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桜色のマリオネット遣い

作者: えんがわ

 上野の桜には、しとしと雨が降っていた。傘はいらない優しい雨が。埼玉在住の僕は、花見ならと、お上りさんよろしく東京は上野へ渡ったのだった。

 微妙な天気で平日。空いているかなという予想は大きく外れ、混雑していた。あれは十年前か、僕が精神的に病になる、ぶっちゃけ統合失調症と診断される前のことだったから、随分前になる。春の浮かれ気分で休日の上野に行った。そしたら大渋滞で花というよりも人に酔った。とにかく足元が気になるような混雑で、上を観ること自体、無理ゲーだったのだ。

 それに比べればだいぶ緩和されているが、それでも人の群れと言って良い群衆だ。前と比べて外国人が多いのは同じだが、以前は中国人主体だったのに比べ、白人、ムスリム(頭を覆うケープなど衣装で判断した)、黒人、アジア人とバラエティが増していた。オーバーツーリズムをはじめ、なにかと問題になる外国人観光客だが、僕個人としてはせっかく日本に来たのだから目一杯楽しんで欲しいと思う。こんなに良い場所のこんなに良い時期は他にないだろうから。桜は誰のためにでもなく咲くのだから。

 その桜は満開。流石上野。地味に沢山の桜が植わっている。真っ白な花びらがあると思いきや、薄ピンクのものや、薄桃のもの、ピンクそのものまであった。そしてそれらの樹にこれ見よがしに品種を指し示す表札がないのも流石東京といったところだ。お洒落だ。埼玉ならでかでかと解説するはず。

 日本人は海外でカメラを持ち歩くイメージがあるそうだが、流石「桜パワー」だ。海外の人も日本の人も携帯でパシャパシャとっている。観るとみんな心なしお洒落をしている。流石東京。というか普段着の自分がどうかしている。高そうな豪華絢爛な着物を着ている韓国人や、民族衣装を身にまとっているアラブ系の女性。フランクなジーンズ姿なのに、似たような姿の自分とお洒落パワーが決定的に異なるオランダ人っぽい青年。彼女連れだった。そうやって周りの人や桜を見て、和む自分が少し可笑しく思える。頭の可笑しい自分は、こういう場だとパニック的に心が落ち着かないはずなのに、春の陽気にやられたのか、淡い雨に安らぎの機能があるのか、凄くフラットに世界が見えている気がした。気がしているだけだろうけど。

 花見と言えば、屋台だ。上野にはでっかい屋台の集まりがあった。色んなものが売っている。全国各々から東京へ、金を目当てに色んなものが集まる。僕も食を目当てに集まる。焼きそば、焼き鳥はもちろん、ケバブやさいころステーキまである。シュウマイまである。中でも目に留まったのが飛騨牛の串焼き1200円なり。きっとアルゼンチン牛なんだろうとわかっていながら、陽気に任せて買ってしまった。薄紅の桜の空気の中、喰い歩きをする串焼きはほどよくジューシーでほどよくスパイシーで、肉汁まであり、美味しかった。あなどれん。沖縄の揚げ菓子サーターアンダギーまであった。懐かしい。地元の駅の近くに「がちまやー」という沖縄食堂があった時、お土産に良く買った。懐かしさと、「揚げたてだよ」という殺し文句からつい買ってしまった。ドーナツのようなそれよりもサクサクとした食感の小麦粉の塊は、本当に素晴らしい日々を思い出させるものだった。あの食堂のおじいちゃん、まだ健在かな?

 色とりどりの桜。色とりどりの群衆。桜色の空気。美味しいごはん。

 歩いているとバイオリンの音が聞こえてきた。誰か演奏しているのかなと人だかりを観たら、ドイツ人かフランス人のようなおじさんが、マリオネットを操っていた。マリオネットは幼児ほどの大きなサイズのもので、その片手にはバイオリンがあり、もう片方の手で弦を弾いている。バイオリンを弾くマリオネット。その弦の動きは匠に曲とシンクロしていた。子供が観たらきっと錯覚するだろう。自分も最初、そんな錯覚に襲われていた。そしてバイオリンの音は録音されているものと分別してしまう大人の判断に、少し苦い思いすらした。それほど桜の下で、バイオリンを弾くマリオネットはその表情さえも観る人によっては浮かぶような、ある種のコミカルさ、それは美しさと言ってもいいような、ものを備えていたのだ。集まった外国人、日本人みなから拍手を讃えられ、わずかながらのおひねりをいただいた、外国人のマリオネット遣いは「リクエストありますかー、なんでも弾きますよー、ディズニー、クラシック」なんて呼びかけている。でもシャイな日本人は受け答えが悪い。きまずい顔をして去っていく人が殆どだ。観ると自分と目が合った。

「桜どうですかー? 美女と野獣はー?」

 つい、声が出てしまった。

「桜でしょう。この時期は」

 するとマリオネット遣いはスマホを操作する。妙な近代的な前時代的な芸だなと思っていると、森山直太朗の「さくら」が響いた。あの咲き誇る歌だ。原曲の侘しさを隠し味にひたすら陽気に、時には顔芸すらしながら、マリオネット遣いは弦を繰る。顔芸とは、曲の切れ間に、決めポーズをしてドヤ顔をして静止するのだ。きっと写真タイムを意識した、大道芸で鍛えられた技なのだろう。軽い笑いが起きた。

 そんなマリオネット遣いに別れを告げ、桜並木を歩いていく。この桜とももう今年は会えないのだろう。それどころかまた前のように十年単位で会えないかもしれない。僕の不安定な精神がもうそれを許さなくなるかもしれない。満開の桜。小学校に入学したときも大学に入学したときも咲き誇っていた気がする。そしてもうあの時は帰ってこないことも、知っている。当時も知っていたようでその本当の意味するところ、通り過ぎて本当に自分のものでないような遠いもの、想い出になっていくことを知らなかった。あの大道芸のマリオネットとも、もう会えないのかな。そんなことを思うと、道を引き返していた。

 マリオネットの人形遣いは、やはりあの場所でバイオリンを弾いていた。そしてリクエストを集う。目の前に幼児がいて彼女から聞きだすのに必死で、でも相手は頑なに答えようとしていないようだった。僕は桜を撮影するためだったビデオカメラを取り出す。つい声が出た。いや、出したくて出した声だ。

「レットイットビーは?」

 マリオネット遣いは振り向いた。

「レットイットビー」

 たまらない恥ずかしさを乗り越えて繰り返す。

「レットイットビー?」

 マリオネット遣いは尋ねる。

 僕は答える。

 マリオネット遣いはたどたどしく演出した恐らく上手な日本語で幼い女の子に向かって言う。

「(ごめんね)今、おにいさんがレットイットビーを欲しいから、いいですか?」

「おねがいしまーす」

 スマホで曲を入力しながら

「彼(マリオネット君)は何でもできる。彼は天才だから」

 思わず、

「天才」

 と相づちを打ってしまった。彼の他の演奏を見ている自分の心からの相づちだった。

https://www.youtube.com/watch?v=cz8ET49j2-k

 マリオネット遣いは深くおじぎをすると、曲に合わせてマリオネットを繰り始めた。手のひらを地面に水平にして上下することで、タキシードを着たマリオネットはバイオリンを軽やかに繰る。口ひげがチャーミングだ。流石ビートルズ、流石レットイットビーといったところか。サビに合わせて周りの外国人が「let it be」と口ずさむ。その空間には桜とバイオリンを通して、しがらみのない一つの空間があったような気がする。少なくとも自分はそう楽しんだ。「あるがままに」自分の「let it be」への思い入れやエピソードはあるが、それはここで語るほどの意味のないものとなった。きっとこの曲を想う時、この場面が真っ先に浮かぶ。ありがとう、陽気なマリオネット遣い。ありがとう、上野の桜。

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