霊谷家の幽霊-2
よろしくお願いします。
その部屋に入った瞬間絶句した。
その理由はたくさんの動物たちがいたからでもあるし、その動物たちに普通の家で飼えないような種類のものも含まれていたからでもあるし、その動物たちがすべて半透明で一部は空中を浮遊しており、それぞれ言葉をしゃべっていたからでもある。
「みなさん、新しい幽霊さんです」
白猫さんの呼びかけで部屋中の動物たちが一斉にこっちに顔を向けた。
とっさのことにどうすればいいのか分からず立ち尽くしていると各々動物たちが好き勝手に話しだした。
「何だい? 新入りかい?」
「おい、人間だぞ」
「またあの小娘め!」
部屋の動物たちがほのかに殺気立ち始める。
「……ゴクッ」
緊張に生唾を飲み込むと白猫さんに聞こえたのだろう
「大丈夫ですよ。みなさんあなたに怒っているわけじゃありません。あの女に対してですから。みなさん新しい方がいらっしゃると自分が幽霊にされた時のことをどうしても思い出してしまうんですよ」
安心させるような優しい口調が足もとから聞こえてきた。
「幽霊にされた時のこと?」
気になった一文についてオウム返しに質問すると
「ええ。わたくしの場合は毒入りのご飯でした。ほとんどの方が同じような手口ですよ」
平坦に返って来た応答の声質を聞いて、この話題も地雷だと思い知る。
「ご、ごめんなさい。よ、余計なことを訊いて」
「いえ、わたくしこそ幼稚な態度をとってしまい申し訳ありません。あなたには何の非もありません」
大人だなぁ。
思わず感心していると白猫さんがまたもやほかの幽霊たちに呼びかけた。
「みなさん、落ち着いて下さい。わたくしたちではあの女に敵いません。それはみなさんもよくご存じだと思います」
敵わない? これだけ動物がいればどうにかなりそうだけど。
「それよりも今はみなさんにご紹介したい方がいます」
そう言って白猫さんが僕を見上げるとほかの幽霊たちの視線も僕に集まった。
「こちら本日幽霊になられたばかりの……えっとすみません、お名前を」
そこで初めて白猫さんにすら名前を言っていなかったことに気付いた。
「あ、は、はい。な、生井健治です。よ、よろしくお願いします」
何がよろしくなのかは分からないが、名前の後のよろしくはもはや決まり文句だ。
「申し訳ありません。自分の名前だけ言ってご相手の名前を伺わないなんて、大変失礼いたしました」
白猫さんに頭を下げられて逆にこっちが恐縮させられる。
「い、いえ。そ、そんな。い、言わなかったこっちが悪いんですから」
みんなの前でわたわたやってるとすぐさまヤジが飛んできた。
「おい人間! シロにだまされるなよ! そいつの丁寧語は演技だからな」
その言葉は僕たちに一番近い黒猫の幽霊から、僕にと言うより白猫さんにという感じで発せられた。何だかこの黒猫は怒っているようなつまらなそうな微妙な雰囲気である。
「やめて下さい、クロ。わたくしはきちんと礼節を重んじます。変な言いがかりはしないでください」
白猫さんが反論すると黒猫はにいぃっっと楽しそうに笑った。
「へぇ、礼節を重んじるやつがこっそり人の食い物を盗み食いってぇー」
黒猫は言葉を終える前に白猫さんに引掻かれてその場にうずくまった。
「ああ、ごめんなさい。鼻の頭にハエが止まっていたものですから」
「おいおいそれ絶対嘘だろー」
「はい? 何かおっしゃいました?」
「……いえ、何も」
周りの幽霊たちの声も白猫さんの笑顔の迫力の前に黙ることしかできない。
当然僕も。
一瞬静かになった部屋を改めて見回してみるとこの部屋はリビングだった。
僕の入って来た入口はリビングの端っこで部屋の中心に四角の木製テーブルが置いてありそれを囲むように四つの木製椅子が置かれている。その奥は軽く仕切られてキッチンのようである。
そのリビングの中にさまざまな動物たちがいる。猫、犬、鴉、ハムスター、蛇、蛙、雀、兎、鶏、鯉、金魚、イタチ、狐……、ざっと見ただけで二十匹以上の動物たちがそこにいた。
鯉や金魚などは空中を泳ぐように浮遊している。
「おい、どうした? そんなじろじろ見るんじゃねぇよ。恥ずかしいだろ?」
思わず空を泳いでいた鯉をじーっと見てしまっていた。鯉からかけられた一言ではっと我に帰る。
「あ、ご、ごめんなさい。お、思わず……。お、お魚さんは幽霊になられると空を飛ぶんですね」
思ったままを言うと
「? おい、白いの、こいつに教えてねぇのか」
鯉……さん? は白猫さんに顔……というか体を向けてそんなことを言っていた。
どういうこと?
「はい。あの部屋から出てこられてからすぐここにお連れしたので」
すると白猫さんは鯉さんから僕に顔を向けて説明してくれた。
「健治さん、彼らは魚だから空を飛ぶわけではありません。もちろんそうしなければ移動もままならないのは確かですが、幽霊になったとたん空中を泳げるようになるわけではないんです」
「えっ、じ、じゃあ何で空を飛べるんですかですか」
「イメージさ」
僕の質問に答えてくれたのは鯉さんだった。
「俺たちは魂だけの存在だ。食い物も飲み物も酸素も、俺たちの場合でいえば水さえも必要ない。当然、体があるときには俺たちを支配していたあらゆる物理法則さえ無視できる」
僕は鯉さんの説明が信じられなかった。僕は今鼻から息を吸って呼吸しているし、床に足を着いて体を支えている。
僕の考えていることなどお見通しというように話は続く。
「まあ、今すぐには信じれねえだろうな。
なんせお前は生まれてからこれまでずっと息を吸い、食べ物を食べ、飲み物を飲み、重力に引っ張られて生きてきたんだからな。
今お前が息をしているのも、地面に引っ張られているのも、いままで持っていた肉体感覚を無意識のうちにイメージしちまってるからだ。
んで、そのイメージをやめて空を飛ぶイメージをできるようになれば自由に空中を泳げるようになるってわけだ」
「信じられませんか?」
後ろから聞こえたその声に振り向くとすぐ目の前に白猫さんがいた。
「えっ、えぇー!?」
思わず驚きの声を上げてしまったのはすぐ目の前……つまり僕の目線と同じ高さに白猫さんが浮いていたからだ。もちろん足元には何もない。
手を白猫さんの下で振ってみるが何もない。
こ、これは信じるしかないみたいだ。っていうか、もう既に幽霊になるっていう信じられない経験をしちゃってるし。
「もちろん今まで十数年生きてきたイメージを捨てきるのはそう簡単にできることではありません。お魚さんは比較的簡単に出来てしまうみたいですが」
「いきなり空気中に放り出されりゃいやでも出来ちまうっつうの。ま、それでも最初の一時間ぐらいは床の上でジタバタしてたけどな。それに俺らは生きてた頃から水の中を泳いでたから泳ぐ感覚には慣れてたっていうのも大きいな」
そう言いながら鯉さんは部屋中を縦横無尽に泳いでみせる。
いいなあ、気持よさそう。
羨望の眼差しで見ていると気分を良くしたのだろう、鯉さんは自慢げに
「こんなこともできるんだぜ」
と言って、テーブルに向かって急降下した。
ぶつかるっ! と思った瞬間、スッと何事もなかったように鯉さんはテーブルの天盤をすり抜けた。
「え、えっと、これはいったい!?」
床に戻った白猫さんに目を向けると
「自分の体が物体を通り抜けるイメージがしっかりできるようになればあんなこともできます」
と説明された。
「ざっとこんなもんよ」
泳いで僕の前まで来てくれた鯉さんに拍手して素直に感想を告げる。
「す、すごいです。い、いいなぁ。れ、練習すれば僕もできるようになりますか?」
「そうですね、陸上動物の場合だと個人差はありますがだいたい半年ぐらいで壁抜け、一年で空中浮遊ってとこですね」
白猫さんの答えを聞いて道のりの長さに軽くへこむ。
「ち、ちなみに練習って何をするんですか?」
「瞑想です。ひたすら瞑想して壁を抜ける姿をイメージして下さい」
「まあ、高いとこから落とすとかいうショック療法もあるけどな」
鯉さんのアドバイスに白猫さんが口をとがらす。
「その方法、下手したら消滅しちゃうじゃないですか」
!
「し、消滅って……。ゆ、幽霊って消えちゃうんですか?」
「ああ、物理的なダメージを受けると消えるよ。まあ、生きてるときと違って頭が無事なら死にはしないらしいけどな。たしかそうだよな? しろいの」
「はい。確かにそのとおりですが無茶なことはやめておいて下さいね。体は無事でもその痛みに耐えきれず発狂してしまった幽霊を見たことがあります」
「は、発狂ですか?」
それは穏やかじゃないな。
「はい。その人は……まあ、犬でしたが、幽霊になった自分が許容できずに自殺しようとしましたが死にそこない下半身を失いました。彼は……タローはその痛みにより精神を病んでしまい、最後には自分の犬としての形すら保てなくなってしまいました」
「か、形を保てないって……ど、どういうことですか?」
「幽霊とはむき出しの魂。いうなればその生物の精神性そのものです。タローは痛みから逃れたい一心で本来の犬という精神の形を捨て悪霊になり果てました。それでも痛みを拭い去ることができず周りの物を破壊する。……ただそれだけの存在でした」
白猫さんはとても悲しそうな、そしてとても悔しそうな顔をしていた。そんな白猫さんにタローさんがその後どうなったのかを訊くことはとてもできなかった。
「で、でも何で頭だけ無事なら……死なずにすむんですか?」
今の僕には自分が死ぬのではなく消えるとは言えなかった。
「幽霊とは精神で構成されるからです。たいていの生物は脳で自分を認識しますから頭を損傷すると自己認識ができなくなり、その瞬間に自分の形に固定されてた魂がバラけます。もし自分を構成する核が脳以外の場所であれば頭が損傷しても消滅することはありません。ですが、やっぱり地道にトレーニングした方がいいと思います」
こんな話を聞いた後にショック療法を試そうという気にもなれず、僕は一も二もなく頷いた。
「は、はい。そ、そうします」
コクコクうなずいていると、
「おい。お前いつまでここに居座る気だよ」
トゲがある声が聞こえてきた。声がある方を見ると黒猫が僕を睨んでいた。その後ろでは何匹かの動物たちが同じように僕を睨んでいた。
「ちょっとクロ、何でそんな意地悪なこと言うんですか」
白猫さんがすぐさま抗議の声を上げてくれる。
「お前やそこの魚野郎と違って俺たちは全ての人間が嫌いなんだよ! いいか、人間は生きてる間は俺たちをないがしろにして、しまいにゃ殺して無理やり幽霊にするようなやつらなんだぞ」
そのセリフに周りを見回すと、白猫さんと鯉さん以外の幽霊たちは黒猫の後ろで僕を睨んでいるか、僕から距離をとって関心なさそうに……僕を無視してそれぞれ自分のことをしている。
「おい人間! 俺たちはお前がいると迷惑なんだ、早く出て行けよ」
うっ、……グサッとくるなぁ。まさか猫に心を傷つけられる日がこようとは。
「わ、分かりました。い、いろいろ教えていただいてありがとうございました」
「ちょっ、健治さんっ」
僕が白猫さんと鯉さんに頭を下げると、白猫さんが慌てた声を上げた。
「外は危ないですよ。普通の人には今のあなたは見えません。もし事故にでも遭われたら……」
なるほど、確かにその通りだ。いままでは車の方も人がいれば徐行したりしていたけどこれからは自分で避けないといけないのか。
正直、考えもしていなかったことだけど……、それでも今の僕には行きたいところがある!
「だ、大丈夫ですよ、気を付けますから。ぼ、僕、行きたいところがあるんです」
「……そうですか。では、無理にはお引き留めしませんがいつでもここに帰ってきても構いませんからね。
あ、あと、動物にも気をつけて下さいね」
「ど、動物ですか?」
動物の何に気をつける必要があるのだろう?
「生きている者にはわたくしたち幽霊は見えませんが、動物の中には見えなくても鋭敏な五感や動物特有の第六感で幽霊の存在を感じ取る者がいます。無益に動物をおびえさせるばかりか近くにいる人間にも不信感を抱かせかねません。必要以上に動物には近づかないようにしてください」
なるほど、動物の超感覚ってやつかな。
「は、はい。わ、分かりました。あ、ありがとうございました」
もう一度お礼をしてリビングを出るとリビングの出入り口近くにあった玄関からそのまま外に出た。
行きたいところ……僕の家を目指して。