邪神様勇者に絡まれる
「ふんふ~ん、さてさて最新映像のチェックチェック~♪」
風呂上がりのバスタオル一丁、濡れたままのショートカットの髪から滴る水が眼鏡を濡らすのも構わずパソコンに駆け寄る女性。起動したままのそれを手慣れた様子で操作する手がピタリと止まる……と、同時にワナワナと震え出す。
「な……なんで? なんでなんでなんで!? おかしいでしょ!!」
支えを失ったバスタオルがハラリと落ちるがそんな事に構っている場合では無い、この日の為に種を蒔き、この日の為に研ぎ澄まし、この時を待ち望んでいた。
だがなぜ? 意味が分からない! 条件は全て満たした、なのにどうしてこんなことに!?
「……っ! っはぁ~……あいつのせいか……! そうよそうだわそうなのよ! ユルサナイ……ゼッタイニユルサナイ!!」
…………
「さぁ~て、出来た出来た……」
リビングに置かれたちゃぶ台に大盛りのチャーハンと中華スープを並べつつ英雄が時計を確認する。二人前の食事を前にどっかりと座り、音を立てる腹をさすり玄関を眺めて溜息一つ。
「長老んとこに行くっつってたが……何やってんだかな、まぁ腹が減りゃ帰ってくるだろうが冷めない内にしてほしいもんだな」
……勘違いしてはならないが英雄が帰宅を待っているのは世界を滅ぼさんとする邪神様、幼児や野良猫の類ではない。まあ野良……と言えば間違いではないかと思えるのが哀しい現実ではあるのだが……。
と、もう先に食べてしまおうかと英雄がレンゲに手を伸ばした所で軽快に玄関のチャイムの音が鳴り響く。
「? 普段チャイムなんか使わねーくせにどしたんだ? 鍵閉めちまってたかな? ……っとぉ!?」
鍵を確認しようと近づく英雄の眼前で玄関扉が粉微塵に弾け飛ぶ、一瞬怯んで出来たその隙に滑り込むように大剣の一閃が振り下ろされた。
「っちぃっ! 躱したか!」
並の者なら見えぬほどの鋭い斬撃を最小限の動きで躱し、英雄が放った反撃の拳を襲撃者が後ろに飛び退いて躱……そうとしてそのまま凄まじい拳圧に吹き飛ばされる。
「っっっ!」
「はぁ……ったく、どこのどいつだか知らないがこっちにゃ命を狙われる心当たりなんか……まぁいくらかはあるが狙われていい道理も何も無いんだぞ?」
アパートの二階から不自然な体勢で吹き飛ばされるも、猫のようなしなやかな体さばきで着地する襲撃者を『ほぅ』と感嘆の声を上げ英雄が見下ろす。
過去から数えるのも面倒な程に邪神信望者の襲撃を受けてきたが、こいつはその中の誰より強い、珍しく気持ちが高揚するのを感じつつも、とりあえずは相手を観察する所から……。
(ちっさいな……体格から察するに女……だが恐ろしい手練れ、膂力も技量も十分、ここまでの力……たかだか数十年修行した所で身に付く物か……? 見た目は子供だが恐らく実際は……)
階下に飛び降りしっかりと正面のその少女の姿を捉える。観察し、思考する中にも徐々に英雄の悪癖が鎌首をもたげてその身に纏わり付いてゆく。
力持つ者誰しもが持つ癖、彼等はいつでも求めている、強者を、力持つ者を、自身を脅かす程の強敵を。相手の見た目など関係無い、ただただそこには戦いを愛する者の理念がある。
「流石は邪神殺しの英雄、でも丸腰で捌ききれるほど僕の攻撃は甘くないっ!」
言うが早いか砂煙だけを残して少女が視界から消え失せる、常人では何が起きたか理解する事も不可能だろう『縮地』と『加速魔法』の合わせ技……
「ふむ……速さはまあまあだな」
「んなっ!?」
だかそれは飽くまで『常人』に限っての話、三万年の時を戦いに費やした『超常の者』に通じるかと言えばどうだろうか? 少女が身をよじり英雄の指に挟まれた剣の自由を取り戻そうとするが、岩にめり込んだかのようにびくともしない。
「それだけ加速して筋肉が捻じ切れないのは凄いな、『防御強化』に『感覚強化』……五重詠唱……いや、七重詠唱……魔法の方も超一流、いずれにせよ殺すにゃ惜しい」
「ふん! その余裕が何時まで続くかな!」
少女が叫ぶと同時に大剣が光を放ち、英雄の抓んだ切っ先から光の刃が伸びる。
「っと、危ない危ない、面白い仕掛けだな」
「っ! あんたがいくら強くても生身の人間であることに変わりない、当たれば死ぬなら方法はある!」
大剣の拘束が緩むと同時に飛び退いた少女が剣をかざし、光を放つそれを中心に凄まじい量の魔力が渦を巻き始める。
「何をしても超反応で避けられるなら丸ごと吹き飛ばせばいいっ!」
「ククク……いいな、そういうのは嫌いじゃないっ!」
天候が変わるほどの高密度の魔力、放たれれば周囲数キロが更地になるが……完全にスイッチが入っている二人は気付いていない。町の命運は一体どうなるのか……。
「ぬぅ~! いかんいかん、この雲行きでは雨が降ってしまうっ! なんでいきなりこのように……ぬぬ? あれは……?」
正に町の存亡の危機、そこに現れたるは希望の星……ではなく人類の敵たる邪神である。このような現場に遭遇した場合、人類の敵は一体どのように行動するのか……。
「ふはははははは! 隙ありいいぃぃぃい! 我に対して背を見せるとは油断したな貴様ぁ!」
迷うこと無く英雄の背に襲い掛かる邪神、卑怯? そんなこと三万年も戦ってたらもっとえげつない事やってます、今更ですよ今更。
「? 不意討ちで声出す奴が居るかよ、今楽しいとこなんだから後にしろ」
「なんだとぉ! 我を仲間外れで楽しむでないわ! そこなる小童も我に許可無く此奴に手を出すなど……がふぅっ!?」
英雄が邪神に気をとられて出来た一瞬の隙、その間隙を縫って奔った一条の光が邪神を吹き飛ばす、いや……押し倒す?
「うひゃああぁぁぁあ! なまっ! 生邪神ちゃんだ~っ!! うひょひょひょひょ最っ高おぉぉお! くんかくんかすーはーすーはー……ぷっはぁ~! たっ……たまらんっ!」
「んなっ……なんじゃあぁ!? はっ……離れよこの痴れ者がっ! どこをまさぐっておるか大たわけっ! かっ……嗅ぐなぁっ!」
「なんだ今の……俺でも見えなかったぞ……」
「ほっほっ、何やらマナの流れがおかしいと思うたら勇者ちゃんじゃないの」
どこからともなく現れた長老が呆気にとられた英雄の前で少女を指し示す、勇者? この少女が? 確かに実力は相当なものだが……だが邪神を組み敷き舐め回すその様は勇者と言うより新種の魔物ではなかろうか?
「? っあ~っ! 四天王のエロ爺! あんたがいう通りにやったのに邪神ちゃん変わってないじゃない!! この詐欺師っ!」
「んん? はははっ! そりゃ邪神様のお眼鏡にかなわなかったってこった! おいらは可能性はあるたぁ言ったが確実にとは言ってないぜ?」
何やら知り合いらしい二人の会話だが何の事やら英雄には全く分からない、邪神なら……と思い視線を移すがようやく拘束を逃れた邪神は英雄の背に隠れ怒った猫のように勇者を威嚇している。
「邪神ちゃんも邪神ちゃんだよ! 去年の『童貞を殺すセーター』は普段着にして着てるのに! なんで私のは駄目なのさ!?」
「去年……? セーター……? んん? !! 貴様かっ! あの破廉恥な下着姿に我を変えたのは!」
「破廉恥な下着じゃなくて『マイクロビキニ』! ぜっったい似合うと思って一生懸命絵も練習して本にしたのに! ちゃんと着てよ!」
「あのような服装だれがするか! 破廉恥極まる!」
「龍の時は全裸だったがな」
「だまらっしゃい! ……というかさっきの『童貞を殺すセーター』とはなんじゃ? そんなもの我は……」
「お前さんあれだよ、背中のざっくり空いたセーター、お前さんが部屋着にしてるやつ」
長老の言葉に宙を睨み考え込む邪神がはたと手を打ち服装を変化させる。
「これのことかの?」
「邪神ちゃんの生童殺セーター……やばい、推せるっ!」
「そうそう、一般的にゃ異性を誘惑するための勝負服ってやつだぁな」
「えっ? お前そういう意図で着てたの?」
「ふぁっ? はああぁぁぁあ? なっ! 無い無い無いっ! そんなばかなこと無いっ! 翼を出して着られるしデザインが可愛いからであって……」
「まぁ確かに可愛いな」
「ふぐっ!?」
英雄に可愛いと言われ一瞬で耳まで真っ赤になる邪神、思わぬ不意討ちに頭から湯気を出して目を回す。その様子を見た勇者の闘争心に火が灯る。
「ぐぬぬ……僕の方が……僕の方が邪神ちゃんを愛してるのにっ! やっぱりあんたが邪魔! ここで消えてもら……」
と、大剣を構えなおし啖呵を切る勇者の肩にずしりと巨岩のような重みがのし掛かる。英雄……じゃない、いや、その英雄の顔色が真っ青に……ってかさっきまで真っ赤だった邪神ちゃんも真っ青通り越して真っ白に? ならこの重みの主は……?
「あんたら……なぁに人の敷地内で暴れてんだい?」
「は……は、ひゅ?」
振り返った勇者の目に映ったのは自身の肩を掴む一つ目巨人の女性、筋骨隆々とした体躯、鋭い眼光、編み込まれた髪が逆立つ程の怒気……えっ? なに? 魔力の底が見えない、ってか密度が濃くて息が出来ない、ってか怒ってる? 何に? 私はなんでこんな目に?
「……ババァ何しに出てきたんだよ」
「お、大家さん我は何もしてないぞ、本当なんじゃぞ? 悪さなんかしないで良い子でおったんじゃぞ?」
「悪さしてないぃ? ならあの玄関扉はどういう事だい? だぁれがやったのかねぇ?」
大家さんが指し示すのはアパートの一室、英雄の部屋、粉微塵に砕けた玄関扉……。『そういえば……』と英雄の移した視線の向け先を確認し、邪神が事態を完全に把握する。そして……
「「こいつがやりました」」
「ひゃうっ!?」
重なる視線と言葉、向けられた指先。そして更に圧を増す魔力の奔流とミシミシと音を立てる肩の骨……。
「さぁて、そんじゃぁちぃっと話を聞くかねぇ? おら、こっちにきな!」
「はふゅぃ!? ひゃふっ! たっ……たふゅけふぇ! はふゅけへぇ!!」
ありとあらゆるスキルを試すもそのどれも徒労に終わり、為す術無く子猫よろしく摘まみ上げられる。彼女が最期に見た光景は、何かを悟った表情で合掌する英雄達の姿だった。
「なんという命知らずな……それにしてもなんじゃったのかの、あれは」
「さぁな、ま、考えても仕方ない、さっさと飯食って玄関の修理だ」
「おぉ! そういえば腹ペコなんじゃった! チャーハンは勿論大盛りじゃろうの?」
「おいらも昼まだなんだが、おいらの分はあんのかい?」
「元凶のてめぇの飯をなんで作んだよ!」
わいのわいのと騒がしく階段を登る三人、色々考える事はあるがとりあえず腹が膨れてから……と……
「んなっ……のおおぉぉぉお!?」
「うわぁ……」
散らばるチャーハン、カーペットに吸い尽くされた中華スープ……
「そりゃあんだけ派手にやられたらこうなるか……」
「うにゅおぉお……我の……我のチャーハン……」
「仕方ない、ここは原因の長老に奢って……居ねぇ!?」
先程まで居たはずの長老が一瞬目を離した隙に雲散霧消と消え失せる、魔力の痕跡は無く転移では無い、ならば……。
「まだ近くに居るはずだ、捕まえるぞ!」
「うぬぬぬぬ! チャーハンの仇! 高級中華でとってやるのじゃぁ!!」
怒れる英雄邪神コンビと長老の鬼ごっこは夕暮れ時まで続き、捕らえられた長老により満漢全席が振る舞われた。
……だがこの日配信された『勇者と邪神、百合百合キャットファイト』『実況~キレた英雄と邪神から逃げ切ってみる~リアタイ』の二本の動画により、長老が巨万の富を得たことを二人は知らない。