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敵対空域  作者: 伊藤 薫
第2章:隠蔽
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[4]

 岡田が調書から顔を上げる。

「篠崎・一尉と三雲・二尉は二手に分かれて、アンノウンに対処したようですね。これは通常の手順なのですか?」

「何をもって通常というかは難しいが・・・」

 岸元は緑茶を口に含む。

「飛行中、それも悪天候下でのフライトなら、状況は常に変わる。この時は眼の前を雷雲にふさがれて、レーダーも充分に効いている状況ではなかったようだし」

 岸元は説明を続ける。高空を飛行するアンノウンに接近して捕捉するには、相手の未来位置を見越して飛ぶ必要がある。〈イーグル〉の最高速度が音速の2・5倍と言われているが、それはカタログ上のデータに過ぎない。通常は時速700キロ前後で飛ぶ。それゆえ相手に先行されてしまうと、追いすがることは難しい。

 事故が起きた時、アンノウンはジェリコ編隊から見て右から左に飛んでいた。正面には雷雲が立ちふさがっており、一時的にレーダーコンタクトを失う可能性が高かった。そこで編隊長(リーダー)の篠崎はアンノウンがそれまで通り真っ直ぐに飛ぶことを予測して未来位置に向かうことにする。一方、編隊僚機(ウィングマン)の三雲にはアンノウンが引き返した場合を想定して右側をカバーするように命じる。岸元は口を開いた。

「いったんアンノウンに引き離されたら、いくらパワーを出しても追いつけない。たとえ〈イーグル〉だとしても」

 ジェリコ編隊はアンノウンの目視確認(ヴィジュアルアイディ)を取れていない。悪天候下のフライトでは致し方ないところだろう。三雲はレーダーに反射した機影(エコー)の大きさから、アンノウンがロシア空軍のTu-95ではないかと推測している。

 岡田が岸元の左手をじっと見ていた。知らず知らずのうちに岸元は左手を前に突き出すような仕草をしていた。〈イーグル〉のスロットルレバーは左手で操作する。岸元は百里の第501飛行隊に入る前は一時期、F-15を専門に飛ばすイーグルドライバーだった。

「通常の手順と考えて差し支えないということですね」

 岸元はうなづいた。

「編隊長機である篠崎、僚機の三雲も特に問題ないだろう」

「一佐は墜落の原因をどのようにお考えですか?」

雷の直撃(サンダーヒット)じゃないかな。まあ、その衝撃は経験した者じゃないと、ちょっと分かりにくいが」岸元は宙に視線を向けた。「木の大きなハンマーがあるだろう。地面に木杭なんかを打ち込むやつ。あれで頭のてっぺんをドカンと殴られる感じだ」

「経験があるんですか」

「一度だけ。二度はごめんだ」

 岸元は話を続ける。

「全身から火花が散る感じだよ。コクピットが真っ白に輝いて、頭の中も真っ白。何が起こったのか分からない。手足は痺れるし。サンダーヒットを食らったのは小松の第三〇三飛行隊(さん・まる・さん)にいた頃だったが、冬の日本海は特に雷が凄くてね。F-15(じゅうご)で離陸する時は、わざと旅客機の後ろについていくこともあった」

「どうしてですか?」

「避雷針の代わりにするんだ。旅客機はそれなりの対策を講じてるからね。戦闘機はパイロットがむき出しみたいなもんだから。それでフライト中に雷に打たれて失神、墜落したというところじゃないかな」

「それはよくあることなんですか?」

「眼の前に雷雲があれば、レーダー波は乱反射して、スコープは真っ白になる。基本的には地上のレーダーサイトも事情は変わらない。途切れがちなレーダーシグナルを見ようとすると、どうしても身体が前に出てくる」

 岸元は腹の前に右の握り拳を置いた。操縦桿を握る仕草をする。

「この時、頭にガツンとやられたら・・・」

 岸元は首を前にがっくりうなだれてみせた。腹の前に置いた右手は前方に押し付けられる。操縦桿が倒れ、機首は下を向くというわけだ。たとえ高度9000メートルを飛行していても時速650キロで垂直降下すれば、数十秒で海面に叩きつけられる。

「ハーネスがあるんじゃないですか?」

 岸元は顔を上げる。

「戦闘機パイロットは空戦機動に入ると、常に上や後ろを見なければならない。射出座席にふんぞり返っていては思うように周囲を見られないから、身体を前に出して首を左右に振るんだ」

「つまりハーネスを締めていてもある程度、身体の自由は効くということですね」

「少なくとも、がんじがらめではない」

 岡田が帰宅した後も、岸元は独り会議室で調書を何度も読み返した。

 やはり状況から最も考えられるのは、サンダーヒットだろう。岸元はそう思った。三雲が操縦する編隊僚機と別れた後、篠崎は防空指揮所の問いかけに一切答えていない。もっと正確に表現すれば、問いかけに答えることが出来なかったのではないか。三雲も防空指揮所に編隊長(リーダー)機の無線が故障したのではないかと問いかけている。機器の故障を疑ったのだろう。機器の故障、もしくは失神による墜落が最も有力な説になる。

 岸元は密かに持ってきていたパイプとタバコを取り出した。パイプにドイツ製の葉を丹念に詰め、マウスピースをくわえてマッチで火を付けた。二度、三度吸い込み、マッチを消して灰皿に捨てる。もう1本マッチを擦り、今度はタバコ全体に火が回るようゆっくりと吸い込んだ。コクのある煙が口中に流れ込んでくる。警報機が鳴らないように窓を開け、外に向かって紫煙を吐き出す。その間にも、他の可能性について思考を巡らせる。

 次に考えられることはアンノウンを追尾する内に、空間識失調に陥って墜落した。腕の立つパイロットでも、深夜のミッションでは何が起きるか分からない。岸元も以前に何度か闇の中を飛んだ経験はあるが、今でも思い出しただけでも恐怖が募る。天と地は融合し、全く見分けられない。事故当日は悪天候下で機体も安定しなかっただろう。

《何もかも分からないな・・・》

 岸元は眼頭を強く揉んだ。思考をいくら重ねてみても、このような事故で市谷から防衛書記官が聴取を行う理由が見えない。今は公用車の後部座席にいる岸元だが、車が千歳基地に近づくにつれて、懊悩は深まるばかりだった。

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