高望み令嬢は溺愛系ヒーローに甘やかされたい
思いつきシリーズです。
やっぱりお口の悪い登場人物がいるので、お気を付けくださいませ。
ざまぁ要素はオマケ程度です。
「あーあ、私も素敵で優しくてカッコいい、ピンチに現れて助けてくれるような婚約者が欲しいなぁー」
放課後の教室で姿勢よく自席に座り本を読んでいた伯爵家の令嬢アイリスは、紙面を撫でながらそう言った。
その言葉を受けて、向かい合った青年は手元から視線も上げずに言い返す。
「あ? 俺様に何の文句があんだコラ。じゅーーぶん、スバらしくイケててお優しい婚約者様だろーが。高望みしてんじゃねーぞブス」
「ほーらーーーー!!! 口が悪い! ついでにガラも悪い!!」
彼――侯爵家嫡男のカインは、アイリスの婚約者その人である。
見上げるほどの長身に、燃えるような赤毛の短髪をツンツンと立たせ、平時でも睨みつけているように見える凶悪顔。
おいそれとは近づけないような雰囲気を纏い、言葉遣いも乱暴。
今もアイリスの正面の椅子に反対向きに大股を広げ腰掛けており、名高い侯爵家の跡継ぎとは思えないほど行儀も悪い。
そんなカインに地を這うような低い声で暴言を吐かれたにもかかわらず、アイリスは顔色を変えることなく、チッチッと指を振る。
「あのね、貴方みたいに悪ぶった俺様タイプがもてはやされたのは、お母様たちの世代なの! 当時の学園はお行儀の良いお坊ちゃんばっかりだったわけでしょう? やっぱり、少しくらい尖ってるのが輝いて見えていたわけよ。だけどやっぱり、時代はなんたって溺愛系よね! 見た目も中身も完璧なお相手で、その上デロデロに甘やかしてくれるなんて最高だわ~!」
頬に手を添え身体をくねらせるアイリス。
そんな婚約者にカインは眉を寄せ、チラリとだけ視線をやる。
「ケッ、夢見る夢子ちゃんかよ気色わりぃ。大体、そっちの方がふりぃーんだわバーカ。お前が今読んでる小説がそもそもウチのババァのだろーが。いつの時代の話してんだっつー」
「何よ、夢くらい好きに見させなさいよ。確かに古い本だけど、不変の価値観ってものもあるわけよ」
「あーはいはい、ソウデスカー。なら尚更、文句なんてねぇだろうが。オトコマエで頭が良くて運動もできる大貴族の跡継ぎなんて、喉から手が出る好物件だぞコラ」
口ではそう言いながらも、カインは流れる手つきで日誌を埋めていく。
思いあがっているようにも聞こえるが……アイリスの婚約者は、確かにモテる。
整った顔立ちのおかげで、生まれ持った強面も長所になっているし、体格に見合った運動神経も持ち合わせており、剣術大会では学年優勝に輝いた。
加えて試験の上位争いですら、涼しい顔でトップを霞め取っていくという、文武両道を地で行く男だ。
女生徒の誰もが垂涎の眼差しを向けるのも、無理からぬこと。
そんなカインの外面が良かろうと悪かろうと、大した差はないということだろう。
むしろ彼の粗野な言動が、更に周囲の感心を惹きつけているらしい。
額にある古傷も、それに一役買っている。
短く立たせた前髪のおかげでこれでもかと主張するその傷は、より彼を屈強で逞しく見せていた。
どうしても滲み出てしまう、育ちの良さというものもある。
今もワルそうな態度に反して、背筋は伸びて姿勢が良いし、乱暴な口ぶりからは想像もできないほど流麗な文字をしたためている。
時折垣間見えるそんな彼のギャップも、たまらなく魅力的に見えるのかもしれない。
ほぼ非の打ち所がない婚約者に対し、肯定的でないことばかり口にするのはアイリスくらいなものであった。
「あーあーあー、聞こえませーん。それより日誌、まだかかる? 今から続きを読み始めたら、キリの良いところまで読み進めるまでに日が暮れてしまいそう」
「チッ。お前が集中してたら根が生えたみてーに動かねぇんだから、もーちっと待っとけ。俺様にかかれば、こんなん秒で終わんだよ」
言っている間に本当に日誌を書き上げたカインは、帰る支度をするようにアイリスを促す。
先程まで読んでいた借り物の本を丁寧に鞄にしまうと、二人は教室を後にした。
***
「え、えーと……?」
「だから、カイン様の婚約者だからって、何でもかんでもケチを付けるなんてどういうつもり!? 一体何様なのよ!?」
「あの……それは……」
翌日、アイリスは窮地に立たされていた。
放課後の教室に一人、カインを待っていたアイリスだったが、そこに鼻息荒くやってきた一行がいた。
甲高い声でアイリスを責めるのは、別のクラスに所属するパトリシアという女子生徒。
そして彼女を取り巻く数人の男子生徒たちの筆頭には、パトリシアに腕を掴まれ第二王子であるレナルド殿下がお山の大将よろしく仁王立ちしている。
カインは見た目不良の優等生として有名だが、このご一行は正真正銘の不良生徒として名を轟かせていた。
どうしよう……どうしよう……!?
アイリスは既に、昨日のことを後悔していた。
放課後の教室には自分たちの他に誰もいなくて、油断していたのだ。
カインと話すのが楽しくて、廊下にまで気を配れていなかった。
なんだかんだ人気者であるカインにケチを付けたら、このような事態になることは予想できていた。
だからこそ気を付けていたつもりだったのに……まさか、ここまで厄介な人たちに聞かれていたとは思わなかった。
パトリシアは、カインのファン……のようなものなのだろうか。
丁度彼が別の場所にいるときに来るなんて、狙っているのか、そうでないのか。
この激昂っぷりは、純粋にアイリスへの非難が目的と考えるべきか。
パトリシアは可愛らしく、彼女を取り巻く男子生徒がいることにも納得だが、パッと見ただけでもたくさんの規則違反が見られる。
彼女のカインへの関心はわからなくもないけれど、険しい表情を浮かべたレナルド殿下をはじめとする周囲の男子生徒たちはそういうわけでもないだろう。
この場にいるのはパトリシアを守るためなのか、それとも普段から素行が悪いと噂されている彼らは、何でも良いから争いたい、喧嘩したいというだけなのだろうか。
ぐるぐると思考を巡らせ、迂闊な昨日の自分を呪っていると、パトリシアが苛立たし気に叫ぶ。
「何とか言いなさいよ!! どれだけ高望みしてるのよ!? カイン様はあんなに素敵なのに、まだ足りないって言うの!?」
「そ、それは……」
そんなことを他人から言われずとも……カインが素晴らしい人であることは、彼の婚約者であるアイリスが一番よくわかっている。
アイリスにとってカインは、これ以上望みようもないほどの大切な存在である。
見た目が怖くたって、言葉が乱暴だって、そんなことは関係無い。
気味が悪いほど出来過ぎた存在であってほしいとも思わない。
彼が傍にいてくれるだけで、それだけで十分なのだ。
けれどアイリスは、そのことを口にできずにいた。
アイリスは自分が幸福で、非常に恵まれた人間であることを理解していたが――あるジンクスを抱えていた。
彼女が身に余る幸せを口にする度、その後不幸が起き、それは失われてしまうのだ。
はじめは気のせいだと思っていた。
人間、生きていれば浮き沈みはあるし、形あるものはいずれ無くなる。
しかし……過去、満ち足りた気持ちで己の幸福について感謝の言葉を口にした後から、立て続けに災難が続いたことがあった。
祖父は急病で還らぬ人となり、母は倒れ、父は家族に会えなくなるほど仕事に忙殺された。
領地では不作に続き河川の反乱、歴史的で美しい観光地として有名だった遺跡は倒壊した。
他にも、お気に入りのものが壊れたり、仲の良い使用人が辞めてしまったり……鬱々とした日々の中にも慰めがあることを口にすれば、それすら失ってしまった。
そして幼馴染は傷跡が残るほどの怪我を負った。
だが、アイリスは幸運に恵まれていた。
災難の後には、それが転じて新たな幸福が与えられるのだ。
祖父亡き後の領地を、父は見事に納め……その手腕によって、領地はかつてないほどの安定を実現した。
倒壊した遺跡の地下からは未発掘だった部分が出現し、それは歴史的な発見となり、周囲の街の復興が済むとこれまで以上に大勢の人々が訪れることとなった。
母は玉のような男児を……後継者問題に終止符を打つ存在であり、アイリスにとっては今も可愛くて仕方のない弟を産んだ。
大好きだった幼馴染は、婚約者となった。
喪失の痛みよりも、それが更に別の形で置き換わってしまう事の方が、アイリスには恐ろしかった。
勿論、自ら口にし認めた幸せが失われてしまうことも、耐え難いほどの苦痛である。
一連の出来事が落ち着こうとしていたころ、アイリスは一冊の本を手にした。
そこに記されていたのは、異国の『言霊』というものだった。
言葉には力が宿り、発した内容は現実に影響するほどのものである、と……。
良いことを言えば良いことが、悪いことを言えば悪いことが起こると、おおまかにはそのように書かれていた。
アイリスの置かれた状況とはまた違っていたものの、偶然にしては出来過ぎたタイミングと内容に、彼女の口数は極端に減った。
特に、肯定的なことは一切口にしなくなった。
因果関係があるにしろ、ないにしろ、口にした途端にそれが失われてしまうのではないか……という恐怖が離れない。
自らが話題にしたものでなければ、何かを失っても、不幸なことが起きても、少なくとも自分が原因ではないと言い聞かせることができる。
そうして、アイリスは拗れた言動を取るようになっていった。
彼女にできる精一杯の愛情表現が、こうして他者を不快にさせてしまうことも理解していた。
カインとの婚約が結ばれた時も、喜びの言葉を口にすることはできなかった。
アイリスにとってカインとの関係は、絶対に失いたくないもののひとつだったから。
貴方が良いのだと、本当はずっと共に居たいと……そう言いたかったのに。
苦々しい気持ちで婚約は解消してもらうべきだと、本心に蓋をしながらそう告げたアイリスに、生々しい包帯を巻いた姿で、彼は――
「正気とは思えない! それとも何? 額に傷があるからって、それが嫌だとでも言うの!? カイン様への不満を口にするなんて、あの方の良さが理解できないなら、今からでも婚約を取り消しなさいよ!!」
「っ、ぁ……」
婚約を取り消せという言葉に、アイリスの心臓は大きく跳ねる。
廊下で会話を聞いただけの彼女たちには、二人が交わす視線の温かさや、口元に浮かぶ笑みに気付けるはずもない。
高望みするアイリスと憎まれ口を叩くカインの会話にしか聞こえなかっただろう。
事情を知らないパトリシアは、可愛らしい顔を不満気に歪めてアイリスを罵った。
「そういえば、侯爵家の嫡男の婚約は、相手の令嬢に怪我をさせられたせいだと聞いた覚えがあるな」
これまでむっつりと黙り込んでいたレナルド殿下がニヤニヤとそう告げると、パトリシアの目が爛々と光る。
「なんてこと! 怪我をさせて婚約者の座に収まったくせに、どれだけ恥知らずなの!?」
「怪我をさせられたからと責任を取らせるなど、どれほどの軟弱者かと思ったものだが……そうか、あの男のことだったのか」
「違うわ、きっと彼女がカイン様を縛り付けるのに利用したのよ!」
「ハッ、これまでそんな女に付き合わされていたとは、見かけによらず不甲斐ないのだな」
「義理堅い方なのよ。そんなところも素敵だわ! それに彼女がいなくなれば、きっと目が覚めるはずよ!」
「とんだ悪女ではないか。一見そうは見えないところが、また厄介だな」
パタパタと展開していくパトリシアとレナルド殿下の会話に、アイリスの視界が揺らぐ。
カインの額の傷跡は、彼が気晴らしにとアイリスを連れ出した先で、転びそうになった彼女を庇った際にできたものだった。
危険などないはずの場所で頭から血を流す幼馴染を見て、当時のアイリスは目には見えない不思議な力の存在を確信した。
「縛り付けておいて、飽きて嫌いになったからってあんな風に言われるなんて、カイン様が可哀想。全部貴女が悪いんだから、貴女から婚約を解消すれば、全て解決じゃない!」
投げつけられた言葉に、とうとうアイリスも限界を迎えた。
「私はカインを嫌ってなんかない! それにカインの決めたことを、悪く言わないで!」
婚約を見直すべきだと告げたアイリスに対して、その通りにすることも、鼻で笑い飛ばすこともできたはずなのに、カインは決してそうはしなかった。
真剣に話を聞いたうえで、一連の出来事はアイリスが原因で起きたのではないと、一つ一つ論理的に説明してみせた。
全ての物事には理由があり、それは一人の少女の言葉に起因するものではないのだと。
頭ではアイリスも理解していたのだが、それでも彼女は恐れを克服できずにいた。
そんな彼女に対して、カインは時間をかけて言い聞かせ続けた。
アイリスが少し捻くれたことを言うくらい、カインにとって欠点にはなり得ない。
彼は幼いころからのアイリスをよく知っているし、ぶっきらぼうな自分にはむしろ丁度良いと、眩しい笑みを浮かべた。
彼女が気に病まないようにと、行き過ぎたように聞こえる心にもない暴言を吐くことまでしてみせた。
アイリスとカインの言い合いは、二人にだけ通じる秘密のやり取りだった。
実際昨日アイリスの言っていたことは高望みでも何でもなく、捻くれた物言いの中でカインをベタ褒めしていたのに対して、それを当人が自信満々に肯定していただけである。
長い年月をかけて、アイリスはようやくカインと軽口を叩けるまでになったのだ。
そうして少しずつ折り合いを付けていたものの……未だ彼への正直な気持ちを口にするまでには至っていなかった。
そんなアイリスだったが、血が沸き立つような感覚に、彼女の中から長年のジンクスは吹き飛んだ。
破裂したような音が響き――
「カインは私なんかじゃ望みようもないくらい、素敵な人よ! 不満なんて、あるわけない! カインのことは、私が一番よく知っているんだから! 勝手なこと言わないで!!」
全身から怒りを発したアイリスは、一拍後には正気に戻っていた。
――私、今、何を……?
たった一瞬の怒りに我を忘れて、これまで必死で堪えてきた言葉を吐き出してしまった。
愕然とした気持ちに、視界が暗んでいく。
もし、もしこれで――
真っ青になり震えだしたアイリスを、後ろから長い腕が包んだ。
「やっと言えたじゃん。おせーんだっつーの」
頭上から降ってきた婚約者の声に、アイリスの震えは次第に収まっていった。
服越しにも、彼の力強い心音が響いてくるようだった。
先程の大きな音はアイリスの血管が切れたわけではなく、カインが勢いよく扉を開けた音だったらしい。
「きゃあ! カイン様だわ!!」
パトリシアが興奮して目を輝かせている姿が、アイリスにはやけに滑稽に映った。
「ちっと目ぇ離した隙に、下らねぇ連中に絡まれてんじゃねーよ」
心配してくれたカインの言葉に、アイリスは意識が緩んでいくのを感じる。
しかし、婚約者たちの温かなやり取りをパトリシアが遮った。
「カイン様! そんな傷を負わせた挙句に高望みばかりしている女、カイン様には相応しく――「あ゛? 外野が勝手なコト言ってんじゃねーぞ。黙れや」
カインのビリビリするほど低い声に、パトリシアたちは一斉にびくりと身体を震わせた。
それでもパトリシアは「きゃっ、カイン様がこちらを睨んだわ! 怒ったお顔も素敵ー!」などと口にしているあたり、なかなか懲りない性格をしているらしい。
カインは額の傷に指先で触れつつ、そんなパトリシアに剣呑な視線を向ける。
「この傷はな、惚れた女を守ったっつー勲章なんだよ。どうせどっかのアホがテキトー抜かしたんだろうが、俺様の誇りを穢しておいて、ただで済ませてもらえるとは思ってねぇよな? あ?」
緊迫した雰囲気の中、鋭い眼光でねめつけながら凄みを利かせるカイン。
そんな彼の姿は見えていないはずなのに、禍々しい気配に思わずアイリスの心臓も跳ねる。
「高望み、結構じゃねぇか。コイツが可愛くさえずって何を望もうと、俺様が全部叶えるんだから、むしろ望むところだっつー。令嬢一人を大勢で囲むような、卑怯で不憫な連中と同じ土俵に立たせるんじゃねぇよ」
とはいえ、ジンクスを抱えていること以外、基本的に自分が恵まれていて幸せだと考えているアイリスは、高望みどころか何かを要求することはほとんどない。
アイリスの言うことは何だって叶えてやりたいカインにとっては、物足りなさを感じているほどだった。
カインはニヤリと愉しげな笑みを浮かべると、腕に力を込めた。
「だがまぁ、アホ共もたまには役に立つんじゃねーの。コイツがずっと言えなかったことを言わせてくれたんだからな」
何のことかわからないパトリシアたちは内心首を傾げるが、続く言葉に顔色を悪くする。
「学年主席の俺様はつい今しがた、生徒会役員として指名されたんだが――初仕事は、悪名高いおめーら不良生徒共を連行してこいってよ。常駐してる騎士を動かしたら、流石に外聞が悪すぎるもんな。第一王子が頭抱えてたぜ、美人局まがいの脅迫、恫喝、カツアゲ、器物損壊、暴力行為……エトセトラ、エトセトラ。流石の俺様も、貴族の子女が通う学び舎でここまで風紀を乱せることに正直驚いたわー」
彼らのあまりの素行の悪さに、とうとう生徒会が動き出したようだ。
主犯は第二王子であるレナルドなのだろう。
教師たちですらなかなか干渉しにくい存在であることを笠に着て、好き放題してきたのだろうが……。
兄に全て筒抜けであったことに慄いているが、カインはそれに構わず言葉を続けた。
「今日、俺様はすこぶる気分がいーから、お前らをしょっぴくのは明日まで待ってやるよ。せいぜい怯えて一夜を明かしな」
凶悪な笑みを浮かべたカインから、喉を鳴らす低い唸り声が聞こえるようだった。
「まー、第一王子のところまで自首してもらうのが、一番手間がねぇんだけどな。好きに選べや」
言うなりカインはアイリスを軽々と抱き上げ、へたり込み互いに罪を擦り付け合う不良たちに目もくれず、教室を後にした。
***
放課後とはいえ、顔を真っ赤に染めたアイリスと、そんな婚約者を愛おしげに抱えて歩くカインはとにかく目立った。
目撃者は少数だろうが、明日には学園中を噂が飛び交っていることだろう。
けれど既に他のことで頭がいっぱいのアイリスは、先のことを気にするのは止めた。
夕日の中、馬車が走り出す。
先程の言葉通り、上機嫌なカインの膝の上に抱え込まれたまま、アイリスは顔を上げた。
「あ、の……さっき私が言ったこと、その、どこから……?」
「お前の言葉は、全部」
「っう……」
やっぱり、聞かれていた。
本心を告げる時はカインに向かって言いたかったと、苦い痛みが走るが……それはこれから挽回していけば良い。
あれほど気にしていたジンクスは、彼の腕の中にいてはどこかに行ってしまったようだ。
どうせ、既に口にしてしまったものは戻せない。
それよりも、今は彼に伝えたくて仕方なかった。
「あのね、ずっと言いたかったことがあるの……」
カインの熱っぽい眼差しに怯みそうになりながら、アイリスは告げる。
「好きよ、カイン。……大好き。貴方が婚約者で、良かった。カインが傍にいてくれれば、それだけで、私は幸せなの」
大切に、一つ一つ気持ちを伝えると、カインはくしゃりと表情を崩して、嬉しそうに笑った。
昔から変わらない大好きな笑顔に、アイリスの頬も緩む。
しかし次の瞬間、がばっと力強く抱きしめられて、息が詰まる。
「あぁ。俺も、やっと言える。俺もお前のことがずっと、ずっと大好きだった。……愛してる、アイリス。長いこと我慢したんだ、もう、回りくどいことはやんねーから、覚悟しとけよ」
「……うん。今まで待っていてくれて、ありがとう」
カインの熱烈な言葉に再び頬を染めながらも、アイリスは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ごめんなさいね、随分と待たせておいて、よく考えたら場所があまりロマンチックじゃなかったかも……」
見かけによらず、カインはロマンチストな部分がある。
遠乗りではアイリスを見頃の美しい花が咲き誇る花畑に連れ出したり、予約の取れない人気のお店を押さえておいてくれたりする。
彼の選ぶ場所はどこも雰囲気が良く、心地良い時間の流れる空間だった。
ようやく想いを伝え合うことができたというのに、自分ときたら……と、内心アイリスが自身の至らなさを責めていると、カインの腕に力が入る。
「場所なんか、どーだって良いんだよ、バーカ。……気になるなら、俺の腕の中だったってことだけ覚えとけ」
「ふふ、そうね……」
甘く響く、やけに湿った声に笑みが零れる。
アイリスこそ、今いるのがどこだって良かった。
彼といれば、どんな場所でも特別なのだから……。
愛しい人の腕の中で感じる馬車の振動も、ジャケットから香る爽やかな匂いも、彼の熱も、激しい鼓動も――きっと、忘れない。
これまで言えなかった分も含めて、これからは好きなものは好きだと、嬉しいことは嬉しいのだと、周囲の人たちにきちんと伝えていこうと、アイリスは誓った。
***
翌日、アイリスを言いくるめれば何とかできるとでも思ったのか、口先ばかりの謝罪をしてきたパトリシア達だったが……それはそれはイイ笑顔を浮かべたカインに強制連行されていった。
不良生徒たちは生徒会長である第一王子と情け容赦ないカインに監視され、矯正という名の辛い日々を送っているという。
恐ろしい存在に睨まれている状況では、いずれ更生し、生まれ変わったような存在となることも夢ではないのかもしれない。
その後のアイリスの人生にも、たくさんの幸せが訪れた。
勿論、苦難もあったが――どれも愛する人と共に乗り越えていったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
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もっと後書きっぽいことは活動報告の後半に色々と書いています。
バチコーイ! という方は、よろしければこちらもご覧ください。
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2023/03/03 カインの名前間違いを修正しました……!!! ご報告ありがとうございます!(土下座)