──突然、曲がり角から自転車が飛び出してきたのだ。
「危ない!」
前田はそう強く叫ぶと、俺を庇うように突き飛ばした。
「痛ってて……」
俺は肘をさすりながら、顔を上げ、状況を把握する。その瞬間、全身が青ざめた。前田が自転車に衝突し、地面に頭を打ち付けていたのだ。
12
「まえだっ!まえだっ!大丈夫か!?」
保健室のベッドの上で、俺は泣きながら声をかけつづける。事故のショックで、彼女は意識を失ってしまったのだ。
「前田っ……返事してくれ……」俺は彼女の手を取ってそう叫ぶが、意識は戻らない。とりあえず命に別状はないらしいので安心したが、俺は混乱して、何もできず立ち尽くしていた。
「んんぅ……痛……」
しばらく待っていると、前田のほうから声が聞こえた。
そして瞼がゆっくり開くと、前田は痛みに顔を歪めた。
「まえだ……よかったぁ……意識が戻ったんだぁ……」
俺は胸をなでおろす。前田はまだ状況が読み込めていないようで、周囲を見渡して戸惑っているようだ。
「ここは……?保健室……?」
「まえだ、大丈夫か?」
俺が心配の言葉を掛けるが、彼女はなんだか不思議そうな顔で、俺を見つめている。
「お前、誰?」
「え?誰って……」
「ってかなんだよこの胸!声も変だし……うわ、下もない……!」
(え……?)
俺の頭が真っ白になった。
もしかして、前田はあの衝突事故で記憶を失って……男時代の記憶に戻ってしまったのか?昨日までの、俺と一緒に過ごしてくれた女子としての前田は……もういないのか……?
「おい、もしかして……昨日のこと忘れたのか!?」
俺は取り乱して声を張り上げる。その時、突然部室のドアが開き、白いニットを着た女性が現れた。黒髪を後ろで結った彼女は、心配そうな顔でこちらを見ている。
13
「お……お前は」
その女性は、俺たちを女の姿に改変した女性教師、高橋だった。
「佐藤くん、話は聞いたわ。前田さんは大丈夫なの?」
「そっ、それが…………」
俺は、現在の状況を二人に説明する。
「それじゃあ、お前があの佐藤ってことか?信じられない」
真実を知った前田は、ぎょっとした目で俺を見つめる。頼むから、そんな目で見ないでくれ……
「お前……一緒に全国行くって約束したよな?どうして女になってるんだ」
昨日の優しい前田とは違って、今の前田は半開きの目で俺を追求してくる。そのギャップに、思わず涙を流してしまいそうだ。
「そ、それは……俺だって、元にもどりたいさ」
前田に詰め寄られて、とっさに嘘をついてしまった。本当は、戻りたくないのに。女子の前田ともっと一緒にいたいのに。おれたち、もっと女の子どうしでいたかった。でも、それを前田に伝えることなんてできなかった。前田が、俺のことを嫌いになってしまうかもしれない。そう思うと、俺は怖くなって嘘をついたのだ。
「……元に戻れる方法はあるのか?」前田が焦ったように質問すると、顧問は薄笑いを浮かべる。
「ええ、私の能力を使えばみんな男にもどしてあげられるわ。でも、あなたが一か月男の自我を保てたら、の話だけどね」
前田はしばらく無言になり、決意をしたように高橋に向かって叫ぶ。
「いいだろう!俺たちは絶対に男にもどってやる!」
その言葉を聞くと、俺は複雑な気持ちでいっぱいになる。男になんてもどってほしくない。前田にずっと女の子でいてほしい。しかし、こいつは俺の気持ちなんて知らずに、戻りたがっている。いやだ。
前田を男になんて、戻したくない。でも、それに反対して嫌われたくもない。俺はどうすればいいんだろう。
「前田、俺もう行くから。お大事にね」
俺がそう言いながら立ち上がると、前田は「おう!絶対、一緒に男に戻ろうな」と笑顔で言いながら、俺を見送るのだった。
14
「佐藤くん、ちょっといいかしら?」保健室を出て教室へ向かう途中で、顧問に呼び止められた。
「な、なんの用……?」
「あなた、前田さんのことが好きになっちゃったんでしょう?」
「えっ!?」
俺は思わず動揺する。なんで……俺が、前田のことが好きなことがバレたんだ……?
「あはは、やっぱり。ということは、もう男に戻りたくないんでしょ?」
「……なんでバレたの。そんなこと」
「そりゃ、あなたのことずっと見てたからね。男に戻る!なんて言ってた割に一日も経たずに女の子に溺れちゃうなんて、かわいいわねぇ。それにしても、まさか一日で堕ちちゃうなんて予想外だったわ」
顧問は俺をからかうように笑った。
「あの!……前田には絶対に秘密にしてください。お願いします」
俺はそう懇願すると、顧問はやさしく微笑んだ。
「わかってるわよ。だけどいいの?前田さんは男に戻りたがってるみたいだけど、あなたはそれを望んでないんでしょう?」
俺は黙ってしまう。というのも、顧問が今言っている内容が図星なのだ。俺は女子の前田が好きだから、元に戻したくないのだ。
「ねぇ、前田くんを止める方法はいくらでもあるのよ?」
「本当?」
俺は目を輝かせて顧問を見つめる。
「簡単よ、あなたが経験したことをそのまま前田君にやってあげればいいのよ」
「どういうことだ?俺が経験したことって……」
「察しがわるいのねー?河川敷でぎゅーってしたりとか、ほっぺたにちゅーってやって虜にさせられちゃうやつよ。」
「なっ、なんで知ってる!」
「そりゃ、あなたのことはずっと見守ってたからねぇ」
「このストーカー女……」
「それにしてもあなた、最高に幸せな顔だったもんねぇ」
「わかったから……恥ずかしいからそれ言わないで……」俺は下を向いてしまう。
「まぁ要するに、あなたも同じように前田君をメロメロにしてあげれば、彼に”戻りたい”と思わせなくできるわ。そうすればあなたも前田君も、あなたも、そのまま女の子でいられるでしょ?」
「ちょっと……待ってよ……そんな恥ずかしいこと」
俺は胸を抑える。その言葉が意味するのは、つまり俺が……今の前田を誘惑するってこと……だよな?恥ずかしさのあまり顔が熱くなるのがわかる。
「まあ、どうするかはあなたが決めること。せいぜいがんばってね」顧問は俺にウインクすると、歩いていってしまう。
「まて!一つだけ聞きたいことがある」
「……どうしたの」
「お前のその魔法……どうやったら使えるようになったんだ」
「あっはっは!なに?あなたも魔法を使いたいの?この力は強力な欲望に目覚めないと開花しないし、そもそもあなたに魔法を使う素質があるようには見えないわ。こんな力が誰でも彼でも使えるようになったら、世界はおかしくなってしまうでしょう?ほんとにバカねぇ」
「……うるさい。聞いてみただけだ。あと、これから俺たちをストーカーするのはやめろ」
「はいはい、仕方ないわね。やめてあげるわよ」
俺は教室のドアを強く閉めて、その場を去った。
「まったく……好き勝手言って……」
15
俺は悔しかったが、素直に高橋の言うことに従うしかなかった。それからしばらく空き教室で休んでいると、怪我が完治したらしい前田が迎えに来て、「男に戻るためにも、練習がんばろうな」と言った。全く、こっちの気も知らずに……
俺は複雑な気持ちのまま、前田と部室に向かう。初めてチア衣装を着る男自我の前田は少し恥ずかしがっている様子で、かわいかった。
「似合ってるよ」俺がそう声をかけると、前田は恥ずかしそうに顔を赤くし、うつむいてしまう。やっぱり、好きだなぁ。
「おふたり、いちゃつくのはいいけど練習もしっかりね」と、部室で同期の山本にからかわれ、前田は「そ、そんなんじゃない!」と恥ずかしそうに叫んでいた。
それから、本格的にチアの練習が始まった。難しい動きに対する苦難と、かわいらしい振り付けに対する恥じらいの連続だったが、前田は難なくキレキレのダンスを習得していく。
「前田、なんか上達が早くないか?」
俺がそう聞くと、前田は「ああ、男に戻るためだからちゃんと練習しないとな」と必死そうに言った。前田、そんなに男に戻りたいのか?このままだと俺たち、本当に男に戻されちゃうよ……
俺は少しでも前田をときめかせようと、練習中は笑顔を絶やさなかった。でも、前田はずっと死に物狂いな顔で練習をしている。
俺はちょっぴり、悲しくなった。
16
翌日以降も、俺は前田に「かわいい」と思ってもらいたくて、本当は校則違反だけど色付きリップを塗ってみたり、髪形をツインテールにしてみたりした。鈍感な前田も流石にツインテールには気づいてくれたようで、「その髪型、結構似合ってるな」といってくれた。うれしい。
あとは、作った手料理を昼休みにふるまったら、「おいしい」と言ってくれた。特に、明太子おにぎりは気に入ってくれたみたいだ。俺も前田の好みくらい完璧に把握している。
「前田って、昔から花より団子主義だよね」
「団子はわかるけど、花ってなんのことだ?」
「おしえなーい」
「なんだよ、それ?」
俺は、前田のほっぺたについてる米粒を拭きとってあげた。この、海の泡のようにきれいなほっぺたに口づけをすることが許されたら、どんなに幸せなのかな。
前田は、女の体になってから小食になってしまったようで、すぐにおなかいっぱいになって授業中はうとうとしていた。眠気に耐えて首をこっくりと動かす前田もかわいらしい。俺は、前田が眠気と戦っているのをいいことに、口を「す」「き」の形に動かしてみる。
もちろん、声は出さなかったけど。
ごめん前田、もう耐えられないかも。前田の心をとびっきり女の子に染めたい。前田の唇が、いつも柔らかそうだ。今すぐキスしたいくらい。でも今そんなことをしたらきっと嫌われてしまう。この気持ち、爆発しそうだ。
もっと一緒にいたい。もっと俺を見てほしい。
俺と一緒に、このまま女の子として生きてほしい。
17
「まえだ……?今日俺の家に誰もいなくてさ、せっかくだから泊まっていかないか?」
勢いに任せて、言ってしまった。
この言葉は、つい先日まではただ、男友達を家に呼んでいるだけの言葉だった。しかし、今となっては初恋の女の子を自分の部屋に誘い込んているような、そんな意味をはらんでいる。
「いいよ。佐藤の家、久しく行ってないし」
前田は、うっすらと微笑んで俺の誘いに乗ってくれて、緊張していた俺の心が、どこか救われたような気がした。
「や、やった!最近練習続きで疲れてるだろうから、たくさん休んでってよ」
「うん、感謝」
俺は平然と『男友達』を演じたように会話するが、内心では心臓がはちきれそうなほどドキドキしていた。
18
「おじゃましまーす……」前田は俺の部屋に入ると、あたりをきょろきょろと見まわす。
「前田、なんでそんなよそよそしいんだ、俺の家なんていつも来てただろー?」
「いや……なんか佐藤が女子になってから……その、女の部屋なんだなって思って」
「へぇ、緊張してるんだ?」
「してねーよ!なんでお前なんかに」
前田は顔を真っ赤にして荷物を置くと、俺のベッドにダイブし、スマホをいじり始めた。俺は、その隣で体操座りして前田の顔を見つめる。
「最近、どう?」
「どうって……そりゃ大変だよ。男に戻るために、やりたくもないチア部の練習を毎日してるんだから、正直疲れたよ」
「うんうん。前田も大変だよな」
「でも、俺はサッカー部みんなを元に戻すんだ。その使命があるから、俺は絶対負けられないんだよ」
「みんなを元に……ねぇ」
俺はそう言って長いため息をつく。俺の本当の気持ちを知ったら、前田はどう思うんだろう。本当はずっと、前田と女の子同士でいたい俺の気持ちを。
「ねぇ前田。ちょっとだけこの部屋で待ってて」
「どうしたんだ、急に?」
「疲れてるみたいだから、おまえを労ってあげるの♡」
前田はぽかんとした顔で俺が部屋を出ていく様子を見ていた。俺はニコッと笑うと、ルンルンとしながら”労い”の準備を始めた。
数分後、俺が部屋に戻ると前田はベッドの上で待っていた。俺はそっとドアを開けると、前田は驚いたような顔になった。
「おまえ、その恰好……」
青くてひらひらとしたミニスカートに、中腹部を露出するユニフォーム。両手にはポンポンが握られている。
そう、それは俺たちのユニフォーム、チア衣装だ。俺は顔を薄ピンクに染めながら、大きな声を張り上げる。ミニスカートの下から覗く太ももには、冷や汗が垂れていた。
「フレーッ!フレーッ!ま・え・だ!」
「お、おまえ……なんでチアの恰好してるんだよ!」
「なんでって、前田が疲れた顔してるから、応援してあげてるんだよ!ふぁいと♡ふぁいと♡ま・え・だ♡」
「佐藤……」
俺はミニスカートの裾をピラピラさせてアピールする。すると、前田の顔が真っ赤になっていった。かわいいなぁ、照れてるのかな?そんな反応されたら、もっと応援してあげたくなっちゃうじゃん!
「える♡おー♡ぶい♡いー♡ま・え・だ・ら・ぶ♡ふぁいと♡ふぁいとっ♡ま・え・だ♡」
「おいおい 、らぶ、って……」
俺はにっこにこでウインクをし、軽快なダンスで前田を元気づけたのだ。
「どーお?元気出た?」
「あ、ああ……」前田は完全に照れてしまったみたいで、体育座りのまま固まっている。
「前田、もっと俺のことを頼ってね」
俺はそう言って、ポンポンを前田の頭に載せてあげる。すると、前田は顔を紅潮させて俺を見つめる。
「うん、お前なりに気を遣ってくれたんだな。ありがと」
「えへへっ……」
前田にお礼を言われて、俺は幸せを感じてしまう。思わず頭をなでてあげると、彼は赤面しながら言葉を発した。
「その、あんまり近づくと恥ずかしいよ」
「そんなこと言わずにさぁ♡俺のスカートの中とか、気にならない?何履いてると思う?」
「冗談はやめなさい」
「えー?こんな機会、二度とないよ?ほらほら」
俺がスカートの裾を持ち上げようとすると、前田は真剣な顔になり、俺の手を抑えた。
「バカ!自分の体を大事にしろよ!俺は本当は男なんだぞ!」
「ひゃっ……はい……」
俺は真剣な顔の前田に押されて、思わず敬語になってしまった。でも、俺の事を心配してくれてるのがうれしくて、心拍数が上がってしまう。
「佐藤。お前、他の部員にも、そんなことしてるのか?」
「し、してないよ!俺前田以外にこんなことしないし」
「俺だけ?なんで俺だけ特別なんだ?」
「それは……」
言葉に詰まってしまう。前田はその真剣な顔をどんどん近づけて、俺のことを見つめてくる。
「お前が元気なさそうだから、こうしたら喜ぶかと思って……」
「はぁ?」
前田はそれを聞くと、ほっぺたを痒そうにしてぽりぽりと掻いた。
「お前、いいやつだけど、やっぱりバカだな」
「ええ!?なんで?どうして!?」
「バカだよ……俺は本当は男なんだから、そんな無防備にしたら危ないだろ……」
「いやいや、前田は変なことしないってわかってるよ。優しいし」
「ああもう!やっぱりお前、バカだ!」
「ええ……どうしたの?変な前田」
ちょっと構ってほしくてスカートをめくってみただけなのに、本気で心配されてしまった。男同士の時はこういう下品な馴れ合いも日常茶飯事だったのになぁ。俺は前田にちょっと気持ち悪く思われちゃったのかもしれない。
「まあいいや。無防備じゃない服をご所望なら、そろそろ部屋着に着替えるよ」
「お、おう。」
俺はクローゼットから寝巻を取り出すと、チア衣装のシャツを脱ぎ始める。
「おい!ここで着替えるなよ!」
「えー?今は女の子同士なんだし、いいじゃーん」
「いいから!こういうのは見せちゃダメなんだよ!俺、後ろ向いてるから!」
「もう、恥ずかしがりやさんだなぁ」
前田は、目を覆うようにして壁のほうを向いた。その顔が薄ピンク色に染まっていることを、この時の俺は気付かなかったのだ。
19
「着替え終わったよ」と声をかけると、前田は安堵したように息を吐く。そして、俺のほうへ振り返った。俺は寝巻に着替えてからチア衣装を丁寧にたたみ、紙袋へとしまう。
「じゃあそろそろ寝よっか。前田、ベッドきなよ」
「い、いいよ!俺は床で寝るから!」
「えー?腰痛めちゃうよ?前はいっしょのベッドで寝てたのに」
「あ、あの時は男同士だったし」
「女同士じゃだめなの?ほら、いいからおいで」
俺はベッドをぽんぽんとたたく。すると、前田はあきらめたようにベッドの上に座った。俺はそのままベッドに入り込み、前田の隣で横になる。
「佐藤、おまえやっぱり無防備だよ」
「いいんだって!俺は前田を信用してるよ!」
俺は前田の腕を握ると、冗談っぽく「やーん、前田ちゃんに襲われるー♡」と言った。その後前田は呆れたように「ばか」と言った。
「じゃあ俺はもう寝るよ。前田も、ちゃんと寝ろよ」
「ああ……おやすみ、佐藤」
俺は疲れが溜まっていたのか、すぐにすーすーと息を立てて眠りについてしまった。前田は、俺が眠りについたのを見計らってベッドにもぐりこむ。
俺と体温を共有した前田は、しばらくの間、俺のさらさらの髪を優しく撫でていた。
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「ん、佐藤……?」
前田は、小鳥のさえずりで目を覚ました。隣に俺はおらず、人肌ほどに温かいイルカのぬいぐるみだけが置き去りになっている。
彼女は寝ぼけた目をこすりながら、俺の部屋から出る。すると、廊下からベーコンの香ばしい匂いが漂ってきた。
「あ、前田起きちゃった?もうちょっと休んでもよかったのに」
キッチンには、ピンクのエプロンを身に着けた俺が立っていた。フライパンの上にベーコンエッグがじゅうじゅうと焼けていて、小鍋に入った味噌汁からは湯気が出ている。
「朝ごはん、作ってくれたのか?」
「うん!俺、いま沢山労いたい気分だから!さあ、食べて食べて!」
俺は前田を食卓に座らせると、手際よく料理をテーブルに並べる。ベーコンエッグに味噌汁とトーストというシンプルな朝食だが、喜んでくれるだろうか。
「いただきます」前田は丁寧に手を合わせてから、料理を口に運ぶ。
「おいしいよ」
「ほんと?うれしいなぁ!」
前田は、俺が作った料理をおいしいと言ってくれる。なんだか恥ずかしいけど、幸せな気持ちになる。
「俺、お嫁さんみたいでしょ?」
俺は九割冗談、一割だけ本心で言うと、前田は「ばか」と顔を赤くする。またこの反応だ。
21
「今日は休日だけど、佐藤は予定あるのか?」前田はトーストをかじりながら言った。
「ないよ。一日中暇なのです」
「それじゃあさ、どっか遊びにいこう。せっかくだし」
「へぇ、前田から誘ってくれるなんて嬉しいな。もちろん、行くに決まってるじゃん!」
「そっか」前田は照れたように頬を掻く。
「じゃあ、どこいこっか」
「俺、隣町の牧場に行きたくて……うさぎが触れるらしいんだ」
「前田、動物好きだもんね!いいよ、そうしよ!」
俺達は朝ごはんを終えると、支度を始めた。日焼け止めクリームと色付きリップを塗り、クローゼットへ向かう。
22
「俺の服、借りてく?制服のまま行くのもあれだし」
「そっか、ありがとな」
前田は俺のクローゼットを開き、服を吟味する。俺の部屋は生まれた時から女子であることに改変されているため、女の子らしいワンピースやフリルのついたスカートばかりだ。
「なんかもっと……カジュアルなやつはないのか?」
「あるにはあるけど……デニムのショートパンツ。」
「じゃあそれにする。そっちのほうが……恥ずかしくないからな」
前田はデニムのショートパンツを履く。とても短い丈で、彼女の素足が眩しい。
「あははっ!カジュアルっていうけどさ、前田、露出しまくりでめちゃくちゃ無防備じゃん!」
「わっ笑うな!いいんだよこれで!」
「うんうん、いいと思うよ。すっごく、いいと思うよ♡」
俺は、前田のショートパンツからすらりと流れる素足を見てにやにやとする。
「や、やっぱり恥ずかしい!別のにする!丈が長い奴をくれ!」
「えー?もう、わがままなんだからぁ。じゃあ、これ」
俺はクローゼットからピンク色のフリル付きロングワンピースを手に取る。
「これは確かに無防備じゃないけど……ちょっと……かわいすぎないか……?」
「いいから着てみてよ!きっと似合うから!」
俺は前田にワンピースを手渡した。前田は渋々それを受け取ると、観念したように足を通した。
「おい、どうだ?」前田は頬をぽりぽりと掻く。
「うんうん、ゆったりしていい感じだよ!超似合ってるし!着ていきなよ!」
「そうか……じゃあ、これにする……」
前田はフリルのついた袖を気にしながら呟く。
「じゃあ、俺も着替えてくる!」
「おう、待ってるよ」
俺は赤いカチューシャに、深い赤のチェックスカートといった、赤を基調とした具合のコーデで、前田の前に現れた。
「佐藤……お前、結構似合ってるな……」
「でっしょー!勝負服なんだ!あっ、でも前田のほうが似合ってるからね!」
俺は前田に抱き着く。サラサラの髪をなでると、シャンプーのいい香りが鼻腔をくすぐった。
「ちょ、おい……恥ずかしいからやめろよぉ」
前田は俺を強引に引き剝がす。だけど、顔が真っ赤になっていた。
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「佐藤、もう着くから起きて」
「う、うん……」
俺達は電車とバスで牧場までやってきた。自然が豊かで、空気もおいしい。絶好のお出かけ日和だった。
「見て見て!花がたくさん咲いてる!」
「ほんとだ……きれいだな」
前田は、俺の指さした花を見て目を輝かせる。前田がぼーっとしてる隙に、俺はスマホのシャッターを切った。
「お、おい!勝手に撮んなよ!」
「えへへ、かわいいからつい」
俺はそう言って、写真を見せる。色とりどりの花の真ん中に華やかなワンピースを着た、淑やかな表情の前田が写っている。
「すごい、美少女じゃーん」
前田は恥ずかしそうに「むぅ」と口をすぼめて黙ってしまう。
「これ、待ち受けにしようかな?そのへんのアイドルよりかわいいんじゃないのか」
「そ、そりゃどーも」
前田がそっぽをむいた瞬間、俺はまたシャッターを切る。
「あ、照れてる!また前田のかわいいとこ撮っちゃった!」
「ばか……」
前田はワンピースの裾をたなびかせながら、小さな声で呟いた。
「ほら、いくぞ」
「はーい」
俺と前田は横一列になって花に囲まれた道を歩き出した。
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「見て前田!ソフトクリームたべたい!」
「うん、たべよっか」
「じゃあ買いにいこ!」
俺と前田はソフトクリームを買うと、近くのベンチに座ってそれを食べる。
「うん、甘くて冷たくておいしい」
「佐藤、ほっぺたにクリームついてるよ」
「え、ほんと?どこどこ?」
俺が頬をごしごしと探していると、前田がハンカチを取り出す。
「拭いてあげよっか?」
「う、うん。おねがい……」
俺はどきどきしながら目を瞑る。すると、ぱしゃりとシャッターの音が鳴った。
「ふぇ、なんで撮ったの!?」
「ほっぺにソフトクリームつけた間抜けな佐藤を撮っちゃった。さっきの仕返し。」
前田はにやにやとしながら、俺の頬をごしごしと拭いた。そのいたずらっぽい笑みが、俺の中の乙女心を締め付ける。
「も、もう!前田ってば!」
「あは、ごめん。許してよ」
前田はそう言って俺の頭をなでる。なんだか子供扱いされてるみたいだけど、俺は嬉しくてしょうがなかった。
「その画像を待ち受けにしたら、許してあげる!」
「へ?俺が待ち受けを変えるのか?」
「そうだよ!待ち受けを俺の写真にしろ!」
「いいけど……なんでだよ」
前田はそういうと、自分のスマホを差し出した。俺はすかさずソフトクリームをほっぺたにつけた俺の画像を待ち受けに設定する。
「俺もお前の写真を待ち受けにしたし、これでおそろいだね!にひひっ」
「なんか……お前には敵わないや」
前田は恥ずかしそうにそう言うと、ソフトクリームをぱくっと口に含んだ。俺は前田のいろんな表情を撮りたくて、カメラを構える。すると、彼女はじろりと俺のことを見る。
「佐藤、そんなに撮るなって」
「いいじゃん!思い出だよ!思い出!」
俺はそういって、何枚も写真を撮った。前田がかわいいのが悪い。しょうがないのだ。
25
ソフトクリームを食べ終わった後、俺たちは牧場の中を歩き回った。
「おい佐藤、うさぎさんがいるぞ!」
前田が、草原に転がっているウサギを指さして駆け寄っていった。
「え、ほんとだ!かわいいなぁ」
俺も前田の後を追いかける。前田はうさぎの足元でぴょこぴょことはねていた。
「ふふっ、前田ったら子供みたい」
俺は思わず前田のことを撮影する。そして、彼女はぴょんぴょんとウサギの周りをまわり始めた。
「えへ……えへへっ!うさぎさん、捕まえたっ!」
前田は溶けたアイスのように顔をとろけさせながら笑いだす。あいつが男の時は、こんなに笑ってるのみたことなかったなぁ。
「前田、今日はいつもより楽しそうだね」
「そうかな……うん、楽しい。男の時はこんなにはしゃいだら恥ずかしかったし……かわいいものも好きって言えなかったから……それに……」
「それに?」俺は前田の隣に立つ。
「この姿だと、なんか素直になれる気がするんだ」
「そっか……よかったね」
俺は前田の頭をぽんぽんと撫でた。
「ん……」彼女は気持ちよさそうに目を細める。前田の、長い睫毛がまぶたの上で垂れていた。
「佐藤も、この体になってから楽しそうでよかったよ」
「えっ……そうかなぁ?」
「だって……お前さ、男に戻りたくないんだろ?」
「えっ!なんでわかったの?」
俺は心臓がどくんと高鳴る。
「わかるよ……佐藤の行動見てたら」
前田はそう言うと、うさぎを膝の上にのせてぎゅっと抱きしめた。
「なぁ、もっと女子らしくふるまってみたらいいんじゃないか?男らしくするの、嫌なんだろ?」
「女子……らしく?」
「その……一人称とか、さ。変えてみる機会なんじゃないか?『俺』から『私』に」前田は口をすぼめた。
「わ、わたし……」
”私”は目を逸らしながら、声に出してみる。一人称を変えるって、なんだか不思議な感覚だ。今まで自分を包んでいた殻が、刺々しい殻から柔らかくて弾力のある殻に変わっていくような感覚だ。
「あはは、変じゃないかな……」
私は、自信なさげな目で言ってみる。すると、前田はにっこり笑う。
「……すてきだよ」
前田が放ったその言葉が、私の中で乙女心の花を咲かせる。……うん、素敵。なんて素敵なんだろう。
「うん、ありがと」
前田は私の感謝を聞くと、急に澄ましたような顔になり、つぶやく。
「楽しいよな。女の子って」
「へえっ……前田の口からそんな言葉が出てくるの、意外かも」
「……でも今、本当に楽しいからさ」
前田は膝元のうさぎを原っぱに放し、肩を寄せてくる。
「前田は、どうするの?やっぱり男の子に戻りたい?」
26
前田はしばらく沈黙した後、私に心の内を話してくれた。
「俺、ずっと男にもどってサッカーしたかった。でも今、お前のおかげで女子も楽しいって思ってきたんだ。かわいい物も……好きでいていいんだって思えてきたんだ」
「うんうん」私は前田の背中を撫でながら話を聞く。
「でもさ……元の姿に戻らないと、俺は夢をかなえられないんだ。男としてサッカー選手になるって夢を……だから……」
前田はうつむくと、涙をぽろぽろと流す。私は黙って前田の頭を撫で続けた。
「うん、お前も夢があるんだもんな。私は応援するよ」
「ごめん……ごめん……」
前田は嗚咽を堪えながら謝った。私はそれに心を締め付けられるが、泣きたい気持ちを抑える。
「もう、なんで謝るのかな」
「だって、俺だけ男に戻ったら、佐藤は一人ぼっちだろ?」
前田は泣きそうな顔で私に語りかける。
「でも佐藤、俺……やっぱり男に戻るかも……」
「うん、わかってる。わかってたから……いいの」
「でも佐藤、お前は女の俺が好きなんだろ。男の俺よりも」
「違うよ、どの前田も好きだよ」
私は前田を抱きしめた。彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに私の体に手を回してきた。
「じゃあ佐藤は……男の俺のほうがいいのか?」
「わかんないよそんなの……」
私は、本当は女子の前田のほうが好きだという気持ちを抑え、気を遣って解答をはぐらかした。
「俺は、女の佐藤が好きだよ。男より」
「えっ……ああ、友達として、だよね?」
「ちがうし……もし佐藤が女の子なら、俺は付き合ってもいいかなって思ってるの」
「ええ!?」
私は思わず前田のことを離してしまった。そんな、前田が俺のことを、なんで突然!?
「ほ、ほんとに?ほんとに私のこと好き?」
「うん」
前田は真剣な目で私を見つめる。もう頭がパンクしそうだった。心臓が張り裂けそうなほど高鳴る。その瞬間、私は決意する。自分の気持ちを伝えようと!
「あ、あの……あのね前田……わたし、も、前田のこと……大好き、だよ……本気で」
私の魂の告白に対し、前田は「知ってた」と言ってぷいとそっぽをむく。
「え、えっ!なんで知ってるの?」
「わかりやすすぎるし。お前」
前田は、私の頭をぽんと撫でる。
「そ、そんなにわかりやすかったかなぁ……」
「あのさ。好きじゃなきゃチア衣装着て『ラブ』なんて言わないだろ」
「ちっちがうの!あれは夜だからちょっとおかしくなってただけ!忘れて!」
「やっぱバカだな」
前田は目を逸らす。
「と、とにかくさ……私達両想いってことだよね?付き合うってこと?」
私は恥ずかしさを胸に抱きながら話す。
「ごめん、俺まだわからないんだ。男に戻るべきなのか、それともこのままでいるのか。だから、それが決まるまで返事は待ってほしい。」
「う、うん。ゆっくり考えればいいよ。私、待つからさ……」
「ありがとう佐藤。やっぱりお前は優しいな。女の子同士でいれる時間も、もう長くないかもしれないから……もっと一緒にいてくれ」
「うん、前田……」
私達はお互いの存在を確かめ合うように、強く抱きしめ合った。ああ、わたし、今すっごく幸せ……
「お熱いところ悪いけど。おめでとうございます!!特別サービスで、男の自我を保った前田くんは、男に戻りまーす!」
「は?」
27
前田は、突然現れた顧問の高橋に叩かれると、どんどん男の体に戻っていった。ワンピースがはちきれそうになるほど腕が太くなり、無精ひげが生えてくる。
「せっ先生!どうしてここに!」
「なっなんで!俺はまだ決めてない!待ってくれ!俺は……!」
前田は男に戻ることに抵抗をしたが、それもむなしく体はどんどん男らしくなっていく。
「前田っ!大丈夫?」
「佐藤!見ないで……」
私は心配して前田に駆け寄るが、前田は体を隠すようにしゃがみこんでしまう。
「気にしないで!俺はどんな姿でも前田のこと好きだよ!」
「佐藤……佐藤……!」
私は前田の手を握ると、自分の体に抱き寄せた。しかし、彼女の体はどんどん膨張してたくましくなっていく。ごつごつした筋肉がつき始め、体中が毛深くなっていく。その姿はまるで獣のようだ。
「前田っ……!無理しないで!」
「佐藤……俺……俺……」
私の願いも届かず、前田の身体はどんどん男の姿へと近づいていく。私は前田の体が変わっていくのを見守ることしかできなかった。そして、私の目の前で前田は男に完全に戻ってしまった。
「どうして……俺はまだ戻るか決めてないのに……」
「おい顧問……なんでこんなことをした……」
私は、鋭い眼光で顧問をにらみつける。
「あっははは!ごめんごめん!私、バカな男子の絶望した顔を見るのが好きなのよ!」
「なんだと……お前、最初から約束を破るつもりだったのか?」
「そうそう!その顔!やっぱり高校生はこうでなきゃね!時間かけて葛藤させた甲斐があったわ!」
「ふ、ふざけるな!」
私の体は、高橋に殴りかかっていた。しかし、彼女に見つめられると突然金縛りにあったように体が言うことを効かなくなる。
「はは!魔法の使えないあなたにはどうしようもできないわよ」
「そんな……」
「安心して!佐藤君もすぐ男の子に戻してあげる!ふたりの愛の御祝儀に、醜い体をプレゼントしてね!」
「やめろ!佐藤はそんなこと望んじゃいない!やめてくれ!」
なんで?どうして?せっかく女の子になれて、楽しい生活が始まると思ったのに。どうしてこうなってしまうのだろう。
「やめろ!佐藤だけは巻き込むな!」
前田は俺をかばうように目の前に立つ。
「いやだね。私は君たちの絶望した顔を見るために、先生になったんだからさ!
顧問が前田にむかって手をかざすと、前田の腕がさらに太くなり、毛深くなる。
その瞬間、俺の心の中で、怒りや悲しみが混ざり合ったような感情が渦巻き、何かが壊れるような感触がした。
ゆるさない。ゆるせない。せっかくしあわせになれたのに、それを奪うこいつがゆるさない。前田を救いたい。
俺はただ、前田を助けたいという気持ちだけを胸に宿らせる。その感情はどんどん大きくなり、胸が爛れるほど熱くなっていく。
「前田……安心して。わたしが、絶対に君を守るから」
俺は胸の中に生まれる感情をそのまま吐き出すと、胸から一片の光が溢れる。やがてそれが俺の体を包み込んでいくと、体の周りに花びらが舞い始める。「佐藤……?」前田が呆然と俺を見つめる。
花びらはどんどん集まっていき、やがて前田の体を包み込む。前田の腕は細くてきれいなものに戻ってゆき、無駄毛も抜け落ちていく。
「な、何が……起こったんだ?」
前田は目をぱちくりさせながら自分の腕を見る。やがて花びらはスカートに変化していき、可愛らしいピンク色のワンピースが出来上がった。そして、前田の髪が艶やかに伸びると、綺麗なロングヘアへと変身を遂げた。
「こ、これは……一体何が……」
顧問は口をあんぐりと開けて私たちを見つめる。
「先生、わたしはあなたを絶対にゆるさない」
「な、何よ!あんた何言ってるの!?男になれ!」
高橋は後ずさりして、能力を最大限に開放する。しかし、もう何も起きなかった。
「な、なんで!改変されないの!?」
「無駄だよ先生、あなたの能力は私が奪った。前田を守りたいっていう私の欲望が、魔法になって開花したみたい。」
「そ、そんな……!男になれ!男になれ!」
高橋はその場で慌てふためきながら魔法を使おうとするが、何も起こらない。私は高橋を睨みつけ、前田を守るように立つ。
「先生、私は前田を泣かせたあなたを許さない。小学生からやりなおしなさい」
私はそう言って、能力を解放した。先生の背丈はみるみる縮み、服もぶかぶかになっていく。
「そんなっ!私は悪くない!あたしは!わるくない!」
先生の体は泣きわめきながら、みるみると縮み、やがて身も心も小学生になってしまった。ひとりぼっちでただ泣くことしかできないその姿はとても惨めだった。私は先生がどうしても許せなかったので、この小学生をここに置いて立ち去る事にした。
「さようなら先生、もう会いたくありません」
私は前田の手を掴んで、さっさとその場から出て行った。
「そんな、まってぇ……あたし、このすがたでひとりになっちゃったらいきていけないよぉ……ごめんなさい、ゆるして、おねがい……」
後ろから先生の泣きわめく声が聞こえてくる。しかし私は振り返ることなく、前田を抱きかかえながら歩いていった。
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「佐藤、おまえすごいな……魔法が使えるようになったのか?」
「うん……よくわからないんだけど、なんだか頭の中で声が聞こえて、前田を守りたいって気持ちが大きくなって、気がついたら……」
「かっこよかったよ、佐藤」
前田は私を見て嬉しそうに笑う。
「まえだ、あのさ。私たちはあの顧問のせいでチア部に入らされた。でも、あいつを倒した今その使命もなくなったけど、これからどうするの?」
私は、前田の手を握りながら言う。
「私の魔法を使えば、前田を男に戻すことだってできる。だから、前田が望むなら……」
「ねぇ……佐藤はそれでいいの?」
「私、前田の夢を応援したいんだ。前田と一緒にいて、すごく楽しかったし……それにね、今すごく幸せなんだ」
「やっぱ佐藤って、バカ」
「えっ!なんで!?」
「あのね!魔法なんて使わなくていいから!俺……いや、私を、佐藤の彼女にして!」
前田は顔を真っ赤にして、私の目を見つめた。私も、顔が熱くなっているのを感じる。
「えっ!?……あっ……そっ……か。うん。前田がそれでいいなら、よろしく……」
私は、前田の『彼女になりたい』という要望に舞い上がってしまいそうになる気持ちを抑え、俯きながら自分の両手を絡める。
「でも、サッカー選手になるのは……今の前田の体じゃ厳しいと思うよ、なんていうか、華奢だし……」
「うん。サッカーはもういいの。一回男にもどってみて思ったけど、やっぱり私は女の子のファッションとか、もっと楽しみたいなって。」
前田は前髪を整えて、苦笑いしながら話す。
「それに、佐藤は女の子の私が好きなんでしょ?」
「ふぇっ……まぁ、どちらかと、いえば、だけどね」
前田に図星を突かれ、私はぎこちなくやり過ごそうとする。
「もう、男の私にも気を遣うなんて佐藤は優しいなぁ」
前田はにやにやしながら抱き着いてくる。彼女の大きな胸が私の胸と衝突し、柔らかな感触が広がる。
「前田、大胆になったね……」
「いいじゃん、私たち、もう彼女同士なんだし」
前田は二つの胸を密着させながら私の耳元で囁くと、私の顎を右頬を優しく掴んで、引き寄せる。
「そ、そうだけど……いきなりハグされるとびっくりするっていうか……」
私は動揺して顔を真っ赤にする。
夕焼け色に染まった花畑の中心で、前田は眩しいほどの笑顔で私を見つめていた。そんな彼女を見ていると、私の中で一筋の決意が湧いてしまう。
「前田の笑顔、絶対私が守るからね」
「私だって、佐藤を笑顔にするし」
私たちはお互いの目を見つめ、笑い合う。やっぱりどんな時も、笑顔でいなきゃね!
だって私たち、チアガールなんだから!
ここまで読んでくれて、ありがとうございます。よければ作品のレビュー、ブックマーク等頂けると作品が喜びます。
また、『女体化した俺たちが、女の子どうしでドキドキするなんてありえない!』というタイトルのおはなしを連載しているので、そちらも見ていただけると嬉しいです。