サイコロと、イエス様
サイコロたった2個だけを使った熱い戦い、ストリートクラップス。
それが私の生業である。
1
ストリートクラップス世界王者、および日本トーナメント5年連続チャンピオン、それが私・寛和 愛だ。齢三十七を超え、プレーヤーとしては遅咲きにはなるが、それでも世界各国、本場のヴェガスなどを含めて何度も優勝経験がある。もともとこの競技にはランダムな要素、いわば偶然性が多く含まれているが、練達を深めると次第にダイスをコントロールできるようになる。もっとも私の場合、それまでにずいぶん長くの年月がかかったが。
クラップスとは、米国を中心としたカジノで行われている競技である。そのストリート版は、文字通りストリートのもの、手短に言ってしまえば私的な --- そして違法な --- 賭博である。ダイス(六面サイコロ)を2コ用いることには変わりないが、ルールはかなり簡略化されており、いつでもどこでも、ダイス2コさえあれば遊べる、たのしいゲーム、競技、コミュニケーションツールなのだ。
クラップスに初めて出会ったのは、高校二年のときの留学先だった。アリゾナのとある高校、英語にも多少慣れてきたころのこと、とある日、廊下でサイコロで遊んでいる生徒たちを見つけた。見知らぬ人にも積極的に話しかける態度をアメリカ的と言うならば、私ももうじゅうぶんにアメリカナイズされてしまっていたといえようが、ともかく、その生徒らに「何やってるの?」と訊いてみたのだ。留学後、記憶障害を患ってしまった私は、当時の想い出も含め、そのときにヒスパニック系の生徒が口にしたゲームの名称を失念してしまっているのだが、「ダイスゲームだよ」という言葉や、おおまかにルールを聞いて、遊びで5ドル賭け、サイコロを1ラウンドだけ転がさせてもらったことだけは記憶にある。その日は雲のない秋の空で、それでいて湿気がたっぷりな日だった。快晴とはえどことなく陰鬱な天候だったが、運よく10ドル勝ったことが、私の心を少し楽しませた。
ルールはごく簡単。まず、サイコロをふる順番を決める。これには大きく分けて二種類の方法があり、サイコロを1こずつ振って目の大きいプレーヤーから先攻、とするか、あるいはサイコロを各々2コずつふり、目の数の合計を競う(大きい方が勝ち)か、である。いずれにせよ、とりあえず先攻・後攻を決めることとなる。
次に、先攻になったプレーヤーは賭ける金額をいくらか場に出す。これをベットとよび、後攻も同じ額を出す。ヒップホップ系のミュージックビデオでよくあるダイスゲームにて見られるものは、たいていアメリカドルの紙幣だ。日本で遊ぶ場合は、トラブルを避けるため、現金ではなく、雑貨店などで買えるおもちゃのフェイクマネーや、家庭用ゲームで使うためのポーカーチップなどがよいだろう。なければ無いで、勝負のみで --- じゃんけんなどの要領で --- 純粋に勝ち負けのみを楽しんでもいい。確かにストリートクラップスは、ある意味、というか確実に違法なギャンブルではあり、カジノの外でお金を賭けるというスリルに物事の源があるのだが、現金でなくとも充分楽しめる。
ベットが終わったら、先攻はダイスを2コ、一回振る。この振る動作を「ロール」と呼び、最初に振る場合は「カムアウトロール」と言う。このとき合計が7か11であれば「パス」となり、ダイスを振った先攻の勝ちで、ベットをすべて入手できる。だが2、3、あるいは12が出てしまうと「クラップス」という負けの一手となり(「クラップアウト」とも呼ぶ)、場にあるチップは後攻のものとなってしまう。では、2,3,7,11,12以外(4,5,6,8,9,10)が出たらどうするか。そのときは出た目は「ポイント」と呼ばれ、ポイントを出した人が、同じ合計が出るか、7が出るまで何度も振り直す。そして、ポイントと同じ合計が出たら勝ち。逆に、カムアウトロールのときとちがって、7が出てしまうと負けとなる(「セブンアウト」)。たとえば、最初のカムアウトロールで、8を出したとしよう。この場合、ポイントは8であり、7を出さないよう祈りつつ、8出ろ、8出ろと念じながらロールするのだが、最初のロールが2と6であった場合、ポイントは確かに8なのだが、出さねばならない合計は合計数が同じならどれでもよいのだ。なので、2と6はもちろん、3と5でもかまわない。
勝って場のチップを全て手に入れたら、今度はまた勝者がロールを続ける。つまり、クラップアウト(クラップスを出すこと)しない限り、言いかえれば、カムアウトロールで2,3か12が出たり、ポイント獲得を目指しているときに7が出ない限り、延々と勝ち続ける「可能性」があるのだ。
このストリートクラップスが、あるとき世界的遊戯となった。アメリカのとある大物プロデューサーが、テレビ番組のインタヴューの中で「カジノでこれやってもいいんじゃない? 合法になるし、ガチで戦えるし」と発言したのだ。本場ヴェガスは即座に反応した。場内に、ストリートでよく使われるような「壁」という路肩(カジノでの元祖クラップスは、ゲームに偶然性を持たせるために、ダイスを壁に当てなければならない)が整備され、ストリートでよくあった見張り番は、かわりに本物の職員が競技を監視している。某有名スパイぶりのスマートなスーツを着こなした紳士、フリルのたっぷりついたワンピースで着飾った淑女が、「路肩」にたむろすることが日常茶飯事となってしまったのだ。当然、プロのギャンブラーも来る。そして、ここ日本でのカジノも例外ではない。
高2のときにはじめてクラップス、それもストリート版をプレーした私は、やがて日本トップレベルの大会で優勝を重ねるまでになる。そして世界という舞台にも進出し、賞金をいただいてご飯を頂き、そうしてつけた栄養でサイコロを振り、クラップスの講習会をやったり、本に寄稿したりする。そんな生活がここ十年ほど続いている。
2
日曜の午後、ミサ参列を終え、パーキングの路肩で集まっている学生らの姿があった。猛暑日ということもあり、今日は日陰で遊んでいる人々が多い。ゲームはもちろんクラップスだ。ふだんは私の姿を見つけると逃げ出す者すらいる始末だが、今日は本人たちはわりと本気で遊んでいるらしかった。ただ、いつもつるんでいる親友の麻耶ちゃんは、私に参加してほしそうにしながら隣に立って私のほうをちらちらと見ている。先攻はジョシュア。高校三年生の好青年。
「いっちょやったんで」
生まれはカンザス州、育ちは日本の彼は、普通の関西人のおっちゃんとなんら変わり無い日本語を駆使する。
「よぉ言うたな、やってみぃや」
相手はロベルト。テキサスから引っ越してきてまだ5、6年だが、それでも日本人と対等に関西弁で流暢に渡り合える。言語のみならず、クラップスの腕前もよい。私も何度も何度も彼やジョシュアとプレーした。
ジョシュアのカムアウト。まずは9、ポイントである。残念そうに口角を下げるジョシュア。
「っしゃ」
と、ロベルト。臆することなく再びロールしたジョシュアは4を出した。
「コントロールやで、コントロール」
茶化すように、だが友人に対する愛に満ちたニュアンスでロベルトが煽る。
「んなもん、わかっとぉわ。言うたかてこれ、ギャンブルやん? 結局んとこ、偶然やん?」
と、ジョシュア。ここではじめて私たちが背後から観察しているのに気付いた。
「あ、愛さん」
「ジョッシュ、おはよ」
「ぉはよござぁっす」
「ゲーム、邪魔したね。続けていいよ」
「さーせん! じゃロブ、いくで!」
再びジョシュアのロール。見事に当てた…つもりだったが、7を出してしまった。
「っち」
舌打ちするジョシュア。
「ほな、もぉっとくわ」
地面に置いた2枚のチップを回収するロベルト。おおよそ、二人の好きなお菓子か、最近流行のフィジェットでも賭けているのだろうか、かなりのニヤけっぷりである。
読者は先ほど、私が世界トップクラスのプレーヤーであるということと、ジョシュアが「偶然やん?」と言ったこととの間に不可思議な乖離があったことにお気づきであろうと思う。事実、ぱっと見たとき、クラップスは運の要素が強く、ルーレットと同じく偶然性のみに賭けているように捉えることが出来る。だが実際、本場ヴェガスのストリートクラップスで、数時間場を支配し続けた者がいるという事実上、そこにはテクニックというものも存在する。つまり、イカサマではない本物のダイスを用い、またイカサマではないテクニックで、いったん壁に打ち当てるという偶然性の付与があるという事実をものともせず、望んだ目を出す --- というテクニックだ。私の場合、片方のダイスで出したい目を完璧に出せるようになるまで1年とかからなかった。だが問題は相棒であるサイコロ。これがやっかいで、未だになかなかうまくいかない。一方のダイスに注意を払い過ぎると、手はおのずからもう一方のダイスをおろそかにしがちになる。逆に、二つ目のダイスをいかにコントロールするかという話になってくると、今度は本来ほぼ完ぺきに出せるはずの一つ目のダイスのコントロールが出来なくなってしまうためだ。あれこれ試してはみたものの、望んでいる目を出せるか、あるいは出る確率を上げているだけといえようか、6割程度の確率で希望した目を出せるようになるまで、9年という年月を要した。
確かに私は、場が平らな面であれば、完璧なフォームでサイコロを握ることもでき、その場合おそらく確実に狙った目を2つ出せることは出せる。だが、実際は壁という偶然性の発生を避けられない要素があるし、マナーというものもまた存在するのだ。ひとつめのダイスは5の目を左に、3の目を上に。その横の1の目に隣接したダイスの3の目を…などとダラダラとセッティングをし、悠長に、いかにも仕込んでますよと言わんばかりにダイスをゆっくり振るなんてことをした日には、ひとつ間違えれば喧嘩沙汰になるからだ。
ただし、私といえども勝率は完全無敗とはいかない。世界チャンピンの座を何度も防衛し、そして何度も惨敗の涙を流したこともある私が言うのだから間違いない。10万円もかけてガチで賭けにゆき、スッカラカンに負けたときもあるし、のらりくらりとほんとに「遊び」ながら、優勝賞品であるアイリッシュリキュール一年分を手に入れたこともある --- クラップスとはそういうゲームなのだ。間違いなく、完璧な確率、もとい100%狙った目を二つ出せる人間はいない。だが、完璧に「近づける」ことは出来ると思う。
3
いつもの日曜の午後。自宅のベランダでハンモックに揺られつつ、サイダーを呑みながら、お気に入りのGファンクを聴く。至福の瞬間である。
「そぅいや、結局ロベルトが勝ってたなぁ」
そんなことを思い出しつつ、ストローを口に入れる。
ゲームに勝つ確率。負ける確率。少なくともストリートクラップスは、スロットマシンのように相手が自動的に勝つというような仕組みはない。そして、確率だけで、あるいはテクニックだけで勝負が決まるのでもない。それがクラップスと、ほかの、偶然性のみに頼るルーレットなどのゲームとの違いであり、それが私がこのダイスゲームを愛してやまない理由だ。
まず、カムアウトロールで7か11を出す確率はいくつか。答えは8分の36であり、およそ22%の確率となる。それに対し、クラップアウトしてしまう確率は約11%。問題はポイントを出したときである。何よりも避けたいのは、「セブンアウト」、もとい7を出すこと。ポイント獲得を目指している場合に7が出る割合は、実に16%にもなる。理論上は、6回降れば1回は出てしまうという、なんともおそろしい確率なのだ。
数年前、私はお忍びでヴェガスで腕試しをしてみたことがある。サングラスをまとい、スカーフを巻いて、どこからどう見てもアジア人っぽい誰か、にしか見えない風貌で、私はストリートクラップスの競技場・もとい路肩に似せた台に寄った。そこでの経験は、今でも忘れられない。
参加者待ちと思しき一人のご年配の女性。七十歳いくかいかないか、ともかく管理人と談笑しているところに私が近づくと、微笑んで挨拶してくれた。
パトリシアと名乗った女性。
「あのね、本物のクラップスってあるでしょ、あれルールが難しすぎて、私わからなかったの。でも、やっぱりサイコロで遊びたいからさ、ストリート版なら出来るかな、って」
イギリス訛り、そしてどう見ても初心者の彼女。勝敗は決していただろう。
しかし、である。
もうすぐ、少なくとも彼女がこのプレーのために用意したと思しきチップが、あと2,3枚になった時のこと。すでに、冷やかしを含めたギャラリーが十人ほど私たちを囲んでいた。まず、パトリシアさんのロール。
「えいっ」
7が出た。これなら偶然と言ってもいい。なぜなら、この数十回ラウンドのうち、彼女はパス狙いでもポイント狙いでも悉く失敗しているからである。次のロールでは9を出すと、パトリシアさんは残念そうに額を掌でぺちりと叩いた。
「じゃあ本気出すわよ~、ほいっ」
次の瞬間、私は目を疑った。私にしかできないロールの手つき。私だけにできるダイスの離し方、そして私のみ身に着けたはずの壁への当て方。それを彼女は完璧にしてみせたのだ。
結果は9。婦人は天真爛漫そのものといった笑みを浮かべ、小さくガッツポーズをとる。
「乗ってきたわァ」
このままでは彼女に場を奪われかねない。私はあえて、相手の失敗を祈ることはしなかった --- 呆気にとられてそれすら考え付かなかった、というほうが正しいか。そして、この次の二手で、私はチャンピオンの座を降りてもよい、とすら思わされたのだ。
まずパトリシア女史は11を出す。次に同じ目を出す確率はわずか6%。7を出す確率は、さきほど述べた22%だ。
「よ~し! えいっっ」
弱弱しいとしか形容のできない、だがどことなく凄みを帯びた声色で、パトリシアさんがロールした。結果は7。
私は4%の確率という魔物に敗れたのだ。ルールでは敗者がゲーム進行の是非を問えることになっていたので、私は手を挙げて、
「負けました」
と言い、なかば感嘆のため息を漏らしつつサングラスを外した。するとパトリシアさんは、やや訛りの入った綺麗な日本語で、
「ええっ! 愛ちゃんじゃぁないノぉ!」
と、や叫んだのである。私たちの取り巻きからも、おお、ああ、といった声が聞こえてきた。他に、
「あの愛を負かすなんて、たいしたばあさんだぜ」
「まさか負けるなんてさ。愛、手加減したのか?」
「そりゃ王者といったって、いつかは敗退するさ」
罵詈雑言すらなかったものの、私が負けたことに納得いかない人間がかなりの数いるらしいことは分かった。パトリシアさんは手を伸べて、
「戦えて光栄だわ」
私と握手する。そして、先ほどは目を疑ったが、今回は耳を疑うこととなる。
「私、このゲーム、初めてなんです」
「えっ」
ぼう然とする私。この人は今、何を言ったのか。私は英語で尋ねてみた。
「パトリシアさん、すみません、今なんとおっしゃいましたか」
「このストリートクラップス、カジノじゃ私、はじめてプレーするのよ。もう、序盤はもうダメかと思ったわ」
これに次いで、私は女史に賞賛の言葉をいただいた。訊くと、どうやらルールだけは孫に教わったらしい。そして、御年なんと七十八歳とのこと。
「愛さん、お近づきのしるしに、ランチご一緒どう? おごってさしあげるわ」
もっと知りたい。もっと強くなりたい。
断る理由はなかった。
4
カジノ隣接のレストランで、私たちはメキシコ料理に舌鼓をうっていた。それにしてもタコスが美味い。タコスなら永遠に食べられるほど好きなのだ。
パトリシアさんに関してもうひとつ驚いたことがある。私はアリゾナでホームスティさせていただいていたのだが、そこのホストマザー(正確に言えばホストグランドマザー)が、彼女と旧知の仲なのだという。アリゾナでは何も聴かなかったけれど、まさか知り合いだったとは。
「いやー、あの愛ちゃんとこうして会えて、戦えるなんて、私もう今逝っちゃってもいいくらいよ」
「パトリシアさん、それは言い過ぎですよ」
「ンなことないわよ、愛ちゃん!」
英語で会話していた二人だが、わが名の語尾にちゃんと「ちゃん」を付けてくれているのがかわいらしい。
「でもパトリシアさん、あの手の動きはまさに神がかってましたよ。どこで覚えたんですか。あ、確かルールはお孫さんに、と」
「そうなの。でもね、あんまり私が勝つもんだから、教えるのもそうだけど、一緒にプレーすることもイヤになっちゃったみたいなのね」
「そうなんですね」
「そうそう、だから、本場で試してみようかなって、勇気をだしたのよ。ほんとにストリートでやっちゃうと、ほら、危ないでしょ、治安とか」
「はい」
「愛ちゃんこそすごいわよ。ゲームの最初のころ、何度も7か11、ポイントが出てもほとんど当ててたじゃない」
問題はそこだけではない。パトリシアさんがいかにして、あのようなロールを習得したか、それが何よりも私の知りたいことだった。自らのロール方法について語り合うことは避けたい私だったが(少なからず影響を受けてしまうものなのだ)、あえて訊ねてみた。
「パトリシアさん、でも、どうやって終盤、ああいうふうにロールできるようになったんですか?」
「そうねぇ、昔から人のマネだけは上手かったのよね。ダンスにしろ乗馬にしろ、そしてこのクラップスも」
学ぶとは真似をすることだとはよく言われていたが、どうやら彼女はその言葉をそのまま人間にしたような方だ、ということはわかった。思えば攻守逆転の前、私の手つきを食い入るように見ていた視線を、あるいは殺気すらも感じたことは確かだ。
「あ、そろそろおいとましないといけない時間ね。申し訳ないけど愛ちゃん、行かなきゃ。お会いできてよかったわ」
「こちらこそ、パトリシアさん」
今思えば、メールの交換くらいしておけばよかったかもしれない。というのも、彼女と会ってから今に至るまで、ランキングにおおいてその名を見たことも聞いたこともないからである。案外いまごろ、どこかのカジノで、大金にモノを言わせた調子乗りの若者たち相手に、ひっそりと勝っているだろう。誰も知らない真のチャンピンとして。
「素人ナメたらあかんぜよ」
そういうふうに、日本のとある豪傑に諭されそうな、そんな瞬間、そんな出会いだった。
5
これまでの私の人生において、幾度となく後ろ指をさされたことがある。
あいつは、ギャンブル依存症だ。
あいつは、遊んで暮らしている。
あいつは、チンピラ以下の存在だ。
そういう声を見聞きするたび、私はもう慣れっこになってしまった。プロのストリートクラップスプレーヤーになってしばらくしたとき、ネットにこんな書き込みもあった。
『あいつはイカサマ師だ。仕込みダイスとすりかえてるところを見たっていう声もあるし、とにかくセコく稼いでいやがる。表に出るな、死ね!』
よくある誹謗妄想中傷の類だが、次のような書き込みには私も思わず吹き出してしまった。
『あいつの名は ai 、アイ、つまり「私」! 私だけ勝ってればいいんだよ、てか? ア~イ?』
ア~イ、というのは、aight? という英語のスラングで、「OK?」 という意味である。うまく韻を踏んだつもりなのだろうが、ディスった相手に先に笑われてしまっては負けというものだ。
プロになり、スポンサーがつくようになっても、ひどい言われようをすることが幾度となくあった。だが、その度に私は自分にこう言い聞かせることにしている。私は何も恥じるようなことをしていないし、仮に神様が私をこのように、このようなクラップスプレーヤーにしてくれたという祝福が本物ならば、それに恥じない生き方をしよう、サイコロでメシを食って何が悪いんだ、と。
トーナメントがない時、私は作業所で作業をしている。ある障がいをもっているため、一般就労が困難なのだ。だが、家にこもってひたすらサイコロを振り続けている年増を想像していただきたい。もちろん、正直に言うと、私も「訓練」「練習」という名のものとに、家に籠ったこともある。だが、出会いがなければ、外の世界とのつながりがなければ、やっぱりつまらない。私は他の趣味にDTM,つまりパソコンを用いた音楽づくりというものがあるのだが、そこでは某有名ゲームのBGMのアレンジを投稿させてもらっている。フォロワー数は10年続けてやっと50という驚きの少なさではあるものの、それでも、その私のチャンネルを紹介した友人の知り合いという人から、「がんばれ、いっつも新作楽しみにしてるよ」というメールをもらって嬉しくて号泣したこともあった。人とのつながりを感じられた、ありがたい一例でもある。
でも、家に籠るな、自分の殻に閉じ籠るな、というよくある処世術 --- 私はそれは偽物だと思っているのだが --- のような言いぐさは、時として無視して構わないと思う。自分にしかわからない痛みがあり、自分という枠の中でしかわからない優しさ、内向的になって初めてわかる暖かさというものがあるから。
6
世の中は進歩したものだ。月曜の朝、作業所に向かうバスの中でスマホをいじっていたところ、ふと、隣の大学生風の青年の携帯の画面が目に入った。盗み見はよくないとわかってはいたものの、どうやらダイスゲームをしていると判ってしまっては後に引けない。数秒観察すると、類似したダイスゲームが数多くあるなか、どうやら私のスマホに入っているものと同じアプリだとわかった。ストリートクラップスの日本における黎明期に出たアプリで、無料、ランキングに応じた対戦マッチングサービスまであり(出会い系ではない、念の為!)、オフラインにしてもCPU相手にと思う存分勝負できるスグレモノなのだ。このアプリとカジノとのいわゆる「シナジー効果」「ウィンウィン」な関係が出来上がり、日本1億人の人口のうち1000万人もの老若男女がプレーするまでになった。また、一見完全にランダムに見えるゲームだが、マルチタッチに対応しており、画面フリックの仕方に特徴があって、フリックをする指の数、方向、離すタイミングなどによって出目が変わってくるのだ。壁に当たったときには確かに偶然性が付与されるが、述べたような操作はほぼアナログ式といっていいほど体系化・数値化されているため、ロールが良い、と判断されれば、高確率でCPUのAIがそのプレーをプレーヤーの勝ちと判断する。そのため、現実のクラップス以上にテクニックが反映されるのが特徴といえよう。私も実はマネージャーと一緒に、また新しいアプリのインターフェースやテーマを考えたりしているところなのだ。物事を創る過程は楽しい。
7
知り合いに、真由美というほぼ寝たきりの同年代の女性がいる。私と同じくらい、いや、私以上にクラップスを愛している人だ。ベッドから離れられなくなってから数年は病状が芳しくなく、仕方なくアプリで気を紛らわせるほかないというのが現状。真由美ちゃんは、私がそけいヘルニアになって手術をしたとき、親とほぼ同じタイミングでお見舞いに来てくれたことがある。そのときもらったキャラメルプリンは、それはそれは美味しく、その味を忘れたことがない。
今日は火曜。仕事を終えた私は、お気に入りのナチョスチップスを扱うメキシカン雑貨店で買い物をするついでに、アポなしでお見舞いに行くことにした。用意したのはチップスと、ブラックオリーヴの塩漬け、そしてクリーム状チーズペースト。これがまた旨いのだ。大学生のころ、メキシカン料理を彼女と一緒に食べたことがあり、私たち二人共通の好みだといっていい。
「あ、愛ちゃん。いきなり来てくれたんやね」
「おー。たまにはね。急にごめんなぁ。真由美ちゃん、どないしとぉかな思て」
テーブルの上にはダイスが2個置いてあった。
「真由美ちゃん、最近アプリどう?」
「うーん、手は動くけど、体は相変わらず」
「そかそか」
「やっぱりこう、サッって手でロールしたいよね」
「うん…」
少し躊躇ってそう言った私は、おみやげのナチョスの袋を取り出す。
「真由美ちゃん、一緒に食べよ」
「えー、ありがとー!」
当初から彼女と食べるつもりで、Lサイズを注文しておいたのだ。
「じゃあ愛ちゃん、チップス賭けよう? 勝ったら一枚食べられる、っていうふうに」
本当に困ったプレーヤーだ。
彼女は、私のようになりたいとたまに言う。だが、真由美ちゃん以上に強いクラップスプレーヤーはいないと私は思う。真由美ちゃんは体が弱い。メンタルな面はもっと弱い。でも、「クラップスを愛する心」では誰にも負けていないと思う。かの聖パウロならこう言うだろう --- 「人は弱い。だが、弱いときにこそ人は強い」と。
8
私はプレーの前に必ず十字を切る。さながらサッカー選手のようだ、と茶化されたこともあるが、これからいいゲームが出来、最高のコンディションで戦えますように、と祈る。神様もサイコロを振る。私もサイコロを振る。最後の最後で、私がサイコロを、技術にモノを言わせてロールするのだ。
真由美ちゃんとは別に、とあるプロのクラップスプレーヤー・千佳ちゃんという友人がいる。彼女とは小学校以来の親友で、共に昆虫採取をし、ボードゲームをし、ミサにあずかり、映画を見て泣いたり笑ったりしていた。高校にいたとき私が受けたイジメでも、相談すると、彼女はただ私の話を最後まで、私自身が語り疲れるまでずっと静かに聴いてくれた。アドバイスするでもなく、頷くだけで聴いたフリをするのでもなく。ただ、そこに居てくれたのだ。
その千佳ちゃんが入院したとき、彼女は、夜中にマリア様を幻視した、と大真面目に言っていた。スカイブルーの帯をしており、よくある「不思議のメダイ」と同じような風格だったそうだ。ベッドのそばに腰かけ、彼女の患部にやさしく手を置いていたという。
それは単なる幻覚なのか、明晰夢なのか、あるいは完全に個人的ではあるが本物のご出現なのか。だが問題はそこではなく、奇跡が奇跡として認められるには、その後にその人の人生が変わったか、という問いに答えを出さなければならない、というところにある。
実際、彼女は変わった。退院したら聖職者になりたい。たとえシスターになれなくとも、みことばを分かち合い、祈りあえる、そんな職業に就きたい、と希望するようになった。神父様や司教様、あるいはプロテスタントの牧師先生までも含め、熱心にお見舞いに来、そのたびに将来にそなえてカテキズムや祈り、就職のためのノウハウなどについて語っていたのを私は知っている。
だが夢はかなわなかった。あろうことか、やっと訪れた手術の日、医師らは手術する場所を何の疑いもなく間違え、そのあとの合併症が原因で帰天したのである。
一度は一緒の寮で寝起きした仲。大好きなポップコーンをほおばりながら、映画館で大笑いした仲。私の中の大切な一部が、ごっそりと切り取られてしまったような気分が数年続いた。
9
手術中、イエス様は何もしなかったのか。許容、あるいは放置していたのか。考えれば、疑えば、キリがない。どう見ても失敗の手術だということを、その場にいたドクターたちが全く気付かず、そしてあたかも「神は死んだ」のと同じような結果を残したのだ。だが、今の私は知っている。聖なる神秘のことを。聖なる縁で、私たちは繋がっているのだということを。聖書に「おびただしい数の証人に囲まれている」とあるのは、時空を超えて、マリア様や聖人たちの祈りに支えられ、守られているということだ。そして、我々が考えるよりもっと、もっと近いところにイエス様はいらっしゃる、ということだ。そして、同じように痛みを負っておられるのだ。
生前、病気のごく初期のころ、千佳ちゃんと、あるときこういう会話になった。
「ねぇ愛ちゃん、私、治るのかな」
私は思わず、文字通り頭を抱える。
すると、消え入りそうな声で、彼女は
「怖いよ」
と言った。私にはもうどうすることもできない。ただ、千佳ちゃんの手を取り、ゆっくりさすってあげることしかできなかった。私の頬を、大粒の涙が流れていった。
「愛ちゃん、……ありがと。そんな泣かんといてや」
言うと、暫くたってから、千佳ちゃんはバッグから小さなケースを取り出した。いつも彼女が使っているダイスの入れ物だ。そこからダイスを紅い半透明なダイスを2個取り出し、
「これ、あげる。これでまた、優勝目指して練習してよ」
ヴェガス直輸入、ディーラー御用達の正真正銘モノホンの最高級ダイスだ。
その日から、そのダイスは私のパートナーとなった。ヒマさえあれば、それを手でもてあそび、ロールの練習をしてきた。
手術を受けて、失敗が発覚して亡くなる少し前の千佳ちゃんの最後の言葉は、ことごとく今でもこの耳に刻み込まれている。親友の間近な死を目前にして信仰がゆらぐ私の発言に、こう答えてくれたのだ。
「あんなぁ、愛ちゃん。イエス様は、私のそばにず~っと座っててくれてるねん。イエス様、何も言わへん。奇跡も起こさへん。でも、こうやって愛ちゃんが来てくれてるみたいに、ただ一緒に泣いてくれてる。『奇跡よ起これ! この病魔よ、悪魔よ、出ていけ!』なんて私絶対に祈りたない。なんでって? そんなんで健康なったら、世界チャンピオンシップ準優勝の私、どうなんの? 病気んなかでロールした、あんときの痛さと、それでもそん中でも愛ちゃんと並んで立てた表彰台の興奮、他にあんの? そんな健康やったら、いらんで!」
畳み掛けるように千佳ちゃんは言葉を紡ぐ。
「治らんかもしれぇん。いや、もぉ治らん。でも私にはもう充ッッ分に恵み与えられとぉねん。イエス様がこんなに近くで、一緒に泣いてくれとぉ。それがわかっただけでええと思うねん。そりゃ治ってほしいよ。そりゃもうちょっと、愛ちゃんとクラップスしたいよ? でもなぁ」
千佳ちゃんの顔をちらりと見ると、なぜかこちらのほうが心配されているような面持ちだった。
「インマヌェルっていう呼び名は伊達やあらへんで。だって、神様、私と一緒におる、っちゅうことなんやもん」
水曜日の雨がちな夕方のバスの車内、窓から降りてゆく粒をぼんやりと眺めながら、そんなことを思い巡らせていた。あと三日頑張れば、聖体拝領だ。
いかがだったでしょうか。ぜひ皆さんも、百均のものでもかまわないので、ダイスを手に取り、実際にクラップスで遊んでみてください。一人で対戦をシミュレーションするのも楽しいですよ。準備も片づけも簡単ですしね。ダイスとチップのみで完結するため、いつものボードゲームの息抜きに遊ぶのにも適しています。
愛ちゃんと、彼女を支えてきたクラップス。今後、どのような世界が語られるのでしょうか。最後に、ひとつだけお願いというかアドバイスというか、伝えておきたいことがあります。
「何があろうと、絶対に現金を賭けないこと」
これです。
賭博行為はヘタすりゃ手が後ろにまわりますし、何しろいくら親しい間柄、親族や友人だからといっても、ほぼ100%の確率でトラブルの種になるからです。
運だけではない競技。テクニックだけではない競技。この魅力あるゲームを、みなさんも遊んでみてください。