36話「図鑑の作成とフェルの存在の秘匿」
「俺は食べられる草と、食べられない草を書物に記し、人々に伝えようと思っている。
妖精殿は植物に詳しい。
植物図鑑作りに協力してほしい」
彼は凛々しい表情でそう言いました。
「絵付きの図鑑があれば、民が誤って毒草を食べるのを防げると思うんだ」
「え〜〜、面倒くさいのだ」
フェルが嫌そうに顔をしかめました。
「そこをなんとかお願いできないだろうか?」
レオニス様は負けずに食い下がります。
「フェル、私からもお願いするわ」
飢えた民が、毒草を食べて死ぬのは悲しいです。
「アリーのお願いには弱いのだ。仕方がないから協力するのだ」
フェルが折れてくれました。
「ありがとう妖精殿! この恩は終生忘れぬ」
レオニス様がフェルに頭を下げました。
「アリーのお願いだから仕方なく受けたのだ。いっぱい撫で撫でしてなのだ」
「ありがとう、フェル。いっぱい撫で撫でしてあげるわ」
私はフェルを抱きしめて、頭を撫で撫でしました。
「アリアベルタに頭を撫で撫で……羨ましい……! だが今は我慢だ……!」
レオニス様がまた独り言をしゃべっていました。
「王太子、言っておくけど僕は手伝うだけなのだ。植物の絵は王太子が描くのだ」
図鑑を作るには絵の才能も必要ですが、レオニス様は絵が描けるのかしら?
図鑑を作るのには時間も手間もかかります。
レオニス様は王太子の公務の他に、魔物の討伐もしています。
彼に、絵を描いたり、植物の説明文を考えたりする時間があるのかしら?
「そのことなのだが、妖精殿。
貴殿の存在を皆に明かすことはできないだろうか?」
フェルのことは祖国でもずっと隠してきました。
彼の存在をみんなに教えるなど、考えたこともありません。
「アリアベルタの話では、ノーブルグラント王国では、妖精殿と一緒に離宮に閉じこもっていたそうだな?
なので、妖精殿の姿を他の人間に見られることはなかったと」
「はい、その通りです」
「だが、アリアベルタがこの国に嫁いで来たことで、君たちを取り巻く状況は変わった」
それは否定できません。
「君たちは、今は離宮に暮らしている。
離宮にはメイドが出入りしている。
妖精殿が目撃される危険がある」
離宮の中にはクレアさんしか入って来ませんが、離宮の周りには庭師の人達もいます。
「俺は、君たちをいつまでも離宮に住まわせておくつもりはない。
父上と母上が回復したら、君には宮殿に移ってもらいたいと思っている」
レオニス様は真剣な表情でそうおっしゃいました。
彼が私を離宮に住まわせたのは、金遣いが粗く、使用人に暴力を振るう女という噂を信じたから。
その誤解が解けた今、私が離宮に暮らす理由はありません。
「見たところ妖精殿は自己顕示欲が強いタイプだ。
いつまでも彼の存在を秘匿することはできないだろう」
それは否定できません。
「妖精殿は、いつかは誰かに見つかってしまう。
下手な見つかり方をして、あらぬ誤解を生み、悪い噂が広がるのはまずい。
それならいっそ王家が妖精の存在を公表し、国を守ってくれる存在だと伝えた方が良いと思っている」
彼の意見にも一理あります。
「二人はどう思う?」
殿下に尋ねられ、答えに詰まってしまいました。
「僕はアリーと離宮でのんびり暮らしたいのだ〜〜。公表とか面倒なのだ〜〜」
私もできるなら、フェルとともに離宮でひっそりとのんびりと暮らしたいです。
フェルのことを公表したら、加護を与える彼はみんなの人気者になるでしょう。
フェルが色んな人からちやほやされるようになって、私から離れていってしまったら……。
そしたら私は一人ぼっちになってしまいます。
自分のことばかり考えてはいけませんよね。
私は名前だけとはいえ王太子妃です。
国のことや、国民の幸せも考えなくてはいけません。
今、ヴォルフハート王国の人たちは飢饉で苦しんでいます。
豊穣の妖精であるフェルが王家にいて、いずれは彼の加護で国が豊かになるとわかれば、国民は生きる希望を持つでしょう。
「妖精殿の気持ちはわかった。
アリアベルタ、君の意見を聞かせてほしい」
「私も、フェルとともに離宮でひっそりと暮らすのが私の望みです。
ですが、フェルの存在を公表すれば国民の希望に繋がるとも思っています。
なので、彼の存在を明かして構いません」
この国に嫁いできて一月も経っていないのに、フェルはレオニス様に姿を見られてしまいました。
いずれ他の誰かにも見られてしまいます。
悪い噂や誤解が広がるくらいなら、王家から妖精の存在を公表した方がいいでしょう。
「もちろん、フェルが同意してくれるならですが。フェルはどう思う?」
私は膝の上にいるフェルに尋ねました。
「アリーが一番のお友達でいてくれるなら、僕の存在を皆に教えてもいいのだ」
フェルはそう言ってにっこりと微笑みました。
「フェル……!」
私は何を不安に思っていたのかしら?
フェルはいつも私のことを一番に思ってくれているのに……!
「うん、約束する! 何があってもフェルは一番のお友達だよ!!」
私はフェルを抱きしめ、彼のふわふわの髪に顔を埋めました。
彼の髪からはお日様の柔らかい匂いがしました。
「ゴホン! ゴホン! この場には俺もいること忘れないように……!」
レオニス様が眉間に皺を寄せていました。
「妖精殿、アリアベルタ、妖精殿の存在を明かすことを許可してくれたことに感謝する」
レオニス様はフェルに向かって深く頭を下げました。
「フェル殿の存在を公にするなら、アリアベルタが離宮で暮らし続ける必要はなくなる。
この機会に、宮殿に移ってくれないだろうか?
で、できれば……俺はアリアベルタと同じ部屋で……す、過ごしたいのだが……」
レオニス様は顔を真っ赤に染めていました。
最後の言葉は小さくて、よく聞こえませんでした。
レオニス様は私に宮殿に移ってほしいのですね。
ご両親の体調が回復されたとき、私が離宮で暮らしている理由を尋ねられ、説明するのが面倒だからでしょうか?
だから、私に宮殿に移ってほしいと、そうおっしゃっているのかしら?
宮殿で暮らすべきだとは思うのですが……。
「宮殿は窮屈そうだから嫌なのだ」
フェルが即答しました。
「私も、宮殿の暮らしは性に合いません」
わがままなのはわかっています。
こんなわがままを、いつまでも通せないことも。
でも今は、離宮でのフェルとの時間を大事にしたいのです。
いつかは宮殿で暮らすとしても、もう少しだけ離宮での自由を味わいたいのです。
「レオニス様ごめんなさい。
もう少しだけ、フェルと一緒に離宮で暮らしてはいけませんか?」
レオニス様は肩を落とし、残念そうな顔をしていました。
「妖精殿とアリアベルタはこの国の大恩人だ。
二人の意見は尊重しよう」
レオニス様は少し悲しそうな顔をしていました。
「やったーー!
これからも僕はアリーと二人で離宮で暮らせるのだ〜〜!
嬉しいのだ〜〜!」
フェルは万歳をしていました。
「私もフェルと二人で過ごせて嬉しいわ」
フェルと離宮で穏やかに暮らすのが私の願いです。
その願いが叶ってとても嬉しいのに……。
レオニス様の淋しげな顔を見ていると、胸の奥が苦しくなるのはなぜなのでしょう?




