まぁ、野蛮なお方ね。お里がしれますこと。
これまでの侵入事件のこともあり、私とヴィックの寝室前には24時間必ず警備が着くようになった。部屋の外で椅子に座って監視する人が3交代制で必ず待機している。なので今現在は部屋に入室できるのも限られている。入れるのは部屋の主と専属の使用人くらいだろうか。
「わたくしを誰だと思っていますの!? この部屋は由緒正しき貴婦人が住まう部屋なの、あの身の程知らずの娘が使っていい部屋ではありませんわ! あの娘を追い出してわたくし用に誂えなさいと言っているのよ!」
「よそのお嬢様のご命令にはお応え致しかねます。私共はヴィクトル様からここを守るように命じられておりますので、お通しするわけには参りません」
ぎゃんぎゃんと部屋の外で公妃の部屋を自分に明け渡せと騒ぐ令嬢。冷たく突き放す警備さん。毎日飽きないなぁあの令嬢も…いつまで滞在するつもりなのだろうか。
自分が引き連れてきた侍女や護衛を引き連れてこの部屋を占拠しようと攻防しているらしいけど、その都度警備さんが追い返してくれていた。
その報告を受けたヴィックが迷惑だからやめろ、文句あるなら城から出ていってくれと注意すると少しはおとなしくなるけど、一晩寝たら忘れてしまうらしく翌日も同じ行動してくるんだ。……3歩歩いたら忘れるニワトリかなにかなのだろうか。貴族のご令嬢ってもうちょっと落ち着きがあってもいいと思うんだけどなぁ…
ちなみに食事は別である。
押しかけてきた初日だけ、ヴィックが形ばかりの歓待で一緒に食事をと令嬢を夕食の席に誘ったが、私とは同じテーブルに付きたくないと令嬢が返した。
「じゃあ部屋に食事を持って行ってくれ」と使用人に指示したのがヴィックである。この場合、令嬢の滞在場所である客室に持っていって、部屋でひとりで食べてもらうという意味だが。
私はいつも通り、食堂でヴィックと食事を囲んでいたのだが、それを聞きつけて怒鳴り込んできた令嬢。彼女は私の姿を見るなり顔を真っ赤にして何やら喚き散らしていたが、正直早口で何言っているかわからなかった。
「君が嫌だと言ったのだろう。気を遣ったのにお気に召さなかったのか。それは残念」
その時のヴィックは『私も君とは食事したくないよ』と言わんばかりの塩対応だった。令嬢としてはヴィックと2人きりで食事したかったのだろうが、ヴィックにはその気が全くない。その後も令嬢側から食事に誘われてもあっさり断っている状況である。
ヴィックが私を優先してくれて嬉しい。
──だがしかし、それが続いたせいで令嬢のヘイトは着々と成長して、その全てが私に向けられるようになったのである。
「あらやだ。なんだか臭くなぁい?」
侍女達とくすくすと小さく笑い合う令嬢は扇子で鼻を隠してこちらを蔑んできた。私はただ廊下を歩いていただけなのだけど、我が物顔で滞在している彼女はやだやだ臭いわぁと嘲笑するのだ。
くさい…
スラム生活していたときは衛生状況に気を使う余裕もなかったから臭っていたかもしれないが、今はそうでもない。清潔な服を着用し、毎日お風呂に入っている。お風呂上がりにはアロママッサージしてもらっているからどちらかと言えばいい匂いだと思うんだけどな……
私はそこそこメンタル強いつもりだったけど、くさいと言われてなんかちょっとへこんだ。
「私…臭いかな…」
ぼそりとつぶやいた私の言葉がメイドさんたちに届いたのか、その日の晩はいつもとは違う香りのアロマオイル入りのマッサージオイルで揉みほぐされた。全身しっかり手入れと保湿され、血行も良くなった私は鏡台前に座ってぼうっとしていた。
「いい匂いですよ、リゼット様」
髪の手入れをしてくれているメイドのハンナさんが鏡越しに微笑みかけてきて、私が気にしていることをフォローしてくれた。
なんてできたメイドなんだ。私は彼女に笑い返してみたが、やっぱり心の底で重しのように棘のある言葉が引っかかっていた。心のどこかでスラム生まれなのを負い目に感じているのかもしれない。
ドヨンと考え込んでいると、「リゼット様、ヴィクトル様がお休み前にお顔を見たいとのことですが、お通ししてもよろしいでしょうか?」とメイドさんから伺いを立てられた。
ヴィックの顔を見たら気が緩んで泣き言を言ってしまいそうな気分になったが、せっかく会いに来てくれたヴィックと会わないのは申し訳ない。部屋の中に通してもらった。
小さなくつろぎスペースに並んで座ると、メイドさんがお休み前の飲み物を出してきた。ホットレモネードだ。
私はそれを手に取ろうとしたのだが、飲み物を出してくれたハンナさんがお盆を抱きかかえたままむぅっとしかめっ面をしていたので、どうしたんだろうと彼女の顔を見上げた。
「ヴィクトル様、発言をお許しいただけますでしょうか」
何やらヴィックに言いたいことがあるらしい。彼女の声には不満の色がたっぷり含まれている。隣に座っていたヴィックはうなずくことで彼女の発言を許した。
「メイドごときが口出しすることではないですが、あのお嬢様はあまりにもひどいです。リゼット様をお部屋から追い出そうと毎日押しかけてきたり、何かと理不尽に罵倒されて……今日に限っては『臭い』と言われてリゼット様がどれだけ悲しそうなお顔をされていたと思います? ヴィクトル様があのお方を注意しているのは私も存じておりますが……あのお方をいつまで置いておくおつもりなのですか」
ハンナさんは一気に言い切っていた。私はそれに驚いていた。まさか私の味方をしようと主人に物申すとは思わなかったから。
ヴィックは静かな表情でハンナさんを見上げ、そしてなぜか隣に座っている私を抱き寄せてきた。
「…ヴィック?」
「大丈夫、リゼットはいつもいい匂いがするよ。今日は違うオイルにしたの?」
私の首元に鼻を埋めたかと思えば、首筋に口づけを落とされた。またメイド長に叱られるからと彼の肩を押し返していると、ヴィックは私の唇を奪ってきた。
「んん…!」
隙間ができないほど唇をピッタリくっつけられて重ねられ、舌を吸われた。キスを交わしている内に気分が乗ってきたのか、ヴィックの手が私の胸にかかった。寝る前だったので硬いコルセットもシュミーズも着用していないそこはネグリジェという布一枚を隔てただけの無防備状態。やんわり触れられると、口からくぐもった声が漏れる。
「……ハンナ、もう下がっていいよ」
一旦唇を離したヴィックが少し困った顔をして、壁のそばでじっと待機していたハンナさんに言った。
ハンナさんがまだ居たんだ! と私が今更恥ずかしい気持ちに襲われるも、ハンナさんは普段の落ち着いた態度で首を横に振っていた。
「いいえ、メイド長からお2人だけにするなと厳命されておりますので」
顔をきりっとさせた彼女からはメイドとして自分の任務を最後まで遂行しようとする強い意志を感じた。
「…本当、優秀なメイドだ君は」
ヴィックは私に手を出すのをやめた。名残惜しそうだが、見られながらキスよりさらに先のことをする気はないようである。
ハンナさんに命令して追い出すこともできるのにそれをしないのは……実はメイド長のお怒りが怖いからであろうか。
「お褒めに預かり光栄でございます」
深々と礼するハンナさん。
ヴィックはただ褒めただけじゃないんだろうけど、ハンナさんはいい意味でとらえたようである。
なるほど、メイド長がハンナさんを私付きにしたのは…こういうことか。




