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女王陛下は逃げ出したい

 大陸の東端にオストールと言う国がある。

 小国と言うにはいささか大きすぎ、かと言って大国と言うには余りにも小さすぎる、そんな中規模の国。歴史の古さが自慢の、牧歌的な農業国である。

 世界のどこにでもありそうな国であるが、しかし他国にはついぞ見られないような面白い特徴がひとつあった。

 王家の人間がみな、人並み外れて見目麗しいということである。

 彼の国においては美貌こそが伝統と権力の象徴だからだ。

 権力を持つからこそ、家柄が良く、美しい娘を娶ることが出来ると言う考えに基づいて、縁組を何世代も繰り返して行けば、美貌の一族が出来上がっていく。

 だがしかし、何事にも例外と言うものがある。

 見る者が目を疑いたくなるほど美しい王族中、数年前に即位した若き女王、デリア・グランツ・オストールその人だけが平々凡々とした容姿をしているのだ。別に彼女の容貌が醜いわけではない。それどころか、むしろ清楚で可愛らしい部類に入る。

 だがしかし太陽のようにまばゆい美貌の中へ混じってしまえは、月影の如きデリアの容姿は否応なく霞んでしまうのだ。

 体調を崩しそうそうに退位を決めた父王の後を継いだ彼女の手腕は、派手ではないものの堅実であり、国外からも国内からもそれなりの高評価を受けている。

 が、デリア女王の話を持ち出す者たちは必ず最後にこう締めくくるのだ。


「もう少し華やかなお顔立ちなら完璧でしたのに」


と。そこに悪意が含まれることがあれば、同情が含まれることもある。



 さて。

 件のデリア女王は、窓から夕暮れを眺めつつ、憂鬱そうなため息をひとつ吐いていた。

 人の上に立つものに悩みは尽きない。国内のこと、外交のこと、公人としての彼女にはそれらが重くのしかかる。そしてそれだけではなく年相応の娘らしい悩みだってある。


「あーもう! 頭は重いしドレスは苦しいし、嫌になっちゃう」


 もうすぐ始まる夜会の準備を終えた彼女は、豊かな髪をきっちりと結いあげ、窓の外の夕空によく似た色のドレスを纏っている。


「憂鬱だわ。――と言っても逃げ出すわけにもいかないものねぇ」


 手にした扇をぱちりと音を立てて閉じ、また深々とため息をついた。

 

「それでも今日はまだマシよね」


 だって外国からのお客様がいないもの、と苦々しく笑う。

『オストール王家は美形揃い』という噂に心躍らせてやってくる者は落胆し、『だがしかしデリア女王だけは例外』そんな噂を耳にした者たちは噂通りと笑う。

 そんな下世話な好奇心に付き合ってやる気も、そう言った底の浅い輩に心を砕く気も、彼女には毛頭ない。が、どれだけ女王として心を鎧っても、デリアと言う娘としての心は充分過ぎるほどに傷つくのだ。


「これも大事なお仕事だものね。落ち込むのはやめやめ!」


 ぐっと拳を握って気合を入れなおした途端、背後からパチパチパチ、と小気味の良い拍手が響き、デリアは文字通り飛び上がった。

 振り返ればよく見知った男がひとり、正装に身を包んで立っていた。今夜の夜会でデリアのエスコートを務める男である。

 彼は何が楽しいのか、満面の笑みでデリアを見つめている


「相変わらず、健気でお可愛らしい。それでこそ、我が敬愛する女王陛下です」

「ヴェルナー!? い、いつの間に!?」

「嫌ですね、人聞きの悪い。私はちゃんとお声掛けいたしましたよ?」


 しかしデリアには、誰何の声を聴いた覚えも、入室を許した覚えもない。


「でも、私は入っていいなんて一言も言ってないわ」


 唇を尖らせて無礼を咎めても、ヴェルナーと呼ばれた男は眉ひとつ動かさず、飄々とした態度を崩さない。


「そろそろ時間なのですよ、陛下」


 だから呼びに来た自分は悪くない、と言外に言いたいのだろうか。デリアはムッとした顔で頭一つ高いヴェルナーをねめつけた。


「分かったわ、ヴェルナー。では参りましょう」

「仰せのままに。――さ、お手をどうぞ。今宵のあなたはいつもに増して美しいですね。そんなあなたのエスコートを仰せつかった私は、この世で一番幸せな男だ」

「…………。――そんな歯の浮くようなお世辞は要らないわ。それとも良く出来た嫌みかしら? 気付かなくてごめんあそばせ」


 ヴェルナーは、すげない返事に軽く肩を竦めたが、気を悪くした様子は全くない。むしろ毛を逆立てる子猫を見守るような目で彼女を見るものだから、デリアの居心地はますます悪くなるばかりだ。

 分が悪いと悟ったデリアは優雅に差し出された手を大人しく取った。

 途端に、彼女の顔は年相応の娘のそれから、女王の顔へ変わる。それは見る者が一瞬見惚れるほどに、鮮やかで劇的な変化だった。一番間近でそれを目撃した男の目が、愛おしそうに、そして誇らしげに細まった。口の端にのぼる微笑が蜜のように甘い。

 隣の男がそんな目で己を見つめていると気付いてもいないデリアは、胸の内の不安や憂鬱と戦っていた。

 負の感情を一滴たりと外に漏らさないように口を引き結び、昂然と顔を上げる。一度公の場に出たら絶対に俯かない。それが彼女の矜持であった。


(大丈夫。今日も絶対上手くいく。皆が頑張って準備してくれたんだもの、私だってがんばらなきゃいけないわ!)


 夜会の会場はもうすぐそこだ。

 何となく視線を感じて目線を上げれば、ヴェルナーのそれと絡む。デリアの不安をほぼ正確に察している彼は、「大丈夫ですよ」と小さな声で囁いた。

 デリアは一瞬ぎょっとしたように目を見開き、次の瞬間感情を露わにしてしまった自分を恥じたのか、やや頬を赤く染めながら視線を逸らした。

 

「よ、余計なお世話だわ……」


 ぽつりと零した憎まれ口とは裏腹に、心は彼の一言で大いに安らいでいた。

 それが一番悔しい、腹立たしいと、デリアは小さく唇を噛んだ。



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