第19話 結局、お客さんに飲まれるのは『月白シリーズ』と商業ギルドの『エール』
【三上 健太】
王国酒類コンテストの熱狂から数日が過ぎ、陽光酒場はいつもの活気を取り戻していた。とはいえ、街の話題はまだ「酒コン」で持ちきりだ。俺は、優勝した『サンライト』の美しい味わいを思い出しながら、きっとこれから街の酒のレベルがぐっと上がるだろうと期待に胸を膨らませていた。だが、現実は少し違ったようだ。
「ちっ、サンライト一杯で銀貨一枚だとよ。冗談じゃねえ。貴族の飲み物かよ」
「紅の雫ってのもあったが、ボトルでしか売ってねえんだ。俺たち冒険者が、ちびちび飲む酒じゃねえよな」
店で聞こえてくるのは、そんな景気の悪い話ばかり。コンテストで上位に入った高級酒は、確かにいくつかの酒場で扱われるようにはなったが、庶民にとっては高嶺の花だった。試しに俺の店でもサンライトを一本仕入れてみたが、物珍しそうに眺める客はいても、実際に注文する者はごく少数だった。
カウンターを拭いていたレイラが、溜息混じりに呟く。
「あれだけ美味しいのに……やっぱり、お値段かぁ。毎日飲むものじゃないものね」
結局、客たちがいつものように威勢よく注文するのは、馴染みの酒だった。
「マスター! 陽光エール、おかわり!」
「三上様、わたくしは月白にごり酒をいただきますわ」
そして、驚いたことに、あの商業ギルドの『黒雷エール』も、最近になって息を吹き返していた。コンテストでの屈辱がよほど堪えたのか、焦げ臭さを抑えてコクを増した改良版を投入し、手頃な価格も相まって、じわじわとシェアを伸ばしているらしい。
夕食の賄いを運びながら、リナがぽつりと言った。
「味も良くて、お値段も手頃。毎日でも飲みたくなるお酒……それが、いちばん強いんですね」
彼女の言葉通り、王都の酒場は、いつしか俺たちの『月白シリーズ』と、商業ギルドの『エール』という二つの勢力がしのぎを削る戦場と化していた。陽光酒場の繁盛に焦ったギルド側が、近々さらなる新商品を投入するという噂も聞こえてくる。
(面白いじゃないか……)
俺は、競争相手の登場にむしろ闘志を燃やしていた。最高の酒を造るだけでは駄目だ。それを、誰もが楽しめる価格で届ける。それこそが、俺がこの世界でやるべきことだ。
「いい酒を、適正価格で。それが俺たちのやり方ですよ」
俺の言葉に、仲間たちは力強く頷いてくれた。
その夜、俺は久しぶりに女神様の待つ神殿へと誘われた。リディア様は、いつものように頬を赤らめ、ご機嫌な様子で杯を傾けていた。
「いやー、サンライトも紅の雫も、お供えしてもらったけど美味しかったわー。ああいう高級なお酒も、たまにはいいわよねぇ……」
どこか遠い目をして、女神様はぼやく。
「でもねぇ……やっぱり、アンタのところのお酒が一番落ち着くのよ。貧乏人の味方って感じ、キライじゃないわよ」
リディア様は悪戯っぽく笑うと、真面目な顔で俺を見つめた。
「安くて美味しい酒は、人の心を救うのよ。一日の疲れを洗い流して、明日も頑張ろうって思わせてくれる。それはね、どんな高級酒にもできない、とても尊い力なの」
その言葉が、すとんと胸に落ちてきた。
「……それが、俺の営業魂なんで」
俺がそう答えると、女神様は満足そうに微笑んだ。
夢の心地よさから意識が浮上すると、俺は自室のベッドの上で目を覚ました。そして、腕にかかるお決まりの、しかし心地よい重みに、深いため息をつく。
恐る恐る視線を横に向けると、そこには案の定、見慣れた赤茶色の髪が……。俺の腕を枕に、レイラがすやすやと寝息を立てていた。枕元には、一枚のメモがひらりと置かれている。
『今回も体借りちゃったわ。貧乏人の味方のお酒、最高ね! ――リディア』
俺がそのメモを読んで天を仰いだ、その時だった。
「ん……」
身じろぎしたレイラが、ぱちりと目を開ける。数秒間、ぼんやりと俺の顔と自分の状況を見比べた後、彼女の顔が、ぼっと音を立てるように真っ赤に染まっていく。
「ま、ま、またなの!? いい加減にしてよね、この朴念仁! アンタのせいで、あたしの評判がめちゃくちゃよ!」
レイラは絶叫するなり、嵐のような勢いで部屋から飛び出していった。
(朴念仁はどっちだよ……)
一人残された部屋で、俺は頭をかきながら自室の机に向かい、古びた営業ノートに新たな一行を書き加えた。
『価格は、味の敵にも味方にもなる』
次の挑戦は決まった。原価を抑え、今の味を落とさず、さらにうまい酒を造る。それは、これまでで最も困難な挑戦になるだろう。
翌日の陽光酒場。カウンターの隅で静かにジョッキを傾けていたバルガスさんが、ふっと笑みを漏らした。
「結局、最後に勝つのは、毎日でも飲みてえって思わせる“続けられる酒”だ。兄ちゃん、お前の酒はそういう酒だよ」
その言葉を背に、俺は店を見渡す。そこには、身分も職業も関係なく、誰もが同じ酒を酌み交わし、心の底から笑い合っている、かけがえのない光景が広がっていた。




