悪役令嬢、破滅ルートを所望します!
「お嬢様!もっと胸を張って!」
「え、ええっ!」
「扇はもっと口の近くへ!」
「こ、こうかしらっ」
部屋の中央で花を模した華麗なドレスを着た少女を世話係のメイドが隣で見守っている。
少女の名前はカトリーナ・エメ・ディアス。
この国で耳にした事の無い人は居ない。と言われる程、有名で有力なディアス公爵家の立派な令嬢だ。
しかも名に含まれる「エメ」これは王家の婚約者である事を示す女性特有の名詞だ。
つまり彼女は王家に婚約者を持ち、有力な公爵家の令嬢と、かなり高い立場にいる事が分かるだろう。
そんな彼女を先程から叱咤するのは世話係のメイドのアシャだ。苗字を持たない彼女は社会的な身分としてはカトリーナとは比べ物にならない程下である。
それでもこの態度を誰も咎めないのは彼女が主人と築いた信頼関係……いや咎めても改善しない為、意味が無いからだろう。
それでもメイドの仕事は一人前なのだから、世の中不思議な事もあるものだ。
さて、二人が何をしているか。そこに視点を移そう。
扇を口元に当て、胸を張る姿は礼儀作法の練習の様に見えるだろう。
しかし、いくつか礼儀作法の教師に見せると青筋を立てそうな動きが見られる。
まず、肩幅まで開かれた脚。
社交界では普通は慎ましく、美しく見せる為、脚を開く事は絶対駄目とされている。いや、社交界でなくても、淑女として脚は閉じるべきだろう。
次に睨み付けるような瞳。
星空を見つめているような丸い瞳のカトリーナが睨み付けると不格好な姿になるが、気品ある令嬢として睨み殺気を放つなど論外だ。
しかし、それをアシャは指摘しない。
これは、アシャが教鞭を取る事に関して絶望的に才能が無いという事ではない。はたまた、カトリーナを貶めようとしている訳でも無い。
何故なら、これは礼儀作法の授業では無いのだから。
「オーホッホッ!」
「いい!いいですよお嬢様!」
どこのミュージカルだ。と言われそうな高笑いをあげ、カトリーナが見下すようなポーズを取る。
カトリーナのやる気を削がないよう、それを必死に褒めるアシャ。
そう、これは悪役令嬢になる為の悪役顔の練習という訳だ。
事の始まりは数日前。
カトリーナがいきなり突拍子も無い事を話し始めたのだ。
「この世界はラブプラの世界……それじゃ私は悪役令嬢カトリーナって事!?……でもルートが……」
そのブツブツを聞いたアシャがまとめた所
ここはあるゲーム、「ラブプラネット」の世界。
平民の出だが能力が認められ、貴族の学園に入った主人公が三人の攻略対象の心を落とし、恋をしようというゲームの舞台。
まぁ所謂、乙女ゲームってやつだ。
このゲームの主人公は平民のシエラ。
誰にも負けない笑顔と、素直で真っ直ぐな性格が魅力。
園芸にも詳しく、植物を愛でるのが上手である。
そして、最初の攻略対象はこの国の第一王子キュルス・アヴニールだ。
この国の未来を思わす金色の髪に、海より深い青い瞳。絹の様に繊細で白い肌はたちまち社交界の淑女達を虜にした。
次の攻略対象は国の騎士団の団長の息子ジェフ・エドワーズ。
日頃の訓練で鍛え抜かれた逞しいその身体と女性への慈しみを忘れないその態度は誰もが憧れている。
最後の攻略対象は主人公と同じく平民の出のダンテ。
顔はかなり童顔だが、平民でも貴族の学園で前向きに生活するその強い姿は男らしさを感じさせる。
素直な性格と悪戯な笑みに心を打たれる人も多い。
その攻略対象の一人、第一王子キュルスの婚約者が、そうカトリーナである。
カトリーナのゲーム内でのポジションは、婚約者のキュルスを取られる事を恐れ、主人公に嫌がらせをするという悪役だ。
キュルスのルート以外の二つのルートでも、親しかった他二人の攻略対象を取られまいと嫌がらせをしてくるという。
そしてキュルスルートではその嫌がらせに痺れを切らしたキュルスは婚約破棄をし、カトリーナは謹慎処分。
他二人のルートでも殺人まで犯そうとしたカトリーナは貴族籍の取り上げや、国外追放というオチとなる。
唯一、心の冷たいカトリーナに心から信頼を置いていた従者もカトリーナの元を去り、十代で人生をドブに捨てる事になる。
しかし、そんなカトリーナフルボッコな情報を思い出した現段階。
カトリーナがどれだけ記憶を掘り起こそうとも、現在の段階はどのルートにも当てはまらないのだ。
まず、どのルートでもシエラとは険悪になるのが定番だ。
しかし、シエラとは「緑を愛でる会」という園芸に触れる学園の催事で知り合い、今でも公爵家の庭に呼んだりと親しい仲である。
アシャも時々紅茶を入れたりお茶菓子を持って行く。
攻略対象のキュルスとは政略結婚だが、深くも浅くも無い関係を保ち、特に気を害してない筈だ。
カトリーナは気付いていないが、アシャから見ると、逆に想いを寄せられている気がする。
ジェフとは幼い頃カトリーナが森で迷子になった時助けて貰ったのをきっかけに、騎士団の訓練を見に行ったりするほどの仲だ。
親同士も二人の関係は良しと思っており、家族ぐるみでの仲である。
ダンテとは学園で初めて知り合ったみたいだが、同じく園芸に興味があるのと、シエラからの紹介でかなり親しい。
礼儀作法が抜けていたりと小生意気な部分もあるが、カトリーナは全く気にしていない。
……ゲームとは違い、平和だ。平和すぎる。
青い顔をしながら、相談してくるカトリーナを見て、アシャの中には一つ疑問が生じた。
(どうしてお嬢様はそんなにルートに入っていない事が嫌なのだろう?)
ルートに一度入ってしまえばカトリーナは破滅一直線だ。
本来、どのルートにもシエラが入っておらず、登場人物全員と仲の良い関係の現在は喜ばしい物ではないのか?と。
「お嬢様一ついいでしょうか」
「ええ、いいわ」
「……何故そんなに破滅したいんです?」
核心を突かれたカトリーナは途端に顔を変える。
何故か唐突に冷や汗をかきはじめるカトリーナにアシャは首を傾げた。
「えっそんな、なにか重大な理由が……?」
もしかしてキュルスに命を狙われている!?
国内に危険があるから、国外追放されてしまいたいとか!?
無駄に想像力豊かなアシャの脳内で壮大なエピソードが着々と構築されていく。
「お嬢様の命を狙う者はアシャが命をかけてもやっつけますっ!」
「何か、勘違いしてない?」
気合十分な顔で構えをとるアシャを見て、溜息をついたカトリーナは話すから落ち着いてとアシャをたしなめる。
「ベッドの下の箱、開けてみなさい」
「あっ大量の漫画とアニメグッズが入ってる箱ですねっ」
「そうよそれ……って、なんで知ってるのよ!?」
日頃掃除しているんです、これくらいは知っていますよ。と何故かドヤ顔で自慢してくるアシャにカトリーナは顔をしかめた。
「ねぇ王子と結婚したら同じ部屋で暮らすんでしょ?」
「王子は忙しいですし、いない事が多いでしょうがそうですね」
「それ、持ってったらどうなると思う?」
暗い顔をしながら箱を指差すカトリーナを見て、アシャはおおっと手を叩き満面の笑みで分かりましたーー!と見つめてくる。
尻尾がもし生えていたなら音が出るほど振っていただろう。
「王子もオタクになっちゃいますね!それでお仕事をサボられたら、堪ったもんじゃないから結婚したくないって事ですね!」
「……ぜっんぜん、違うわよーー!!」
素っ頓狂な答えを自信満々で言ってのける自分の従者にまた顔をしかめながら、大きな溜息をついた。
「社交界ではこのような娯楽は下品な物とされているのよ」
「ほうほう……だからこの様な所に隠しているんですね」
「そんな物をお城に持って行って、王子に見つかったら、一生笑い者だわ!」
「……た、確かにぃ!?」
うおおっそれはマズい!と駆け回っていたアシャだが、ふと足を止め、また首を傾げはじめた。
「……でも、婚約破棄された方が笑い者になりません?」
「一生笑い声が聞こえるよりはマシよ!この機会を利用しない手は無いの!」
正直、キュルスがカトリーナを恋慕している事を知っているアシャとして破滅なんてして欲しく無いのだ。
今、沢山の友人に恵まれ、婚約者にも恵まれた、この日々を壊す必要があるのだろうか?
何やら悲しそうな目を向けてくるアシャに、カトリーナはトドメを刺した。
「私、王子と結婚したらアシャとはさよならだけど」
王城へ向かう際、一人だけお付きのメイドを連れて行けるという約束がある。
それをアシャ以外の人を選ぼうかな〜と言われたアシャは雷が落ちたように硬直してしまった。
そして単細胞のアシャはその足りないおつむで考えた。
婚約破棄→お嬢様は謹慎か貴族籍の取り上げか国外追放→どのルートでもお嬢様に付いてけばいつまでも一緒→ハッピー!!
彼女の頭にはキュルスの幸せなんて文字は無かった事にされた。
そして、アシャの暗い顔が明るくなっていく様子を見たカトリーナは勝った。とニヤリ笑った。悪い令嬢だこと。
「お嬢様!婚約破棄されましょう!」
「えぇ!目指せ、破滅!」
二人は熱く手を握り合い、目標に向かって走り始めたのだ。
アシャはカトリーナに良いように使われているが……。
「悪役顔の練習もしたし、さて、作戦をたてるわよ」
冒頭での練習を終え、カトリーナの私室で作戦会議が始まった。
テーブルセットにノートを広げ、二人で覗き合っている。
ノートにはカトリーナが覚えてるだけのゲームの情報が書かれていた。
「で、具体的にどうするんです?」
アシャが尋ねる。
破滅を目指すにしろ、具体的に何をするか決めなくては動けない。
「まず、このイベントを起こそうと思うの」
カトリーナが「イベント」と付箋が貼ってあるページを開き、指を指す。
そこには「シエラの弁当を馬鹿にし、蹴って駄目にする」と書いてある。
「お嬢様!食べ物を粗末にするなんて、いくらお嬢様でも見過ごせません!」
幼い頃、ひもじい思いをしてきたアシャが声を荒げた。
何があっても食べ物は粗末にする事だけは、たとえ主人でも許せないのだ。
「大丈夫よ、無駄にするなんて私も嫌だわ。だから馬鹿にするだけに留めておくわ」
アシャをたしなめ、カトリーナが笑ってみせる。
まぁそう言うなら……とアシャは協力してくれるようだ。
「さぁ、明日のお昼。いつも中庭で食べてるシエラを馬鹿にするわよーー!」
「えいっえいっおーー!」
何とも、悪役令嬢らしくない叫びである。
本来はもう少しドロドロとした感情で無いといけないのだが。
この場にそれを指摘できる人物はいなかった。
学園の中庭。
「緑を愛でる会」で植えた花々が綺麗に咲いている。
今の季節は春に植えたインパチェンスが、華やかな花弁を開き、中庭を彩っている。
ベンチに座り、家から持って来ている弁当を食べているシエラを発見したカトリーナが駆け寄って話しかける。
犬の様に駆け寄る姿は悪役令嬢に全く見えない。
低木の裏に隠れて見ているアシャもカトリーナの素振りを見て、あちゃぁと頭を抱えている。
「あら、あなたの弁当。大変みすぼらしいのね」
近づいたカトリーナがシエラに冷たく言い放つ。
練習した通り出来た!とカトリーナは心の中でガッツポーズ。
一方、シエラはカトリーナの顔と自分の弁当に視線を一周させて、ああっと何か思いついた様に話し始めた。
「もしかして、食べたいですか?良ければどうぞ♪」
(遠回しにおねだりしたと思われてるーー!?)
無垢な笑顔を浮かべながら、弁当をカトリーナに差し出すシエラ。
思わず後退るカトリーナを見て首を傾げている。
「べ、別にわたくしはお昼持ってますし、いいですわっ!」
純粋な瞳を向けられ、これ以上悪役の顔ができなくなったカトリーナは逃げ出した。
遠くから遠慮しなくて良いんですよ〜と声が聞こえてくるが、シエラから溢れ出す善意のオーラで居た堪れないカトリーナは無視して走り続けた。
「無垢って怖いわ」
学業を終え、家に帰ってきたカトリーナは青ざめた顔で言った。
作戦を見事に潰され気力を失いテーブルに突っ伏している。
「お嬢様〜お紅茶が置けません〜」
アシャは落ち込んでいるカトリーナに気を遣うつもりは毛頭無いらしく、どかしてくれと腕を突いている。
渋々カトリーナが顔をあげると、メイド持ち前の機敏さで紅茶やらお茶菓子やらを置き、クロスを直し、そのまま部屋を出てい……
「ちょっと、待ちなさい」
「……あっバレましたか」
慌てて引き止めたカトリーナの声にアシャが振り返り笑いながら舌を出す。仕事は出来るのにどこかメイドらしくないのはこういう行為のせいだろう。
「バレましたかじゃないわよ、次の作戦練るわよ」
「えぇ、私もですかぁ」
悪態をつきつつも、カトリーナの共に過ごせる時間だという事と、珍しくやる気なカトリーナを見て微笑ましく思った事で、自分の分の紅茶を注ぎ、向かいの席に座る。
「礼儀作法のお稽古をアシャにつけるべきかしら……」
「ん?何か言いましたか?」
「いえ、何も」
従者の作法に青筋を浮かべながらも、カトリーナは作戦について話始めた。
「次の作戦は題して「シエラを馬鹿にしている様子を攻略対象に見せびらかすぞ作戦」よ」
「そのまんまですけど作戦名要ります??」
「……そういうのは気分が上がればいいのよ!」
意気揚々とカトリーナがノートを指さす。
そこには作戦の手順が書かれていた。
1、シエラと攻略対象が一緒にいるタイミングに突撃する。
2、シエラを馬鹿にして攻略対象がイライラ。
3、破滅ーー!
「明日はダンテとシエラが一緒にお昼を食べる日だから、ダンテを狙おうと思うのよ」
「ダンテさんはシエラさんと同じ平民ですしね、馬鹿にされているのを見たらお怒りになるかもしれませんね」
「そうよ!その通りよ!うーん、完璧な作戦ね」
満足気にマカロンを頬張るカトリーナ。
一方、アシャには一つ疑問が浮かんでいた。
「お嬢様、一ついいでしょうか?」
「ん?何かしら」
「ダンテさんはあくまで平民。ダンテさんに嫌われても婚約破棄にはならないのでは……?」
キュルスやジェフとは違い、家系も個人も力を持たないダンテが怒りを募らせても婚約破棄にはならないだろう。
ただの平民の戯言だ。と掻き消されるオチが見える。
「確かに……そっ、それでも嫌われておけば婚約破棄の時、切り捨ててくれたりプラスになるんじゃないかしら?」
「さすがっ!お嬢様はそこまで考えていたんですね!」
アシャの尊敬の眼差しに「実は気づいてなかった」とは言いづらくなったカトリーナは誤魔化しておく事にした。
「さぁ、いよいよね」
昨日と同じ中庭でシエラとダンテを待ち伏せる。
カトリーナが今か今かと待っていると、角から二人が姿を見せた。
二人の周りだけ華やかに見える程、お似合いで仲睦まじげに談笑しながら歩いている。
変な貴族より全然美しい二人にカトリーナは思わず目を奪われていた。
ハッと作戦の事を思い出したカトリーナが慌てて二人に近寄る。
(もっと堂々と歩いて行けって言えば良かったなぁ……)
今日もまた低木裏から見守るアシャ。
相変わらず犬の様に駆けて行く姿を見て、溜息をついた。
二人の所についたカトリーナは、何回も練習したポーズをとり、準備している。
「あらっ今日もみすぼらしい弁当かしらっ、まぁ貧しい平民はこれだから嫌だわ」
精一杯、悪役顔を作りシエラに話しかける。それも、隣にいるダンテに思いっきり見せつけるように。
今度こそ上手く行った!そうカトリーナが確信した時だ。
「……ぶっ、わはははっ!」
「ちょっ、ま、何笑ってるのよ!」
突然、ダンテが怒るでも無く、怒鳴るでも無く、腹を抱えて笑い出したのだ。
その豹変ぶりを見たカトリーナは動揺を隠しきれずに、オロオロとダンテの周りを彷徨いている。
「カトリーナ様っ……それなんの真似ですかっふふっ」
何か劇でも見たんですか。と爆笑するダンテ。
またもや作戦を潰されたショックでカトリーナが硬直していると、シエラがダンテの肩を叩き、たしなめていた。
「いきなり爆笑するなんて失礼でしょ」
「いや、だって……面白すぎて……ふふっ」
シエラがダンテの背中を押し、無理矢理謝らせると、やっとカトリーナの硬直が解けた。
「ええ、大丈夫よ。気にしないで」
上の空だったカトリーナはいつもの癖でつい許容してしまった。
悪役令嬢ならここで激怒しなくては、理不尽で怒りっぽいのが悪役令嬢だというのに……。
そこに気づいたカトリーナが項垂れていると、目の前に何かが差し出された。
顔を上げて見ると、ギンガムチェックのランチョンマットがひかれたバスケットだった。
中からは何だか良い匂いがする。
「良かったら、食べて下さい!」
どうやらこれはお弁当らしい。
昨日の作戦は完全におねだりだと思われたらしく、何だか嬉しそうにシエラがバスケットを押し付けてくる。
「え、いやっ、シエラの分は……」
「私用にもう一つありますので!」
さっと片手に持っていたバスケットをカトリーナに見せ、にっと笑っている。
食べて下さい〜!という純粋な瞳に負けて、カトリーナは受け取ってしまった。
バスケットの柄を掴んだ瞬間、シエラの顔がぱあぁっと明るくなったのを見て、カトリーナは何か満足した気分で中庭のいつもの所に向かう二人を見送った。
「……って駄目じゃないのぉぉぉ!」
低木に隠れていたアシャの元にスキップで戻り、楽しげにバスケットを開いていたカトリーナは本来の目的を思い出し、また落胆している。
地面が抉れるんじゃないか。という程、地面を殴りつけ叫ぶ姿はまるで野獣だ。低木裏と人目につかない所で良かった。とアシャは心から安堵する。
「もう、諦めたらどうです?」
「諦める訳には行かないのよ!……って私のお弁当は!?」
「あっ、食べておきましたーー!」
二つの空の容器をカトリーナに見せるように持ち上げて、アシャが自慢気に笑っている。
今日はシエラから貰った弁当を食べようと思っていたから、いいのだが……いいのだが主人に許可を取らないというのはどうなのだろうか。
睨まれたアシャがあたふたと慌てているのを横目にカトリーナは今度こそバスケットを開いた。
中には色とりどりのサンドイッチにナポリタン、サラダが入っていた。
上に乗っていた小さなメモには「美味しいと思って頂けたら嬉しいです」と綺麗な字で書いてある。
シエラの心遣いに手を合わせながらカトリーナは弁当に手をつけた。
「……美味しい」
弁当の味は、いつも何故かシェフに任せず弁当を作っているアシャの物より劣るのだろうが、いつもの弁当とは違う美味しさがそこにはあった。
素朴で、少し不慣れだけど暖かい味。カトリーナは昼休みを十分に使い、味わった。
午前の授業も終わり、太陽が上に登りきった頃。
春とは大きく変わり緑色となった桜の木の下に三人の人影があった。
「あら、今日も美味しいわね」
「うふふ、そう言って貰えると嬉しいです。また明日も作ってきますね」
「なんかすっかり仲良くって感じすっね、最初はみすぼらしいとか言ってたのに……ふふっ」
「……い、いつまでそれを引きずるんですの!」
仲睦まじく昼食を味わう三人。
あの日から一週間たった今日も、彼女が作ってきたお弁当を食べる。
昼の暖かい空気が流れる時間、このひと時は確かに大切な物だった。
「なぁに、仲良くしちゃってるんですか」
昼休みも終わり、教室に戻るタイミングでカトリーナは背筋に冷たい視線を感じた。
恐る恐る背後を振り返るとそこには良く知るメイドの顔が。
「誰ですか?悪役令嬢になるって言ったのは」
「ワタシデス」
「諦めないって言ったのは?」
「……ワ、ワタシデス」
「じゃあさっきのはなんなんですか?」
「……」
「私、もう手伝わなくて良いですね?」
「ちょっ、ちょっと待って!ストップ!」
スタスタと歩き去って行こうとするアシャをカトリーナが必死に引き止める。
どっちが主人なのか、もう分からない状況だ。
「……ま、まだ破滅は諦めたくないの」
「じゃあお昼のピクニックはやめますか」
「ちょっ、そ、それは……」
曖昧な顔をするカトリーナにアシャは溜息をつきながらも、顔はいつも通りの優しい顔に戻っていた。
「じゃあ、お昼のピクニックはそのままに破滅できるように作戦、立てましょうか」
「……えっ!本当に!?アシャ、ありがとうーー!」
抱きついてくるカトリーナを見ながら、やっぱり可愛い主人の頼みは断れないんだな。とアシャは実感した。
「さて、作戦会議を始めるわよ」
いつも通りカトリーナの部屋での作戦会議。
もうカトリーナは自分の従者が断りもせず座っている事に対しては突っ込まない事にした。
「みんなに嫌われて破滅って言う線は消えてしまいましたけど、これからどうするんです?」
首を傾げるアシャを見てカトリーナは「ふっふっふっ……」と笑みをこぼした。何も考えずに一週間を過ごした訳じゃないのだ。
「キュルス様の好きな方を見つけるのよ」
「…………ブッ」
アシャは思わず紅茶を吹き出した。
キュルスが恋する相手は一人しかいない事を知っているアシャからすると本当に無謀な作戦にしか聞こえない。
「いきなり吹き出すだなんて下品よ。どう?良い案だと思うのだけど」
ゲーム内でもキュルスはシエラに恋をしている。
でも正直今はキュルスが誰に恋してようと構わない。
シエラだろうと、どっかの男爵令嬢だろうとキュルスが好きなら何でもいいのだ。
そして、好きな人との恋をサポートし、いらなくなった私は適当に理由をつけて婚約破棄されれば完璧!との事。
(ピクニックの件もあるし、ちょっと意地悪しちゃおっかな)
アシャが従者らしからぬ事を考えているとは露知らず、カトリーナはアシャに瞳を向けている。
「い、いいと思いますよ」
アシャは精一杯、「真摯に考える従者」の顔を作り、賛同した。
作戦は上手くいかないだろうなぁと思っていたが、ちょっとしたお遊びだ。
「そう思うわよねっ、よし、頑張るぞーー!」
席を立ち、両手を上に突き出しながら叫ぶカトリーナを見ながら、アシャは必死に笑いを堪えていた。
ジェフ・エドワーズは第一王子キュルス・アヴニールの学園内の護衛だ。
学園の雰囲気を壊すような護衛は連れ歩きたく無い。という王子の意思により、同い年で実力もあるジェフが選ばれたらしい。
いつも王子の後ろを歩き、護る姿に惚れる令嬢もしばしば……、
「そんなジェフが王子の元を離れていいのかしら……」
「お前が呼んだんだろ……」
校舎裏、人目の付かない所に呼ばれたジェフは自分で呼んだというのに、此方の仕事の心配をしているカトリーナを見て頭を掻いた。
一体、こんな所に呼んで何の用だろうか。
「んで、話って何だ?忙しいから早めに頼む」
「そうね、話っていうのはね、王子の好きな人を見つけて欲しいの」
「…………ん?」
ゴミ出ししておいて〜と言う位の軽さで自分の婚約者の恋人探しを頼んできたカトリーナ。
また意味の分からない事を言い始めた。と遠い目をしているジェフを見てカトリーナが慌てて説明を付け加える。
「い、いや浮気調査って訳じゃないのよ?キュルス様に学園に通っている間だけでも恋愛をサポートしてあげられたらなぁって」
「いやお前は良いのかよ、そんな事して」
「ぜんっぜん構わないわ!」
爛々とした瞳で見つめてくるカトリーナ。
なんで婚約者の浮気をここまで支援しているのか。ジェフの疑いは更に深まっていった。
「お前、好きな男でも出来た?」
「はへ?なんでそんな話になるのよ」
ジェフは婚約者の浮気支援なんて、自分も浮気する為位しかないだろう。と思ったがどうやら外れのようだ。
昔からカトリーナは嘘をつくと変顔になる癖がある。
幼馴染のジェフにとっては、それ位見分けるのは簡単だった。
「まぁ、とりあえず探ってきてやるよ」
「おっ、いいのね!では宜しく頼もうーー!」
話は終わったからとカトリーナはそそくさと走って去っていく。
幼い頃から変わっていない、嵐の様な奴だ。とジェフは小さく笑う。
森で迷子になった時も親からの言い付けを守らずに、一人で森に入ったせいだったはずだ。
時々振り返り、手を振るカトリーナを見送りながら、暫くジェフは懐かしさに浸っていた。
「で、ジェフさんに頼んだんです?」
「ええ、そうよ」
夕食後、またいつもの場所で紅茶と共に会議が始まった。
ジェフなら安心ね。と胸を張るカトリーナを横目に、アシャは頭を抱えていた。
(ジェフさんは恋愛経験0……絶対、王子に直球で聞きますね)
ジェフは昔から訓練しか頭に無い脳筋兵士なのだ。
自然と目で追っている人を探す〜だとか、そんな周りくどい事はせず、絶対直球で聞くだろう。
それでは意味が無い。直球で聞かれれば王子はいくらでも誤魔化せてしまうのだ。
まぁ誤魔化そうとも、本音でも、カトリーナ様と答えるだろうが……それじゃあ、この作戦はボツだ。
性格の悪いメイドはお遊びが終わる事に対して頭を抱えていたのである。
一方、その頃王城にて。
夕食も終え、キュルスが食後の紅茶を楽しんでいた所、部屋を訪ねる者が現れた。
「おっ、ジェフか。何か用か?」
扉へと振り返り、手を振るキュルス。
月明かりに照らされ浮かび出たその姿は、それだけでも絵になる。
「……ちょっと聞きたい事があってだな」
紅茶を嗜むキュルスに近づくジェフ。
二人きりの時間だけ、彼らは主人と従者ではなく幼馴染に戻る。
向かいの席を勧められ、座ったジェフは尋ねた。
「なぁ、好きな奴って誰かいるのか?」
「……ブッ。あのジェフが恋バナかーー?」
昔から色恋話には専ら興味の無かった幼馴染が、突然好きな奴を聞いてくるときた。
彼の仏頂面に隠れた天然具合は、良く知っているとはいえ、キュルスは笑いを堪えるのに必死だった。
「腹抱えてどうしたんだ?腹痛か?」
「いいや、てかそっちこそいきなりどうしたんだよ……」
ジェフは一瞬、カトリーナに頼まれて。と答えようとして止まった。
自分の婚約者が相手の好きな人を探っているだなんて、あまり広めない方が良い、それも相手がご本人なら尚更だ。と思ったのだ。
昔からこういう所は気配りできる所が、多くの人に信用される所以だろう。
「ま、まぁ、ち、ちょっと気になってな」
嘘をついたり、誤魔化すのは大変苦手だが。
何やら汗をかきながら、珍しくその仏頂面を崩したジェフを見て、キュルスは何かを察した。
キュルスは悪い笑顔を浮かべ、勿体ぶるような素振りを見せて、ジェフに告げた。
「あの平民の出の……シエラって知っているか?」
「あぁ、知っているぞ」
「最近目で追ってしまうのはその人位だろうか……これが恋かは分からないけどな」
月明かりが紅潮した頬を映し出す。
なんとも言えない雰囲気になったのと、任務を終えたジェフは、そそくさと退場しようとする。
「ちょっと待て……お前の好きな奴を聞いてないぞ?」
「……へ?」
その後、俺は訓練一筋なんで。と言った途端、キュルスが納得して直ぐに解放された事に対して、ジェフが曖昧な感情を抱いたのは別の話。
「んな訳で、キュルス様の好きな方はシエラさんだ」
再び校舎裏。
鬱蒼とした空間には似合わない二人が、また秘密裏の報告会を執り行っている。
ゲームと一緒だーー!と何やら意味の分からない事を叫びながら、騒ぐカトリーナに顔をしかめていると、ジェフに再び災難が降り掛かる。
「じゃあ一緒に二人をくっつけましょう!」
「……一緒に?」
「そうよ、ジェフも一緒よ?」
一度乗った船は途中下船出来ないわよ〜と悪い顔で距離を縮めてくるカトリーナを見ながら、また面倒事に巻き込まれた。とジェフは先を思いやるのだった。
今日の作戦会議はディアス公爵家の庭園にて行われた。
そして、テーブルを囲む人影がいつもより一つ多い。
「成程、それでジェフ様も此方に」
アシャがカトリーナと二人きりの時は絶対見せないような立ち振る舞いだ。
まるでメイドのような動きだろう。
席に座るカトリーナの後ろに立ち、にこやかに振る舞う姿。このメイド、外面だけはいいのだ。
「それで、この二人をどうやってくっつけるんだ?」
破滅する為という話は伏せ、あくまでも校舎裏で伝えた事のみで会議を始める。
今日のノートには「シエラとキュルス様を幸せにする大作戦」と大きな字で書かれている。作戦名のセンスが絶望的なのは毎度の事だ。
カトリーナの背後ではアシャが必死で笑いを堪えている。
「まず、二人に接点を作ろうと思うの」
「ほう、接点か」
立場は王家と平民。今まで殆ど話した事の無い二人に、会話の場を設けようという訳だ。
しかし王家のキュルス様は多忙。平民とはいえシエラも暇では無いだろう。上手く都合が合うのか……?と頭を抱えるジェフを見て、カトリーナがふっふっふっ……と笑ってくる。
「私が何も実行しないまま、この作戦会議を迎えたと思って?」
「てことは、何か準備してあるのか」
「ええ!両者都合の合う日に庭園にて小さなお茶会を準備しているわ!」
胸を張りながら紅茶を嗜むカトリーナ。
珍しくしっかりとしている計画に、ジェフは心から安堵していた。
日時は三日後、ディアス公爵家の庭園にてお茶会を開くらしい。
招待している人はキュルス、ダンテ、シエラ、ジェフとホームパーティー程度の規模だ。
親しくない人を呼んで、シエラさんとキュルス様の間によからぬ噂話をたてられても面倒じゃないですか?というアシャの提案で決まったのだが、本当は準備が面倒だからという理由なのは誰も知らないのだ。
「という訳で、お茶会の日時が決まったわよ」
中庭の桜の木の下。
いつも通り共に昼食をとっていた頃、カトリーナが何やら紙を取り出した。
それは花模様のカード。
そこにはお茶会の開催日時と、良ければ来て下さいとの趣旨が書かれている。
「こ、こんな招待状貰ったの初めてです……!」
「おおっ凄いすっね、これ」
貰った招待状を大事そうに眺めるシエラと、透かしたら何か見えないかな〜と色々いじくっているダンテ。
喜んで貰えた様子を見て、カトリーナは満足気だ。
「こんな立派な招待状……やっぱり身分の高い方も来るんでしょうか?」
シエラが不安気に尋ねる。
貴族達のお茶会なんて参加した事があるはずもなく、着ていく服も無い。
「他はただの幼馴染を招くだけだから大丈夫よ」
別に学園の制服とかで良いんじゃないかしら〜と笑うカトリーナを見て、シエラが安堵の息をつく。
その幼馴染が王子と騎士団長の息子とは露知らず……。
「ん?なんか模様が見えるっすね」
話そっちのけで、招待状を太陽の光に透かしていたダンテが声を上げる。
カトリーナが慌てて覗くと、何やら垂らしたような跡が見えた。
「そ、それは紙の繊維のせいじゃないかしら」
「おおっ高級な紙は凄いっすね!」
慌ててカトリーナは誤魔化した。
昨日書いている最中に紅茶を溢したが、予備の紙がなくダンテの分に回した。なんて口が裂けても言えない。
キュルスの方の招待状はジェフに任せているし、お茶会の料理やテーブルの準備はアシャに任せている。
準備も終わりに差し掛かり、無事に計画が進んでいる事にカトリーナは思わず微笑んだ。
「今日はお集まり頂きありがとうございます」
暖かい昼下がり、ディアス公爵家の庭園には周りの花に劣らぬ程の華が咲いていた。
紅茶を嗜みながら、微笑む姿は公爵家の令嬢として、相応しいだろう。そう、ここまでは。
「今日はお父様もいないし、思いっきり楽しみましょーー!」
紅茶のカップをビールのジョッキのように高く押し上げ、お茶菓子を頬張る姿は、先程の令嬢の面影を完全に消し去った。
幼馴染である二人は本性が出たな。と苦笑いしているが、シエラとダンテは自分達はどうするべきなのかと慌てふためいている。
「ほら二人ももっと楽にしていいのよ!」
「えぇ、気楽に楽しみましょう」
「あぁ、そうだな」
三人から笑いかけられるが、今自分達の前にいるのはこれからの国を担うであろう人物達……。
(ただの幼馴染って言ったじゃん……!!)
二人の心の叫びはカトリーナに届くはずもなく、沢山のお茶菓子を頬張っている。
満足気に紅茶を啜るカトリーナの腕を後ろにいたアシャが突いた。
何よ。と言いかけたカトリーナは腕を引かれアシャに連行されていく。
「ええっカトリーナ様!?」
慌てて席を立つシエラ。
硬直しているダンテに高身分の二人……気まず過ぎて、カトリーナが居なくなったら耐えられる気がしない。
そんなシエラの思いも儚く、カトリーナの姿は完全に見えなくなってしまった。
「あっ、私少しお花摘みに……」
流石に居づらくなったシエラはトイレに逃げる事にした。
カトリーナが戻ってくるまで時間を潰せば、なんとかなるだろう。
トイレの場所は分からないが……彷徨っていればきっと着く筈だ。
「お手洗いの場所まで案内しますよ。公爵家は広いですからね、迷ったら大変だ」
シエラが慌てて去ろうとすると、キュルスが手を取り爽やかスマイルを向けてくる。
流石、王子。シエラは断る暇も無くエスコートされてしまう。
「ハ、ハイ……」
向けられる、逃さないぞと言わんばかりの笑顔に、シエラはこう答えるしか無かった。
「なんでお茶会から退場させたか分かってます?」
一方、アシャとカトリーナ。
庭園の人目のつかない所まで連れられてきたカトリーナはアシャに睨まれ、たじろいている。
カトリーナには唯一心当たりがあった。
「テーブルマナー……とか?」
「それもそうですけど、また別に理由はありますっ」
唯一の心当たりを潰され、カトリーナがじゃあ何よ。と頭を捻っているとアシャが大きく溜息をつき話し始めた。
「お嬢様はキュルス様とシエラさんをくっつけたいんですよね?」
「ええ、そうよ。二人をくっつけて邪魔者の私は婚約破棄だわ」
「……それなのに、お嬢様が一番楽しんじゃってますよね?」
一層、顔を険しくしているアシャ。
しかし、カトリーナはまだ分かっていないらしい。楽しんで悪いのかしら?と唸っている。
「自分だけ楽しまずに、二人を楽しませなさいって話です!」
「……な、なるほど」
本気で気づいてなかったカトリーナは、アシャに言われた途端、電撃が走ったかのように硬直した。
これから取り返せるかしらぁ……と泣き叫ぶカトリーナの顔をあげさせ、アシャはにっと笑う。
「お嬢様、良い案があります」
「な、なによアシャ」
「二人きりの時間を作れば良いのです……!」
紅茶をアクシデントで溢すなりして、シエラとキュルスを席から立たせ、お屋敷に入れる。
そしてアシャが布巾をとって来ると言って席を外せば、二人きりに!
二人になれば自然とお互いを意識するだろう。という作戦だ。
キュルスとシエラの席は隣同士にしてある為、アクシデントで二人とも連れて行く事は可能である。
「よし、それでいきましょ!でも温かい紅茶は火傷するから駄目よ」
「大丈夫です!アイスティーをぶちまきます!」
手を組み笑い合う二人。
一国の王子と客人に紅茶をぶちまける事に対して、何も思わないのは勇敢なのか、はたまた阿呆なのか……。
アシャは紅茶を淹れてくるという事で、カトリーナが一人でお茶会の会場まで戻っている時だ。
……ガサッ。
何か人が動いた音がした。
幼い時隠れんぼの鬼のプロだったカトリーナにとって、気配を察知する事はお安い御用である。
庭師さんでも来ているのかしら……とカトリーナが気配の方へと近づくと、そこに立っていたのはシエラとキュルスの二人。
予想外の急展開に慌ててカトリーナは、庭園の庭木に身を隠す。
こっそり後ろから覗いていると、キュルスがシエラに顔を近づけ……
(キ、キスーー!?)
そうキスしていたのだ。
キュルスの背によってカトリーナ側からは良く見えないが、恋愛経験0のカトリーナが見ても、それはキスだった。
熱く抱擁し合うその姿に、カトリーナは必死に頭を回転させた。
(急展開過ぎるでしょ……いや、元々二人は関係があったとか!?)
急展開に追いつけない頭で色々考えていると、抱擁を終えた二人が此方へと歩いて来た。
覗き見がバレたらマズいと、慌ててカトリーナはお茶会の会場へ駆け足で戻った。
「なんかもう、くっついちゃってるわ!」
お茶会も終えて、カトリーナの私室。
アシャはいつもの顔に戻り、また会議が始まった。
お茶会が終わってからずっと、わいわいカトリーナが騒いでいる。
上手く二人がくっついた事に満足らしい。
そんなカトリーナを見て、アシャは溜息をついた。
正直、アシャはシエラとキュルスの関係に違和感を抱いていた。
アシャはキュルス様はカトリーナを恋慕していると思っていたのだ。多分、好きな人はシエラ。というのもカトリーナをからかいたいだけかと思っていた。
しかし接吻までしたとなれば話は変わる。からかうにしてはやり過ぎだ。実際、婚約者のカトリーナとすらしている所を見た事が無い。
それだとカトリーナに対しては恋愛感情を抱いていない事になるのでは……と。
「本当に、見たんですか?」
「見たわよっ、バッチリこの目で!」
爛々と目を輝かせて言うカトリーナ。
アシャは何かわがたまりを感じながらも、そのまま紅茶と共に飲み込んでしまった。
「本当にやるんですか、お嬢様……」
授業も終わり、人気の無い学園の図書室で、カトリーナは一人の人物を待っていた。
お茶会から一週間。たまに休み時間や放課後にキュルスとシエラが会っている事を確認したカトリーナは、キュルスを図書室に呼び出したのだ。
「当たり前でしょ、ここで恋を応援するわ婚約破棄しましょう。で私は見事破滅よーー!」
ガッツポーズをするカトリーナにアシャは溜息をつく。
本当にキュルスはカトリーナに恋愛感情は無いのか、一瞬の気の迷いでは無いのか、そう言いそうになるのをグッと堪えた。
静かな図書室に、扉の開いた音が響いた。
其方に振り返ると、キュルスとジェフが入って来ていた。
ジェフはそっとアシャに目配せし、二人は席を外す。
図書室の中にはカトリーナとキュルス、二人だけとなった。
空間に流れる沈黙を破ったのはカトリーナだった。
「キュルス様、今日はお話がございます」
「何だい?急にかしこまって」
笑って茶化そうとしたキュルスの手を掴み、カトリーナは視線を向ける。
いつもとは違う雰囲気に、キュルスも視線を合わせた。
「この前、シエラの、その、キスをしてる所を見ちゃったんです」
「……」
「別に咎めるつもりはないのよ……逆に恋を応援したいのよ」
スッと息を吸って、カトリーナは一番大切な部分を伝える。
「何かしら理由をつけて婚約破棄して構いません!だからシエラと結ばれて下さい!」
言い切った……!と言わんばかりの爽やかな顔のカトリーナ。
逆にキュルスは黙りこくってしまう。
いきなりキュルスは席を立った。怒りを買ったかとカトリーナが肝を冷やした時だ。
キュルスの顔がすぐ近くに来ていた。
夕陽に照らされ、いつも以上に美しい顔にカトリーナは少したじろぐ。
青い瞳に覗き込まれ、思わず目を閉じた時だ。
「……ん!?」
唇に何かがそっと触れた。柔らかく、温かい何か……。
顔にかかる吐息、自分の心臓の音。そんな些細な事まで気になってしまう。
慌ててカトリーナは身を引き、離れる。
分からない、分からなかった。
自分がキスされた理由が、避けられなかった理由が、そして自分が今紅潮している理由が。
「実はこれファーストキスなんだよね」
「……えっ?」
シエラとのは?と慌てるカトリーナを見て、キュルスはクスッと笑い、話を続けた。
「あれは手伝って貰って顔を近づけただけなんだよね〜」
「……えっじゃっシエラさんが好きって言うのは!?」
「あーあれ?作戦とか立ててるの知ってたから、嘘ついて意地悪しちゃった」
「えっじゃあ、私の作戦とかは……」
「従者に頼んで調査しちゃったよ。婚約破棄だなんて認めないからね?」
笑いながら、カトリーナの手を取るキュルス。
どうやらキュルスの方が一枚上手だったようだ。
「キスだなんてするの、君だけだよカトリーナ」
目を逸らすカトリーナの顔に手を当て、目線を合わせるキュルス。
突然の告白に、カトリーナの顔が赤く染まっていく。
「……こ、こんなのズルイわよっ!」
手を離し、図書室から駆け去るカトリーナ。
……唇から離れないあの感触が、気になって仕方なかった。
赤い頬を必死で隠すように、顔を手で隠しながら必死で走った。
昼下がり、ディアス公爵家の庭園には一人の来客が。
「また、来たのね」
「婚約者だし、いいだろう?」
涼しい顔で紅茶を啜るキュルス。
明らかに最近、公爵家に来る頻度が高くなった気がする。
またメイドと悪巧みをしないように。だとか。
花が咲き誇る庭園に初夏の陽光が降り注ぐ、何とも温かい雰囲気の中、キュルスがカトリーナの手をそっと取ろうとした時だ。
「あら、お客様失礼しますねっ」
そう言いながらテーブルに乱雑にお茶菓子の皿が置かれる。
慌ててキュルスが手を引き、迫って来た人影に目を映すと、鬼の形相で一人のメイドが立っている。
(そういう事はお嬢様にはまだ早いんじゃないですかぁ?キュルス王子?)
(貴方はメイドとしての業務をしていれば良いのですよ?)
二人が目線同士で言い合いを始める。
これも最近の公爵家ではよく見られる光景だ。
「カトリーナ。今度二人でどこか出かけましょうか。此方の護衛をつけるのでメイドは要りませんけど」
「あら、お嬢様の身の周りを任されているので離れる事は無理ですよ?」
二人が本格的に言い合いを始めるが、カトリーナは自分がその話の中心だという事など露知らず、お茶菓子を頬張っている。
「メイドがいつまでも、ここにいて良いんでしょうか?」
そうキュルスが言った途端、屋敷の方からアシャを呼ぶ声が聞こえる。
キュルスが今度こそ二人きりの時間を楽しもうとした時だ。
「では皆さんでお楽しみを。メイドは引かせて貰いますね」
庭園の入り口から、アシャと入れ替わりにやって来たのは、シエラにジェフにダンテ……。
二人きりにはさせまいと、アシャが呼んでいたのだ。
「あら皆も来たのね!一緒にお茶しましょ!」
席を立ち手を振るカトリーナ。
キュルスはショックでその場に立ち尽くしている。
もう何度目だろうか、あのメイドに恋路を邪魔されたのは。
「キュルス様がお嬢様ルートに入れるのは、まだ先になりそうですね」
立ち尽くすキュルスの姿を見て、アシャが勝ち誇った笑みを浮かべていた事は誰も知らない。