第二話
レイバー大学はここ、王都アステルのほぼ真ん中に位置する。初代アステル国王の重鎮、レイバー卿が500年前に設立した王国の中でも最も古い私立大学だ。レイバー大学が位置するミシア町は古都として有名で、旧レイバー邸をを初めとした古い建造物が数多く残っている。
このミシア寮も同じく、200年前に出来た建築をリフォームしながら今でも使っており、年季が入っていながらも手入れがよく届いた、素敵な建物となっている。
そんなミシア寮の中で俺は、アリシア・フォン・レイバーお嬢様に家事の手ほどき...もといこき使われていた
「こんなんであたしの裸の見物料が払えると思ってるわけ!?覚悟しなさい!あんたは一生あたしの奴隷よ!ほら!さっさと掃除をしろ!」
「はっ!お嬢様!ただいま掃除が終わりました!」
「埃が残ってるわ。やり直しよ。」
「はっ!喜んで!」
必死で掃除をしながら内心俺は涙目だった。俺は...俺はこんな奴隷のようにこき使われるためにここに来たわけじゃないのに...しかし相手は国の最重要人物の娘である。彼女の力を持ってしまえば、俺、果ては俺の家族も跡形もなく消し飛ばすことが出来るだろう。俺は、彼女の奴隷になる他ないのだ。
「お嬢様!今度こそ!掃除が終わりました!」
「休んでる暇ないわよ。次は料理よ。あー、あたしジンジャーケーキが食べたいわ。」
「承知致しました!」
「むっこれはなかなかいけるわね。まあいいわ。及第点としましょう。」
「はっ!ありがたき幸せ!」
鬼のアリシアから解放され、もう、指一本、動かない。俺は床に倒れ伏しそのまま泥のように眠った。
ふと俺を揺り動かすものがいた。目を開けて見ると青い髪の少女が屈んで心配そうに俺を見ていた。
「あの、お水、飲みますか?」
なんと、なんと心優しい少女なのだ。不可抗力とはいえ風呂場に突入してしまった俺の身を案じ、介抱してくれるとは...!
「あ、ありがとうございます...」
嬉しさに心を滲ませながらコップの水を受け取り飲み干す。美味い。水とはこんなに美味いものであったか。
ふと、彼女の顔に見覚えがある。この顔は...
そうだ!昔遊んでいた幼なじみだ!間違えるはずがない。だって俺の今までの人生で関わりのあった女の子は彼女だけなのだから!!
「もしかして...ルーナか?そうだよな?覚えてるか?昔遊んだ...」
「えっ...えっ!グイシャ!?全然変わってて気づかなかった!!え!本当に久しぶりだね!」
ルーナは本当に驚いた様子で俺に言った。昔から影の薄い人間だったから名前を覚えてもらえなかったことも多々あった。だからルーナが俺の事を覚えてくれているのがとても嬉しかった。
「お前の家、普通の商店じゃなかったか?よくこんな大学に入れたな。」
「うーんとね、あの後お父さんが商売に成功してうちのお店、すごく大きくなったんだ。」
「だから突然いなくなったのか。」
「うん。お店の規模が大きくなったから王都に本店を設けようってことになって引っ越したんだ何も言わなくてごめんね。」
そう言ってルーナは俺の頭をそっと撫でてくれた。
次の日、俺はルーナと一緒に大学に登校した。レイバー大学はミシア寮を出て徒歩3分の所にある。王都の中では少し高台になっているところに造られており、見晴らしがとてもいい。校門をくぐると大通りが続いており、沿道に各学部の校舎が建っている。ルーナは外国語学部、俺は文化構想学部なのでここでお別れだ。
「それじゃ、また____」
言いかけて立ち去ろうとすると
「おーい!」
「帰りも一緒に帰ろー!」
ルーナが俺を呼び止めて、言った。あれ、なんか俺、もう青春してないか!?ふふふ、この調子でいけばリア充大学生活間違いなしかな?
「うん!」
応えて、俺はルンルンで授業に向かった。
席に着いて授業の準備をしていると、あの悪魔がやってきた。アリシアである。目を合わすまいと思ったがとっさに目が合ってしまった。目が合うなり
「あ、変態!」
と大声で彼女は言った。教室の皆の目線が一斉にこちらを向く。
「あ、これは、いや違...」
「何が違うのよ。私の体、物欲しそうにジロジロ見たくせに。」
そう言って彼女は俺の隣に腰を下ろす。
こ、このクソアマ...いつか絶対痛い目見せてやる...
これでこの場の俺の評価はガタ落ちである。ルーナによって癒されていた心は再び絶望の一色に染まってゆく。
「君〜いきなり変態呼ばわりされちゃって〜何やばくね?なかなかキマッてるね!」
ほら言わんこっちゃない。見るからにチャラチャラした男が近づいてきた。こんな奴らに絡まれだしたらもう俺の人生は終わりである。
「あれ、お姉さんそれ、ラルティエのネックレスですか〜?やばーいめっちゃおしゃれ〜」
どうやら彼は俺でなくアリシアに用があったようだ。しめしめ、彼もアリシアにちょっかいを出して痛い目を見ればいい。俺は内心ほくそ笑んでいた。
大学生活最初の授業は演劇史Ⅱだった。教鞭を取るのは杖を着いたかなり高齢の男で名前をイグルシア・レスターと言った。
「えーこのように、我が国での演劇史の始まりは、当時外務卿であった、ルンベルト・フォン・イーダー伯爵によって...」
彼の授業は一見して平凡で退屈かもしれないがしかし、聞く価値はあるものであった。午後の文学史の講義もなかなか面白かった。レイバー大学教授陣に俺は素直に感服した。
ミシア町は夕方になると一層雰囲気を増し、五百年続く王国の古都にふさわしい佇まいとなる。石造りの建物が夕日を浴びて静かに、厳かにそこに鎮座している。北方に位置するアストラ王国は春になってもまだ肌寒い。外套を羽織った品のよさそうな紳士が紙袋をを抱えて去っていった。
俺とルーナは並んで歩いていた。ルーナは今日学校であったことを詳しく話してくれた。ツァイセル語の教授の授業が喜劇めいていて面白かったこと、新しくできた友達のこと。ルーナも俺と同じく新生活にわくわくしているようだった。
ルーナの話が止まったので隣を見ると俺の顔をじっと見つめていた。
「どうした?俺の顔になんかついてるか?」
「ううん。何もついてないよ。見てただけ。」
そういってルーナはにっこり笑った。やばい、何この子。あざとすぎ。心臓がバクバクしている。動揺しているのがばれていないか、心配だった。
ミシア寮に帰ってきて、一息ついた。今日はなかなかいい一日だった。講義の時間も有意義だったし、ルーナも可愛かったし。うん、アリシアさえいなければ最高の一日だった。どうか今日はこのまま平和に一日が終わりますよう____
突然ノックもなしにドアが開かれた。瞬間、俺は絶望した。廊下に立っていたのはアリシアだった。
「あんた、いまから私に付き合って。」