第6話 陽光エール、誕生
【三上 健太】
崩れた天井から陽光が差し込む、あの古い酒蔵で決意を固めた翌朝。俺は開店準備で忙しい冒険者ギルドの酒場に、再びバルガスさんから呼び出されていた。
「兄ちゃん、例の果汁入りのやつだがな……」
カウンターを布で拭きながら、バルガスさんはニヤリと口の端を吊り上げた。その顔には、隠しきれない興奮が浮かんでいる。
「昨日、常連どもに話したら、あっという間に噂が広まってな。開店前から『あれはまだ飲めねえのか』って声がかかっている。こいつぁ商売になるぞ。正式にメニューとして売り出す!」
「本当ですか!?」
願ってもない申し出に、俺は思わず声を上げた。しかし、すぐに冷静さを取り戻す。
「ですが、あの果物、結構いい値段がするんじゃ……。原価を考えると、そう儲けは出ないかもしれませんよ」
営業マンとしての現実的な視点。それを聞いたバルガスさんは、待ってましたとばかりに親指で裏口を指した。
「安心しろ。裏の市場にゃ、見た目が悪くて店先には並べられねえ『ワケあり品』を安く卸してくれる知り合いがいる。味は変わらねえんだ、絞っちまえば関係ねえだろ」
なるほど、独自の仕入れルートか。抜かりないな。
「問題は、味の再現性と提供スピードだ。お前みたいに器用にやらねえと、味がブレる。それに、注文が殺到したら、いちいち絞ってちゃ間に合わねえ」
「それなら、解決策があります」
俺は自信を持って言い切った。
「マニュアル、作りましょう」
「まにゅある?」
聞き慣れない言葉に、バルガスさんは熊のような巨体をかしげた。
俺は、誰が作っても同じ味になるように、あらかじめ果汁を一定量絞って用意しておくこと、注文が入ったらエールと混ぜるだけの状態にしておく手順などを説明した。いわば、仕込みと調理工程の標準化だ。俺の説明を聞き終えたバルガスさんは、「なるほどな……」と深く唸り、感心したように腕を組んだ。
こうして、俺の営業魂に火がついた。まずはメニューの名前からだ。
「あの酒蔵で見た『陽光の雫』。その復活への第一歩として、『陽光エール』なんてどうでしょう?」
「サンシャイン……エールだと? 小賢しい名前を考えやがって」
バルガスさんは呆れたように言いつつも、その目はどこか楽しそうだった。
名前が決まれば、次は味の最終調整だ。開店準備のために集まっていた数人の冒険者に声をかけ、試作品を飲んでもらう。
「どうです? もっと酸味が強い方がいいですか?」
「後味はスッキリしてる方が好みですかね?」
俺が次々に質問を投げかけると、冒険者たちは面白そうに意見を返してくれた。
「おう、こっちの方がキリッとしてて好みだ!」
「私はもうちょい甘い方がいいわねぇ」
その様子を眺めていたバルガスさんが、呆れたように声をかけてくる。
「何だよ、今度は客の声まで聞いてんのか?」
「当たり前ですよ」
俺は胸を張って答えた。
「『営業は現場主義』なんで。お客様が本当に欲しいものを知るのが、一番の近道なんです」
その日の午後、冒険者ギルドの酒場は、かつてないほどの熱気に包まれた。
「おい、陽光エールを五つ!」
「こっちにも三つ頼む! 噂通りの味じゃねえか、うめえ!」
注文が殺到する。しかし、俺が作った簡易マニュアルと事前の仕込みのおかげで、他の店員も慌てることなく、次々と『陽光エール』を提供していく。カウンターの前には、銀貨と銅貨がみるみるうちに積み上がっていった。
閉店後。バルガスさんは山になった硬貨を数えながら、ひっひっと引きつったような笑い声を漏らしていた。
「とんでもねえ……一日で、普段の三日分の売り上げだぞ……」
その一部……銀貨数十枚を前に、俺は真剣な顔でバルガスさんに向き直った。
「バルガスさん。この利益の一部、酒蔵再興のための資金として、預かっておいてもらえませんか」
俺の言葉に、彼は金の計算をぴたりと止め、じっと俺の顔を見た。やがて、その口元が、はん、と笑いの形に歪む。
「まるでどっかの事業立ち上げ屋みてえなことを言うじゃねえか。いいだろう、この金は俺が預かっておいてやる」
初めて、この世界で自分の力で稼いだ金。それは、酒蔵再興という途方もない目標に向けた、確かな第一歩だった。
小さな成功に一息つき、静かになった店内で、バルガスさんが口を開いた。
「で、兄ちゃん。資金の次はどうする? 次に必要なのは……?」
俺は、迷わず答える。
「そもそもこのエールは、水で割らなければもっと美味しいんです。どうしてこうなっているんでしょう?」
そう、素朴な疑問だった。利益を出すために水で割っているのかと思ったが、そういうわけでも無いらしい。純粋なエールなら『それなりの適正価格で売ればいいだけ』なのだ。なにか酒類の販売法でもあるのだろうか?
「……それはな、この国の畑が不作で、酒どころか食料が不足したことがあったんだ。それからさ。庶民は水で割れって法ができてな……俺らにはどうしようもねぇ」
バルガスさんは、苦笑すると店を出ていった。
『ダンッ!』
一人残された俺は、テーブルを叩きつけた。