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第一話 恋は“ぜんそく”(天満駅)

 JR西日本・大阪環状線で観察された恋愛模様についてを短編連作の形で綴る地元民だけがニヤニヤできるその場の雰囲気や土地情報をたっぷりつめこんだ、標準語のキャラクターが中々出てこないこと請け合いのオリジナル恋愛小説。なお有川浩著作の阪急電車とは一切関係ございません!


・JR西日本大阪環状線(じぇいあーるにしにほん おおさかかんじょうせん)

 大阪環状線(Ōsaka Loop Line)は、

大阪駅を起点・終点とする21.7kmの路線で、

大阪府大阪市内の大阪駅-西九条駅-天王寺駅-京橋駅-大阪駅間を環状に結ぶ。

西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。

ラインカラーは赤。大阪のダイナミズムをイメージしている。


・天満駅(てんまえき)

 天満駅とは、大阪府大阪市北区錦町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線の駅である。

日本一の長さを誇る天神橋筋商店街や天満市場の最寄り駅であり、また堺筋線への連絡駅の役割を持つ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


            01.こいはぜんそく



 新島健人は喘息持ちで、よく夜中に溺れては助けを求めてくる。


『シズ、今何しとったん?』

「……ん? 別に。ご飯作って、食器洗って、ソファーでボーっと?」


 耳へ押し当てた携帯から聞こえてくる擦れた呼吸音は、病人そのもので。


 ――――だからそれを押しのけるように発せられる健人の明るい声は、

  黒い画用紙へ一滴だけ落とした修正液みたいでいつも嫌に目立つ。


『ふぅん』

「訊いたくせにやる気のない返事やめぇや」


『そう言うたかて今のどこ食いつけばええんすか』

「……日常の動作にまでおもろいん求められても困る」


 その夜も、健人は自室で一通り溺れた後、私に電話をかけて来た。 

声の合い間に、しおりのように挟まれる耳障りなノイズも普段と同じ。


『ですよねー』

「自分、ホンマ返答困ったらそれ言うよな」


『便利やもん』

「ですよねー」


 パクリなや、と、笑いながらたしなめられたから、ごめんと返す。

自分の口から出てきたその声色は、想像していたよりもずっと柔らかく、軽く。眉根が寄った。


 ――健人が溺れて、私に電話をかけるのは何回目のことだろうか。


 わからない。途中で数えるのもアホらしくなった。

 そう。はっきりしているのは、『これ』が儀式みたいに繰り返される度に、

私は健人のそれで慌てなくなって、ああまたかなんて思うようになって、

落ち着いて対処するどころか、ルーティンワークをこなすみたいになったと言うことで、


そんな自分自身を、嫌悪しているってこと。


 ――『慣れ』をまざまざと見せ付けられる度に、健人がどうでもよくなってるみたいで、


 私は、私を許せなくなる。


『……おーい。シズー? 志津子さん?』

「え。あ。う。ごめん、どしたん?」


 自己嫌悪のループにはまろうとしていた意識は、その根源である健人によって引き戻された。

 遠くなっていた思考と耳は手に持った携帯電話に着地して、助かった、と思った。気取られない様にため息を吐く。

ビーズが目一杯詰まったソファーに背中を預けると、安物のそれは深く私を受け入れてくれた。


 電話口から漏れてくる、恋人のテナーバス。


『やからさ、来週の土曜、どうですかって』

「……デート?」


 ニャンマリ、なんて音がつく感じで笑うと、そのトーンで何かを察したのか、

健人は通話当初より幾らか落ち着いてきた呼吸音の数拍漏らしてから、


『…………そです』


 と小さく返答を遣した。

 随分まごついたそれに、浮かべた笑顔には苦笑いの色が混ざる。



「今更照れなや、新島くん。」



 からかい半分で口をつついていた言葉に、ふと思い至ることがあった。

 そういえば、いつだったか――――



 これと同じ台詞を、言ったことがあるな。なんて。




            02.恋は喘息



 私が彼――『新島健人』を、男子という一群から個人にきちんと仕分けたのは、一回生のころ。

 友人の薦めで所属することになった映画研究部の新入生歓迎会が終わり、

そぞろ歩きで向かっていた天満駅への道のり。

 日本一長い、なんて触れ込みで有名な天神橋筋商店街の出口近くだった。


 目的地のJR天満駅は、大阪の中心街である梅田にほど近い場所にあって、

梅田と天王寺を対岸にして、大阪の街を南から北にぐるりと小回る『大阪環状線』、その停車駅の一つだ。

 梅田や、大通りの天神橋筋に近いほどオフィスビルが、

天神川のほとりに近いほど民家や商店が立ち並ぶ天満の土地からは、

茶色とねずみ色だけで満たされたクーピーの銀箱の中みたいな印象を受ける。


「…………」


 私は、


 やいのやいのと口やかましく談笑しながら歩く先頭グループに参加する気にも、

ペースを見誤ってグロッキーになった一部を介抱する中間グループに協力する気にもなれず、

最後尾でぼんやりとアーケードの天井と風景を見ながら歩いていた。

 終電も間近となった天神橋商店街はもはやシャッター通りで、

昼間の喧騒を店の奥にしまい込んだまま、夜明けを待っている。


 お酒はおいしかった。雰囲気もよかった。良いサークルだと思う。


 薄く酒気が混じる肺の空気を鼻から吐き出して、ほんの数時間前に味わった感触を確かめる。

 足取りは飲み会の後の夜らしく軽やかで、今日は良く眠れそうだなと、何となく思った。


 そして、その次の瞬間だ。


 視界が開けたのは。


「え、」


 明るくなった? いきなし? そう感じたのは一瞬で、視線を下に落とした瞬間私の頭と喉と足は凍りついた。

 大柄の男子が、心臓の辺りを抑え、膝を折って――まるで祈るみたいに――蹲っている。

 視界が開け、明るくなった理由がそこにあった。


 靴紐を直している訳がない。

もしそうなら、膝から下がなくなったみたいに、蝋燭の火が消え入るみたいに崩れ落ちる訳がない。


「ぃ――ック、――ぁ」


 浅く上下を繰り返す肩。漏れ出ている苦痛の訴え。

 頭を掠ったのは、心筋梗塞、なんて物騒な言葉だったのに、私の足はゴキブリホイホイに絡まった小虫みたいに動かなかった。

 何しとんの、ええい、この、アホ、おい、足、動け、と、ぶつ切りの言葉が七個くらいアタマに浮かんで、

その全部を役に立たないものとして地面に放り投げたところで、やっとこさその男子に駆け寄ることが出来た。

 膝をついたアーケードのタイルは、とても冷たく冴えていた。


「あ、はは、――まいっ、ヒュゥ、た、こりゃぁ」


 回り込んで、覗き込んで、目に飛び込んできたのは困ったような笑顔だった。

 それに実家で飼っていた駄犬――ゴールデンリトリバーを連想したのは、

現状を完全に、上手に把握しきれていなかったからに違いない。


「え、あ、ちょ、ちょっと、大丈夫なん!? や、あれ、こういう時どうすればええんっ、薬!!?」

「――――やさしく、あいのことばとか、ささやいてくれると」


 殊勝にも嘯く彼の言葉の合間に挟まれる掠れた音が、私の背筋を凍らせる。

ひゅうひゅうと、何かがつっかえたような。それでいて、大切な何かが抜け出ているような。

 聞いているこっちまで不安になってくる感じで、嫌な音。


「アホッ、まっとって。今救急車呼」

「ちょ、ええ、からそういうん!」


携帯を取り出そうとした私の手を、焦って早口になった彼の手が包み込んだ。

 息を呑んで、それを取り落としてしまったのは、

その動きが思いのほか素早かったからではなく、自分の行動を遮られたからでもなく、

その手つきが――壊れ物を扱うかのように、優しかったから。

 目を丸くさせて肩を揺らした私に向かって、やはり申し訳なさそうに笑いながら彼は言う。


「そろそろ、落ち着く、から」


 追いついてきた後続組が、何事かと慌しくなっているのが背中越しに分かった。

 いの一番に聞こえてきたのは、やたらのんびりとした低い声。


「だいじょぶかぁ、新島ぁ」


 ゼヒッ、と乾いた息が横から漏れた。返事のし損ねだろうか。


 ――――その時始めて、彼の名前が『新島』であることを知った。


 私は振り返り、涙目になっていることを自覚しながらその声に助けを求める。


「新島君が死にそうなんやけど!」


 想像していたよりもずっと悲鳴に近かった自分の声は、


「いんやぁ……ただの喘息やろ」


 と呆れの色すら見せながら近づいてくる男子に諌められた。

 私の物騒な言葉を拾ったのか、前の方もなんだか騒がしくなってきたような気がする。

夜陰に包まれた景色が、いよいよもってあふれて来た涙で滲み始める。

 喧騒が、圧迫してくる壁のように感じられた。

息が詰まって、肺が透明な水で満たされているような感覚がして、

まだ座り込む隣の彼の気持ちを、ワンカップくらいは理解できたような気分になる。


 ――――携帯を落として所在なかった自分の右手が、

新島くんの背中を摩ったのは、そんな同情からだったのだろうか。


「んー……多分、飲み会の酒と煙草がわりかったがや。ほやけどもうだいじょぶ」

「――ホンマに?」

「新島、だいじょぶちやね」

「いや、なんで、トシが答えて、はるんすか……。クスリ、飲んでたし、大丈夫、や、けど」

「――――あ……。なら、優しく愛の言葉は囁かんでいらんねんな」


 私がそういった瞬間、新島くんはここ一番じゃないかってくらい盛大に、激しく咳き込んだ。

トシ、と呼ばれた男子がその様子を見てケラケラと笑い始め、緩んだ場の緊張に、なんだかすこんと気が抜けて、私も少しだけ笑えた。

 顔がほおづきみたいに真っ赤になった新島君を発見できたのは、生まれた余裕分だろう。


「今更照れなや、新島くん。」


 からかい半分の、底意地の悪い言葉がぽろりと出たのは、

優しく愛の言葉が囁けないのがほんの少し――小さじ一杯分くらい、残念だったから。



 なんて。んなアホな。






 そんな出会いの後に巻き起こった様々なむにゃむにゃ

(“お付き合い”に至る一役を買ったのが、意外にもトシ君であった事など)は脇においておくとして、これが全部のきっかけだった。

 二年経った今でも、その時のやりとり一つ一つを鮮明に思い浮かべることが出来るのは、

それだけ健人のことが大切で、――――好きだから。

 別れ話寸前に行く喧嘩もなく、ただ着実に愛を育んで来たのはその想いが成せた技だろう。


「――――……っ」


 思って、確認して、胸の奥が静かに軋んだ。

 大切で、特別で、手放せなくて、健人の優しさそのもののようにも思えるそれらが、そうである為に、今の私を全力で責める。


 今と昔の、この違いはなんだと。

 もう好きじゃないんじゃ? と。


 そんなはずはないのに、そうじゃないって言い切れるのに、私は、その有害な正論から逃げ切れずにいる。


「っあ゛ー……、すんません、せっかくのデートやのに」

「――――ええよ、気にせんとき」


「シズ……おこっとうやろ?」

「怒ってない」


「…………ごめん」


 『何で健人が謝んの』。口をつつきそうになった言葉を押しとめる。

 売り言葉に買い言葉で、喧嘩になるのは目に見えていたから。


 土曜日の午後二時、“天満駅”に程近い扇町公園のベンチで、私は健人にひざまくらを提供している。


 あの夜に約束したデートの最中、健人の発作が始まったのだ。

不躾な歩き煙草の煙と、御堂筋(あの八車線。)を通った時に仕入れた排気ガスのワンツーパンチがクリーンヒットしたらしい。

 漂着するようにたどり着いた扇町公園で、私たちは小一時間ほどずっとこうしている。


「デートに浮かれて薬飲むん忘れてきたんやろ」とジト目で言ったら、否定もせず空笑いを返されたのはつい三十分前の話だ。

(いつかトシ君が『新島はすぐ調子に乗るんがいかん』と溢していたのに全力で同意しよう!)


「…………」

「…………」


 沈黙。

 私は面を上げて、公園の景色を眺める。


 扇町公園は、大通りに面している割に、すごく落ち着いた――のんびりとした印象すら受ける――普通の公園だ。

 休日で、公園横に扇町キッズプラザ(科学博物館の賑やか版のようなもの)もある為か、訪れる人は子ども連れが三割増し、といった感じだった。

遊具置き場の方から、絶えず子どもの笑い声が聞こえてくる。


 すり鉢状に低くなっている中央のだだっ広いグラウンドで、サッカーやキャッチボールに興じる人たち。

隅っこの方で、鳩に食パンを与えているおじさん。芝生で一休みするスーツ姿の男性。


 どこにでもある風景からは、少なくともゴテゴテした大阪らしさは拾えない。

曖昧な公園の雰囲気は、どちらともつかない天満駅のそれにも通じているような気がした。


「…………」


 ヒュウ、と、膝元から呼吸音が聞こえてくる。

 視線をそこに落とすことなく、私は健人の頭を撫でた。


 短く刈った髪の毛は、ザラザラしていてツヤもなくて、撫でてちっとも楽しくない。

でも、それが、今私の手のひらが触れているものが、健人なのだと考えるだけで手つきはどうしようもなく優しくなった。


 ――――健人以外なら、こうはならへん……よなぁ。


 自覚した途端火傷のようにじくじくと痛み出す心は、きっと恋の炎に焦がされたからだ。

 ため息一つを挟んで、髪を留めていたゴムとバレッタを外す。

重力に反して上を向いた毛先を開放すると、風に揺らされながらそれは私の肩先に触れた。



「志津子さん」



 幾分か落ち着いてきた健人の声。

 それに何となく違和感を覚えて、すぐに思い至る。これは真剣な話をしたい時の声色と、その為の呼称だ。


「…………なに?」

「何か、悩みでもあるんですか?」

「…………」


たっぷり三秒もったえぶって、やっとこさ出てきたのは


「ないよ」


 掠れに掠れた、搾り出した後のおからにも劣るような声だった。


 ――なんやねん。私の声の方が、よっぽど聞き苦しいわ。


 俯瞰で事態を眺めるもう一人の私が、嘲るように告げてくる。

 弱ったように眉根を下げて、無言で見上げてくる健人の手が頬に触れた。


 ――――ああ、もう、やっぱり、まいったことに。

この人のことが好きだと思う以外、どうにもならなくなるくらいに。健人の手つきは優しかった。



「うそや」



 健人は、ずるい。


 何もかもお見通しって感じで、実際その通りで、それを腹立たしく思わせる健人は、ずるい。

 それ以上に、それを嬉しく思わせてしまう健人は、ほんとうに、ずるい。


「――――っ」


 私は、身動きが取れなくなる。息が、出来なくなる。

 ずっと前、健人は自分の喘息の発作を『全力疾走を何本も繰り返して、気道が締まってる感じがずっと続いてる感じ。』と表現したけれど、

これはそれとよく似ている。着実に、逃げ道が削られていくような。



「志津子さん」



 あくまでも優しく呼びかけてくる声を導火線にして、私の中で溜まりに溜まった何かが爆発する音を聞いた。





            03.恋は全速




「だあああああぁぁぁあああああああああ!!!!!!!」

「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!!!??????」



 勢いよく立ち上がると、健人は勢いよくベンチから転がり落ちた。

 膝枕してたのだから当然だろう。

 間の抜けた私たちの叫び声で、扇町公園にいた数十羽の鳩が一斉に飛び立った。

フォフォフォ、とあの独特な飛び立つ音が何十にも重なって、また新しい喧騒を作る。

鼻先を掠めながら落ちていく鳩の羽毛を一息で吹き飛ばして、ヤムチャみたいく丸まって足元に転がる健人へ、人差し指を突きつけた。



「もうなぁ、もう、嫌やねん! アンタが喘息の発作起こすんも、その度に落ち着いていく私みるんも!」



 にらみ付けるように健人を見れば、起き上がり、手を後ろについてぽかんとしている。

行き成り地面を転がされたのなら、それも当然の反応だろう。

 いつもなら理性的にセーブできるはずなのに、だめだった。

初対面の時にしろ、予想外の出来事とやらに滅法弱い性質なのかも知れない。

(まあ、そこを突いて来るのは今の所、健人だけなのだけど)


 休日の麗らかな昼下がりに勃発した痴話喧嘩に、

ざわざわと色めきたち恥じる公園内。知ったことか、と私は続ける。



「なんで慣れなアカンの? 健人がどんだけ苦しいかって、そんなん分かりきっとうのに、

なんで私だけ落ち着いていくん!? アンタは、健人はずっと苦しいままやのに!」



 私が、私を罵るのだ。


 健人は今もずっと病魔に苦しんでるのに。そこで対処をこなすお前は一体なんなんだ、と。

 自分も同じように苦しめることが出来ればと、数え切れないほど思った。

 でもその度に、彼がどんなに苦しいかを考えさせられて胸が痛くなる。


 嫌いになりたくないのだ。大好きだから、嫌なんだ。

 自分のこと以上に、



「健人のこと、ずっと好きでいたいねん!!!!!!」



 健人のことを。


 結局それも自分勝手な願いなんだって、理解している。

理解しているからこそ、また悪循環が始まるのだから。

 いつのまにか溢れていた涙は目元に溜まり、頬を伝い、アイシャドウやファンデーションを緩やかに溶かしていく。

お気に入りのチュニックワンピースごと握り締めた拳は硬い。

 歌舞伎の大見得も顔負けに切られた啖呵は、


「っ、はは! ははははははは!」


 健人のほがらかな笑い声できれいさっぱり流されてしまった。


「人が真剣に悩んでんのに何やアンタはぁ!」

「え、あ、いや、すんませんすんません!

 志津子さん、いや、あのね、好きが過ぎて怒り出すっていうんは、如何なんすか」


 すっげぇ新しい、いや新しすぎる、と、立ち上がり、歩み寄ってきた健人が付言する。

 目尻を人差し指がなぞって、黒い粒になった涙を掬い取った。


「わたしは――っ!?」


 抱きしめられて、言い返そうとした言葉がどこかに吹き飛んだ。

威勢も健人の大きな腕の中にごっそり包まれて、いなされる。

 少し苦しくなる位の抱擁。

 そんな段階とうに過ぎたはずなのに、体中が心臓になったみたいにドキドキしだした。


 子どもたちの喧騒が聞こえる。


 頭の上に顎をのっけながら、腕の力は一向に緩めることなく、健人は言った。



「今ので伝わってきたのはシズが俺んこと大大大大好きってことだけなんすけど」



 うふふ、と気持ち悪い笑いが頭上で聞こえる。

浮ついた、弾んだ声。久々に優位に立てて嬉しいってか。でもその癖、顔はほおづきみたいに赤くなってるんやろ?



「…………それになぁ」



 ふと、トーンが落ちた。

 腕を離されて、りんご一つ分くらいの距離が出来る。それが少しだけ寂しい。

屈んだ彼が、私と視線を合わせながら、言った。



「これでも嬉しいし、感謝してますよ。ほら、俺の発作、割と頻繁に起こるしょ?

せやから、起こった時に取り乱す人とか、何でもない時に心配しまくる人とかいて。

よくあること、なんでもないようなことみたいに扱ってくれるん、

家族以外なら志津子さんやトシくらいなんよ。……ホンマに、助かってます」



 いつもの健人にしては長い口上だった。

 今度は私がぽかんとする方で、ありがとう、と、あまつさえ感謝の言葉まで

健人が言うものだから、もうどうしていいかわからなくなる。



「そういえば俺ら、腹割ってこういう話してへんかったもんなぁ」

「それっ、は……わたしのせいやと思う。見ないようにしてたから」

「これからはぶつかって行きましょう」


 頷くと、健人は満足げに微笑んだ。

へにゃり、と、固まっていた部分を解していく笑い。私の大好きな笑顔。

 ふと、唇に柔らかい感触を覚えた。遅れて聞こえてきた、ちゅ、と軽い音。


「こんな感じで」


 柔らかく溶かされていたものは瞬時に硬くなった。


「なっ、なっ、なぁ――!」


 満足な言葉すら返せない私を見つつ、忍び笑いを漏らして、――でもその癖、やっぱり真っ赤な顔で――健人は言った。





「今更照れなや、古谷さん。」






             了

普通と描写された扇町公園ですが、戦前は監獄でして、

子どもが見えたうめき声がする兵隊がいると

泉の広場とならんで大阪の怪談というか都市伝説には事欠かない素敵な場所です。

あと鳩がすごく多いです。

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