留守中も安心
「ぬ? どこにいくのだ?」
上着を羽織り部屋を出ようとした英雄を邪神が呼び止める。別に居なくて困る訳でもないのだが、やはり同居人の行き先は気になるもの、まさか目の届かぬ先で秘密特訓でもしていても困る、敵情視察も勝つためには必要不可欠な行動なのだ。
「冷蔵庫の中空だからな、買い出しだ。何か食いたい物あるか?」
「ふむ……あれだな、あの肉を細かくして固めて焼いた……」
「ハンバーグか、そういや最近作ってなかったな……わかった」
雪のちらつく中出掛けてゆく背を見送り、吹き込んだ冷気にくしゃみを一つ。
「ひっくち! う~寒い寒い、こんな寒い中出掛けるなど正気の沙汰ではないわ、やはり冬はおこたでみかんだのう」
世界の道行きに違和感を覚えたのは数百年前だっただろうか? 魔法技術に傾倒し、その利便性から数万年も革新的な発達の無かった世界に突如現れた技術革新、異界からもたらされたそれらはもはやこの世界と切っても切れない関係になっている。
「はふぅ……この炬燵というものは素晴らしいな……低級魔石一つで一冬丸っと温かい……異界から来た勇者とやらとそれに退治された魔王とやらには感謝じゃな……」
ちなみに彼女が感謝したこの二人、邪神崇拝を声高に叫びすぎて世界の敵と認定された魔王と、それを退治し邪神崇拝過激派を一掃した勇者という、信仰を己の糧とする邪神の近年の急激な弱体化の主要因であることに彼女は気付いていない。
「さて、体も温もったことだしそろそろ調査再開だの」
この邪神、何も無策で英雄の家に居候している訳ではない、互いに転生を繰り返し三万年、一向に勝てぬ英雄の強さの秘密……あわよくば弱みを握ることが出来ればとの苦肉の策。
……決して邪神崇拝者の神殿が全部無くなって行き場がないとか、もしもの時の地下神殿がマンション開発で基礎コンクリートで埋められたとか、ひもじくて半ベソかきつつ頼れる知り合いが英雄しか居なかったとかそういう事では……ない? 多分……ない?
「ふむ、こういう時はまずは本棚……むむぅ、何やら難しそうな本ばかりじゃの……春画の一つでも隠しておれば面白いものを……やはりそういう物はベッドの下とかか?」
だが邪神の思惑は外れベッドの下もマットレスの隙間も探しても何も出てこない。気になった埃を掃除して少し綺麗になっただけである。
「むぅ、つまらん! 何か面白い物でもあればよいのに!」
ふくれっ面をしてベッドに仰向けに倒れ込む、ふわりと体を受け止めるかと思ったマットレスが予想に反し、その内部のポケットコイルの力をフル動員して邪神の身体を跳ね上げる。
「ぬおっ? なんだこれはバインバインと! クッ……クフフ……こっ……これはなかなか……っ」
ひとしきりベッドの弾力を楽しみ、うつ伏せにベッドに寝転がる。思えばふた月前にここに転がり込んでから気にはなるものの、何だか気が引けてベッドには近寄れなかった、一応布団を都合してくれたので床に敷いて寝ているが……だがこれ程までに寝心地が良いのならいっそこちらを奪い取り……。
「いや、追い出されては困る、名残惜しいが奴の出掛けておる間の楽しみとしよう」
枕を抱えベッドの上でゴロゴロウニョウニョ……。
「クンクン……ふむ……なんか枕から奴の匂いが……むぅ……なぜだ……なぜか妙に安心する……。なるほど、戦いの際に嗅ぎ慣れた匂い……つまりは常在戦場たる我にとって最も安らぐのは戦場の香り……ぬぬぬ……いかん……奴が帰ってくるやも……いや……す~は~す~は~……ふぅ……これはなかなか……」
☆☆☆☆
「ふぅ、ちと買い込み過ぎちまったな……さて、あいつは悪さしてないか……? ……??」
パンパンに膨らんだエコバッグを抱え、スマートフォンを取り出し手慣れた様子でアプリを起動する。
「? 何であいつベッドに寝転がって尻尾振り回してんだ? ……ハンバーグがそんなに食べたかったのか?」
……外出時用のペット監視用モニター&アプリの存在を邪神が知るのはしばらく先の事である。