キラキラ
八時半に仕事に出る前に、なんか久しぶりに投稿したら止まらなくなっちゃって、短編アップしました。
「世界の果て」の番外編みたいな話しです。
私はいつも全てにおいて1番どころか2番にも3番にもなれなかった。
小学生の頃、せめて勉強がダメなら一生懸命単純な算数の九九の暗記や国語の詩の暗記を頑張ろうと思ったけれど、どうしても一カ所変に覚えてしまい必ずそこで失敗してしまう、そんな子だった。
かといって運動なんかもできない子だった。
今でも覚えているのは小学五年の時の運動会の時だ。
大縄跳びのクラス対抗が例年あり、クラス全体ですごく盛り上がって休み時間や放課後にも練習するほどだった。
私はやはりその練習でも数回に一度は大縄に足を引っかけてしまう子で、足を引っかけた瞬間のあの何ともいえない空気にいつも身を縮めていた。
私は大人しい子ではあったけれど、幼い時からの腐れ縁の友達がいてその子らが活発な目立つ子であった為、そのおかげでこんな時でもあからさまな態度はされなかったが、私はそれでもその瞬間伝わるその空気に萎縮してしまう、そんな子だった。
その運動会の前日、準備の為に早く帰れるのに私は教室に明日使うはちまきを忘れてしまい下駄箱に幼なじみの二人、高橋千歳と中村賢吾を残し一緒に戻ってくれるといったのに大丈夫だからといって一人戻った。
教室のドアはあいたままだったので、なにげに入ろうとした時それが聞こえた。
クラスの委員長とその取り巻き達の会話が聞こえた。。
「あ〜あ、猪瀬がダメだから明日は絶対勝てないね〜」
「本当だよな〜、賢吾っち達が怒るから言えないけど、いい迷惑だよな〜」
「何でいつも同じ回数のとこで脚をひっかけるかねぇ。明日休んでくんないかな〜」
どっと笑い声が上がり入り口で硬直する私はクラスのリーダーでありこの学校でもリーダーと皆が認める委員長の声が聞こえた。
「わざと失敗してる訳じゃないよ。猪瀬さんだって頑張って練習してるんだから。そんな事を言っちゃ可哀想だからよしなよ」
そう言って私を庇ってくれるのを聞いた。
委員長に言われ、みんなが「そりゃそうだけどさ〜、わざとじゃないのはわかるんだけどね」と言う言葉を聞きながら、わからないように私はそっとその場を去った。
下駄箱にいる幼なじみ達には、心配させたくないし、何かあったのかとわからせないように「えへ、なかったよ。気のせいだった」と言って待たせてごめんとそのまま帰った。
そして臆病な私は・・・翌日の運動会を休んだ。
私はいつも親に、はっきりしない無口な出来の悪い子だと呆れられていて、二つ違いの姉の良美やサッカーチームに入り活発で甘え上手なすぐ下の弟の大輝にも馬鹿にされていた。
そんな元気な2人にはさまれ、いつしか私の存在は両親にも薄いものになっていった。
私がその朝調子が悪いから運動会を休むといったら「母はお昼はないからね!」とそう言うだけだった。
私はその出来事以来、委員長を気がつかれないようにそっと目で追うようになった。
小学校の2年生まで一緒にいつもいた幼なじみで、3年生にあがる前に急に私達から離れていった倉田章吾を。
彼は子供とは思えない理性的な言動と思いやりで信者を中学校でも増やし、いつも話題の人だった。
あの時かばわれた私はほのかに思いをよせるようになっていた。
まだ初恋とも呼べぬ、そんな淡いものだけど。
町には中学校も一つしかなく、中学に皆そのまま上がった。
倉田は生徒会長に中学2年の終わりになったので倉田の事を皆は委員長から生徒会長と呼ぶようになった。
そんな倉田を私はそっと目立たないように見つめていた。
今も仲良く共に過ごす幼なじみの千歳達は、そんな私の思いを知っていても気がつかないふりをして黙って見ていてくれた。
そんな私の日々が劇的に変わったのは、ある日の放課後いつものようにトロくさい私がボケっと帰る準備をしていた時だった。
部活動をしていない私は、千尋達を部活に見送ってからいつも宿題を教室で終わらせてから家に帰っていた。
勉強が得意じゃない私は、教室に残ってするようにしていた。
たまに残っている他の子がわからない所を教えてくれたり、先生にも聞いたりできる時もあるからそんな時は凄く嬉しかった。
けれど実のところその理由は家に早く帰りたくないからというのが本当だったりする。
狭い我が家には小さな子供部屋が2つあり、初めは一つを姉の良美が、もう一つを私と弟の大輝で使っていたんだけど、大輝も小学6年になり自分だけの部屋を欲しがるようになった。
けれど姉の良美は今さら私と2人は嫌だといい、大輝も1人が良いと言う。
結局困った母が「陽子、あんたは茶の間の脇で当分寝てよ。勉強もテーブルですりゃいいでしょ。洋服とかは私の部屋に置けばいいから」そう言って私の返事もきかずに決めてしまった。
私は別に自分が茶の間の脇で眠るのが嫌だったわけじゃない。
そうじゃないけど、そのモヤモヤとした何か、どことなくそうして切り離される自分の家族での立ち位置が寂しくつらかった。
だから私はこうしてグズグズと今も教室に残っていた。
教室の扉がガラッとあく音がして人の気配が近づいてきた。
誰かなと音のする方を見ると驚いた事に生徒会長の倉田が入ってきた。
こうして面と向かって対峙するのは、もう随分小さな時以来だ。
驚いている私に倉田はそのままそばによってきた。
「お前いつも俺の事隠れて見てるよな。なあ、またガキの頃のように俺といたくないか?」
その優しい囁きに私は何がおきてるのかわからないなりに、思わずコクンと首を振り返事をしていた。
「昔っからお前は俺の後をついてきたのに、幼稚園に入ってから、高橋達ともつるみだした、俺の許しも得ないでな」
「俺を優先しないならいらない」そう思って離れたのに、やっとお前が俺だけを見てくるようになった。
「もう少し罰としてほっておこうと思ったんだけど、まあいいや。もうあいつらとつるむんじゃねえぞ」
その言葉の意味がどういう事かわかっていても、目の前の夢のような出来事に、その幸せに私は飛びついてしまった。
私はそれから、倉田の言う通り千歳たちから離れ幼なじみの2人が中学を卒業するまで、私を心配するようにこちらを見てるいるのを知っているくせに、気がつかない振りをして中学を卒業した。
倉田は気が向けば私をそばにおくけど、それ以外は知らん顔だった。
私は倉田のそばに侍るようにいる、学校でも目立つグループの女の子達を、その子らと楽しそうに話す倉田をつい悲しそうに見ている事の方が多くなっていて、それを千歳たちが心配して私に会いにきてくれた時も「関係ない」とつっぱねた。
だってそうしないと倉田がかまってくれないから。
高校は幼なじみの私たち全員、見事にバラバラで、進学校に入学した倉田はやはりその高校でも目立っていた。
高校入学と同時に倉田との関係は自然消滅になるんだろうなと諦めていた私に、倉田は新しい関係を求めてきた。
初めて倉田の部屋で抱かれた日、私は嬉しさに泣いた。
「俺だけを見ていろ」そう言う倉田に私はただ頷いた。
けれどそういう優しい時間はすぐに消え失せ、呼ばれて倉田の家にいくと平気な顔をして、他の女の子を抱いている姿を何度も何度も私に見せつけてくるようになっていた。
初めはみっともなく泣いてすがって、やがてそれが重なるたびに、自分が悪いんだと自分を責めて、もういくのはやめようと思うのに、呼び出されれば飛んでいく私がいた。
そんな日々を送っていたある日、古本屋でマジックセットなるものがとても安く売っていた。
その時私は何も考えず、それを手にとり買っていた。
家にも、学校にも、ましてや倉田の所にも居場所がない私は、それを公園のベンチの街灯の灯りのもと開いてみた。
入っていたのはキラキラ光るコインで説明書を見ながら、私はそのコインで遊び出した。
街灯のそれほど明るくないそこで、そのわずかな明かりでさえキラキラ光るコインは、私をあっという間に魅了した。
コインにトランプカード、それらをいつでももち歩き、私はそれらの練習に眠る時間さえ削ってのめり込んだ。
勉強も運動も、まして倉田の中でさえ、1番にも2番にも、それこそ3番目にすらなれない私が不思議な事にそれらを扱うのが、息をするように出来た。
それから私はそれにのめりこんだ。
東京でそれらの品の即売会があるのを知り、初めて親に我が儘を言って東京にいくのを許してもらった。
それほど大きな会場じゃなく人もあまり入っていなかったけど、最新のグッズのいろいろに私は目を輝かせていた。
試せるコーナーもあり、私は無心で大好きなコインやカードで遊んでいた。
四枚のコインを指の間に挟んでくるくると、指の間を最初はゆっくりと、徐々にそのコインの厚さになれると、目まぐるしくコインを順々に指から指に流していく。
夢中で遊んでいた私に声がかかった。
「上手いもんだな」と。
警戒をした私にその大人の男は、
「どうだ、試しにうちでバイトしてみないか?」そう簡単に言った。
「今から鍛え上げれば、若くそれなりの容姿だ、うちの店にもってこいなんだがな。どうだ?好きなコインで食っていけるぞ」
それが私と「黒カケス」の責任者である逢坂倫との出会いだった。
初めておっかなびっくり連れられていったそこは、まるでおとぎ話のような私の知らない夢のような世界だった。
大きな男の像とその足元に控えるこれもまた大きな三つ首の犬の置物がぐるりと入口をとりかこみ、逢坂さんに連れられてはいった「黒カケス」という豪華な建物にも圧倒された。
逢坂さんにそのままそこで働らく人達に紹介され、私は休みの前日の夜からそこで見習いとしてアルバイトをするようになった。
毎回交通費を含めあり得ないほどのバイト代になった。
普段慎重にすぎるくらいの自分が大好きな事を仕事にできるとの言葉にすぐ飛びついたのは本当に幸運だった。
あの時は騙されてもいい、そう思っていたから。
私がする仕事は、カジノ風のコーナーでコインやカードで客の相手をする事だった。
もちろん、私はまだまだ助手を勤めているだけだったけど。
そこは選ばれた会員だけが遊べる施設で、信じられないくらい洗練されたゴージャスな人達ばかりで溢れでいた。
週末や長い休みは逢坂さんの用意してくれた従業員専用のマンションにやがて寝泊りするようになり、そこのマンションに入るという事は認められたという事らしく私の「黒カケス」での師匠エドさんにお祝いされた。
エドさんは自称アメリカ人の、どうみてもバリバリの日本人なんだけど、心はアメリカ人なのでエドと呼べと初対面に言われた人だけど,まるで魔法のような指先をもっていた。
エドさんのもと、私は「黒カケス」にどんどん馴染んで、部屋をもらってからは特に家に帰らなくなった。
私がバイトするにあたり、逢坂さんは両親に誰でも知ってる企業の名刺を渡し、言葉たくみに私の才能うんたらと言いくるめ、もともと関心の薄い私の事だし、逢坂さんからの支度金を渡され何も口出ししてこなくなった。
姉だけは、逢坂さんが部下も連れて颯爽と現れたので、まあ、見た目もあの恐いところを知らなきゃすごくかっこいい大人の男の人だから「何であんたなんか」と家に帰るたび私に文句を言ってくるけど。
「黒カケス」の従業員には、他の二つの施設もそうなんだけど専用の美容スタッフや衣装スタッフがいて、私は今のところ最年少、それも現役女子高生でそれに加えてぽやんとした田舎者ときて、何の手入れもされていない私を砂糖にむらがるアリのように彼らはよってたかって構い倒してきた。
ただただ伸ばしていた髪はまず髪自身の手入れから始まって納得のいく髪質になるとショートボブに切られた。
ここでは皆いろいろなものに従業員は扮装していて、私ははじめ只の猫耳魔女風だったのが、半年近く立った今、正式に「ケットシー」になった。
どれだけのお金をかけてこの扮装を用意するのかはしれないが、鏡の前で毎回自分のその姿を見て自分でも自分だとは信じられない。
胸がないのがコンプレックスだったんだけどそれがプラスに幸いして性別不明の大人の妖艶さと子供の無邪気さを合わせて持つ不思議な生き物がメイクの素晴らしさもあって出来上がっていた。
歩く姿はしなやかで、ユルユルと大ぜいの人の溢れる「黒カケス」の中をまるで泳ぐように動く姿は、客たちの目を楽しませていた。
ただの運動音痴だから、ゆっくり気をつけてどれだけの値段をするのか聞くのも恐ろしい扮装一式を傷つけないよう歩いていただけだったんだけど。
学校に戻っても、どうやら私は東京でモデルにスカウトされたらしいという噂が勝手に一人歩きしていて、実際確かに私は「黒カケス」にふさわしい自分であるために努力もしたし、自分のみてくれにも気を使うようになったから。
もちろんプロの方たちが手塩にかけてくださっているのだから当たり前なんだけど、私はそれら全ての「黒カケス」に感謝してそれに恥ずかしくないよう生きていくようになっていた。
私のこの指や手のひらは、わずかなほんのわずかな感覚を大事にする仕事なので、与えられている最高級の天然シルクの薄い手袋をほとんどの時間身につけていた。
もちろん体育なんて見学だ。
東京で、自分の過ごせる自分だけの優しい場所を見つけた私が高校をやめるのはそれからすぐだった。
ちょうど実家を淡々と出て行く日、挨拶がてら迎えにきてくれた逢坂さんの車に乗り込む時に学校帰りらしい倉田をみかけた。
相変わらず同じ高校らしい女の子を連れていたけど、私はもうあの頃のように苦しく感じなかった。
私は倉田に何も与えられなかった、ただそれだけが悲しいな、そう思った。
久しぶりに私を見る倉田はひどく驚き、次に目を見張り、私の為に高級車の車のドアを開けてくれた逢坂を見て顔をしかめた。
そのまま車に乗り込んで「黒カケス」に向かう私に、倉田は何か怒鳴りながら見たこともない必死な顔をして走り出し、スタートした車を追いかけてきたけど、逢坂さんはチラとも見ずに私に何か聞く事もなかった。
倉田にとって半年以上の空白は気にも止めない事だったんだろうけど、私にとってのその月日は「ケットシー」に生まれ変わる大切な日々だった。
もう二度と帰らない町を決して振り返らず、私はいつか最高峰の「狂いうさぎ」までたどりつけるよう、願いをこめてキッと前を見据えた。
私の心も体も不器用で、けれどそれに反比例して指先だけは器用だった。
私はやっとこれで1番をめざす。
大好きなキラキラしたコインは誰にも渡したくないから。