第17話 ライバル! 黒エール登場!
【三上 健太】
料理人リナが仲間に加わり、陽光酒場は新たなステージへと足を踏み入れていた。リナの作る優しい味わいの煮物は、強い酒で火照った体をじんわりと癒やし、酒好きたちの心を鷲掴みにした。まさに盤石。俺たちの天下は、もうすぐそこだと誰もが思っていた。そんな時だった。
「おい、聞いたか? 西の商業ギルドが、最近黒いエールを売り出したらしいぜ」
「ああ、飲んだよ! 陽光エールとは違う、ガツンとくる香ばしい苦味とコクがすごくてな!」
「なんでも、陽光酒場に対抗して開発されたって話だぜ」
店内の客たちの会話が、俺の耳に突き刺さる。カウンターを拭いていたレイラが、面白くなさそうに口を尖らせた。
「ちょっとぉ、それってウチの『陽光エール』のパクリじゃないの?」
「まあ、エールに色をつけたからって、すぐパクリと決まったわけじゃないけど……。商業ギルドが本格的に動き出したってのは、ちょっと気になるな」
俺が腕を組んで唸っていると、店の扉が勢いよく開かれた。そこに立っていたのは、孔雀の羽をあしらったような、やたらと派手な衣装に身を包んだ一人の男だった。
「やあやあ! ここが噂の時代遅れの酒場かね? 私が新時代のビール貴公子、ヴァルン・デ・ベルクだ!」
男は尊大な態度で店内を見回すと、俺たちの前に一つの黒い瓶をドンと置いた。
「さあ、飲みたまえ! 我らが商業ギルドの総力を結集して生み出した至高の逸品、『黒雷エール』の味を! そして、己の非力さを知るがいい!」
そのあまりの自信と芝居がかった物言いに、俺とレイラは呆気に取られて顔を見合わせた。奥の席で酒を飲んでいたボルン爺さんも、面白そうなものを見つけたという顔で、ぬっと立ち上がってこちらへやって来た。
俺たち三人は、注がれた漆黒のエールをまじまじと見つめる。ローストされた麦の香ばしい匂いが、強く鼻腔をくすぐった。
「うわ、にがっ! ……でも、これはこれで……クセになる、かも?」
一口飲んだレイラが、顔をしかめながらも、どこか興味深そうな声を出す。続いて、ボルン爺さんがゆっくりと口に含んだ。
「ふむ……。香ばしさは悪くない。じゃが、ちと焦がし過ぎじゃな。苦味が舌に残りすぎて、後味が雑じゃ。これでは、二杯目を飲もうという気にはなれん」
手厳しい評価だ。最後に俺も口にする。確かに、悪くはない。だが、何かが決定的に違う。
「そうですね。これは『うまいから飲む』っていうより、『これを飲んでる俺、カッコいいだろ』って感じで、強がって飲むお酒ですね」
俺の言葉に、ボルン爺さんが深く頷いた。
「その通りじゃ。酒というものは、本当にうまいと、飲んだ者の顔が自然とほころぶもんじゃよ」
俺たちの評価を聞いたヴァルンは、みるみるうちに顔を真っ赤にした。
「な、無礼な! 田舎者の貴様らに、この革新的な味が理解できぬのも無理はない! 覚えておけ! 我らが『黒雷エール』は、もはや陽光酒場を時代遅れの遺物とする!」
ヴァルンは商業ギルドの後ろ盾をこれでもかとちらつかせると、捨て台詞を残して嵐のように去っていった。
その翌日から、王都中の酒場で、奇妙なブームが巻き起こった。「黒雷エール派か、陽光エール派か」と、客たちが二手に分かれて飲み比べを始めたのだ。競争は悪いことではない。だが、俺はこの騒動の裏に、ただならぬ空気を感じていた。
「妙に、政治の匂いがしますね……」
「ああ」
カウンターでジョッキを磨いていたバルガスさんが、低い声で応じた。
「商業ギルドが本気で動き出すと、金と権力の火薬庫だぜ。あいつらは、自分たちの利権のためなら何でもする。気をつけろよ、兄ちゃん」
不穏な予感が、胸の中に渦巻く。その夜、俺は久しぶりに女神様の夢を見た。
いつものように、真っ白な神殿。そして目の前には、ベロンベロンに酔っぱらったリディア様が、ご機嫌な様子で酒盃を傾けていた。だが、今夜は一人ではなかった。
「ぷはーっ! やっぱり競争で生まれたお酒は美味しいわねぇ!」
リディア様の隣には、もう一人、全く雰囲気の違う女神が座っていた。戦女神の名にふさわしく、鍛え上げられた褐色の肌を大胆にのぞかせた革鎧姿。腰には長剣を携え、その鋭い眼光はとても神とは思えないほど好戦的に輝いている。
「紹介するわ、戦いと勝利の女神、ベアトリスよ。ちょっと好戦的すぎるのが玉に瑕なのよねぇ」
「リディアこそ、いつも締まりがなさすぎるのだ。それでよく豊穣を司れるな」
ベアトリスと名乗った女神は、俺を一瞥すると、ニヤリと挑戦的に笑った。
「小僧、お前が例の酒造りか。なかなか面白いことをするではないか」
「は、はあ……」
リディア様は、そんなベアトリス様の肩を叩きながら、俺にウインクを飛ばす。
「どんどん競争して、もっともっと美味しいお酒をわたくしに飲ませてちょうだいね♡」
「いや、戦いは避けられるならそれに越したことはない」
ベアトリス様は、手酌で月白酒を呷ると、真剣な眼差しで俺に言った。
「一番いいのは戦わないことだ。だがな、小僧。全てから逃げるのも良くない。やるときは、バシッとやらねばならん。その時は、我が武勇の祝福をくれてやろう」
二人の女神に挟まれて酒を酌み交わすという、とんでもない状況の中、俺の意識は心地よい酔いと共に遠のいていった。
翌朝。俺は、ガンガンと痛む頭と、なぜか両腕にかかる妙な重みで目を覚ました。
(昨日の夢……いや、飲み過ぎたのか……? それにしても、この腕の重さは……)
恐る恐る、気だるい視線を左右に向ける。
右腕には、見慣れた快活な赤茶色の髪が……。俺の腕をがっちりと枕にして、レイラがすやすやと寝息を立てている。
そして左腕には、黒髪の清楚な少女が……。新米料理人のリナが、安心しきった顔で俺の腕に寄り添って眠っていた。
「ええっえええ〜っ!」
俺の絶叫が、静かな朝の部屋に響き渡った。床には、おびただしい数の空き瓶が無造作に転がっている。そして、祭壇として使った棚の上には、一枚のメモがひらりと置かれていた。
『二人分のカラダ借りて飲んじゃった。てへっ! ――リディア&ベアトリス』
「ま、またかよぉぉぉ!」
俺の叫び声に、隣で寝ていた美女二人が、ん……と身じろぎをして、ぱちりと目を開けた。数秒間、ぼんやりと俺の顔と自分たちの状況を見比べた後、二人の顔が、ぼっと音を立てるように真っ赤に染まっていく。
「なっ……ななな、なんであたしが、アンタの部屋で……!?」
「ひゃっ……! わ、わ、わたくしは、いったい……!?」
絶叫と共に布団を蹴飛ばしたレイラと、悲鳴を上げて顔を覆ったリナは、一目散に部屋から逃げ出していった。
女神様から授かった「運」と「武勇の祝福」は、どうやらとんでもない形で、俺の日常に波乱を巻き起こし始めているようだった。




