前編
にぎわう夜の酒場の空気が変わったのは、十数人の剣士が来店した時だった。
先頭を歩く髭面の大男を見た瞬間、酒を飲んでいた者達は苦い顔になる。
「おい、マジかよ……"黒牙"のマルディンだ……」
「マルディンって誰だ?」
「お前よそ者だろ。この地域でも最強の賞金首だぞ。強すぎて保安官も放置してやがる大悪党さ」
「面倒事に巻き込まれたら敵わん。別の店で飲み直すか」
先客達はそそくさと店を出ていく。
それを満足げに確認した後、賞金首マルディンはカウンターにどっかりと腰かけた。
彼は怯える店主を呼ぶ。
「マスター! 酒だ。浴びれるほどの量を用意してくれ。さっさとしねえとお前の頭をぶち飛ばすぜ」
「かしこまりました、マルディンさん」
店主は顔を青くして酒の準備を始めた。
その様子をマルディンの取り巻き達は嘲笑う。
彼らは適当な席に座ると、好き勝手に騒ぎ出した。
テーブルを倒したり備品を壊しているが、それを咎める者はいない。
店内は瞬く間に無法地帯と化していた。
先に出された酒を呷ったマルディンは、目を閉じてゆっくりと味わう。
二杯目を要求しようとした彼は、店の端に視線を向ける。
そこにはひっそりと男が座っていた。
マルディンの取り巻きではなく、彼らが来店する前から飲んでいた客である。
苛立たしげに席を立ったマルディンは、その男に歩み寄って凄む。
「なんだてめえ。今日は貸し切りだ。出て行け」
「……え? 貸し切り?」
間の抜けた声と共に振り返ったのは、眠たそうな目をした男だった。
安物のシャツとズボンにブーツ、そして鞘に収めた剣を椅子に立てかけている。
手には店で最も安い酒を持っていた。
ふらりと立ち上がった男は、緊張感のない顔でマルディンに応じる。
「すまないね、これを飲んだら帰るよ」
「いいや、今すぐ消えろ」
「そりゃないだろ。一杯くらい――」
刹那、マルディンの片腕が霞む。
ほぼ同時に、男の持っていた酒のグラスが斜めに切断されていた。
グラスから溢れた酒がびしゃびしゃと床を濡らす。
漆黒の剣を抜いたまま、マルディンは嘲るように男の肩を叩く。
「これで酒は空だ。じゃあな」
取り巻き達はゲラゲラと笑った。
店主は見て見ぬふりをして人数分の酒を用意している。
男はこぼれた酒を見た。
そして、へらへらした表情でマルディンに告げる。
「弁償しろ」
「……何」
「酒を弁償しろ。お前が台無しにしたんだ。当然だろ」
男の主張に取り巻き達がざわめく。
一部の者は巻き込まれないように距離を取っていた。
先ほどまで笑っていたマルディンの顔は怒りに染まっていた。
彼は唸るような声で男に訊く。
「てめえ……俺が誰か分かってんのか」
「さあ、知らんね。まだ自己紹介してないじゃないか。ちなみに俺の名前は――」
男の名乗りを聞く前に、マルディンが斬りかかった。
二つ名の由来でもある黒い斬撃はしかし、何も斬ることなく弾かれる。
驚愕したマルディンは固まる。
「なっ……!?」
男はいつの間にかグラスを捨て、代わりに鞘から剣を抜いていた。
艶のない刃は、深海のような碧く昏い色を帯びている。
眠たげな目のまま、男は静かに名乗った。
「エイク。俺は"暴食"のエイクだ」




