女王陛下と流れ者(上)
最近、頭痛の種が格段に増えた女王デリアは、不機嫌を隠そうともせず頬杖をついていた。
「で? どうしてあなたがここにいるのですか、ヴェルナー?」
空いた方の手の人差し指で、重厚な造りの机を叩けばコツコツと乾いた良い音がする。が、音の小気味よさと反比例するように、彼女の気分はよろしくない。
「……そろそろお茶の時間、だから? でしょうか?」
不機嫌極まりない顔と仕草のデリアはなかなかの威圧感を持っているのだが、目の前の青年には全く効果がないようだ。男は太陽のような笑顔を惜しげもなくふりまいている。
「何ですか、その曖昧な理由は。だいたいなぜ語尾が疑問形なのです! 私に問うてどうするのですか! 用がないのでしたらお下がりなさい。私は忙しいのです」
「――と陛下はおっしゃっておられますが……。レオナルト様、そろそろ陛下はお疲れの時間ではございませんか? 少し休憩をとられた方がよろしいかと存じますが」
刺々しさ満載ですげなく言い放つデリアをよそに、ヴェルナーは補佐官のレオナルトに賛意を求める。
いきなり話題を振られたレオナルトは動じる風もなく顎に手をあてて、うむ、と考え込む……ふりをした。
急ぎの仕事があるわけでもないので、本来なら二つ返事で良いのだ。が、あっさりと承諾してしまってはデリアがつむじを曲げるに違いない。彼女がその憤りを仕事に持ち込むような性格でないことは分かっているが、しかし不機嫌な相手と組んで仕事をするのは少々面倒くさい。些細な演技でそれが多少なりとも解消されるなら、やっておいても損はない。
「ふむ。確かにヴェルナー殿の言うことには一理ありますな」
(この裏切り者!)
とデリアが睨んでも、老獪な補佐官にとっては微風にもならない。
面の皮が厚い二人の男を一度に敵に回しては、彼女にとってはかなり分が悪い。と言うか、はっきりと言って勝ち目はない。
「ありがとうございます」
ヴェルナーはレオナルトに一礼して、再びデリアへ向き直った。
「――陛下。疲れていては仕事の効率が悪くなります。適度な休憩は大事かと」
(よくもまぁぬけぬけと。どの口がそう言うことを言うわけ!)
つい先日、この男の口車に乗って痛い目を見たばかりだ。
こめかみに青筋が浮きそうになるのを指で揉み解すことで抑え、デリアは大きなため息をついた。
「分かりました。では少し休憩にいたしましょう。――レオナルト」
「御意」
レオナルトは待機していた小間使いに茶の用意を命じた。
その間にデリアは、ヴェルナーの追い出しにかかった。両腕を机の上で組んで、やや身を乗り出すようにして、目の前に立つ男を見上げた。
「さて。あなたの意見はこの通り、容れました。まだ何か用が?」
用がないならさっさと帰れ。
どうせこの程度冷たいことを言ったところで、彼が動じるはずもないし、何だかんだと理由をつけて居座ろうとするに違いない。どんな理由も片端から切り捨ててやろうじゃないかと対決する気満々で身構えている。
(二度とふたりっきりになんてなるもんですか。居座るなんて言いだしたら、衛兵を呼んでつまみ出してやる。ついでだから二、三日ぐらい牢に入って貰うのも良いわね)
猫のように首根っこを掴まれて追い出される彼の姿を想像して、わずかに頬をゆるませた。
「いいえ。ございません、陛下」
「え?」
あっさりとした否定の言葉がヴェルナーから発せられた。肩透かしを喰らった気分のデリアは間抜けな声を上げたが、弱みを見せたらおしまいだとばかりに、咳払いで誤魔化す。
「そ、そうですか。用がないのならもうお下がりなさい。私はひとりになりたいのです」
「御意のままに。それでは御前失礼いたします」
完璧な礼をとり、彼は退出するべく踵を返した。
(やけにあっさりと引いたわね。何か裏でもあるんじゃないの!?)
背中を見せたからと言って警戒を解いてはいけない。何せ彼は海千山千の大妖怪予備軍なのだから。
(ヴェルナーが退出し終わるまでが戦いよ!)
以前から苦手だと思っていたが、あずまやでの件以来この男がますます苦手になっていた。
いや、苦手なはずなのに触れられても嫌じゃない、それどころか奇妙な胸の高鳴りまで覚えてしまうのだから、ただ単に『苦手』と言うよりも始末が悪い。
こんな七面倒くさい男には関わりたくないと言うのが彼女個人の本音だが、しかし優秀な臣下なのだから関わらないわけにはいかない。
逃げ出せないのなら仕方がない。大きな棘を身にまとい、虚勢を張って対峙するしか残されていないではないか。
全く厄介な男に絡まれたものだと、知らず知らずのうちにため息が落ちる。
デリアが息をつめて凝視するなか、悠々と部屋を横切った男がドアノブに手をかけた。手首を小さくひねれば音もなく重厚なドアが開く。
安堵のため、デリアの肩からほうっと力が抜けた。
(よ、よかったぁー! やっとこの緊張から解放され……)
「あ。いけない。陛下にお渡ししたいものがあったのを忘れておりました」
せっかく開きかけたドアが元通りに閉まり、気を抜いた一瞬を突かれたデリアは冷静な仮面をかなぐり捨てて、思い切り嫌そうに顔をしかめた。次の瞬間にはそれに気付いて無表情に戻るが、動揺に目だけは泳いだままだ。
彼女は、ヴェルナーの行動に、感情をかき乱されるのをひどく嫌っている。彼の前で冷淡な態度を貫きたがるのはその現れで、彼が何を言おうと何をしようと彼女には何の影響も与えていないという、その意思表示なのだ。
なのに、思い切り感情を露わにしたところを見られてしまった。デリアは臍を噛んだ。
ヴェルナーは彼女のもとへと逆戻りしつつ、狼狽える彼女の顔をじっと見つめた。その目が楽しげに細まっていることが、確信犯であることを示している。
デリアもそれを察し、まんまと騙されたと頬を紅潮させた。
が、だからと言って誰が彼を咎められよう。
彼はただ、退出間際に用事を思い出しただけなのだから。
例え彼が、デリアが己を苦手と思っていることを知っており、彼女をからかいたいがためそれを利用したのだとしても、だ。
そして大人げない糾弾をやってのけられるほど、デリアの自尊心は低くない。
(ほんっとーにいけ好かない男ねっ!!)
と、心の中でいつも通りの悪態をつくのが、彼女に出来る精一杯だ。
「私としたことが大変失礼いたしました」
(なに言ってるのよ。わざとでしょうが、わ・ざ・と!!)
喚きたいのをぐっとこらえて平静を装う彼女の前に、すっと一冊の本が差し出された。
「これは?」
「はい。先日、隣国キュールに赴いた際、買い求めた本でございます」
若草色の表紙に、題名と著者名だけが書かれた簡素な装丁の本である。
「『花はまた咲く』……ですか」
デリアはタイトルの文字を口にした。若草色は新芽を表現しているのかとぼんやり考える。
「はい。今、最もキュールで流行っている本だそうで、読者層は市井の民から貴族までだいぶ幅広いようですね」
と言っても、中心は庶民のようですが、とヴェルナーが締めくくった。
言われてみれば確かに宮廷の図書室にあるものよりもかなり雑な造りで、紙の材質も落ちる。それでも本は本。市井の民にとって高価なことに変わりはない。そこを物ともせず流行るというのなら、相当に面白いに違いない。
もともと本好きのデリアだ。かなり興味を引かれた。
が、差し出してきたのは、ヴェルナーだ。素直に読みたいなどと言いたくないし、興味を持っている素振りさえ見せたくない。
「そう」
と素っ気ない返事を返して興味がない振りをする。
「何がどう民衆に受けているのか気になりましてね。普段はこの手の本を読まないのですが物は試しと読んでみたのです。すると、これがなかなかどうして面白い。あっという間に読み終えてしまいました。休憩のお伴にちょうど良いのではないかと思いまして」
受け取らないデリアの代わりに、ヴェルナーはその本を机の上にそっと置いた。
「民衆に受ける本と言うのは世相を反映しているものです。それに、キュールの民の生活についても触れることが出来ますよ。読んで損はないと思いますが?」
ヴェルナーの誘いはデリアの興味のど真ん中を突いてくる。そのうえ、暗に挑発までしているではないか。
情報や知識は武器だ。一見、役に立たなそうなものでも、思わぬところで役に立つことがある。女王だから下々のことは知らなくても良い。そんな傲慢に浸っては、いつか後悔する日が来るかも知れない。
今、ここに彼女の知らない情報を記した本がある。なのに、ヴェルナーへの意地だけでそれを無下にするのか? と。
人を食ったような笑みがデリアを見下ろしている。
そんな目で見られて、勝気で真面目な彼女が引き下がるはずはない。腹立たしさを押し殺して、差し出された本を手に取った。
「よく分かりました。では遠慮なく読ませていただくわ。ありがとう」
「はっ」
ヴェルナーは恭しく首を垂れ、今度は本当に退出していった。
やっと解放されたデリアは、長いため息をひとつ吐いて、背もたれに寄りかかった。
「花はまた咲く、かぁ」
(どんな話なんだろう)
天敵ヴェルナーがいなくなれば、デリアも素直になる。女王になってからと言うものめっきり物語からは遠ざかっていたが、しかしもともとそう言う類の本が大好きで、久々に読めるとなればやっぱり嬉しい。
それがヴェルナーの持ち込んだものであっても。
(だって本に罪はないし? それにもう受け取っちゃったんだから、意地を張る必要なんてないじゃない)
お茶の支度が整ったと呼ぶレオナルトに促されて席を立ちながら、デリアは腹ごしらえをしたら少し読んでみようと決めた。
短い休憩の間では読み切れないと分かっていたが、しかし折角手に入れた物語を、夜の楽しみにとっておくことは出来なかったのだ。
それにヴェルナーだって、休憩中のお伴にと言ったではないか。早く読んだ方が良いのかもしれない……などと変な理由をこじつけて、正当化を図ってみたりもした。
何とも素直になれないデリアであった。
大事そうに本を持つ彼女の姿を眺めながら、レオナルトは目を細めて小さく笑う。
その眼差しはまるで子や孫の成長を見守るかのように優しかった。
続きは1/13 17時に投稿します。