麗しの王妃様
初めての作品で大好きな婚約破棄物を書いてみました。よろしくお願いします。
芸術と学問の国ヴァリアーデ王国。
北方を牽制するドルムント同盟にも名を連ね、中央三強のうちの1つと呼ばれるこの大国には、近隣諸国にも名が通った貴族のための名門校ドルシュアーデ校がございます。14歳から16歳までが通う歴史あるその学び舎で今、栄えある卒業パーティーが開かれておりました。
「本日この場でベネッサ・ボルモート嬢との婚約を破棄する!」
「…っ」
あまりのことに声を漏らしてしまい、私は慌てて口をつぐみます。周りを伺っても、本日の主役であるご子息ご令嬢に親御様達まで口をあんぐりと開け呆然としていらっしゃいます。私は存在を消しつつ、この場をしばし見守ることとしました。
初めまして、侍従でございます。
本日の卒業生の中にはこの国の第一王子ヘンリー・ヴァリアーデ様とその婚約者であるベネッサ・ボルモート様がいらっしゃいます。そして、国王様と王妃様が来賓で来られるとのこと。私は普段は王宮勤めなのですがこの晴れ舞台のためにヘルプで来ております。慣れない場所ですが、数多のパーティーを取り仕切って来た私です。どうぞお任せください。
しかし、これには参りましたね。
今までの賑やかさが嘘のようにしんと静まり返り、視線はホールの真ん中に集まります。そこには真紅のドレスに身を包んだ美しい公爵令嬢のベネッサ様と対峙してヘンリー王子、彼の脇には不安そうに身を寄せるリリア・フォンテモルト男爵令嬢の姿がございます。そして彼女を取り囲むように名だたる名門貴族の子息達。宰相、騎士団長、辺境伯の嫡男、なんと隣国の第三王子まで取り揃えているとは!みなさま親の仇かのごとくベネッサ様を睨みつけております。ヘンリー王子がベネッサ様ではなくフォンテモルト嬢をエスコートして登場なされたことで、王宮でのあの噂が本当であると確信いたしました。男爵令嬢が第一王子を始め有力貴族の子息達を籠絡していると。なんと愚か…いえ、これは失礼いたしました。失言ですな。
「理由をお聞きしても?」
「とぼけるつもりか?貴様がリリアに嫉妬して危害を加えようとしたことは明白である。そんな者に次期王妃になる資格はない!」
国王様と王妃様がご到着なされるまでに決着がつけばいいのですが。事が事だけに、私は焦る気持ちを押さえつけます。もちろん顔には出しませんが。
「そのような事実はございません。婚約も解消いたしません。他には何か?」
周りが固唾を飲んで見守る中、ベネッサ様の冷え冷えとした声が響きます。ベネッサ様の王子達を見る目は親の仇など可愛らしいものではない、まるで蛆虫を見るかのようです。令嬢としてどうかとは思われますが、この状況では仕方がありませんな。
「ヘンリー王子。妹がそちらのフォンテモルト嬢を害したという証拠はあるのでしょうか」
王子達を視界に入れるのも嫌そうなベネッサ様に代わって、兄君のレイモンド様が間に入られました。ボルモート公爵は憤怒の形相で顔を真っ赤にしており、とても冷静に話し合える状態には見えませんので、適切な判断と思われます。その隣ではブレッダ辺境伯が息子の暴挙に真っ青な顔をしています。宰相と騎士団長の姿は見えません。後からの登場のようですね。やれやれ。
「被害者のリリアが証言しているのだ。ベネッサ嬢に一昨日の放課後、階段から突き落とされたとな。運良く打撲で済んだが、打ち所が悪ければ死んでいたぞ。階段にはベネッサ嬢のハンカチも落ちていた!その他、リリアへの誹謗中傷、陰湿な嫌がらせの数々!ベネッサ嬢に破られた教科書もあるぞ!」
どんどん熱くなる王子に比例して、レイモンド様の纏う空気はどんどん冷ややかなものになっています。ヘンリー様の掲げたハンカチを一瞥して、ベネッサ様に視線だけで問いかけます。
「確かに我が公爵家の家紋が刺繍されておりますが、それは私のハンカチではございません。お兄様もご存知でしょう。私は王妃様の許しを得て、公爵家の家紋に王妃様の薔薇を象った紋章を刺繍しております。そして一昨日も何も放課後は毎日王妃教育のため授業が終わり次第速やかに王族の馬車で登城しております」
「ふむ。そうだね。つまりあれはベネッサではない何者かが我が公爵家の家紋を勝手に使い、ベネッサに罪を着せようとしたと。それに破られた教科書というのも証拠とは言えませんね」
これは呆気なく幕が降ろされそうです。王子が馬鹿で…いえ、浅はかで…、そう子供のように純粋で良かったです。
「それこそお前の作り話だろう!母上が貴様にそんなことを許すはずがない!」
幕引きかと思いきや、ヘンリー様の自信満々の態度に私の頭に疑問符が飛び交います。
「…王子……この婚約解消の件は王妃にご相談されたのですか?」
眉間にしわを寄せため息をつかれるレイモンド様を、ヘンリー様は小馬鹿にしたように鼻で笑いとばします。
「そんなことで母上のお手を煩わせるわけないだろ!しかし、此度の件は本当は母上のためなのだ!」
「え?ヘンリー様どういうこと?」
これには今までぷるぷるとウサギのように震えていたフォンテモルト嬢もすっかり演技するのを忘れて怪訝な顔をされます。
「お前の王妃教育のせいで、母上が私に会ってくださる時間が少なくなった!聞くところによると、不出来なお前に大層手を焼き、ほとほと愛想を尽かしているそうではないか。いい気味だ。それをさも母上に気に入られているかの如く、母上の薔薇を使うことを許されただと?笑わせるなっ!王妃の素質もないくせに権力を盾に好き放題やらかすお前のせいでこれ以上母上の貴重な時間を奪い、あまつさえ心労をかけるなどあってはならない!」
はい、王子は馬鹿なだけではなくマザコンでした。それもかなりの。いやはや、こんなに拗らせているとは思いませんでしたぞ。きっとベネッサ様の教育で忙しい王妃様に相手にされなくて機嫌の悪いヘンリー様に取り巻き連中が根も葉もない甘言を囁いたのでしょう。
「っ、ふざけないでくださいませっ!王妃様はそれはそれは熱心に指導してくださり、私に多大な期待をかけてくださっていますの!それに応えたいがために血の滲むような王妃教育に耐えてきましたわ!あのお方と血が繋がっているからとそこに胡座をかいている貴方とは違ってね!!
「えっと論点がずれているんだけど。でもそれがこの一件の原因なんだろうね…」
王妃様のことを出されて冷静さを欠いたベネッサ様の口撃に、レイモンド様が思わず呟かれます。心中お察ししますぞ、レイモンド様。
「仮に王妃様に冷遇されているベネッサと婚約破棄したとして…睨むなよベネッサ、例えばだろ。それで王子はそちらのご令嬢と婚約されるおつもりですか?」
レイモンド様がちらりとフォンテモルト嬢を一瞥されると、何を思ったのかご令嬢はぽっと顔を赤くして熱い視線をレイモンド様に送っております。いや、この状況でむしろ天晴れですな。
「母上が認めてくださったらな!だが、心配いるまい。リリアは母上と同じ光魔法の使い手で、髪の色も同じだ。そこの性悪女よりよっぽど気に入ってくださるだろう」
ああ?
「何を言っておりますの?王妃様は輝かんばかりの銀の御髪で、その者は薄汚れた灰色ではございませんかっ!目が見えていないのではなくて?」
おっと、私としたことが汚い言葉を吐いてしまう所でした。ベネッサ様の言う通りでございます。小僧…いえ、ヘンリー様には可及的速やかに再教育が必要ですね。窓のない尖塔にでも閉じ込めたら良いのではないでしょうか。はい、手配致します。
「なっいや、ちょっと…薄暗い所でこう、目を細めて見たらな!ほら!母上と同じだ!!」
「それほとんど見えておりませんからっ!」
「ちょっとヘンリー様!ひどい!!」
もはやカオスのこの状況にレイモンド様が諦めて首を振られたその時。
「これはどういうことかしら?」
ヘンリー様達の醜い言い争いの中でも凛と響き渡る美しい声。
光が溢れたかのように輝く銀の御髪。
けぶるような長いまつ毛に縁取られた紫水晶のごとく透き通った大きな瞳。
滑らかで白皙の人形の様に端麗なご尊顔。
「母上!」「王妃様!」
女神のようなこのお方こそが大陸一の美姫と名高い我がヴァリアーデ王国王妃ベアトリーチェ様です。
会場中がそのお姿に魅了され、同時に畏怖の念を抱きます。
そして夢から醒めたかのように、その場にいた者がみな一同に礼をとります。
王妃様の隣では国王様が、その後ろには宰相と騎士団長が渋面を作っております。到着のファンファーレが鳴らなかったと言うことは、王妃様始めみなさまこの会場での一件をすでにご存知の様です。宰相は風魔法が得意ですからな。
「ベネッサちゃん、卒業おめでとう」
「王妃様…ベアトリーチェ様っ、ありがとうございます」
ベアトリーチェ様の輝かんばかりの笑顔にベネッサ様は顔を真っ赤にされて大層お可愛らしいですな。
これで、先の件は一件落着と言う事です。王妃様はベネッサ様にご自分のお名前を呼ぶ事を許されている。そして何より破格の対応ですが、王子よりも先にベネッサ様にお声掛けされた。これでお二人の仲が険悪な物でなく、むしろ大変親密な物であることが証明されました。ベアトリーチェ様の周りにいる者はみな知っている事実ですがね。ベネッサ様が犯人と仕組まれた悪質な茶番に関しては、フォンテモルト嬢の方を重点的に取り調べなければなりませんね。公爵令嬢に罪を着せようとしたのです。未来ある令息達もただではすみますまい。もちろんヘンリー様にはきちんと再教育させていただきますよ。私独自のカリキュラムで。尖塔で。
「母上…」
ヘンリー様が捨てられた子犬のような瞳でベアトリーチェ様を見つめています。ご自分よりもベネッサ様に先にお声がけされたことが相当ショックだったようですね。その悲しみは憎悪となってベネッサ様に向けられます。
「母上っ、その者に気を配る必要はありません!この者は未来の王妃という立場でありながら弱き者を虐げ「お黙りなさい」っ母上ぇ…」
これはベアトリーチェ様はかなりお怒りのご様子。そのお姿もお美しいですが、一臣下としてこの様な事態に陥ってしまったこと、大層不甲斐なく感じます。それは国王様も同じ、むしろ一番居た堪れないかもしれませんね。ベアトリーチェ様が王妃教育に専念する間、ヘンリー様の帝王学の監督を任されたのは国王様なのですから。そうですね、国王様が一番悪い。同情はいたしませんよ。王妃様を悲しませたのです。
「近衛兵、フォンテモルト嬢を捕らえよ。この件に荷担した者共は親が責任を持って監視しろ。後日1人ずつ事情聴衆した後、沙汰を申し付ける。それまで自宅謹慎じゃ。隣国の国王にもこの件は伝えておる。時期に大使が参るであろう」
「「「はっ、かしこまりました」」」
これに宰相、騎士団長、辺境伯のご子息達、隣国の第三王子は震え上がります。
「痛いっ、ちょっと離してよ!何で私が断罪エンドになるのよ!おかしいじゃない!!ヘンリー王子っ助けて!!」
「っ、お前達っその手を離せ!」
暴れるフォンテモルト嬢を押さえつける近衛兵にヘンリー様が喚き散らします。王子としての威厳も何もありませんね。
「母上っ、父上っ。何故ですか…」
国王の命令に頑として従う近衛兵に為す術がないことを悟ると、今度はベアトリーチェ様達に向かいます。しかし先ほど母君に冷たくされたのがかなり効いているのか、あまり元気がありませんね。
「ヘンリー…一から十まで言わんと分からんのか。ベネッサ嬢は無実、と言うことはそのベネッサ嬢に害されたと言う其の者が仕組んだことであろう。それもこれも真実のポーションを飲めば自ずと明らかになる。公爵家、ましてや未来の王妃を貶めようとした罪は重いぞ」
「はあっ?冗談じゃないわよ!」
国王の言葉にがっくりと肩を落としたヘンリー様を見るや否や、フォンテモルト嬢が一層大きく暴れます。先ほどまでの小動物の様な可憐さは見る影もなく、歯をむき出しにして暴れる様はもはや野生の猿ですね。
「悪役令嬢は王妃にべったりで何も仕掛けてこないし、主要攻略キャラはマザコンだし、こんなのゲームと違う!!」
怒りに血走った瞳が捕らえた先には、あの方が。
「ベアトリーチェ!あんたは一作目だろ!ここは二作目の世界で私がヒロインなの!あんたの出る幕は終わったんだよ!消えろ消えろ消えろ」
あろうことか我らが麗しのベアトリーチェ様に何たる狼藉っ。ああ、何ということだ。怒りで目の前が赤くなる。今もわけのわからないことを喚き散らす雌猿を黙らせるため、高濃度の攻撃魔法を練り込み左手をかざす。
「わ ら わ せ な い で?」
私の意識を引き戻したのはやはりあのお方の声でした。
気付けば私はこの学校のある領地一帯を飲み込むほどの闇の上位魔法を撃とうとしておりました。見れば他の者も似たようなもの。ボルモート公爵も右手に氷の上位魔法を纏い、ブレッダ辺境伯は神級魔獣ケルベロスの召喚陣を展開し、イーリェス宰相は風の精霊王ジークフリードを召喚しようとし、モルグレッド騎士団長は一太刀で全てを消し炭と化す炎の刀身、聖剣グレゴリオンをその身から抜き出そうとしておりました。近衛兵達は悪鬼の形相でフォンテモルト嬢を羽交い締めにしております。私は慌てて上位魔法を打ち消し、再び気配を消して成り行きを見守ることにします。国王はボルモート公爵達を見てドン引きされているご様子ですね。遺憾です。
「面白いことを言うのね。あなたのどこにヒロインとやらの要素があって?」
我らが女神様は敵には情け容赦ないのです。ですが全くその通りですね。
「光の精霊王の加護も得られない中途半端なあなたが何を言っているのかしら。ここはあなたのための舞台ではなくってよ」
蠱惑の笑みを浮かべるベアトリーチェ様にフォンテモルト嬢は大きく見開いたその瞳に恐怖の色を浮かべます。
「勘違いなさらないで。私の劣 化 版 さん」
悲鳴とも雄叫びともとれる声を上げながら、フォンテモルト嬢は近衛兵に引きずられて行きました。ヘンリー王子始め取り巻きの若造連中も一旦は近衛兵に連れられて会場を出て行きます。
「騒がせたな。この後も存分に楽しんでくれ。卒業おめでとう」
国王様のお言葉に張り詰めていた雰囲気が少しだけ和らいだようです。固唾を飲んで見守っていた観衆はそっと息を吐きます。その様子をご覧になった国王様、王妃様に続き公爵、辺境伯、宰相、騎士団長が会場に背を向けられます。ベネッサ様とレイモンド様も一緒にご退出されるようです。
「ところでハンス。あなた何をしているの?」
とくりと心臓が跳ね上がりました。扉付近に控えていた私にベアトリーチェ様がお声がけくださったのです。上位魔法を錬成したとは言え、今も完璧な認識阻害の魔法をかけているのですが本当に王妃様には敵いません。私はヴェールを脱ぐかのように自身にかけていた魔法を取り去り、ベアトリーチェ様の質問に答えます。
「もちろん、ベアトリーチェ様がご出席されるパーティーです。飲み物ひとつ取っても粗相のないように私が指揮をとっております」
「そう。でも私はもう帰るわ。あなたも一緒に城に帰るわよ」
きっと私の顔はだらしなくにやけていることでしょう。
「仰せのままに。我が麗しの王妃様」
さあ、これで本当の幕引きです。この醜聞を抑えるためにしばらくは忙しい日が続きそうですね。やれやれ。
「侍従長まで…うちの王妃が傾国すぎてつらい…」
国王様が一番まともで苦労人です。