情報編
卒業式の翌朝。
今のご時世、卒業式は三年生だけが参加するから、私たち在校生は昨日一日休み。先輩たちは私たちが居ない間に卒業してしまった。
空っぽの三年生の靴箱を横目に、私は自分の靴箱へ向かう。
「アオイ~、おはよう。」
同じクラスのキクコだ。
「おはよ。」
私も挨拶を返しながら、靴箱に靴をクシャリと押し込む。私の靴箱は下の方だから、しゃがむような格好になる。キクコは、そんな体勢の私に構わず話かけてくる。
「昨日チャットが盛り上がってさ。」
「そうなんだ。」
「アオイもスマホ持てば良いのに。」
「私にゃまだ早いでしょ。」
「みんな持ってるよ。持ってないのアオイだけじゃない?」
「もっと大人になってからね。」
そう言って笑いながら、あと数日しか通わない二年の教室へと向かう。
昼休み。
キクコが私の机の前に座ってくる。
「ア・オ・イ様ぁ~。」
キクコが私をこう呼ぶ時は、何かお願いをしてくる時だ。私は少し身構える。
「何でしょ?」
「テツト先輩の話聞いた?」
テツト先輩ってのは、昨日卒業した三年生。成績優秀でイケメンでバスケ部のエース。明るくて穏やかな性格で、この中学で彼を嫌いな人は居ないだろう。
その先輩について、我が中学の最強情報通キクコがネタを持ってきたというのだ。聞いておいて損はない。
「何なに?」
「一昨日フラれたらしいよ。」
「マジで!?」
これは大事件ですよ!
完全無敵男子テツト先輩に何があった?
「マジマジ。なんてったってササセ先輩の妹からの情報だから。」
ササセ先輩は、テツト先輩の親友で同じバスケ部。その妹からの情報であれば確かな筋だろう。昨日盛り上がったチャットというのは、その話に違いない。
「でさ、アオイは何か聞いてない?」
「初めて聞いたよ、そんな話。」
「だって同じ部じゃんか。そんな噂とか聞いてない?」
私はバスケ部じゃない、文芸部だ。文芸部っていうのは小説や詩、俳句(あとマンガ)なんかを作って発表している部活。
実はテツト先輩、文芸部も兼部していた。メインはバスケ部だが、暇な時にはよく文芸部に本を読みに来ていた。結局先輩は三年間で作品一つも作らなかったけど。
「いやいや、先輩を囲んで恋話なんてしないもん。」
「それっぽい話もないの?」
「ないな。」
私は断言した。キクコは私から情報を引き出そうと思ってやって来たらしい。残念でした。
っていうか、キクコ様。私からのお願いです。もっと詳しく教えてください。
「で、で、で、相手は誰なん?」
「それが分かんないのよ。」
「でも、告白ってフラれたんでしょ。」
フラれたことを親友のササセ先輩に話してるんだし、普通なら相手のことも話すでしょ。
「約束した場所に相手が来なかったんだって。」
「約束の場所?」
「あの桜の木の下。」
キクコが窓の外を指差す。グラウンドの向こうにある神社の大きな桜。今年は暖冬だったから、もう満開を迎えている。
満開の桜の木の下で告白かぁ。文芸部の恋愛班が悶絶しそうなシチュエーションだな。
「さすが先輩。シチュエーションまでイケメンレベル半端ないな。」
「一昨日、ずっと桜の木のとこで待っていたらしいよ。なんで相手の子は来なかったんだろ。」
ここで私はピンときた。
「キクコ…その相手が誰かを、私に推理して欲しいってこと?」
「そ!アオイ様、お願ぇしますだ。」
私は文芸部の推理担当だ。文芸部では多くの推理小説(およびマンガ)を読み、自分も推理小説を書いてきた。
それだけじゃない。部員のなくし物を見つけるのは十八番だし、自ら生み出したトリックで遅刻を免れたこともある。
同じクラスのレラが付き合ってる彼氏を見抜いてからは、キクコは私を探偵扱いしてくる。それについては私もまんざらでもない。
「しょーがないな、キクコの頼みとあっちゃあ。」
「ありがとアオイ!」
さて、推理をするには情報が必要だ。なぜなら先輩たちは卒業してしまった。もう話を直接聞く機会はない。
「じゃあ、キクコの持ってる情報を全部出しなさい。」
「了解です。アオイ探偵!」
アオイ探偵…。少しニヤけてしまう。
「情報を整理しながら聞きましょ。」
私はノートを開く。推理のアイデアを思いついた時に書き留めておくためのノートだ。
真ん中に『テツト先輩』と書いて丸で囲む。
「関係ありそうなのは…」
ノートに書いた『テツト先輩』の周りに『学年』『バスケ部』『文芸部』『塾』と書いて線でつなぐ。
「考えられるのは、こんなとこかな。」
するとキクコが訂正する。
「テツト先輩、塾行ってないよ。」
「え゛…塾行かずに、あの難関高校入ったの!?マジで!?」
「マジマジ。どんだけ頭良いんだってとこよ。」
「そんな高スペック男子をフっちゃう相手…いったい誰なんだ。」
書いたばかりの『塾』を×で消す。
それを見て、キクコが聞いてきた。
「うちの中学以外って可能性はないの?」
「ないね。」
私はすぐさま否定する。
「あの先輩なら、絶対相手の都合に合わせるでしょ。」
キクコは頷く。
「一昨日ってことは卒業式の前日だから五限で終わり。しかも中学から目と鼻の先の桜の木。時間と場所から考えて、うちの中学の生徒に合わせたとしか考えられない!」
「おー、さすが名探偵。」
おだてと分かっていても、やっぱ嬉しい。
「まずは候補が少なそうなバスケ部からかな。」
「バスケ部と言えば三年のマネージャー、ニナ先輩ね。テツト先輩とは家も近所で幼小中が同じ。そもそも親同士もママ友で仲がいい。」
キクコさん、あなたはその情報を一体どこで仕入れてくるのか。
「幼なじみがマネージャーなんて、二昔前の青春ラブコメでしょ。」
私はそう言いながら、ノートの『バスケ部』の下に『ニナ』と書き込む。名前の横に小さく『幼なじみ』と加える。
羨ましいな幼なじみ。
「あとはヤヱ先輩も居るけど、ヤヱ先輩はササセ先輩狙いだからなぁ。ないんじゃないかな。」
私は『ヤヱ』と『ササセ』を書く。
「ヤヱ先輩がササセ先輩を好きな事ってみんな知ってるの?」
「私の情報網で仕入れたトップシークレットよ。ササセ先輩ですら知らないはず。」
トップシークレットをさらりと話すなよ。
「ってことは。先輩は、それを知らずにヤヱ先輩を好きになる可能性もあるわけでしょ。」
三人の名前を矢印で結んで三角形を作る。
『テツト先輩』←親友→『ササセ』
『ヤヱ』―狙い→『ササセ』
『テツト先輩』―?→『ヤヱ』
文芸部の恋愛班は腐女子揃いだから、きっと親友の後ろにハートを書き込むだろうな。
なんてことを考えつつ。
「ヤヱ先輩は、ササセ先輩の方が好きだったから桜の木へ来なかった可能性もあるでしょ。」
「うわ~、この三角形は熱いな!」
キクコが一人盛り上がる。
「あくまでも可能性です。まだ決まったわけじゃないからね。」
私は『テツト先輩』から『ヤヱ』に引いた矢印を、消しゴムで丁寧に消す。
「あと二年のマネージャーも居なかったっけ?」
「午前中に聞いてみたけど、みんな違ったんだよ。」
既にリサーチ済みだとは…さすがキクコ、仕事が早い。