04 所長
翌朝、敦が目を覚ますと、チュン子が枕元に飛んで来た。ブーヴはすでにベッドからいなくなっていた。
敦は翻訳石を手に取り、チュン子を肩に乗せると、ダイニングへ向かった。
ダイニングでは、ブーヴが朝食の用意をしていた。ライ麦パンのような食べ物に、ベーコンのようなものとサラダ、あとは柑橘系の果物だった。
敦はベーコンのようなものを見て少しドキッとしたが、ブーヴによると、この世界の羽のある家畜の肉ということだった。どうやら豚肉の類いではないようで、敦は何故か少しホッとした。
敦は、ブーヴに教えてもらいながら暖炉の火を熾した。生まれて初めての体験で手間取ったが、何とか火がついて結構嬉しかった。
「ほお、電気やガスかあ。ナカアツの世界は、魔法はないものの、この世界よりも遙かに便利な世界なんだなあ」
朝食を取りながら敦が日本の生活について話すと、ブーヴはとても興味深い様子で聞いていた。
朝食後、敦はブーヴに教えてもらいながら、庭でタライに井戸水を汲み、洗濯板と石鹸で洗濯をした。
チュン子が何かをせがんでいる様子で何度も鳴いたので、洗濯が終わった後、敦がタライに水を張ってみると、チュン子はタライに飛び込んで気持ち良さそうに水浴びを始めた。
洗った洗濯物を外に干した敦は、ブカブカだったがブーヴの兵士の服を借りて、チュン子を肩に乗せ、ブーヴと一緒に魔王城へ登庁した。
† † †
「おお、ありがとうブーヴ。ちょうどよかった。私もこの少年の話を聞きたかったところなんじゃよ」
ブーヴに連れられて訪ねた魔王城の魔法使いの執務室。長い髭をたくわえた亀のようなモンスターが敦を見て開口一番にそう言った。
亀に似たそのモンスターは、魔王の国の「魔法省」の研究部門の幹部で、御年150歳だそうだ。ブーヴは彼のことを「所長」と呼んでいた。
所長に促され、敦とブーヴはソファーに並んで座った。チュン子は、この部屋に入る少し前にどこかへ飛んで行ってしまっていた。
敦は、所長からの質問に答える形で、自分の身に起こったことを説明した。
「なるほど……」
所長が腕組みをしながら少し考えた後、口を開いた。
「これは、ややこしいことになったかもしれんなあ」
所長が長い髭を手で触りながら説明してくれた。
「ナクァツァーシは、大陸中央の国境地帯の高山に住むという伝説の魔獣でな。信じ難いことじゃが、エルフどもはナクァツァーシを召喚する方法を発見したのじゃろう」
「そして、昨日、エルフどもは超長距離の空間転移魔法を使い、しかも魔王城の結界を破って魔王様の執務室を急襲した。ナクァツァーシを召喚して、魔王城や城下町諸共吹き飛ばそうとしたのじゃろう。一体どれだけの魔力を消費したのやら……」
昨日の執務室のツノの女性は、なんと魔王だったようだ。
それにしても、町ごと吹き飛ばすなんて……ナクァツァーシはとんでもない力を持っているようだ。
所長が話を続けた。
「しかし、ナクァツァーシを召喚したところ、たまたま真名が似ていたお主が時空を越えて引き寄せられてしまったようじゃな」
「そ、そうですか……」
敦は落胆した。やはり間違って召喚されてしまったようだ。しかも名前間違いとは……
「あ、あの、この世界に召喚された僕は何か凄い魔法が使えたりするんでしょうか?」
敦はドキドキしながら聞いてみた。もし、アニメや漫画の主人公のように超絶パワーのチートスキルを使えれば、皆の役に立てるのだが……
その希望は、所長にあっさりと否定されてしまった。
「この世界でも魔法が使えるほどの魔力を持っている者は少ない。魔力のない世界から来たお主には当然魔力がないじゃろうから、魔法は無理じゃのう」
「そ、そうですか……」
敦は項垂れた。世の中そんなに上手い話はないようだ。
「所長、彼はどうやったら元の世界に戻れるのでしょうか?」
ブーヴが所長に聞いた。所長が悩ましげに答えた。
「この少年が元いた場所の『座標』が分かれば、空間転移魔法で送ることは可能なのじゃが、その場所が未知の異世界となると……」
所長がソファーから立ち上がった。
「なかなか難しいが、流石にこの少年が不憫じゃしな。ワシで調べてみよう」
「あ、ありがとうございます!」
敦は、ソファーから立ち上がり、所長に頭を下げた。所長が笑顔で頷いた。
「ただ、座標の追跡にはかなりの時間がかかる。しばらくブーヴのところに厄介になって待つがよい。ブーヴもそれでよいか?」
「私は一向に構いませんよ」
ブーヴが笑顔で答えた。敦はブーヴと所長に何度もお礼を言った。
所長は、ニコニコしながらソファーから離れると、本棚から一冊の本を取り出して戻ってきた。
「少年よ、これは魔王の国とエルフの国の共通語の辞書じゃ。この本の上に手を置いてごらん」
敦がローテーブルに置かれた本に右手を置くと、所長が何やら呪文を唱え続けた。敦は何だか頭がボーッとしたが、しばらくそのままにした。
数分後、呪文を唱え終わると、所長が言った。
「少年よ、翻訳石をここに出してごらん」
敦がポケットから翻訳石を取り出して、テーブルに置いた。所長も懐から翻訳石を取り出してテーブルに置いた。
「私の言葉は分かるかな?」
所長が翻訳石なしに敦に聞いた。なぜか敦はその言葉が理解できた。
「あ、分かるです。分かりますです……え?!」
何故か知らない言語を話すことができた。驚く敦に所長が笑顔で言った。
「この共通語の辞書の内容をお主の頭に刷り込んだ。慣れるまでは多少の文法誤りなど出るじゃろうが、これで子どもレベルの会話はできるじゃろう」
「あとはお主の努力次第じゃ。後程、共通語の教科書をお主に届けるよう手配しておこう」
「あ、ありがとうです!」
敦は、たどたどしい共通語でお礼を述べると、改めて所長に頭を下げた。
敦とブーヴが魔法使いの執務室を退室すると、ドアの前でチュン子が待っていて、敦の左肩に留まった。
「チュン子、僕たち元の世界に帰れるみたいだよ」
敦がチュン子に話しかけると、チュン子が嬉しそうに一声鳴いた。
続きは明日投稿予定です。
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