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1話 事件の始まり

「──お客さん、着きましたよ。何やら騒がしいようですが」

 

 いつの間にかタクシーの中で眠ってしまっていたのだろう。市内の渋滞に巻き込まれ、ひと眠りできるくらい時間がかかってしまっていた。隣で鼾を掻いているシャーロックをたたき起こし、ワトスンは馴染みのタクシー運転手には運賃と口止め料兼チップを渡した。ここは恐らくロンドン市内から少し離れた邸宅。隣で伸びをしている詐欺師のシャーロックではなく、本物の現代のシャーロック・ホームズである"D"との会食へ来たはずなのだが。


「なんでヤードがこんなところに?」


 "D"の所有物と思われる邸宅の前には数台のパトカーが青色灯を回したまま止まっていた。入り口に青い立ち入り禁止のテープが張られている。そのテープの前で野次馬に紛れながら中の様子を覗っていると、奥のほうから見知ったの警官がこちらに重たい体を揺らしながら駆け寄ってきた。


「おい、レストレイド。なにがあった」


 先ほどまで呑気な顔をしていたシャーロックが、人前に出るときの詐欺師、もとい探偵の顔ではなくやや感情を露わにした表情をしているのが珍しく、ワトスンは後手に回ってしまう。襟元を掴みかかられたレストレイド警部は何事かと一瞬ひるみながらも、いつもの朗らかな表情に戻り、手に持った食べかけのドーナッツを一息に、まるで深呼吸でもするかのように口へ放りこむ。


「なにって、死体ですよ。自分が相談に行く前に来ちゃうなんて、お二人とも相変わらず鼻が利きますねえ」


 二人の元に事件を運んでくるのは、いつもこのレストレイド警部であった。所謂、合衆国の映画に出てくるテンプレートな警官と言ったら、大衆もイメージしやすいことだろう。大きなおなかにドーナッツを持つ姿。その大きな体は、多くの警官がいる事件現場でもすぐに見つけられるほど、彼のチャームポイントだ。そんな彼と、野次馬の真ん中でそんな会話をすると、嫌でも群衆の興味関心はこちらへ移ってしまうことは、目に見えている。とりあえずなかへ、と彼に促されるまま、不可侵のテープを超えた先で、二人は思いがけない出会いをすることとなった。


「数時間前に通報がありましてね。屋敷の主人の急死ということで、ヤードのほうへ通報が来たというわけです」


 レストレイドのはなしを聞きながら、二人は導かれるままに長い廊下を進む。廊下にはいくつか絵画が飾られていて、夜中に一人で明かりもなしにここを歩けと言われると、それなりに歳を重ねた大人も少しためらうことだろう。ワトスンは、隣を歩くシャーロックに目を向ける。屋敷に入る前からそうだったが、やはり落ち着きがない。この廊下にも勝るとも劣らないほど、ワトスンの目には不気味に映った。周りをキョロキョロとしている上に、いつもより顔に赤みが強い。明らかなストレス症状が出現していることは明らかだ。


「おい、シャーロック。いつもの仮面はどうした。レストレイドが鈍感だからいいものの、今のおまえは誰が見ても様子がおかしいぞ」


 レストレイドに聞こえないように、ワトスンは隣の不審者へ耳打ちをした。が、その心配もむなしく、ギロリと一瞥されたのみで返答はない。これ以上何かを言っても、意味がないと判断し、ワトスンは口を閉ざした。長い廊下を抜け、少し広めの書斎へと案内された。天井まで届く本棚には、世界各国の文字で書かれた分厚い本が所狭しと詰め込まれている。たくさんの本に囲まれた部屋の中央には、被害者であろう白く長い髭と髪を蓄えた老人が、大きくどっしりとした書斎机に突っ伏している。それを見つけた瞬間、シャーロックの感情が決壊した。


「ああ、やっぱりだ! ドイル、嘘だといってくれよ、なあ!」

「あー、シャーロックが叫んでいる通り、この人はジョン・ドイル。人気小説家で、ペンネームは、ジョナサン・ドール。本を読む人間なら、一度は聞いたことがある名前だろう。ところで、シャーロックはこの人の親族か何かか? さっきから尋常じゃなく泣き叫んでるが」


 レストレイドが被害者の概要を述べている間も、シャーロックは動揺を隠すことなく叫き散らしている。確かにその様子は肉親が急死を遂げた家族のようにも映った。


「いや、私たちは今日この人と食事をするためにここに来たんだ。詳しくは知らないが、シャーロックはかなり彼と親しかったらしい。そのせいだろう、見ての通りかなり気が動転しているみたいだ。変なことを口走っても許してやってほしい」


 こんな素晴らしいフォローをしてやったのだ。今度大きなステーキのついたサンデーランチでもおごってもらう。ワトスンは心の中で決意する。


「見たところ、血痕や凶器は見つかってないようですね」


 被害者の体、机の上や周囲にも血液らしい赤い溜まりは見当たらない。ワトスンの素人目に見ても、刺されたり、物でなぐられたりしたわけではなさそうだった。しかし、ヤードが出動してきているってことは、他殺で間違いないのだろう。


「そりゃ血はあるわけないですよ。ほら、ここ」


 レストレイドが、死体の近くにいた検視官と死体から伸びる長い白髪を掻き分けながら指を指す。そこには、これが明らかに絞殺による殺人であることを示す細長い跡がくっきりと残っていた。殺人現場に偶然出くわしてしまった、今話題の探偵。ということは、警部の口から、ワトスンたちに告げられるのは、あの言葉だ。


「さてと、それじゃあロンドンの天才探偵コンビに、この事件の解決を依頼したいのです」


 手をこまねきながら、レストレイドが予想通りの言葉を継げる。普段であったら、シャーロックが一通り話を聞き、仕事を受けるか受けないかを判断する。その間ワトスンは隣のソファに座りながら意味ありげにメモをとっているだけである。そして最後にはシャーロックがその情報を整理し、今目の前で死んでいるこの老人が最終的に推理する。この方程式が、完全に崩れてしまっている。ならば推理をすることはできない。しかし、そんなことを正直に言えば。ワトスンたちは詐欺罪などに問われてしまう可能性も、頭をよぎった。ならばここは、何としても誤魔化しきらねばならない。


「あー、どうだろうなあ。そういうのはシャーロックが決めるし、肝心な彼があんな状態じゃ」


 まるで息を合わせたかのように、ワトスンとレストレイドはシャーロックのほうを見る。なにも知らない人が見たら、彼が薬でもキメているのじゃないかと疑うことだろう。道ばたにこれほどまでに誰彼構わず怒鳴りつける人がいたら、ドラッグの常習犯かもしれないと間違いなく避けて通る。今は声をかけるのはやめておいたほうが賢明と、少なくともワトスンは判断した。


「まあ、正式に依頼を受けるかは分からないけど、とりあえず辺りを見せてもらっても?」


どうぞ、と言わんばかりにレストレイドは首を傾ける。しかし、他人の推理をあたかも自分の考えのように披露して、その名声を狩りている幽霊探偵であるワトスンたちである。たとえ怪しい証拠があったとしても、その推理をしていたはずの"D"がこのありさま。とにかく怪しまれない様にそれっぽい捜査はしなくてはいけない。何はともあれ、まずは全体像を把握しなければ。ワトスンは、書斎全体を見渡した。事件現場は大きな邸宅の書斎。天井まで届くような本棚。本を紫外線から守るためか、この部屋には窓がないようだった。中央には来客用であろう革張りのソファと木製のローテーブル。ソファと向かい合うように、重たそうな書斎机とその上に突っ伏すように倒れこんでいた白い老人。その老人の首には絞殺の痕がある。


「なんにもわからん」

「え? なんです?」


 思わず口をついて出た言葉を隣にいた警部に聞かれてしまった。慌ててそれらしいこじつけをしてその場を取り繕う。呑気なレストレイドはいつの間にか懐から新しいドーナッツを咥えている。その光景を尻目に、ワトスンはもう一度被害者を調べるために、書斎机に近寄った。机の上には冷たくなったカップと、卓上に置かれたままになっているペン。被害者は、細かい性格なのだろうか、端に積まれた本はしっかりと背表紙が外側に向けられ、一ミリの狂いもなく整列させられている。その情報をとりあえずメモに書く。事件現場の調査はこのくらいだろう。確か次は、身近な人にアリバイと事件当時の話を聞くのが、大抵の推理小説の流れだったのを記憶している。まず話を聞くとなると││


「あなたが、第一発見者のアンナさん?」


 ワトスンの問いかけに若い女性は短く返事をする。赤髪にそばかす。不細工とまではいかないが、特段美人ではない。手も早く口もうまいシャーロックあたりの男に、コロッと騙されてベッドに連れていかれそうな印象を受ける。事件現場から場所を移し、ここはダイニング。第一発見者である彼女に、見つけた状況を再現してもらいながら話を聞こうとも思ったが、相変わらず騒ぎまくるシャーロックがいると喧しくて話どころではないと判断し、別室に場所を移したのだ。目の前に座る彼女に、ワトスンはレストレイドから聞いた情報を確認していく。


「えっと、あなたはこの屋敷のお手伝いさんで、夕食のメニューについて確認に書斎を訪れた際に主人の遺体を発見した。と、いうことでお間違いないですね」


 ロンドンヤードだって、素人ではない。既にある程度第一発見者からの聴取は済んでいる。ワトスンはいかにも調査をしているかのように、は事実確認を進めていく。


「あなたの主人が、誰かから恨みを持たれたり、殺されたりするようなことに心当たりはありませんか?」

「いいえ、とんでもありません! 私のようなものを雇ってくださったり、小説の売り上げをいろいろな人権団体へ寄付されたり、とてもいい人でした。そんな噂の一つも、聞いたことがありません」


 彼女の言う通り、数か月前のニュースで被害者の名前を見たことを思い出した。取材に協力した人権団体に多額の支援金を出した有名小説家として、レポーターから賞賛を受けていた気がする。確かに、誰かから恨まれるような人物ではなさそうだった。仮に恨まれたとしても、その才能や収入に嫉妬したものぐらいしか考えられない。


「わかりました。辛い思いをされている最中に、申し訳ありませんでした。ご協力感謝します」

「え? もういいんですか?」

 

 あっという間の事情聴取に困惑するメイドへ会釈をし、ワトスンはダイニングを後にする。やはりメイドの言う通り、恨みを買うような人物ではない。となると、強盗による計画無き犯行が、候補にあがってくるだろう。口元に手をあて、考えを整理させながら書斎のドアを再びくぐった。


「ワトスン、戻ったか。で、収穫は?」


 聞きなれた落ち着いた声にワトスンは顔を上げた。事情聴取に行く前、あれだけ泣きわめいていたシャーロックが、いつもの平然とした態度で腕を組んでワトスンを待ち構えていた。あまりの変わり様にワトスンが目を白黒させていると、シャーロックはガッと肩を組み耳打ちをし始める。


「とりあえず、ここはこいつらを騙して何とか家に帰る方法を考えろ。まあ、心配しなくても、お前ならその考えに至ってると思うがね」

 

 ワトスンたち二人は肩越しに改めて犯行現場を観察する。現場にはレストレイドを含む警官が三人。これらの目をかいくぐり、証拠やアリバイを確認するふりをしながら、その間にそれらしい推理を形だけでもでっち上げる必要がある。それならこれまでやってきたことと何ら変わりない。二人は示し合わせたように頷き、警官たちに向き直る。


「さあ、レストレイド。改めて事件の概要を聞かせてくれ。シャーロックの独壇場を見せてやる」

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