24.ワーナの試練
ワーナさんの案内でアトリエに着くと私は密かにテンションを最大限に上げていた。
と言うのも、アトリエと言うものへの憧れもあるが、ワーナさんの住まう屋敷の裏庭の広大さや、そこに佇む木屋であるアトリエの趣に、自分が欲していたアトリエの理想とでも言うべきものを感じ取っていたからだ。
「やっぱりアトリエと言ったら、木々に囲まれ、自然の中人々の営みから隔離された様な静けさを持ち、さらに秘密基地じみた遊び心を感じさせる……。そう言うものに限ると思うのですよ!」
「おお! わかるか! 建築家たちはもっと豪華にしましょうなどと、のたうっていたが、そうではないのだ! そう解いては調整を繰り返し、ようやく完成した我がアトリエの素晴らしさ! わかってくれるか!?」
「勿論ですよ! この寂れた雰囲気がたまらないんじゃないですか! あとは窓から見える池でもあればと思うのですが……」
「ふふふ……。それも現在計画中でな。来月には整える手筈となっているのだよ!!」
「それはなんと! なんと! 完璧ですね!」
と言った具合に私とワーナさんは目を輝かせ語り合っていたが、メイガスだけが独り冷めた面持ちで私たちを眺めていた。
アトリエの中に入ってもそれは変わらず、私はアトリエに用意してある画材、筆やキャンパス、様々な塗料に感動し、それにワーナさんは自慢げに手に入れるまでの自慢話を繰り返していた。
「んー。あとは壁画でも描けるスペースがあれば私としては言うところがないんですけど……」
自分の理想の中のアトリエを幻視し、木造であるこのアトリエでは難しいかと諦めの吐息とともに呟く。
「壁画か……それはまた、なんと素晴らしい……。うむ、私も何か足りないと感じていたが、まさにそれなのだよ! 早速池づくりと一緒に用意してもらう運びとしよう!!」
私の呟きを聞きワーナさんが一層目を輝かせ決意する。
私たちは、嬉々と壁画談義を交え大いに盛り上りつづけていた。
それもほどほどに、たまりかねたのかメイガスが声を上げる。
「それで……。作業は始めないので? 私も仕事がまだあるので帰りたいんですが?」
「おっとそうでした」
メイガスに言われ、本題を思い出した私は気持ちを切り替える。
「まずは……魔法を付与するのに特別な画材とか、決まりとかってあるんですか?」
アトリエ内の棚などに並べられた画材を物色しつつワーナさんに聞いてみる。
特殊な物は見当たらないので、画材についてはなにを使っても問題がないのだと予想はついたが念のためだ。
「それなら、なにを使っても問題ないのだよ。むしろなにも使わずとも描くだけであれば出来るわけであるしな」
そう言ってワーナさんは指先に魔力の光を集中させ、その指をバケツに入れてあった水につけた。
そして水をすくうようにして指は、近くにあったキャンパスへと向かう。
指はキャンパスをなぞり、なにかしら描いていった。
とても簡単なものだったため、それはすぐに描き上がり、キャンパスには辛うじて林檎かな? と思わせるものが淡く発光していた。
発光は少しすると収まり、ペイントソフトのブラシで描くような一定の太さとムラのない赤い線によって輪郭だけが描かれたイラストとなる。
「このように、媒体、今回はこの水だな、に魔素を込めて描けば、絵の具などでなくても単調なものを描くだけなら出来るのさ。ただしあまり複雑には描けないから、基本的には画材を使って多彩な表現を加えていくのだよ」
そう言って今度は、筆を持ち、筆先に魔力を集中させていく。
魔力光の強弱が安定すると、パレットに出した絵の具を筆につけ、先ほどのキャンパスに描き加えていく。
絵の具は水で溶いて使われていて、描かれたものを見れば水彩絵の具だったのだろうと知ることができた。
先ほどの林檎と同じように赤い線で林檎の輪郭が描かれたそれは、しかし先ほどと趣が全く異なったものとなっている。
新しく描かれたそれは一定の太さでもなく、色も水彩特有の淡さを持ったムラのある塗りであった。
なるほど、画材を使用しない場合は、パソコンなどに標準で付いているペイントツールのようなもので、画材を使うとプロ仕様のペイントソフトのように使えると言う事か。
うわー。便利だなー。
「とこんな感じだが、どうかな?」
「下手ですね。でもそんな風に水だけで色がついちゃうとか面白いですね! 私も出来るんですよね!? 作業をしながら教えてくださいね!」
絵の感想は、率直に答えておく。
プロなのだから曖昧に答える方が失礼だと私は思うから。
下手と切って捨てられたワーナさんは、膝を付いて落ち込んでいたけど……。
「とりあえずこれなら問題なさそうですね。それじゃあワーナさんには早速開始してもらいましょうか」
「お、ラフか?」
ワーナさんは切り替えが早く、すくっと立ち上がる。
「いえ、デッサンの練習です」
私が言うとワーナさんは再び膝を付いた。
「なぜ、私がそんなことから……」
「下手だからです」
はっきりと言い切るとワーナさんは「グフッ」と心臓を抑え床に倒れ込んでしまう。
アトリエの隅で、邪魔にならないようにしていたメイガスも「グフッ」と同じような音を出していたが、こちらは笑いを必死に抑えている音のようだった。
「ちょうどいいので、林檎をデッサンしましょう」
机の上にあったフルーツが盛られているカゴから林檎を一つ持ち上げ、それを椅子に乗せる。
私も他の椅子に腰掛けた。
「現状のワーナさんの実力も見たいのでサクッと描いて見てください」
そう言って、倒れ込んでいたワーナさんにも椅子に座ってもらい、鉛筆などを用意していく。
「それでは開始です」
なんだかんだと、キャンパスに向かえばワーナさんの表情は真剣なものになり、黙々と鉛筆を振るい始めた。
待つだけでは勿体無いので、私も鉛筆を手に持ち、ワーナさんと同じ林檎をデッサンしていく。
「メイガスはもう少しだけ待っていてくださいね。すぐ終わりますから」
「す、すぐ!? そんなに早くは」
「あ、ワーナさんは急がなくてもいいですよ?」
「そそうか?」
「はい、私の方が早めに終わらせちゃいますので」
私はそう言うが、メイガスはそれでも不満げであった。
「はあ、待ちぼうけですか? 早くと言っても、それなりには待つのでしょう?」
手持ち無沙汰なのか、メイガスがそう愚痴る。
「ほんとそんなにかからないですから。なんなら依頼についてお話を少ししておきましょうか?」
そう言いつつも目線は林檎とキャンパスにしか向けずに、鉛筆を素早く動かしていく。
「いや、全く。すごいものですね。誰にでも一つぐらいは才があると言うことなのでしょうか……」
私のキャンパスを覗き込んでメイガスは驚きにそう漏らす。
実際に私の描く速度を目の当たりにして、そんなに待たなくても住むかもしれないと感じたのか、不満感はもう感じなかった。
「はは、才能とかそんなんじゃないよ。ただの反復。ずっと描いて来たから出来るようになっただけだよ」
照れもあるが本心でもあった。
才能のある人っていうのはもっとすごい。
元の世界で神絵師と呼ばれる人たちの絵を思い出せば、自分などまだまだ……。
表現したいものは、未だに遠い。
「まあこれ描いたら、お屋敷に案内してもらおうと思うんだけど、出来れば商会と飲食店にも行っておきたいんだけど……どうかな?」
「商会と飲食店については、向こうも仕事があります。話は通しておくので、明日伺えるようにしておきましょう」
「うん。ありがと。それでお願い。それと飲食店の方には実物を見たいって伝えておいてほしんだけど」
「ええ、それもそう伝えておきます」
その後も、林檎のデッサンを続けつつ、メイガスと仕事の打ち合わせを続け、30分ほどたったところで、私は手を止め立ち上がった。
「うん、こんなところかな」
自分としてはかなり簡易的に描いてしまったと思うのだが、あまり時間をかけてもいられないのでここまでだ。
キャンパスには、濃淡がしっかりとつけられた、モノクロの林檎が椅子に置かれていて、その表面は艶やかで、赤い色が幻視されそうであった。
しかし、描き込みは浅く、完成度は低い。
「え、もう出来たのかい?!」
そういうワーナさんのキャンパスには何度も消して描いてを繰り返された跡と全体像が大方描き終わり、これから描き込みを加えていくであろう段階であった。
「これは、上手いですね……」
わたしの描いた林檎を見て、思わずという感じでメイガスが感想をこぼす。
「へへ。ありがと。ワーナさんにはこれぐらいは描けるようになってもらうので、そのつもりで、練習してくださいね」
「こ、これをか?」
「はい。描くだけだったら時間をかければ誰にでもかけますから。いつもみたいに自信満々で取り組んでくださいよ」
「う、うむ。やってやろうではないか……!」
「私たちは屋敷の方には行きましょうか」
意気込んでキャンパスに向き直るワーナさんを置いて私とメイガスは外に出る。
「あ」
外に出たところで私は思い出し、窓越しにワーナさんへと置き土産をして行くこととした。
「その林檎。だいぶ形が崩れてるので描き直ししてください。時間はいくらでもかけていいので、丁寧に見たままに、ですよ」
壁越しでも聞こえるようにと大声で言うと、アトリエの中からは、返事の代わりにワーナさんが椅子から崩れ落ちる音だけが返って来た--。




