前編。いつもの場所が、いつもと違う!
交流作者さんの一人、なななんさんが保健室シチュエーションを描いたことに刺激を受けて生まれた作品です。
なななんさんに、この場で感謝を。
「右見て。左見て。右見て……。よし」
小さく頷いて、ぼくは足音を忍ばせながら教室を出た。お昼時の喧騒なら、足音を忍ばせる必要はないのかもしれないけど、ぼくは慎重に慎重を重ねる。
最近、ぼくの数少ない友達から、「石橋を叩いて割ってるのに、橋脚まで叩いて割るよね」、って呆れられたぐらいだ。そこまで慎重じゃないと思うんだけどなぁ。
でも、慎重でありすぎるなんてことはないんだ。なんせ、彼等はぼくに監視カメラでもくっつけてるのかってぐらいに敏感に、ぼくの動きを察知するから。
彼等。
世に言ういじめっこと言う、特定条件でのみ 特定条件の相手にだけ、やたらと横柄で傍若無人で理不尽に振る舞う、悪知恵ばっかり働く魔物。ぼくは彼等の標的になっている。
彼等はVRサバイバルゲームで、ぼくを自爆兵器として扱うだけじゃ飽き足らず、現実世界でさえもいじめて来ている。いったいなにに、そんな収まらないストレスを感じ続けてるのか、ぼくには理解できないし したくもない。
閑話休題。目的地に向かうぼく、手には弁当箱とお茶の入った水筒。お茶はちょうどいい温度で入っている。
そう。いじめられっこのぼくは今日も今日とてぼっち飯。その食事の場所は、いつも決まって保健室。
昔から言われてるらしいトイレの個室でお弁当なんてことをやったら、あまりのむなしさと寂しさに屋上からひもなしダイビングを敢行したくなること請け合い。そんなところでぼっち飯ができる人間は、ほんとは心が強いに違いない。
で、屋上からひもなしダイビングなんてできる勇気のないぼくは、彼等が寄り付かず、なおかつ人の気配を付かず離れない位置でわかることができる、保健室を利用してるんだ。保健の先生は、幸いぼくの話をわかってくれて 使用許可をくれている。
「あれ。珍しいな」
保健室の入り口前まで来て、ぼくは思わず声を上げた。
いつもはこの時間、開け放たれている保健室のドアが閉まっていたからだ。
少しの不安がドアに手をかけるのを躊躇させる。いつもは誰もいないはずのお昼の保健室に誰かが。先客がいる。
学校の中にあって学校と隔絶される不思議な空間。保健室と言う名の異世界に、なにものかが。未知のなにかが存在している。
けど。ここで休まなきゃ、息が詰まってしまう。
「すぅ……はぁ……」
一つ頷いて、ぼくは。覚悟を決めた。
「なんだ。誰もいないじゃないか」
中に入って、ドアをガラガラと閉めてから、ぼくは溜息と共にそう安堵の声を出した。
いつものように、先生が使うのとは別にある机に向かい、そこに弁当箱を置く。
いつもと同じく流れるように、パイプ椅子を持ち上げてから机前まで運ぶ。パイプ椅子の形を整えてから腰を下ろして、ふぅと一息。無用に緊張したからだ。
水筒を開けて少し中身を飲む。緊張って喉乾くんだよね。
ーー駄目だ。お茶飲んでも落ち着かない。
霊感があるとは思ってないぼくだけど、いつもと違う状況が体をざわつかせてるんだと思う。
まるで解明しろって訴えてるように。
先客がぼくでも認識できるたぐいのものかそうでないのか。それだけでも確かめよう。
もう一口お茶を飲んでから席を立つ。部屋に明確な変化があれば、それだけでも安心の度合いが段違い。だからそれを調べる。
なんか、妙に足音がうるさく感じる。普段こんなに気にならないのに……。
とりあえず、窓に異常はない。内も外もいつもと同じ。
「あ。カーテン、しまってる」
思わず出た声。体を後ろに反転したところで、いつもとの違いが目に入ったんだ。
……ゴクリ。生唾を飲む音が、耳に残るほど目立って聞こえた。
どうする? 開けるか……? そうだな、うん。そうしよう。
足がうまく上がらなくって、すり足で移動するぼく。自分で思ってる以上に緊張してるみたいだ。体が硬くなってるし。
「……失礼しまーす」
小さく言って、ぼくはベッドを隠すカーテンをそっと開けにかかった。シィー、と言う独特の音が緊張感を更に押し付けて来る。
徐々に明らかになって行く変化の正体。
「……女の子だ。寝てる」
カーテンを開けて見えたことが、口から出ていた。
長く黒い髪の女の子が、少し苦しそうな息遣いで呼吸しながら、うっすらと顔を赤くして眠っている。
……熱、なんだと思う。どうして、休まないといけないほどの熱が出てるのに、学校にいるんだろう?
「んー」
みじろぎしながら発された、息交じりの声に ぼくの呼吸が混乱した。「かっっ」って、息を吐いたような吸ったような、よくわからない音が出たくらいの混乱っぷりだ。
……なんの意図もないのはわかってる。でも。今の囁くような声色に、硬直しない男子がいたら、その人は鋼の精神を持つ超人か、女子に興味のない種類の人じゃないだろうかと、ぼくはそう思う。
「え、えっと。ど‥…どうしよう。そうだ」
熱だとしたら、きっと冷やすためにおでこにタオルかなんかが置いてあるはず。
よくよく女子の顔を……じ じゃなかった、おでこの辺りを観察。
「ん、んー」
観察を始めた直後だった。まるでぼくの存在に気付いてるかのように、おでこからなにか抜き取った。タオルだった。慌てて女子から取り去る。
すっかりぬるくなってて、おでこに当ててる意味がなくなっていた。だからぼくは、部屋の中の水道で一度しぼってから、改めて水に浸してしぼりなおした。
「ありがと」
「っ?」
驚いた。眠ってたと思ってた女子から声が出たからだ。
「お……起きたんだ」
「うん」
ドギマギしてるぼくをまったく気にせず、普通に答えた。
けだるげにこっちに顔を向けた女子。その半分閉じた目は、それでもちゃんと開いたらぱっちりしてるんだろうなって思う。
若干カクカクしながら、ぬれタオルを渡す。クスクス笑ってるのは、きっとぼくが変な動きをしてるからだろう。でも、眠さとは違う理由で目を細めてるこの女子の顔を見られて、ぼくは満足だ。
別に今更笑われたところで、大して痛くないし。
ーーけど、なんだろう。妙に恥ずかしい。
「なんで、君まで赤くなってるの?」
なおも楽しそうな女子。自分の顔の熱さをわかってるんだろうな、君もってことは。
「え、いや。その‥…」
答えられるはずがないじゃないか。と思うけど、口には出ない。
「あ、あのっ。ところで、なんで熱っぽいのに学校にいるの?」
慌てて話題をねじこんだ。我ながらナイス機転っ。
「これね」
自分の顔を指差して腹立たしげに息を吐いて言う。いったいなんだろう?
「親が体調悪いって言うのに信じてくれないからよ」
「え?」
にわかには信じられない話だ。
「どんなに体調悪いって言ったり、そう振る舞っても笑い飛ばすだけ。ズル休みはよくないってさ。たしかに皆勤賞目指すって言ったのわたしだけど、だからって 娘の体調不良を笑い飛ばすって、あんまりだよね」
いきなり愚痴り始めたのでぼくは面喰ってしまった。
「あ、ああ。ごめんね、いきなり。先生には理由言えなかったから、ついね」
そう言って苦笑いしている。
「いや、いいよ」
ーーあれ、いつのまにか布団はいでる。って、体操服だ、この娘っ! いったいなんで?
……なるほど、ちょっと見た感じ重たそう。けっこう汗かいてるのか。
「でもさ、『ああ、アノ日か』って勝手に納得したの。いくら保健室の先生だからって、デリカシーないよね」
また愚痴ってるようだけど、そんなことよりだ。
……寝てるのに、上半身の一部が……も 盛り上がってるんですけどっ! マジですか、そんな大きさ、二次元だけだと思ってたっ!
「あ、ああ。そうだね、ちょっと それはねぇ」
「って、どこ見て言ってるの?」
むくれた調子で女子は言うんだ。
「……すみません」
うん、ぼくが悪いからね、今のは。
「まったくなぁ。正直なんだね、君」
またクスクス笑う。アハハって苦笑いするぼく、また顔が熱くなってしまった。
「それで? 君の方はどうして保健室来たの? 見た感じ健康そのものに見えるけど」
聞かれて、ぼくは目をそらしてしまった。
け……けして、左手で自分の前髪をうっとおしそうに横に書き分けるしぐさを見て、ドキドキしたからじゃないんだ。けっして、だんじてっ!