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蜘蛛とただひとつの花――小さないのちの物語

作者: 猫小路葵

 小さな蜘蛛(くも)の子が、白い花の中で遊んでいました。

 蜘蛛は、その花がとても好きでした。その花は、蜘蛛にとってただひとつの花でした。

 蜘蛛が今よりもまだもっと小さかったころに、はじめてその花を見ました。

 花は、風に吹かれるとゆらり、ゆらりと揺れました。

 そのすがたを見た蜘蛛の子は、「なんてきれいなんだろう」と思いました。

 花はほかにもたくさん咲いていましたが、蜘蛛はこの白い花に目を奪われました。


 花は、夢のような花びらが、幾枚もかさなっていました。

 蜘蛛は、おそるおそる花びらにのってみました。

 花びらは思ったよりもうすくて、蜘蛛は、傷つけないようにそっと歩きました。


 花のまんなかには、とび色の粉をつけた雄しべがありました。

 ゆるやかにすこし波うって、蜘蛛をさそっているようでした。

 蜘蛛がそうっと触れてみると、雄しべの粉が蜘蛛の頭にはらりとおちました。


 「もうちょっと、のぞいてみてもいいかな」


 少しこわかったけれど、蜘蛛は勇気をだして、雄しべをかき分けてすすみました。

 粉がぱらぱらと蜘蛛のからだにかかりました。


 「わあ……」


 蜘蛛は思わずため息がでました。

 雄しべのおくには、なんとも不思議な色をした雌しべがありました。

 たくさんの雄しべはみんな、ひとつの雌しべにかしずいているように思えます。

 雌しべの頭はくすんだみどり色をして、濡れたようにかがやいていました。

 「きれい……」

 太陽の光によって、少しずつ色を変えるその色に、蜘蛛は見とれてしまいました。


 足もとからは、甘い匂いがしてきました。

 花の中心には、おいしそうな蜜があるのだとわかりました。

 でも蜘蛛がその蜜をのもうとすると、どうしても雌しべにぶつかってしまいます。

 蜘蛛は、どうしようかと考えました。

 雌しべには、さわってはいけないような気がしました。

 雌しべは花のいちばん大事なところに思えて、手をふれるのがためらわれたのです。

 蜘蛛は、「蜜は、のめなくてもいいや」と思いました。

 こうして花のなかにいられるだけで、蜘蛛はとてもうれしかったからです。


 「ぼく、この花の番人になる」

 蜘蛛はそう決めました。

 「この花を、まもるんだ」


 それからというもの、蜘蛛はまいにち、花のなかですごしました。

 花に抱かれてねむると、蜘蛛はとてもしあわせな気持ちになれました。

 そうやって蜘蛛が今日も花のなかで遊んでいると、どこからか一ぴきの蝶がとんできました。

 ここには花がたくさんありますから、甘いにおいに誘われたのでしょう。

 あちらの花から、そちらの花へ――

 美しい大きな羽をひらひらとはためかせて、蝶はとんでいました。

 そのとき蝶が、蜘蛛のいる白い花に気がつきました。

 蝶は、我が身の美しさを誇示するようなあでやかな物腰で、こちらにやってきました。


 そうして、蝶が純白の花びらに触れようとした、そのときです。

 花のなかから、ほそい蜘蛛の糸がしゅるるっととびだしました。

 蝶はおどろいてとびすさりました。

 蝶が花のなかを見てみると、そこには小さな蜘蛛がいて、こちらをにらんでいました。

 「おお、こわい。蜘蛛の子に食われるとこだった」

 蝶はふるえて言いました。

 「花はほかにもたくさんあるから、この花はやめておこう」

 そうつぶやくと、蝶はひらりとからだを反転させて、とんでいってしまいました。


 「ほうらね。みんな、この花じゃなくてもかまわないんだ」

  蜘蛛は蝶を見送って言いました。

 「でもぼくは、この花じゃなきゃいやなんだ」


 やがて、花の季節は終わります。

 蝶の来なかった白い花は、実をむすぶことなく枯れてしまいます。

 でも蜘蛛は、花が枯れても、そこからはなれることはありませんでした。

 雪のように白かった花びらが、かわいて風にちぎれても。

 やわらかだった雄しべが、かたいイバラのようになってしまっても。

 蜘蛛を魅了してやまなかった、みどり色の雌しべがかがやきをなくしても。

 蜘蛛は、けっして花からはなれようとはしませんでした。


 たとえ枯れてしまっても、その花は蜘蛛にとって、この世でいちばん大切でした。

 つめたい冬がきて、まわりにだれもいなくなっても、手ばなすことのできない大切なものでした。


 「ずうっと、いっしょにいてもいいでしょ?」


 蜘蛛が小さな声で言ったとき、花は干からびて、地に伏していました。

 そのとき蜘蛛は、花がそっと自分を抱きしめてくれたような気がしました。

 花の残骸に抱かれてねむる小さな蜘蛛は、この世の誰よりも、しあわせな夢をみました。


 


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