第4話 この世界の酒がマズい理由がわかった!
【三上 健太】
商業ギルドとは対照的に、剣の看板が掲げられた冒険者ギルドの扉は、荒々しい活気に満ちていた。中に一歩足を踏み入れると、汗と土と、そして微かな血の匂いが混じった空気が鼻をつく。
壁には巨大な魔物の頭蓋骨が飾られ、あちこちで武具のぶつかる音や、屈強な男女の野太い笑い声が響いている。場違いなスーツ姿の俺は、完全に浮いていた。
(こ、これは……想像以上にアウェーだ……)
気圧されながらも、俺は掲示板へと向かう。『ゴブリン討伐』『街道の盗賊団の偵察』『薬草採取』……どれも、今の俺にできる仕事ではない。途方に暮れていたその時、掲示板の隅に貼られた一枚の羊皮紙が目に留まった。
『ギルド内酒場、給仕急募。食事付き』
(これだ!)
食事付き。その言葉が、今の俺には何よりも輝いて見えた。俺はすぐさま、ギルドの奥にある酒場へと向かった。カウンターの向こうでは、熊のように巨大な、髭面の男が腕組みをしながら客を睨みつけている。彼がここのマスターに違いない。
「あ、あの! 給仕募集の貼り紙を見たのですが!」
俺が声をかけると、マスターは熊のような巨体を揺らしてこちらを向いた。傷だらけの顔が、俺のスーツ姿を見てニヤリと歪む。
「なんだぁ、ひょろっちい兄ちゃんが。そんな貴族みたいな格好で、酒場の仕事が務まるのか?」
「人は見かけによりません! 口のうまさと愛想の良さには自信があります!」
「はっ! 言うじゃねえか。まあいい、人手不足は事実だ。働かせてやる。俺はバルガスだ。文句があるなら拳で語れ。いいな?」
有無を言わさぬ迫力で採用が決まった。俺はバルガスに連れられ、カウンターの中へと通される。彼はエールがなみなみと注がれた巨大な樽を指さした。
「仕事は簡単だ。客に注文されたら、この樽からエールを注いで出す。それだけだ」
「なるほど。バーテンダーのようなものですね」
「ばーてんだぁ? よくわからんが、まあそんなもんだ。ああ、一つだけ大事なルールがある」
そう言って、バルガスは足元の水差しを指さす。
「エールを出すときは、必ず水で薄めろ。割合はエールが七、水が三だ。うちの常識だからな。忘れるなよ」
俺は、耳を疑った。
(み、水で薄める……!? 濃い酒ならわかるが、こんなエールを薄める?)
酒造メーカーの元営業として、それはありえない行為だった。酒の繊細な風味も、香りも、全てが台無しになってしまう。
(なるほど! これが、この世界の酒がマズいと言われる根本的な原因か……!)
おそらく、原価を抑え、利益を出すための知恵なのだろう。だとしても、ひどすぎる。しかし、逆らうことはできない。俺は心の中で涙を流しながら、言われた通りに水で薄めたエールを冒険者たちに提供し始めた。客たちは、それを当たり前のように、まずそうな顔で呷っている。
そんな時だった。カウンターの隅に、黄色い果実が山と積まれているのが目に入った。形は、地球で見ていたレモンによく似ている。
(ん? あれはレモンか? いや、この世界では違う名前なんだろうけど……。待てよ……)
俺の頭に、ある考えが閃いた。
(どうせ混ぜ物をするのなら……ただ不味くするんじゃなくて、付加価値をつければいいんじゃないか?)
俺は、次に注文を取りに来た屈強な戦士に、いつものように水で薄めたエールをジョッキに注いだ。そして、バルガスの目を盗み、カウンターの隅にあったレモン風の果実を素早く掴むと、その果汁を数滴、ジョッキに絞り入れた。
「へい、お待ちどう!」
「おう……ん?」
受け取った戦士は、かすかに香りが違うことに気づいたのか、不思議そうな顔でジョッキを傾けた。そして、一口。
次の瞬間、彼はカッと目を見開いた。
「なっ……なんだこりゃ!? いつもの酸っぱいだけの安エールと違うぞ! ちょっとフルーティーで飲みやすい!」
その声に、周りの冒険者たちが一斉にこちらを向く。
「本当かよ、ゴードン!」
「ああ! 兄ちゃん、俺にもそいつを一杯くれ!」
「俺もだ!」
注文が、殺到した。俺は次々と水割りエールに果汁を絞って提供していく。俺の前にだけ、あっという間に長蛇の列ができた。他のバーカウンターは閑古鳥が鳴いている。
その異様な光景を、マスターのバルガスが、カウンターの隅から腕組みをしながら、驚きと感心の入り混じった表情でじっと見つめていたのだった。