絶対推理世界線
朝だ、もう朝だ。泣けない。涙も出ない。
「そうだ、警察に連絡しないと。」
パリッ
一晩冷たい母を抱いていた彼女の体を血が覆い、動くとパラパラと音を立てて床に散った。
鉄臭い。
受話器を取り、110を押すと振り返った。
刺し傷に切り傷、腹部から漏れ出た腸は、外部だけ出なく内部もぐちゃぐちゃにされている証拠なのだろう。
「もしもし、警察ですか?…事件です。母親が…殺されました。」
あれから数日が経ち、お葬式が開かれた。父も私も喪服に身を包み、念仏に耳を傾けた。
「真帆。すまなかった、俺がたまたま泊りの用事があったばっかりに…」
「いいよお父さん。別に、泊まりじゃなくたってあの時間帯はお母さんしかいないよ。誰も止められなかった、仕方ないよ。」
「真帆…お前、大人になったな。」
「それはないよ。私が大人だったら、寄り道せず帰れたら、お母さんを助けられたかもしれないのに。私が帰ってさえいればー」
「それは違うぞ!」
両肩を捕まれ怒鳴られた。
「それは違う。お前には分からないだろうが、俺たち親からしてみれば自分の命なんかよりお前の命の方がよっぽど大事なんだよ。母さんだってな、お前が危険になるくらいだったら自分の命なんて喜んで捨てるはずだ。親っていうのはそういうものなんだ。だから母さんが悲しむようなことは言うな。な?」
「ごめんなさい。」
お寺の外れ、しとしとと降り始めた雨は、私を泣かせてくれるのだろうか、目の前で涙を必死に堪え、「お墓、行こうか。」と優しく語りかける父はこの後一人になったら泣くのだろうか。私は未だ泣けていない。
母が死んでから半月がたった。犯人は未だ不明、私は父と新しいマンションに住み始めたが二人とも母がいない生活に慣れず。私が家事全般をする役になり、それでも火は使わせたくないと父が料理を作っている。別にいいのに、学校には、まぁ行けている。友達は気を使ってからいるがやはり辛いものは辛い。心に余裕が無い。涙も出ない。
帰り道、私は必ずあの家による。元我が家による。規制線を越える。隣の老夫婦もどうやら殺されていたらしく。この2部屋は半月たった今でも血の匂いがする。する気がする。まだ涙も出ない。
1ヶ月がたった。白髪が生えてきた。少しだけ、バラバラに、肌も荒れてニキビが出来ている。世界が白い、涙も出ない。
ある日。洗濯物を片付けていると一枚の紙が落ちた。名刺?あぁ、あの自称未来人のやつか、探偵事務所だっけ、彼だったら未だ見つからない犯人を見つけられるのだろうか。まだ涙も出ない。
『廻道探偵事務所』。そのままかよ。
若干の老朽化が見える荻窪駅の外れにあるビルの二階。自称未来人はここに働いているらしいがここに来たのは別に依頼をしに来たわけではない。しようと思って来たわけではない。何故来たのか?と聞かれれば、それは知らない。気付いたらここにいた。足がここを求めていた。階段の前に立つ私を窓から眺める彼を、私はまだ知らない。まだ涙も出ない。
「来た理由は…まぁわかるとも、残念だった。同情こそしないが自分がその立場になったと考えたら、ゾッとするよ。」
そんなことを言いながら彼は、私をソファに座らせた。
「そうですか。」相変わらず酷い隈と変わらない服。表情一つ変えず声色だけ変えるものだから、少し不気味だ。
「悪かったな無表情で。」
「私の心を聞いたんですか?」
「いや、顔にそう書いてある。」
「マジですか。」
「マジだよ。」
…
こういう時、こういう両者が黙り込んでいる時、だいたい秒針の音が聞こえてくるのだが…
「それな、ここにアナログ時計置いてないんだよ。」
「また顔に書いてありました?」
「いや、聞いた。」
「そうですか。」
「あの秒針の音が嫌いでな、時間に殺されてるみたいで。」
「変わってますね。」
「そうか?まぁ、そうだな。」
恐らく彼は私が依頼するのを待っている。私が彼に信用がないこと、彼が探偵なこと、これらのことから彼は私が依頼するまで私に触れる気は無いのだろう。私のプライバシーに入ってくる気がないのだろう。ただ、彼が私に向ける視線は、「どうしたの?」という問いかけた視線ではなく。「俺に話せ。」という脅迫紛いな視線だった。
「わかりました。話しますよ。だからそんな目で見ないでください。」
「あぁ、助かるよ、元々感情を表に出すのは苦手なんだ。」
「まぁ、なんですか?質問は単純にあれですよ。どうしてお母さんを殺したのかが知りたいんです。関係性とか、そういうのが。」
「もう一個あるんじゃないか?」
「ありますよ。はぁ、私が喋り出した途端にすぐ心を読むのやめてくれませんか?」
「読むんじゃない、聞いているんだ。でも取り敢えずその二つ目については現場に行かないと分からない。正確にはね。だから今からついて来てもらうよ。元君の家に。」
「別にいいですよ。」
多分彼は私がたまにあの家に寄っていること知っているのだろう。いや、聞いているんだろう。涙も出ない。
車で行くと思っていたが、「俺が持っている訳ないだろう。」などと言われてしまい、電車で行くことになった。若干混んでいる車内で吊革を掴む彼の耳には見たことのない電子耳栓が刺さっていたが、彼の横顔は騒音に苦しんでいるようだった。
「頭痛ー。」
「大丈夫ですか。」
「あぁ、うん、まぁダメ。すげー痛い。やっぱ乗り物はダメだなぁ。耳に悪い。あの止まる時の車輪の音っつったらもー。あー痛い。」
なんだかんだでマンションの一室の前私の家の前。家族3人の家の前。
ガチャ
「どうした?お前も入れ。」
「はい。」
足が重い。目の前がモノクロだ。彼の声が揺れる。波打つ。それでも進まなければ。
「なぁ、矢車や。」
「はい。」
「お前が今、なんでそんなに不安定な状態なのか教えてやろうか?」
「…。」
「…お前が悪いよ。」
「…。でも私がいても、きっとお母さんは救えなかった。」
「でも救えたかもしれない。あの日あの時俺に関わらなければ、君は君の母さんを救えたかもしれない。」
「そんなこと言ったら!貴方がその一日前に私と会わなければ私が貴方に話しかけることなんてなかったじゃないですか⁉︎」
「本当に?少なくとも俺が会わない世界戦では、君はその日もあのビルの上に立ってたんじゃないか?」
「…!」
最悪だ。その通りだ、多分そうだ。私だったら多分そうする。そうしてしまう。
「な、だから俺はあえてあの日お前と接触することで、事件があった日にお前がまっすぐ家に帰る確率を増やしてやったんだぜ?」
「そんなの、わかるわけなじゃないですか!」
「あぁ分からないとも。だから君が悪い。だからこそ君が悪い。分かっていても分からなくともそれは君の選択だ。いいか、君がそれを選択した時点で君が悪い。君がお母さんを殺したんだよ。」
淡々と語る彼の目は真っ直ぐだった。その目が私を締め付ける。でも…
ガタン。矢車は部屋を飛び出した。
「聞こえてるんだよ、ばーか。」
彼の耳には聞こえている。誰も責めてくれないという罪悪感から解放された彼女の声を。彼女の涙を。
この防音の部屋の中で1人。彼だけが聞こえている。
「さて、俺が彼女を助ける時間は終わりだ。さぁ、仕事をしよう。廻道としてではなく、探偵として、彼女の声を聞いてみようじゃないか。」
廻道が電子耳栓の電源を切らないのは、また別の世界線。
ねっむ