*起*
「悪かったな。日曜なのに手伝わせて」
「いえ、別に。特にすることもないんで」
津々浦町郊外。隣町とつながる山道。昼過ぎ。
魚住さんが運転する車の助手席に、オレは座っていた。
ちなみに『郊外』と言っても、この町自体が郊外みたいなものなので、その郊外の山道は、舗装されてるのが奇跡に近いようなものだ。
で、何故オレがそんな山の中で、魚住さんの車に乗っているか、気になると思う。
つーか、気にしてほしい。そして、聞いてほしい。
二日前――金曜日、最後の授業中。
「日曜、隣町の学校に借りてた教材を返しに行くんだけどさ、ダンボール六箱もあるんだよ」
と、あまりにも突然、魚住さんは言い出した。
「しかも一箱一箱が重たいのよ、これが。いやぁ、困ったわねぇ……ほら、見ての通りの細腕じゃない、私?」
そんなもの持ち上げられないのよねぇ、と目の前で嘆く魚住さん。
「どこかに手伝ってくれる――私に声を掛けられるまで居眠りしてやがってた、男子高校生はいないもんかねぇ。なぁ、蒲原?」
そう、微笑む魚住さん。
いつの間にか、オレの前の席のヤツを立たせ、そこに座っている状態で。
「…………」
と、いうわけで今。
オレは魚住さんの用事を手伝い終え、昼飯にハンバーガーをおごってもらい、津々浦町に戻ってきたところだ。
「お前さ……」
視線を前に、運転に集中したまま、魚住さんが言う。
「日曜に何もないとか、高校生として不健全だぞ。もっと遊べ、遊び倒せ、遊び尽くせ」
「いや、勉強しろとか言うべきでしょうよ。教師としては」
「何を言ってるんだ、薄原。学生の内に遊んどかないと、遊べなくなるぞ。社会人には、休みなんてあってないようなもんだからな」
ほら、私を見ろ。こうして日曜日にも仕事してるじゃない。
と、笑い飛ばす魚住さん。
その笑い声は、何かを諦めているようにも聞こえる。というか、何か嫌な現実を聞かされたような気がする。
「……だけど遊ぶって言ったって、この町でできることなんて限られてるじゃないですか」
津々浦唯一のゲーセンだって、最近は飽きて行ってないし。
すると、魚住さんは「これだから現代っ子は」と、一つため息を吐いて言う。
「遊びなんてのは、自分で見つけるもんだよ。例えば――女遊び、とか」
「いやいや、それを推奨しちゃダメでしょうよ。教師以前の問題として」
「あ、違う違う。デートだ、デート。つい、いつもの言い方を」
「いつもどんな言い方を!?」
女遊び? それとも、男遊び?
どっちにしたって色んな問題があると思うし、特に前者は本気で危険な香りがするんですけど。
魚住さんの男前さは、女子に多大な人気があるし。車としか言ってなかったけど、この車はダークグリーンのジープだし。
カッコ良過ぎるよ、女子も惚れちゃうよ、魚住さん。
なんて、妙にリアルな不安がよぎるオレに一瞬だけ視線を向けて、
「で、薄原は」
魚住さんはにやりと笑う。
「デートする相手――いるのかよ?」
「……何で、ですか?」
「いや、ほら。一応、担任だからさ。生徒のプライベートも知っとく義務があるわけよ、義務が。だから、こんなことを――他人の私生活に土足で踏み込むようなことを、すべきじゃないというのが私の主義なんだけど、教師としての職務を全うするために、嫌々ながらもこうして訊いてるんだよ。分かってもらえるかい、薄原くん?」
「ええ、よく分かります。魚住さんが今言ってたことが、全面的に嘘だということが」
嫌々というよりニヤニヤだ、その口は。
「それにもし、生徒が不純異性交遊を行っていたら、応援しないと」
「注意してください!」
応援、ダメ。ゼッタイ。
「ん? それとも薄原の場合は、不純同性交遊か?」
「それは全力の全速で否定させてもらいます!」
「大丈夫だ。安心しろ、薄原。同性の方は校則違反じゃない」
「校則的に大丈夫でも、世間的に大丈夫じゃないです!」
そして何より、オレ的に大丈夫じゃない――つーか、それ以前にそんな事実は存在しないし。
「だけど世間的には今、認知度も高いし、需要も結構あるぞ」
「その供給元を、自分の生徒に求めないでください。というか、供給できるようなことは何もないですから」
「ふっ……甘いな、少年。わざわざ供給されなくても、最近の女子には強力な妄想力があるのを知らないのか? あの子たちには、お前の姿は基本全裸に見えている」
「な、なんて力を……」
まさか男子以外にも、その力を有している人間がいるとは。
「だけどこの間、お前たちが主人公のBL漫画を教室で描いてたときは、さすがに注意したよ」
「まぁ……妄想を行動に移すのはマズいですからね」
「薄原は、こんなにデカくない――って」
「どの部分が!?」
身長のこと? それとも……。
「ん? 詳しく聞きたいか?」
「ごめんなさい。これ以上、この話を広げないでください」
そこを言及したら、今度こそ本気でR18になりそうな予感がする。
せめてR15で止めとこうよ。
「で、結局さ」
と、話題を変える――いや、戻す魚住さん。
「薄原は、デートする相手いるのかよ?」
「…………」
……畜生。
いい感じに話が逸れてきたと思ってたんだけどなぁ。脱線を本線にしたかったんだけどなぁ。
いっそR18覚悟で、今の話を続けるか? ……一応、設定上はオレ、十七歳だけど。
なんて感じに、どうやって脱線しようかと考えていたとき。
魚住さんが鮮やかなハンドルさばきで、下りの急カーブを曲がりきったときだった。
ぐるりと変わった景色の中に――フロントガラスの向こうに、一人の男の子が座っているのを見たのは。
「……あの男の子、何してるんですかね?」
人は元より、車すら滅多に通らないこんな山道。そんなところに、小学生くらいの男の子が一人ぽつんと座っているのは、妙な光景だ。
だから見たまま、思ったままに、オレはそう口にした。
しかしそれに、魚住さんは呆れたように言う。
「おいおい、薄原。そんなことで私の追及から逃れられるとでも思ってるのか?」
ずいぶん私も甘く見られたもんだ、と鼻で笑う魚住さん。
そして、車の進路を真っ直ぐと見据えたまま――反対車線に座り込む男の子を、視界に捉えているはずの状態で。
「第一、あの男の子って――」
こう、続けた。
「一体どこにいるんだよ?」
これが、特にすることもなかったはずのオレの日曜日。
今回のお話の対戦相手・さみしいケルベロスと過ごす、昼下がりの始まりである。
――だけど、このときのオレはお約束通り、まだ何も知らない。