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玉ねぎたっぷりハンバーグ

作者: 蒼木 遥か

 しょうもない会議だ。話し合いばかりしたって物事はほとんど進まない。そんなのわかりきったことではないか。そして、そんなふうにわかりきったことだと思うのに口にできない自分に苛つく。

会議が終わり、やり場のない愚痴ばかりを溜め込んで机に戻ると、パソコンの隅にメモが貼ってあった。目が文字を追っていると、向かいから部下の藤野が声をあげた。

「係長、会議中に奥さんから電話がありました。急ぎだけど、携帯に連絡つかないからって……」

 朝から昼までほったらかしていたスマホを確認すると、着信通知が五件、メールが六通。何かあったのかと思わず眉間にしわが寄る。そんな俺の顔を見て

「メモ、置いておきましたけど……」

と不安そうに言葉を続ける藤野に、了解という意を込めて軽く左手を上げて応じ、まずはメールから確認していく。

――仕事中にごめんね、急用です。困ったことになりました。メール見たら連絡ください。

――あまりよろしくないお知らせです。メール見たら連絡ください。

――でんわにでんわー! 仕事忙しいのかな。どうしよう。メールでも電話でも連絡ください。

 全てのメールに目を通す前に、頭の中で喜実子の今日の予定を確認する。たしか定期検診で病院に行く予定だったはずだ。どきどきと心拍数があがるのを感じながら

「ちょっと出てくるわ」

と藤野に声をかけて、外へ出た。



「喜実子」

 声をかけて病室に入ると、ベットに腰掛けた喜実子が泣きそうな顔を上げた。

「しゅうちゃん……」

「……切迫早産だって?」

「うん、しばらく入院だって」

 喜実子がお腹にそっと手をあて答える。

「そっか……」

「しゅうちゃん、今日、会社は?」

 メールを見て喜実子に連絡をとったあと、会社には時休を申請した。午前いっぱいかかった会議の議事録作成はメモとレコーダーを渡し、メモをそのまま叩いて体裁を整えるだけでそれらしくなるはずだから、と言って部下に託してきた。午後から休んだから問題ないと伝えると、喜実子は、きっと顔を上げて口を開いた。

「そういうわけで、今日から入院することになりますが、電話でも話したとおり問題がいくつかあります。まずは、みいちゃんのお迎え、そして来週末に迫ったみいちゃんの誕生日です」

 みいちゃんとは、来週末の誕生日で四歳になる愛娘の実乃梨のことだ。

「みいちゃんと、今年のお誕生日には家で美味しいご飯とケーキを食べて、お祝いしようねと約束しています」

 泣きそうだった顔はどこへやら、喜実子はすっかり母の顔をして話す。

「私の母にもしゅうちゃんのお義母さんにも事情を話したうえで予定を確認してみましたが、一日か二日、お迎えをお願いできるぐらいで、誕生日に応援にはこれないとのことです」

 俺はそんな頼もしい喜実子とは反対に、たりっと一筋、冷や汗が背中を流れ落ちるのを感じながら話を聞いていた。

「しゅうちゃん。私が入院している間のお迎えはもちろん、来週末の誕生日も、ひとりで、よろしくお願いします」

 家事するの何年ぶりだろう……。そう思って俺は気が遠くなりかけた。


 そのあとは怒涛だった。喜実子に家のことをあれやこれや確認して、会社へ電話で簡単に事情を説明したあと、実乃梨を保育園へお迎えに行き、家に帰ったら冷蔵庫の中を確認して、作りおきのおかずやら何やらでそれっぽく晩ごはんを用意。保育園を出るときから、ずっと「ママはーー?」と聞いてくる実乃梨と向かい合って「ママは、お腹の赤ちゃんと病院でお休みしている」と噛み砕いて説明し、それでも「ママ……」と涙目で呟き続ける実乃梨をなだめすかして、お風呂に入り、寝かしつけて、涙の筋をうっすら残して寝息をたてる実乃梨の顔を見て、思わず「はああああ」と深いため息が出てしまった。

 

 実乃梨は、かわいいかわいい愛娘だ。そう思っていっぱい愛情を注いできたつもりだ。今までだって、早く帰宅した日には一緒にお風呂に入ったり、休みの日には公園に遊びに行ったりしていたのに、それでもママがいないと涙目になってしまうのか……。がくっと項垂れる。確かに最近は仕事が忙しく帰宅は遅くなりがちで一緒にいる時間は減ってはいたが。やっぱりパパじゃ、駄目なのか……。

 今になってぐずぐず言ったってしょうがないとは思いつつ、俺も涙目になってしまいそうだった。

 寝室を出て、台所の流しにたまった皿を見て、俺はまたひとつため息をついた。



「……おはようごさいまぁす」

 次の日、朝起きてから家の中を右往左往し、慌ただしく支度をして実乃梨を保育園に送って出社すると、すでに体力が半分ぐらいになってしまった気がした。

「係長、おはようございます」

「おう、おはよう。昨日は悪かったな」

 欠伸を噛み殺して机に鞄を置くと、昨日議事録作成を頼んだ藤野が声をかけてきた。

「いえ、問題ありません。昨日の議事録できてます」

 差し出された議事録を礼を言って受け取り、ぱらぱらとページを捲る。メモを叩いただけでなくレコーダーの録音も文字に起こしたのだろう。内容を確認すると想像以上にしっかりとしたものになっていた。

「ちゃんと作ってもらって助かった。あまり中身なかっただろ、手間かけて悪いな。ありがとうな……」

と苦笑いして言ったところで、何かがひっかかった。

「……係長? 何か不備ありました?」

 ふと考えてこんでしまった俺に藤野が再び声をかけてきた。

「……そうなんだよ、中身のない会議なんだよな」

 中身のない会議で時間をとられ、そんな会議の議事録作成でまた時間をとられる。喜実子が入院している間はどうしても仕事は少し抑えるしかないだろう。そんな中で果たしてこのような仕事は必要なのか……。

「藤野、決めたぞ」

 急に名を呼ばれて、藤野がきょとんとした顔をする。

「決めた。こんな会議は、できるだけやらないで済むように提案する。やむを得ずやることになっても、さっさと終わらせられるように、俺は声をあげる」

 俺がそう言うと藤野は何回か瞬きをしたあと、へにゃと笑みを浮かべ

「議事録を作りながら、この会議、中身ないな、必要なのかなと僕も思ってました。奥さんが入院している間は大変でしょうけど、僕もお手伝いします。僕にできることは何でも言ってください」

と言った。良い部下を持った。そんな藤野に俺も笑顔で

「しばらく迷惑かけると思うけど、その分業務効率化を図っていくから、よろしくな。頼りにしてる」

と返した。



 今日は喜実子に着替えなどを渡すために午前中は時休をとっていた。実乃梨を保育園に送ったあと、その足で病院に向かう。

 病院へ向かいながら、昨日の出来事を思い出して泣きそうになる。早く喜実子に話を聞いてもらいたくて、しょうがない。

 そして、喜実子の病室につくと、用事もそこそこに昨日の顛末を話した。


 昨日の朝のことだ。実乃梨に「誕生日、何食べたい?」と聞いたら「ママのハンバーグがいい」と言われた。ここでもママかと心の中で涙を流しながら、笑顔で「よし、ハンバーグな」と答えた。

 ハンバーグなら作れるぞと、一人暮らしをしていたころのレシピ集を頭の中で引っ張り出す。挽き肉を用意して、混ぜるものを用意して、混ぜ合わせて、丸めて、フライパンで焼けばいい。ただ、希望は「ママの」ハンバーグだから、念のためインターネットでレシピを調べてから作ろう。

 簡単に考えて、レシピを調べてみれば、ちゃんと作ろうとすると思ったより難しそうだった。よし、本番前に試作だ、晩ごはんはハンバーグにしようと決意した。

 帰り道に材料を買い込み、試行錯誤しながらハンバーグを作り、我ながらなかなかの出来ではないかと意気揚々と晩ごはんに出した。「誕生日のごはんの練習!」と言って。


「それで、ハンバーグを一口食べて、実乃梨はなんて言ったと思う?」

 話しているうちに、やっぱり泣きそうになる。俺は今、そうとう情けない顔をしているに違いない。喜実子は面白そうに微笑んでいる。

「んーー? 『おいしい』とは言ってもらえなかったのよね? 何だろう」

「『ママのハンバーグとちがうねぇ……』って……」

 言った瞬間、喜実子はぷっと噴き出して笑い出した。

「ママのハンバーグと違うって……、そりゃ違うかもしれないけど、もう言葉を失ったよ……。『やっぱりママなのか』って。パパだって、みいちゃんのこと大好きなのに、なんだよこの永遠の片思い……」

 自分でも支離滅裂なことを言っている気がするが言い出したら止まらない。喜実子はまだ笑い続けている。

「まだ昨日はさ、ママって言う回数は減ったけど、一日目とか俺が『ママ帰ってきて!』って言いそうなくらい、ママ、ママ、ママだったよ。パパいるのに! てか、喜実子、笑いすぎだろ!」

 喜実子は目尻にたまった涙を拭いながら

「あーー、面白い……。あまり笑うとお腹が……」

とまだくすくす笑っている。

 喜実子のお腹に手をあて

「ママもお姉ちゃんもパパをいじめるんだぞ。ひどいよなぁ。早くお前がパパの味方になってくれーー」

と呼びかける。

「ふふふ、ごめんごめん。パパもみいちゃんもかわいくって。あれだね、これからは『パパ、パパ』って言ってもらえるように、みいちゃんともっと濃い時間を過ごさないとね」

「善処します……」

「ハンバーグの作り方は私に聞いてくれたら良かったのに」

「パパだってかっこいいところ見せたいんだよ」

 また、ふふふと笑った喜実子に頼まれて紙とペンを用意する。

「私がハンバーグを作るときはね……」

 喜実子はそう言うと、実乃梨がいうところの「ママのハンバーグ」の作り方を紙に書いていった。



 喜実子が入院して数日が過ぎた。日中は会社で「仕事の断捨離」と言って、ざくざくと業務効率化を提案し、必要最低限のことをさくさくとこなし、藤野をはじめ同僚たちの協力も得て定時で帰る。

 夕方からは実乃梨と一緒に過ごして、夜は一緒に布団へ入る。これだけ一緒に過ごすのは久しぶり、いやもしかしたら、初めてかもしれないと思う。喜実子が今まで実乃梨とこういうふうに過ごした時間を思えば、たしかに「パパよりママ」となるのかもしれない。

 今回の喜実子の入院で実乃梨の中の「パパ」の割合が少しでも増えればいい。そう思いながら、実乃梨の寝顔をそっと撫でた。

 そして、実乃梨の誕生日当日。準備は万端だった。予約していたケーキも受け取り、喜実子のアドバイスをもとに実乃梨の好物もいくつか用意した。あとは、メインディッシュの「ママのハンバーグ」だ。

――私がハンバーグを作るときはね、結構手抜きをしてるの。

 そう言いながら喜実子が書いたレシピ通りに料理をする。

――玉ねぎのみじん切りはしんどいから、みじんにしない。ざっくり細かく。

――飴色になるまで炒めるなんて大変だから、玉ねぎはそのままタネに入れる。

 改めて喜実子のレシピを確認ながら、たしかに結構手抜きをしてるなと思う。試作で作ったときは泣きながら玉ねぎをみじん切りにしたし、いつまでも色の変わらない玉ねぎにイライラしながら格闘した。

――私が玉ねぎの食感が好きなので玉ねぎは多目に入れます。

――しかし、生だと困るので最後に玉ねぎ入りのデミソースで煮込んで、煮込みハンバーグに!

 基本の部分は試作したときのレシピと同じだが、玉ねぎの食感・量と煮込みの有無という違いがあれば、たしかに「ママのハンバーグとちがう」だろう。今回は喜実子のレシピだ。実乃梨に美味しいと言ってもらいたい。誕生日に美味しいパパのハンバーグの思い出を残したい。

 レシピ通りに煮込んだハンバーグを皿に移し、味見用にひとつだけ小さめに作ったハンバーグを恐る恐る食べてみる。口に入れて、一回、二回と噛むうちに「ああ、喜実子のハンバーグだ」と思った。このハンバーグ、食べたことがある。そう思ってから、じわじわと喜びが込み上げてきた。成功だ。

 小躍りしそうなのを我慢し、ほかのおかずやケーキもテーブルに並べ、リビングで待っていた実乃梨に

「みいちゃん、できたよーー」

と声をかけた。

 ちょこんと椅子に腰掛けたお姫様に誕生日のプレゼントを渡し、ケーキのろうそくに火をつけ、灯りを消す。

 暗闇にゆらゆらと浮かび上がった炎に実乃梨が「わぁ」と感嘆の声をあげる。

「みいちゃん、ふぅーーってして、ろうそくの火を消してみて」

「ふぅーー?」

「そう、ふぅーーって、息を吹き掛けるの」

 去年はろうそくをつけなかったので、今年が初めての「ふぅーー」だ。カメラで録画しながら見守るが、まだ火を消せるだけの息を吹き掛けるのは難しいようだ。「ふぅーー」と声を出すだけだったり、息を吹き掛けられても量が少なかったりしてなかなか消せない。

「よし、みいちゃん、パパと一緒にふぅーーってやろう」

 せーのと声をかけて一緒に息を吹き掛ける。火が一瞬強く揺れたあとに、ぱっと消えたのを見て実乃梨が

「きゃあ! きえた! すごい!」

と興奮した声をあげた。

 ぱちんと灯りをつけたあと

「みいちゃん、お誕生日おめでとう。何歳になりましたか?」

と聞くと、実乃梨は得意げな顔をして指を四本立て

「よんさい!」

と答えた。かわいいなあ。ついこの前まで赤ん坊だと思っていたのに、もう四歳で、こんなに話せるようになって、大人と同じような食事をとることもできる。

 感慨に耽りそうになるのをぐっとこらえ、よしご飯食べるぞと言うと俺も椅子に座り、実乃梨と

「いただきます!」

と声を揃えた。

 まずは、ハンバーグを食べてもらいたい。再びカメラを構えて実乃梨に

「みいちゃん、ハンバーグ。今度はママに作りかたを教わったから食べてみて」

と言った。

 実乃梨は

「はぁい」

と言って、小さく切り分けたハンバーグのひとつにフォークを刺す。あーんと小さな口を大きく開けてぱくっと頬張る。もぐもぐと咀嚼し、飲み込むと、実乃梨はぱっと笑顔で顔を上げた。

「ママのハンバーグだ!」

 俺は心の中でガッツポーズをした。

 そして、聞く。

「みいちゃん、おいしい?」

「うん、おいしい!」

 再び心の中で大きくガッツポーズをして、俺は実乃梨にある提案をした。

「ねぇ、みいちゃん。今日はパパがハンバーグ作ったから、今度からは『ママのハンバーグ』っていうの止めない?」

「んー? じゃあ、なにハンバーグ?」

 ただのハンバーグじゃ駄目なのか。

 パパの、と言ったら喜実子に怒られそうだ。

「そうだなぁ……」

 少し考えて、はっとひらめいた。

「そうだ。『玉ねぎたっぷりハンバーグ』は?」

「たまねぎーー?」

「そう。ママのハンバーグは玉ねぎがたくさん入っているから」

「たまねぎ、たっぷり、ハンバーグ!」

 笑顔でそう言った実乃梨を見て、俺も笑顔になる。

「みいちゃん、玉ねぎたっぷりハンバーグ、おいしい?」

「おいしい!」

 そう言った実乃梨の飛びっきりの笑顔とハンバーグを写真に撮って、喜実子にメールで送る。


――ママのハンバーグ、改め、玉ねぎたっぷりハンバーグとなりました。そして、みいちゃんから笑顔で「おいしい」をいただきました!


――みいちゃんの笑顔と、美味しそうな玉ねぎたっぷりハンバーグ。しっかりいただきました。ありがとう。ごちそうさまでした。


2017年11月23日(木祝)文学フリマ東京にて初頒布

 ごはん小説アンソロジー「今日のごはんは?」

主催 いちか様

アンソロHP: gohanthology.hope8.net

Twitter: https://twitter.com/_gohanthology



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