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第9話 濁ってる? それが美味い!〜そして監査官(お役人騎士)登場〜

【三上 健太】


 ボルン爺さんの工房に、甘く芳醇な香りが満ちていた。俺たちの最初の作品、天果(ヘヴンフルーツ)を使った果実酒がついに完成したのだ。


「よし、味見といくゾイ」


 ボルン爺さんが、誇らしげに樽の栓を抜く。しかし、木製の受け皿に注がれた液体を見て、俺たちは顔を見合わせた。澄み切った黄金色を想像していたのに、それは白く、とろりと濁っていたのだ。


「……こりゃ、果肉をしっかり濾さなかったせいじゃな。だが」


 ボルン爺さんは、ためらうことなく濁った酒を一口含むと、驚いたように目を見開いた。


「……味は、悪くない」


 俺も恐る恐る口にしてみる。その瞬間、濃厚な果実の甘みと旨味が、口の中いっぱいに広がった。


(うまい! なんだこれ……澄んでないからこその、この複雑で深い味わい! むしろ、この濃厚さがクセになる!)


 俺たちは、完成したばかりのにごり酒を樽ごと陽光酒場に運び込み、さっそくレイラに試飲してもらった。彼女は一口飲むなり、カッと目を見開いて叫んだ。


「何これ、美味しい! ただ甘いだけじゃなくて、後味もすっきりしてる! コレ、絶対いけるって! 女子うけも抜群よ!」


 その言葉が、俺の背中を押した。失敗から生まれたこの酒を、新しい商品として世に出す決意が固まる。


 俺はこの酒に、『月白にごり酒(げっぱく・にごりしゅ)』と名付けた。「果実がまるごと溶け込んだ、贅沢な味わい」という触れ込みで陽光酒場のメニューに加えると、それはレイラの予想を遥かに超える社会現象を巻き起こした。


「まあ、なんて綺麗な乳白色! これが『にごり酒』ですの?」


「口当たりがまろやかで、まるで上等なデザートのよう! 美味しい!」


「お肌にも良いって噂、本当かしら? 三上様!」


「ええ、果実がたっぷりですもの。きっと美容に効きますわよ!」


 陽光酒場は、いつしか屈強な冒険者たちよりも、着飾った王都の女性たちで埋め尽くされるようになった。中には、お付きの者を連れてお忍びでやってくる貴族の令嬢たちの姿も珍しくない。


「あの方が、このお酒を考案なさった三上様……」


「まあ、噂通りの素敵な方……。あの方に会いたくて、わたくし毎日通ってしまいそう」


 熱っぽい視線があちこちから突き刺さる。もはや酒場というより、アイドルのファンミーティング会場のようだ。


「はいはい、三上様への質問は一人一つまでよー!」


 レイラが面白がりながら客をさばいている。


(いや、俺はただの酒屋の店主なんだが……)


 そんな熱狂の最中だった。店の扉が、重々しく開かれた。


 そこに立っていたのは、全身を精緻な白銀の鎧で固めた一人の騎士だった。彼の胸には、天秤をかたどった王都監察局の紋章が輝いている。華やかなざわめきが、水を打ったように静まり返った。


「きゃっ!」


「な、何ですの、いきなり……」


 怯える女性客たちを背に、騎士はまっすぐにカウンターへと進み出る。俺の前で足を止めると、彼は硬質な声で言った。


「私が王都監察局、食品酒類取締騎士のヴァルター・グレンツェだ。店主と見受ける。この『にごり酒』について、いくつか尋ねたい」


「……はい、俺が店主の三上です」


 その鋭い視線に、令嬢の一人が勇気を振り絞って声を上げた。


「待ってくださいませ! わたくしたちの楽しみを、邪魔するおつもりですの!?」


「そうですわ! このお酒は、わたくしたちのささやかな癒やしなのです!」


 次々に上がる抗議の声に、俺は苦笑しながら手を上げて彼女たちを制した。


「皆さん、ご心配なく。……ヴァルター殿、お尋ねください。やましいことは何もありませんので」


 俺は原料に麦を使っていないこと、ギルドの規則に則っていることを淀みなく説明する。ヴァルターは「ふむ」と短く呟いた。


「話は理解した。だが、念のため成分を検査する必要がある。規則だ。この酒を一本、押収する」


「なによ! 女の子たちを怖がらせた挙句、いきなり押収だなんて横暴よ!」


 レイラが噛みつくのを、店の隅で成り行きを見ていたボルン爺さんが「まあ待て」と止めた。


「酒に罪はない。だが……ちと面倒なことになりそうじゃな」


 ヴァルターは懐から銀貨を取り出してカウンターに置くと、月白にごり酒の瓶を一つ手に取り、音もなく一礼して去っていった。


 嵐が過ぎ去った後、俺は不安げな顔をする女性客たちに笑顔を向ける。


「大丈夫ですよ。また明日も、美味しいお酒を用意してお待ちしてますから」


 その言葉に、彼女たちの顔にもようやく笑顔が戻る。しかし、俺の心は晴れなかった。この華やかな日常の裏で、無視できない行政の影が、すぐそこまで迫ってきている。俺たちの本当の戦いは、まだ始まったばかりなのかもしれない。

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