邪神様と病
「ふぅん……動悸がしてぇ……体温調節が出来なくなり目眩がするぅ……と……」
王立記念病院の内科の診察室、椅子に座り項垂れる邪神の全身を無数の触手が這い回り、同時に机の上のカルテに別の触手が筆を走らせている。その触手達の中心、根元に当たる部分から間延びした暢気な様子の声が聞こえる。
「う~ん、特に問題は無さそうねぇ、そもそもぉ……邪神様はぁ、神様なんだから病気なんかぁ……しないわよねぇ?」
「っだからおかしいのだ! 我はこれまで病気などした事は無い! 症状だってどんなものがあるかわからんのだ! ましてや命に関わる大病なぞかかっておったら……っ!」
触手の波が引いたそこには椅子の上で自らの肩を抱き震える邪神、普段の自信満々な様子はなりを潜め、まるで健康診断で再検査を受けたおっさんのように顔を青くしている。
そこへ止めを刺すかのように白衣を纏う女医の姿を模った触手の群れが口元を歪めてほくそ笑む。
「うふふぅ……でもぉ、三万と数百歳……ですっけぇ? もぅいいお歳だしねぇ……」
「ぬがああぁぁぁあ! 歳の事は言うな! それに転生を繰り返しとるからノーカン! ノーカンじゃ! 今はぴっちぴちじゃ!」
怒り狂う邪神を見てクスクスと口元を隠し笑う女医、どうやら邪神とは見知った仲……というか、元魔王四天王にして現在は近代医療の第一人者、触手族の女王の女医とはこの者のことである。
「ふふふぅ……冗談よぉ、冗談ん……でもぉ、不思議ねぇ……何の前触れも無く……ってのはぁ、無いだろうからぁ……何か切っ掛けぇ……?」
「切っ掛け……?」
切っ掛けと聞き少ない脳味噌を回し始める邪神、ふと思い当たる部分に辿り着き瞬間湯沸かし器のように一気に顔が茹で上がる。
「う……ぬぅ……切っ掛け……のぅ……うん、切っ掛け……むぅ……」
邪神の様子から何かを察したのか女医の目が怪しい輝きを宿す、それどころか何を期待したのか触手達があらぬ方向へ脈動してのたうち回り、怪しい粘液を辺りに撒き散らす。
「あらあらあらあらぁ……ここはじっくりねっとりかっちりとぉ……聞かなきゃならないみたいぃ……ねぇ?」
「な、なんじゃ? その捕食者のような目は!? わっ……我を喰おうなどと不敬なっ! いかに貴様とてただでは済まさぬ……ごっほぉ!?」
「うぉっほおおぉぉぉお!! 邪神ちゃんだああぁぁぁあ! うっはああぁぁああ! こんなとこで会うなんて運命? 運命よね? そうよねそうだわそうに違いいぃぃぃい……ないっ! ぐへへへへへへよいではないかよいではないかぁ!」
女医に向かい荒ぶる鷹のポーズで牽制する邪神が突然横っ飛びに吹き飛ばされる、のし掛かるのは全身を包帯で巻かれたミイラ男……いや女? いやいや、言動で全てが分かる、大家さんに病院送りにされたはずの勇者である。
「んなっ!? ゆ、勇者!? なんでお主がここにおる! そ、そうか謀ったな女医! 我を此奴に売るつもりであったか!!」
「あらぁ? そんなことしないわよぉ……というかぁ、この子絶対安静でぇ……ベッドに直接縫い付けてぇ、いたはずなんだけどぉ?」
「アッハハハハハァ! 神銀の杭やワイヤーなんかじゃ僕は止められないのさぁ! 邪神ちゃんが居るなら例え火の中水の中地獄の釜の中っ! 何処にだっていくよぉ! クンカクンカスーハー……うっほおおぉぉお!」
「貴様独りで地獄の釜で滾っとれぇ!! 女医! 無実というならどうにかせい!」
どうにか……と言われてもどうしたらいいのか? というレベルで絡み合っている二人、というかどうやったらあそこまで絡み合えるのか……あぁ、折れて砕けた関節を利用しているのか。いや、マジで怖いなこの勇者……。
「んもぅ……無実だっていうのにぃ……仕方ぁ、ないわねぇ……」
「ハハハハハ! いかな女医ちゃんでもこうなった僕は止められないっ! ここまで一体化した僕らをどうやって引き離すのさ? さぁ邪神ちゃん! めくるめく官能の世界にレッツダイブ! ……うわわっ?」
溜息混じりに再び解放された触手達がもつれ合う二人を取り囲み、突然大量の粘液を浴びせ掛ける。
「うにゅわぁっ!? な、なんじゃこれは? すっ……滑るっ!?」
「うおぉぉぉ! なにこれサービス!? 女医ちゃん分かってるぅ……ってすべっ……滑るっ!? なにこれ摑めない触れない吸い付けないっ!?」
「うふふぅ……むかぁ~し貴女が話してた異世界のぉ……摩擦をほぼ無くしちゃうジェル? ですっけぇ? あれぇ、作ってみたのぉ……固めたり絡めたりするより確かに楽よねぇ……これぇ♡」
怪しく笑う女医に見つめられ、正にまな板の上の鯉……いや、見た目はまな板の上のぬたうなぎ……な二人。恐怖に固まる二人の周囲をしゅるりしゅるりと獲物を見つけた蛇のように触手達が這い回る。
「うふぅん……つ~かま~えたぁ♡」
「わっ……わひゃあああ!? ちょっ……なんでこのぬるぬるで摑めるのさっ!?」
「うふふぅ……自分でぇ、作ったものだものぉ……中和する方法はぁ……あるわよぉ?」
為す術なく宙吊りにされる勇者、触手に締め上げられ絶体絶命のはずなのに、なぜか瞳がある種の期待に輝いて息も荒くなっているのは気のせいだろうか?
「ぬぐぐぐぐ……ぬっ……抜けないっ! こんな触手に僕は屈しないぞ! 例えエロ同人みたいにされてもっ! そう!! 例えエロ同人みたいにされてもっっ!! っんほぉっ!? あ……は……ふ……」
「ドラゴンも二秒で落ちる鎮静剤よぉ……直腸からだと早くキくでしょぉ?」
びくんと体を一つ震わせるのが返事であるかのように、糸の切れた操り人形のようにくったりと動かなくなる勇者。看護師達に連行されるそれを見送り、ようやく邪神が息をつく。
「はぁ……この病院の警備はどうなっておるのじゃ……」
「世界でもぉ、最高峰なんだけどぉ……相手がぁ……悪かったわねぇ……」
「……まあいい、早くこのぬるぬるを取ってくれ、それに診断の続きじゃ」
「うふふぅ……この粘液ぃ、粘度とぉ、潤滑性をぉ……調整したのあるけどぉ、必要になったら言ってねぇ?」
邪神の全身に触手を這わせ、潤滑液を取り除きつつ微笑む女医に、邪神が何の事か分からないといった様子で首をかしげる。
「? こんなもの何に使うのだ? いや、彼奴をぬるぬる塗れにしてその隙に……? いや、だがそれでは我の攻撃も……ぬぅ」
「そういう用途じゃぁ……ないんだけどぉ……。あ、あとぉ、邪神ちゃんのそれぇ、病気じゃぁ……ないわよぉ?」
「そっ! そうか! 病気ではないのか! ……ならば余計に分からぬな……? なぜこのような症状が? 医学書を読む限りは風邪の症状に似ているが……」
「風邪ぇ……と言ったらぁ、風邪かもぉ? 不治の病と言えばぁ……そうかもぉ?」
「んなっ!? き、貴様さっき病気じゃないと言ったであろう!?」
あわてふためく邪神を眺め楽しそうにクスクスと笑う女医。
あぁ、この私の信望する神は三万余年の月日を生きてまだ尚こんなにも無垢で愛おしいのだ、彼女が抱いた感情の正体を伝えるのは簡単。だが折角の三万年越しの初めてなのだ、ここは長老よろしく見守りの方向が正しいだろう。
「なんじゃなんじゃ! 先程からの生温かい笑みは!? 我をからかって遊んでおるなら承知せんぞ!」
「違うわよぉ、でもぉ……その病気の正体はぁ……自分で気付かなきゃ駄目なやつねぇ」
「気づく? やはり病気なのか??」
またもや不安げに視線を落とす邪神の頭を触手が優しく撫でる。
「悪い病気じゃあぁ……ないのよぉ? どちらかというとぉ……素敵なものねぇ……だからぁ、気にしなくてもぉ……大丈夫よぉ?」
「ふむぅ……そういう病もあるのかのぅ……? まぁよい! 悪い病気でないなら問題ない! 我としたことが弱気になっておったな! らしくないことをした、ワハハハハハ!」
すっかり元気になった邪神を満足げに眺める女医、と、ふと何かに気付いた邪神がぎこちなく女医の方を振り返る。
「ふと、思ったのじゃが……」
「なあにぃ?」
「先程勇者を無力化したあれ」
「鎮静剤の直腸投与のことぉ?」
「あれやってた触手、これじゃよな?」
邪神の頭を撫でていた触手がビクリと天井まで跳ね上がる。
「……ありったけの消毒液を持ってこい、あと、シャワールームも貸せ」
「は、はぁぃ……あ、湯船にお湯もぉ、はっておくわねぇ」
……その日、病院から邪神が肌が真っ赤に擦り切れた状態で帰宅したため、悪い伝染病だったのではと一騒ぎになったのはまた別のお話である。




