2話「妖精との暮らし」
「アリー、国王の話はなんだったのだ?」
離宮の扉を開けると、フェルが出迎えてくれました。
離宮はキッチン、ダイニング、リビング、寝室を兼ねた土間づくりの部屋です。
「ただいま、フェル。
私、隣国の王太子に嫁ぐことになったわ」
「ええっ!?
何なのだそれ?
話が急すぎるのだ!」
「明日の朝にはここを発たなくてはいけないの。それまでに荷造りしないとね」
「王族はいつでも勝手なのだ!」
彼の名前はフェル、本当の名前はフェリックス。
母が村を出るとき連れてきた妖精です。
フェルは初夏の植物のような鮮やかな緑色の髪と瞳を持ち、七歳ぐらいのあどけない少年の姿をしています。
彼の顔立ちはとても可愛らしく、瞳はくりくりと大きく、肌は白く、ほっぺはぷにぷにしている。
母の育ったのはこことは別の大陸にある山奥の村。
その村は妖精と共存している村で、一人に一匹妖精がついていたそうです。
村の人間は外に出ることが禁じられていたけど、母は外の世界が見たくて、フェルを連れて旅に出ました。
母はいくつもの山を越え、川を越え、船に乗って大陸を越え、何年か旅をして、ノーブルグラント王国に落ち着きました。
そうして母が王都のカフェで給仕のお仕事をしていたとき、お忍びで街に来ていた父に見初められました。
フェルは母が亡くなった後も、私の傍にいてくれます。
彼が傍にいてくれたお陰で、母が亡くなった後も寂しくありませんでした。
それに、フェルの能力のおかげで飢えずに済んでいます。
フェルは作物の成長を促進する能力を持っています。
じゃがいもなら一日、りんごやみかんなどの木になる植物なら、種から植えても半年で収穫できます。
腐ったりんごから種だけ取り出して、水で洗ったものを天日に干して、畑に蒔くとよく育つのです。
離宮のお庭とフェルのお陰で、今まで生きてこれました。
フェルは他にも姿を消したり、飛んだりもできます。
フェルは、私と母以外の前では姿を消しています。
だからメイドは元より、父ですら妖精の存在を知りません。
「そう言わないで、フェル。
私はちょっとだけわくわくしているの。
だってお城の外に出られるのですもの」
「アリーはずっと離宮で暮らしていたのだ。
だから外の世界を知らないのだ。
気の毒なのだ」
外の世界ってどんなところなのかしら?
外の世界の情報は、お母様から聞いたお話と本で得た知識のみ。
実際に目にする世界はどんなものなのか、私は少なからず興味がありました。
隣国のお城にも庭があるかしら?
そこで植物を育ててみたいわ。
「一時間後にメイドが呼びに来るの。
今日はこれから宮殿に移動して湯浴みをしたり、髪を梳かしたり、ドレスの採寸をしたりしなくてはならないの」
それまでに、荷造りを済ませておかなくてはいけません。
私はタンスを開け、ベッドの上にトランクを置きました。
これは母が嫁入りするときに持ち込んだものです。
「畑の作物を収穫している時間はないわね」
窓の外に見える果樹園にはりんごやみかんや桃がたわわに実り、畑にはじゃがいもの葉が茂っていました。
「種芋用に取っていたじゃがいもと、いざという時の為に天日干ししていた植物の種を、持っていきましょう」
片方に母の形見のドレスを、もう片方に種芋と果物の種を詰めました。
「この果樹園と、さよならするのは寂しいわ」
窓を開け、私は感傷に浸りました。
小さなお庭でしたが、私にとっては母とフェルと過ごした大切な場所です。
ここには、たくさんの思い出が詰まっています。
青々と茂った木々の隙間から、たわわに実ったりんごが見えました。
あの果物は、誰にも収穫されないのですね。
そんな果物が哀れに思えてきました。
「心配ないのだ。
果物は鳥さんたちが代わりに食べてくれるのだ。
じゃがいもだって他の動物や虫が食べてくれるのだ」
「そうね」
そのとき、りんごの木にスズメが止まり果実をつついているのが見えました。
その光景を見て、私は少しだけほっこりとした気持ちになりました。
「フェルは隣国までついてきてくれる?」
「絶対にアリーと一緒に行くのだ!
置いてけぼりなんて嫌なのだ!」
「ありがとう、フェル。
そう言って貰えて嬉しいわ。
あなたが一緒なら、どこに行ってもやっていけるわ」
フェルが一緒なら百人力です。
隣国でも、もしかしたら食べ物をもらえないかもしれません。
でもフェルがいてくれたら、果物の種と種芋と畑さえあれば、食べ物には困りません。
◇◇◇◇◇
そのとき、玄関のドアが乱暴にノックされました。
「王女様、お時間です」
外から女性の声がしました。
どうやらメイドが呼びに来たようです。
彼女の言葉から不機嫌さがにじみ出ていました。
「はい。
今行きます」
私はメイドに短く返事をしたあと、窓を閉めました。
そして、小声でフェルに話しかけました。
「フェル。
他の人に見られると面倒なことになるわ。
隣国に着くまで……ううん、安全なところに着くまで姿を消していてくれる?」
「わかったのだ」
フェルは大きくうなずいて姿を消しました。
妖精の加護を受けている私の目には、フェルの姿が透き通って見えます。
ですが他の人には、彼の姿は認識することはできません。
「これでアリー以外の人間には、僕の姿は見えないのだ」
「ありがとう、フェル。
これで安心ね」
私がフェルと会話していると、メイドが玄関の扉を開けて部屋の中に入ってきました。
「王女様、お支度はまだでしょうか?」
彼女は不機嫌なのを隠そうともせず、そう言いました。
「時間を取らせてごめんなさい。
母にお別れを言っていたの」
隣国に行ったら、おそらくここには二度と戻ってこられないでしょう。
天国の母に、旅立ちの挨拶をしていたのは本当です。
「そうでしたか。わたしは外で待機しています。お母様へのお別れは手早く済ませてくださいね」
彼女は事務的にそう告げると部屋を出ていきました。
フェルはメイドの後ろ姿に向かってあっかんべーをしていました。
妖精は特別な力を持っていると、生前母から何度も言われました。
妖精の存在を秘密にするようにとも。
妖精の力を悪人に利用されたら大変だからです。
隣国に行っても、フェルの存在を知られないように気をつけなくてはいけません。
「メイドは僕の存在に全然気が付かなかったのだ。僕の魔法は完璧なのだ」
フェルがえっへんと胸を張りました。
「そうね。
あなたの魔法はいつ見ても凄いわ」
「それにしても失礼なメイドなのだ。
部屋の主に許可なく部屋に入ってきて、荷物も運ばないなんて!」
「フェル、誰かに期待してはだめよ。
お母様が亡くなってから、ここの人たちはいつもあんな感じでしょう?」
母が亡くなってからというもの、私はお城の人達にぞんざいに扱われてきました。
私に優しくしてくれたのはフェルだけです。
「僕、アリー以外の城の人間は嫌いなのだ」
フェルは頬を膨らませ、プンプンと怒っています。
母の時代から生きているフェルは、私より遥かに年上です。
だけど妖精の年の取り方と、人間の年の取り方は違うようで、フェルは幼い外見の通り中身もお子様なのです。
なので彼は、喜怒哀楽が直ぐに顔に出ます。
私はそんなフェルの明るさに、励まされてきました。
彼がいなければ、私は寂しくて病気になっていたことでしょう。
私にとってフェルは、家族同然の大切な存在なのです。
◇◇◇◇
私はトランクを玄関の前に置きました。
お母様と暮らしたこの部屋とも、今日でお別れです。
私は部屋を見回し、頭を下げました。
「今までありがとう」
それからお礼を伝えました。
この家があったから、天露をしのぎ、冬の凍えるような吹雪からも身を守ることができました。
「お母様、私、隣国の王太子に嫁ぎます。
どうか私が隣国に行っても、天国から見守っていてくださいね」
頭を上げ、天国のお母様にお別れの挨拶をしました。
トランクを持って玄関を出るとき、何とも言えない寂しさが込み上げてきました。
泣いては駄目です。
これからも強く生きていかなくてはいけないのですから。
泣いていたら、天国のお母様に心配をかけてしまいます。
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