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女王陛下は恋をする?  作者: 時永めぐる
おまけな話
7/8

女王陛下と流れ者(下)



 デリアは、私室のベッドの上で悶えていた。

 非常に切ない心持ちで、ごろごろと転がっていた。

 それもこれも、あのヴェルナーのせい――と言うのはデリアの心の叫びであり、単なる八つ当たりである。

 つまり、とんでもなく面白かったのだ。『花はまた咲く』というあの物語が。 

 何度も泣いたため、目の縁がうっすらと赤い。腫れた目をこすってデリアはもう一度ゴロンと寝返りを打った。

 読み返したいと思うが、再読したらまた泣く。むしろ結末を知っている分、伏線部分を読んだだけでも泣く。絶対泣く。

 そうすれば、明日の朝デリアの目はパンパンに腫れ上がっているに違いない。

 そんな顔をみんなに見せるにはいかないので、精一杯の自制心で再読の誘惑から耐えているのだ。

 これは結構辛い。


(もー! 全部ヴェルナーのせいよ。どうして休前日に渡してくれないの! 馬鹿! ヴェルナーの馬鹿!! 絶対にこれ嫌がらせだわっ)


 心の中でさんざんヴェルナーに悪態をつき、思いつく限りの罵詈雑言を投げつけてみても、一向に胸の苦しさからは解放されず。

 大きなクッションを胸にぎゅっと抱きしめて顔を埋めた。彼女の口からこぼれた意味のない奇声は、柔らかい中綿に吸われて消える。

 デリアはそのままの姿勢で目を閉じ、先ほど読み終えた物語の世界へ思いを馳せる。

 舞台はキュールの城下。

 主人公はめっぽう腕っ節が強い流れ者の男。情に厚すぎるのが玉にきずで、様々な事件に巻き込まれるのだが、その事件を持ち前の剣技と知恵とで解決していくのだ。

 流れ者が主人公であり、無法者もたくさん出てくる物語のため、登場人物の言葉遣いが軒並み悪いことが気になったのだが、そんなことを気にしていたのは、冒頭のほんの数ページだけ。

 休憩時間は終わりだと告げるレオナルトを恨み、夜が待ち遠しくてしきりにそわそわするほど、どっぷりとのめり込んでしまった。

 短編形式で進む物語の最終話で、主人公が実は貴族の子弟で、家督争いに嫌気がさして家を飛び出したのだと判明する。

 彼が出奔することでお家騒動はおさまった。だが、今度は家督を継いだ弟が不審死を遂げ、困り果てた妹が彼に助けを求めてきたのだ。

 物語は呼び戻しに来た従者と共に、故郷へ旅立つところで終わるのだ。


(これは絶対、続きがあるわよね)


 思うと同時に絶望的な気分になる。

 まず続きがあるかどうか調べなければならず、あると分かればどうにかして取り寄せなければならない。が、それを秘密裏に行うのは困難である。まさかデリア本人が隣国まで買いに行くわけにもいかず、どうやったって人の手を介さなければならないのだ。であればその過程で必ず……

 

(ヴェルナーに絶対ばれちゃうもの)


 うらめしい。悔しい。腹立たしい。

 訳知り顔でにやりと笑うヴェルナーの顔を脳裏に思い浮かべて、デリアはクッションに勢いよく拳を叩き込んだ。ばふり、と柔らかな音がして、彼女の拳は痛みもなく柔らかい布に包まれる。


「ああ! もう! 明日も早いのに、これじゃ眠れないじゃないの、馬鹿ーー!!」


 頭を抱えてジタバタともがく彼女の罵声は、誰にも聞かれず部屋の隅に凝る闇に消えた。



 翌日。

 案の定、寝不足気味のデリアはあくびを噛み殺しながら執務についた。頭が回らないわけではないが、体がだるい。


(ああ、長い一日になりそうね)


 と、小さなため息をつけば、そばに控えたレオナルトが、感心しないと言いたげに小さく眉を上げた。

 デリアが寝不足なのも、その原因が何かも全て知っている顔だ。


「――大丈夫よ。執務に支障は出さないわ」

「ならば宜しいのですが。体調管理も役目の一つでございますぞ」


 多少ハメを外しだっていいじゃないか、と思ってしまうのは未熟者の甘えだ。沸き起こる反発心を理性で押し殺して頷いた。


「分かってるわ。気をつけます」


 そんなやり取りを知ってか知らずか、昼下がりのちょうど良い時間に、またヴェルナーが現れた。

 毎度毎度お茶の時間にやってくる男に対して、そんなに仕事が暇なのかと嫌味のひとつやふたつや三つや四つ言いたかったのだが、今日に限ってきっちり仕事を持ってやって来たものだから、文句は言えない。

 ヴェルナーが持ち込んだのは、他国の王からデリア宛に届いた書簡で、そこには彼の国の王太子が婚約したこと、婚約披露パーティを開催する旨が(したた)めてあった。

 

「ふむ、めでたいことですな」

「レオナルト、この場合、誰を向かわせるべきかしら?」

「王になるべく血の近い王族のどなたかですな。通例でしたら王子が赴くことが多いかと。ですが、デリア様にはお子がおられませんので……」

「叔父上のどちらかにお願いするのが妥当よね」


 デリアの答えに、レオナルトとヴェルナーが頷く。


「カール叔父上にお願いしようと思うのだけれど、どうかしら?」


 デリアには、カールとクラウスと言うふたりの叔父がいる。ふたりとも前王であるデリアの父の弟だ。

 彼女が名前を上げたカールは、王都にほど近い領地でのんびりと暮らしている。中央の政治には一線を画して暮らしている。が、だからと言って政治に疎いわけではない。自分がいてはデリアがやりにくかろうと言う配慮から領地に退いたのだ。人当たりのよい容貌に穏やかな性格の人望厚い人物であり、祝賀の使者としてうってつけだ。


「左様でございますな。カール様が適任かと存じます」

「ではそのように」

「御意。では早速カール様へ連絡をいたします」


 レオナルトが頷けば


「では、カール様からの返答があり次第、返事を作成いたします」


 とヴェルナーが続けた。デリアはふたりに向かって頷き、その話は終いとなった。

 デリアとの話が終わったヴェルナーは、レオナルトと実務的な相談をしている。ふたりのやり取りを見ながら、彼女はヴェルナーに声をかけるかどうか、酷く迷っていた。

 あの本に続きがあるのかどうか聞きたい。

 しかし、素直に尋ねるのは悔しい。

 さて。

 どうしたものか。

 逡巡に逡巡を重ねているうちに、彼らの話は纏まったようだ。

 ヴェルナーはレオナルトの机から体を離し、レオナルトとデリアに小さく一礼するとふたりに背を向けた。


「ヴェルナー」


 咄嗟に呼び止めていた。


「何でしょうか、陛下」


 呼び止められた男がゆっくりと振り返った。

 だが、何の心の準備もなく反射的に呼び止めてしまったデリアには、次の言葉がない。正直に聞いてしまえと言う気持ちと、何でもないと誤魔化して帰してしまえと思う気持ちがせめぎ合う。


「い、いえ。その……」

「そう言えば、昨日お渡しした本はいかがでしたでしょうか?」


 狼狽えるデリアの言葉に重ねるようにヴェルナーが訊ねた。


「実はあの本には続きがございまして」

「やっぱり! ――あ。い、いえ。なんでもありません。そうですか。続きが。まぁ大流行していると言うのなら、続きが出ていたとしてもおかしな話ではありませんね」


 殊更平静を装うが、最初の言葉で見事に失敗している。

 ヴェルナーはデリアが例の物語を充分に楽しんだことを察し、満足げに目を細めた。


「ええ。仰る通りです。続きが大変気になりまして、先日、全巻取り寄せてしまいました。まさか自分でもこんなに夢中になるとは思ってもおりませんでした。いやはやお恥ずかしい」


 と照れた振りをする男を、デリアはまじまじと見つめた。昨夜、あれほど欲した続編が彼の家にあると言うのだ。それも『全巻』と言うからには、続編は複数あるのだ。

 読みたい。それこそ喉から手が出るほどに。

 ここで素直に読みたいと言えば、きっと彼はデリアに貸すなり譲るなりしてくれるだろう。

 けれど。

 当然あなたも夢中になりましたよね? と言わんばかりの得意げな顔をしたヴェルナーに読みたいと打ち明けるのは、彼女にとって敗北を意味する。

 何を張り合っているわけでも、戦っているわけでもないのに、何故かそう思えるのだから仕方がない。

 読書欲と意地の間で、揺れ動く。


「私はもう全て読み終わりましたし、もし陛下がご所望とあれば本日中にお届けいたしますが」


(このっ!)


 デリアは心の中で歯噛みした。

 続きを読みたければ、読みたいと言え、と。ヴェルナーはそう言っているのだ。

 ここで意地を張って要らないと言えば、もう読めなくなる確率が高い。彼の申し出を蹴っておきながら、後日こっそりと取り寄せようとしたなんてことがばれたら、それこそ死ぬほど恥ずかしい。デリアの自尊心の高さを考えれば、彼の申し出を受ける受けないは、続きを読む読まないと同義であるのだ。


「つ、続きがあるなら……読んでみたい気が……するかもしれません」

「陛下、そのお言葉は続きをお読みになりたいと、そう解釈してよろしいのでしょうか?」


 デリアの曖昧な物言いに、ヴェルナーが念を押した。


「……そう理解して貰って、何ら支障はありません」


 少し言い淀んだ後、彼女はまた遠回しに告げた。

 傍から見れば単に往生際が悪いだけなのだが、言われたヴェルナー本人は


(最後の最後まで抵抗を諦めないとは、なんと可愛らしい!)


 と益々笑みを深める始末だ。


「承知いたしました。では、後ほどお持ちいたしますのでお待ちください」

「ええ。手間をかけさせますね」

「手間などとはとんでもない。我が蔵書を陛下にお渡しできるのは、望外の喜びでございます」


 さも嬉しそうな様子に、デリアは何故だか嫌な予感がした。背筋がぞわぞわとするのはどういう事だ? という疑問はすぐに解消される。彼女にとってあまり好ましくない形で。


「私が手にしたその本を、陛下のその美しい指がなぞるのかと思うと、想像しただけで胸が震えます」

「はっ!?」


 耳が拾った音を、頭が理解するのを拒んだ。


(い、いま、何て……言ったの、この男は!!)


 椅子から転げ落ちそうなほどのけ反りながら、上機嫌で立つ男の秀麗な顔を穴が開くほど見つめた。

 見た者が驚くほど端正な顔の、その形の良い唇から零れた言葉は何と……


(気色悪っ!!)


 いくら変人でも言っていいことと悪いことがあるだろうと、デリアはうんざりしつつ動揺すると言う器用な真似を繰り広げている。

 デリアからの返事がないのを良いことに、ヴェルナーは更に言葉を重ねた。


「ああ、ですが、褒美を頂戴できますなら、そうですね、陛下の手にキスをさせていただく権利をお願いしたく」


 デリアが動揺する様子を、完全に面白がっている。その気配を察した彼女は狼狽えるのをやめて、男の顔をキッと睨みあげた。


「お黙りなさい! 人をからかって面白がるなんて悪趣味だわ!」

「誤解です、陛下。私の気持ちは嘘偽りなく貴女をお慕いしております」


 さも心外そうに悲しげな顔で小首を傾げる。が、目が興味津々と言った風にきらきらと光っているのだから、単純に彼女の反応を楽しんでいるだけなのだ。


「そんな演技に騙されると思う?」

「……これはこれは。陛下は私のことをよくご存知でいらっしゃる」


(やっぱり!)


 今までの言動はやっぱり全部からかいだったのかと合点がいくと同時に、無性に腹が立った。


(なんで私が、この男に振り回されなきゃいけないのよっ!!)


 狼狽えてしまった羞恥がさらに彼への怒りを増幅させて、ついぽろっと言ってしまった。


「こ、この、腐れ外道がっ! ――――あ……」


(まずい)


 はた、と気が付いたが後の祭りである。「この腐れ外道が!」は『花はまた咲く』の主人公の決め台詞なのだ。これでは彼の本に執心なのが明白ではないか。

 案の定、男の顔がしてやったりと口の端を吊り上げた。


「そのように下品な罵りが陛下の口から零れるなんて!」


 何とも嘆かわしいと大袈裟な身振りで首を振り、ヴェルナーは机に両手をついてデリアに向かって身を乗り出した。


「ち、近い! 下がれ!」


 更にのけ反って少しでも彼から距離をとろうと努力しつつ、デリアは今にもひっくり返りそうになりながら、裏返った声を上げた。が、ヴェルナーはどこ吹く風である。


「しかし、その罵りが私だけに向けられていると言うのはとても幸せです。だって、陛下がそのようなことを言うのは私にだけでしょう? ああ、幸せでどうにかなりそうだ」


 どうにかなりそうなのは、こっちだ! ――ただし不幸と言う意味で。内心でそう突っ込みを入れながら、ヴェルナーを睨む。顔が赤いのは隠しようもないので、そこは諦めた。


「な、な、な! 何を言うかこの変態がっ。気持ち悪い! 失せろ!」


 また覚えたての悪態が口をついて出る。

 既に冷静さなどというものは、空の彼方だ。目の前の男が恐ろしく気持ち悪いんだから仕方がない。女王としての冷静さより、自分の身のほうが大事だ。これ以上、彼の言動をまともに聞いていたら、気持ちが折れる。萎える。得体のしれないものに侵食されそうだ。どうにか逃げられないものかと悩む彼女の耳に、追い打ちがかかる。


「ああ、またそのような乱暴な言葉を……しかし、陛下の口から零れる言葉の何と麗しいことか。もっと仰ってください、さぁ!」

「い、いやぁ! ちょっと近寄らないで、変態が伝染るじゃないの! さっさと消え失せなさーい!」


 デリアの絶叫が、執務室に木霊した。


 

 若いふたりが変わった修羅場を演じている間、補佐官のレオナルトはわれ関せずと自分の仕事をつづけ、一区切りをつけた。

「これでよい」

 書き終わった書類を束ねて満足のため息をつきながら顔を上げれば、ちょうどデリアが切れて絶叫したところである。

 それを元気の良い孫が戯れを見るような温かい眼差しで眺めている。


「いやぁ、仲がよろしくて良いですなぁ」

「どこを見て仲が良いと言うのですか、レオナルト!!」


 かかと笑えば、デリアがきっとレオナルトを睨む。


「ははは、そう照れずともよいではございませんか、陛下」

「お黙りなさい、ヴェルナー! あなたが余計なことを言うから拗れるのです!!」


 更にいきり立つデリアと、宥めるように見せかけてわざと火に油を注ぐヴェルナー。本人たち……と言うよりもデリアにしてみたら、腹立たしいことこの上ない一幕なのだろうが、レオナルトにとってみれば微笑ましいばかりだ。


「デリア様の口の悪さには目を瞑りましょう。ささ、私には構わず、続きをどうぞ。私は少し失礼して休憩の用意をしてまいりましょう」


 にこやかに言い放ち席を立った。


「ま、待ちなさいレオナルト!」


 背中に焦りをにじませたデリアの声がかかったものの、彼は素知らぬ風で部屋を出た。

 長年、前王の宰相を務めてきた彼には政治の手腕だけでなく、人の心を(おもんぱか)ることにも長けている。小さい頃からデリアの成長を見続け、即位してからも補佐官としてずっとそばにいた彼には、彼女より彼女の心情をよく分かっている。


「もう少し、素直におなりなさいませ、デリア様」


 扉の外でレオナルトはそうひとりごち、それは誰にも届かない。もし、デリアに届いたとしても、きっと彼女は反発を覚えるだけで、彼の言には耳を貸さないだろう。 

 彼女が素直になるには、もう少し時間が必要のようだ。

 ゆっくり進んでいけばいい、とレオナルトは小さく微笑んだ。


「さて。茶の用意をいたしましょうか」




 

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