邪神様とお隣さん
「んん? なんじゃ、何やら隣が騒がしいのう」
昼食のお好み焼きを頬張りながら邪神が耳をぴくつかせる。
「あぁ、朝から引っ越しの飛竜便が来てたからな、誰か隣に越して来たんだろ」
「ふむぅ……あの大家さんが管理人なのに、何とも物好きな奴もおったもんじゃのぅ」
「いや、それが大家さんが居るからってんで女の独り暮らしとかに人気なんだと」
「ふぁ!? いや……確かに不届き者はこの建物には近付きもせんだろうが……じゃがならばなぜ貴様はこの物件に? 貴様は何者かに襲われたりなど有り得んじゃろ?」
いや、三万年絶えず命を狙ってきているお前が何を言う……まぁ、自分が襲われて云々と言うよりは戦いの煽りを食っても大丈夫な物件を選んだと言うか……。案の定再会と同時に最強セキュリティーの力が遺憾なく発揮されたわけだが……。
「セキュリティー云々は別として、どんな奴が越して来たんだろうな?」
「ふむ、もしや我を追ってきた熱心な信者やもせぬぞ?」
得意気に胸を反らす邪神に英雄が手を上げ待ったをかける。
「ああ、このアパート邪神教徒お断りだから」
「なぬっ!? それはどういう事じゃ!? 信教の自由は? 自然崇拝を除いて世界最古の宗教じゃぞ!?」
「今はそうでもないが昔は危険なテロ集団って認識だからな、ぶっちゃけカルト臭が抜けきってないし魔王のおかげで未だに印象は最悪だ」
邪神教徒はお断りなのに当の本人の邪神はいいのか? とも思うが、そこは大家さんの判断なのでなんとも……案外あんななりで可愛い物好きな大家さんの琴線に触れるものが邪神にあったのかも知れない。
「ぐぬぬ……魔王め……奴が好き勝手したばっかりに……!」
「まぁ変な宗教の勧誘員とかじゃなきゃいいがな」
「ぬぬぅ……女神教とかの方がずっと歴史が浅くて出鱈目な宗教なのに……解せぬ」
「まあ大丈夫とは思うが、前言ったように変な勧誘や訪問販売には気を付けろよ? 特に女性の二人組みで尋ねてくる奴とかモロに宗教勧誘だからな、そういうのは相手にしちゃ……」
ピ~ンポ~ン
軽快に鳴り響くチャイムの音に邪神と英雄が顔を見合わせる、そういえば話している間に隣部屋からの物音は消えている……タイミング的に引っ越しの挨拶と言った所だろうか?
「はいは~い、っと、どちらさまで……」
開いた扉、チェーンで繋がれたその隙間から英雄、そしてその背中越しに邪神が外を覗き……そっと無言で扉を閉める。
「……恐らく女性の二人組じゃな」
「ってかなんでフードで顔を隠してるんだ? 怪しい、怪しすぎるだろうこれ」
扉の向こうには体型的に女性と見られる二人組、扉を閉められた事に戸惑っているのか扉の向こうから『えっ?』『ちょっ……』などと声が聞こえる。だが、先ほどの会話でなくともわざわざフードで顔を隠している辺り何とも怪しい、穏便にお引き取り願いたいがそうもいかず再び鳴らされたチャイムに覚悟を決め扉を開く。
「……えっと……どちらさまでしょうか?」
「お昼時に失礼しまっす! この度お隣に越してきました! 早速ですがあなたは神を信じますか?」
「結構です、お引き取り下さい」
光の速さで扉を閉めるも僅かに開いた隙間にすかさず爪先を捻じ込んでくる、しかも履いているのは爪先を金属で補強した安全靴……! この女、手練れである。
「まずはお話だけでも! 怪しい者じゃないですからっ!」
「怪しさが天元突破してんだよ! いいからお引き取り願う!」
「あっ! そんな事言っていいんですか? 後悔しますよ? 死後の安寧を求めるならば……」
「なんじゃなんじゃえらく活きがいいのぅ、理解するがよい、こやつにとっての神は我一人、他の神などお呼びではないのじゃよ」
何やら人が聞いたら誤解されそうな台詞を吐きながら胸を張る邪神……と、訪問者が邪神の姿を見るや指差した手をワナワナと震わせ何やら口をパクつかせる、池の鯉の物真似だろうか?
「いっ……いっ……」
「いっ?」
「居たああぁぁぁあああ!!」
突如の絶叫、余りの声量に思わず耳を塞いだその隙に訪問者のもう一人が扉の隙間から腕を差し込みチェーンロックを取り外す。
「なっ!? 今どうやっ……」
「うぃやっほおおぉお! 邪神ちゅわああぁぁああん!」
「ぬぁっ!? ゆ、勇者!?」
一瞬の隙を突き侵入してきた勇者に押し倒される邪神、家バレしていた以上いつか来るとは思っていたがいくらなんでも早すぎる、女医が言うには確か全治半年とか言ってなかったか?
「うぇへへへへ……このスベスベほっぺを何度夢に見たことか……」
「ぬがああぁぁぁあ! 我に触れるなっ! というかお主どうやってチェーンを外した!」
「ぬふふふふ、愛があれば何でも出来るのさ♪関節をちょっと外せばあんなチェーンお茶の子さいさいさ!」
そう言って勇者がヒラつかせる右腕が六つほどに折れ曲がり、ぶらんぶらんと揺れている。……いや、ちょっと待って? 関節多くない?
……関節の数はさて置き、離れろ嫌だの大乱闘、呆気に取られて見ていた残りの二人だが正気に戻ったのか残る一人の訪問者が英雄を押しのけ勇者の首根っこを掴み引き剝がす。
「あぁん! もう! なにすんのさ!?」
「なにじゃありません! 何を怨敵たる邪神と馴れ合っているのですか! これは人類の敵! 滅ぼさねばならないのです! さあ早く聖剣を手に取り……」
「待て! さっきからなんじゃお前は? 神たる我に無礼であろう、それにカルト信者に恨まれる謂われなぞ我には無いぞ!」
「カッ……っっ!? 言うに事欠いてカルト宗教ですって!? っ! いいでしょう、ならば私が誰だかとくとご覧なさい! 後悔しても遅いんですからね!」
言うが早いか目深に被ったフードごと外套を脱ぎ捨てるカルト信者っぽい人……と、脱ぐと同時に室内が光で満たされ何やら清浄な気配が満ちてゆく。
そこに居たのは純白の翼を広げ、金糸のような美しい髪をなびかせる女神……女神教の神殿に描かれた宗教画そのままの女神の姿だった……が、そもそも邪神も英雄も女神教に興味が全く無いためその存在も姿も知らない。
「「えっと……誰?」」
「だっ……!? 誰ですって?? 女神! 女神!! め~が~みっ!! どこからどう見ても女神様でしょ! 特にあなた! あなた邪神殺しの英雄でしょ? なんでそっち側についてるの!? あなたはこっち! 女神教側でしょ!」
怒り心頭の女神に指差され、邪神と顔を見合わせる英雄、そもそもこの二人は女神教の数十倍の歴史を戦いに費やしてきたのだ、今更あっちだのどっちだのと言われてもピンとはこない。
「いや、俺はそこの勇者と違ってあんたに依頼されたりしたわけじゃないしな、どっちかってーと地母神の方だ」
「んなっ……! 地母神ですって!?」
「えっ? なになに? 神様達にもお母さんっているの?」
「なんじゃなんじゃ初耳じゃぞ! 地母神に何を頼まれたんじゃ!?」
「いや、昔力を持て余して色々やってた時に山一つ吹き飛ばしたら『そんなに力持て余しておるなら妾の娘に灸でも据えてこい!』って……」
「ぷっ……ワハハハハハハハハ! はっ……母上が『どこぞの阿呆に右乳首吹き飛ばされて陥没乳首になった!』ってブチ切れとったの貴様じゃったのか! プハハハハハ!」
「うわ~、でっかい山だと思ったら地母神のおっぱいだったのかあれ……今更だけど山を盛り直した方がいいかな……」
その存在が無いかの如くに歓談を続ける二人に女神の苛立ちがピークを迎える。
「ええぃ……黙っていれば神に対しこの非礼……! かくなる上はこの手で邪神を……っ」
「ふぇっ? 痛い痛い痛い! 女神ちゃんストップストップ! 首が折れちゃう!!」
勇者の首を握る手に力がこもり、ミシリミシリと不穏な音が響き渡る。
「ほほぅ……たかだか顕界して数百年の赤子が我に挑もうと……? 格の違いというものを教えてやらねばいかんらしい……」
「うがががが……っ! ちょっ……邪神ちゃん煽らないでっ! マジで折れちゃうっ!」
「そもそも女神がぬわぁんでこんな安アパートに越してくる? その時点で怪しいんじゃこの不審者が!!」
「仕方ないでしょう! 住んでた神殿が地盤沈下で崩壊したのよ!! 仕方なく勇者ちゃんに選んで貰って……ってあなたもここに住んでるんでしょ!」
「ぐえっ」
ぐったりと動かなくなった勇者を投げ捨て、額を突きあわせ睨み合う二人、視線を繋げる火花が弾け、距離を取った双方が同時に大魔法の詠唱を始める。
「『悠久の輝き宿す日輪の誘い 久遠の安寧に誘い封じろ! 神の威光に灼かれ滅っせよ!』」
「『深淵の果てに蠢く闇よ 絶望を喰らい怨嗟を呑め! 眼に映るは今宵の贄ぞ!』……っとおい、何を……いだっ!」
今正に魔法が放たれんとした刹那、邪神の頭に拳骨が振り下ろされ、戸惑う邪神を制し女神の前に立ちはだかったのは英雄……
「かばい立てするならば貴方も同じです! 神に反逆する愚か者よ! 滅しなさい!!」
放たれた極大の閃光、常人ならば絶命を免れぬそれを片手で掴み握り潰す。信じられない光景に呆気にとられる女神の眼前を、未だ煙を上げる掌が覆い尽くす。
「なっ……何を……むっ? むぐぐっ!?」
「……お前ら女神や女神教が何を考えようが何をしようが知らん。だが……」
がっちり頭部を固定され、外せぬ目線を凄まじい殺気が抉り、支えを失った膝がガクガクと踊るように暴れ回る。
「邪神に手出しするなら別だ、こいつは……俺の(獲物)だ!」
「んのっ!?」
英雄のいつもの言葉足らず、それが邪神の脳にクリティカルヒットし一気に煙が出るほどに茹で上がらせる。
「なっ……ななな何をいきなりっ! っっていうか貴様なぜ割って入った! 貴様の助けなど無くとも我は……」
「し~っ……静かにしろ! ……来るぞ!」
「来るって何が……ぬおっ!?」
真っ赤に染まっていた邪神の顔が一気に蒼白になる、階下から登ってくる圧倒的存在感、それの放つ気配が只ならぬ怒気を含んでいる事に気付いたのだ。
接近するにつれ大気が重量を帯び、景色が色を失い、感情が恐怖一つに塗りつぶされる。正体を知る者は伏して裁きを待ち、知らぬ者は恐怖に怯え悶える……大家さんである。
「……あんたらぁ……」
玄関扉がゆっくりと開き、現れた巨大な目玉が室内をギョロリギョロリと睨め回す。
「ひっ!」
「まぁた暴れてたのかいぃ? どうやら命が要らないみたいだねぇ……死にたいのはどいつだいぃ?」
姿を現した恐怖の権化、助かるために取れる行動は一つ、邪神と英雄は視線を交わし頷く。
「「こいつらが暴れてました!」」
「はひゅぇっ!?」
気を失っている勇者にへたり込んだ女神、大家さんが空気中の魔力残滓を嗅ぎとり女神をキッと睨み付ける。
「羽根が生えてるあんただねぇ……そっちの気絶してんのは……まぁ同居人なら連帯責任だ、ほぉら征くよぉ!」
狭い玄関から差し込まれた大きな手が器用に動けぬ女神と勇者を抓み上げる。
「はひっ!? わっ、私は女神ですよ!? そんな横暴が許されると……そっ、そうです! 今からでも入信し悔い改めれば……」
「女神でも邪神でも関係無いんだよ! ここではあたしがルールだ! それにねぇ……入居に際して説明したと思うがここでは勧誘行為は禁止だよぉ、さぁて、たっっっぷり悔い改めてもらおうかねぇ!」
「ひっ……いや……嫌っ……嫌ああぁぁぁぁあ!!」
遠ざかってゆく女神の断末魔、聞こえなくなるまで英雄の背に隠れ震えていた邪神がようやく大きく息をつく。
「はあぁぁぁあ……危なかった……」
「お前止めてなかったら一緒に連れてかれてたぞ」
「う、うぬ……匂いで魔力の残滓を辿るとか……そんな事まで出来るとは油断できんのぅ」
額の汗を拭い我が身の無事に安堵する、と同時に脳裏によぎる先ほどの英雄の言葉……。『我が貴様の物なのではない! 貴様が我の物なのだ!』と、喉元まで出かかった言葉がつっかえた、なぜだろう? 腹立たしいけどなぜか胸が暖かくなる、知り尽くしているはずの自分の体の違和感の元を辿る内、腹の奥がぐうきゅるりんと音を立てる。
「ぬぅ、バタバタしてたら腹が減ったの」
「丁度いい、おやつ時だしあいつらが落としていった菓子折空けちまおう」
英雄が拾い上げた菓子折には先頃話題の洋菓子店の包装紙がかけられてある。
「ぬぅ、じゃが勇者の買ってきた菓子か……何か盛られてなければよいが……」
「俺らなら毒は基本効かないしな、いざとなったら魔法で解毒すりゃいい」
「それもそうじゃの! さて、こないだ買った紅茶があったじゃろ! あれを淹れておくれ♪」
和気あいあいと三時のおやつのティータイム。……尚、予想通り見事に盛られていた媚薬により大変な事になりかけたり、その報告を受けた大家さんにより勇者の背骨がちょっと有り得ない方向に曲がったりしたがそれはまた別のお話である。