猫
<小原正弘 (現場目撃者 53歳 会社員)>
ありゃ自殺って感じでもなかったなぁ。
ええ、確かに、自分から飛び出していったんですよ。車道に。
歩行者用の信号は赤でしたしね。トラックの運転手さんが可哀そうだよね。それで前方不注意とか言われてもさ。
いや、生まれて初めて見ましたよ。人が車に轢かれるのは。いやだねぇ。しばらく夢に見そうです。
信号を見たり、車の流れを確認したりとか、全然なかったですね。でもねぇ、自殺って感じじゃなかったなぁ。もっと、目的がある、というか。
何かを追いかけていたんだと思うんだけどね。目の前を逃げていくものを、必死になって追いかけていて、それしか目に入っていないって感じ。何か叫んでたし。「待ってくれ」とか言ってた気がするんだよなぁ。
叫びながら、公園から転げるように飛び出してきて、私の目の前横切って、車道に飛び出した何かを追いかけて、ガードレール飛び越えて自分も飛び出していった。
それで、どん、ですわ。人の体があんなに飛んだのも初めてみたね。ああこわ。
いや、何を追いかけてたのかは分かりません。私の目には何も見えなかったけどね。
あの人の目には、何かが見えてたのかもしれないですね。何かは分からんけど。
それぐらい、必死な形相でしたよ。あの形相も夢に見ちゃいそうだなぁ。
<木下順作(35歳 新宿中央公園のホームレス向け炊き出しボランティア)>
2年くらい前からかね。このあたりで寝泊まりしてました。あの人。
朝晩の炊き出しには、来たり来なかったり。まぁそういう人も多いです。身体が動く限りは、自分でなんとかしようと思うんですね。うまく食糧調達できなかったら、炊き出しに並ぶって感じで。そういう「最後の手段」を提供するのが、僕らの仕事だから。
あの人が来たのは、週に2回か3回ですね。それ以外は自分で何とかできたってことでしょう。
まぁ、顔は覚えてるけど、あんまり印象に残る特徴とかはないなぁ。ホームレス多いですからね、この公園。
昔のこともあんまり話してなかったですね。ホームレスによっては昔話が大好きな人もいるけどね。あの人はあんまり話さなかった。
ただね、一つだけ覚えてるな。
ほら、あの高層ビル見えるでしょ。あれを指差してね、繰り返し言ってましたよ。
あそこから、よく、ここを見下ろしてたんだよな、って。
全く、天国と地獄だよな、って。
あのビルね、高層階はいわゆるタワーマンションですよね。超高級マンション。本当だったとしたら、昔は大金持ちだったってことですよね。本当かどうか知らんけど。
そういう人がいても不思議じゃないですよ。今はホームレスやっててもね。結構インテリだったり、経歴聞いてびっくりしたり、昔はブイブイ言わせてた人もいますから。
こういう仕事してるとね、なんなんだろうって思うよね。人生って。
あの人の身元引受人のあてはないなぁ。ご家族とか、お身内の話はしたことなかったから。お役に立てなくて申し訳ないですけど。
<安田(本名不明 年齢不詳 ホームレス)>
猫のカズさんって呼んでましたね。仲間の中じゃ。
いや、猫を飼ってるわけじゃないんです。自分の段ボールの前に、必ず猫の餌を置くんですよ。その辺に住んでる野良猫がたくさん寄って来るでしょ。いっつも猫に囲まれててね。それで、猫のカズさん。
でもねぇ、猫好きってわけじゃなかったと思いますね。何のためにそんなことしてたのか、よく分からない。
集まってきた野良猫のどれかを、特別可愛がってたってわけでもなくてね。大体、猫好きの人ってのは分かるじゃない。餌とかあげたら、にこにこ猫に声かけたりするじゃない。そういうことはしないの。
ただ餌上げて、集まってくる猫を見てんだよ。じっとね。険しい顔してね。
あれは猫好きのすることじゃないな。まぁ、色んな人がいるからね。
あとはね、コーヒー淹れるのが上手だったよ。
ホームレスが?って思うでしょ。ふふふ。新宿はホームレスの天国だからね。なんでも手に入るの。
カズさんもね、ちゃんと、自分のコーヒーミルとドリッパー持ってたの。それで、どこからかコーヒー豆と、フィルターペーパー手に入れてきてね。自分のミルで豆を挽くところからやってた。すごいでしょ。
そうやってコーヒー淹れてくれた日はね、仲間にもふるまってくれた。カズさんのコーヒーは、本当に美味しかったなぁ。
その時はいい顔してたね。猫を見てる時とは全然違う、穏やかな顔してた。
<斎藤保奈美(被害者所持品に名刺あり 31歳 歌舞伎町「ロンド」勤務)>
和さん、ホームレスにまで落ちちゃったんだ。
可哀そうにね。でもしょうがないね。
浮き沈みの激しい商売やってましたからね。当たるとでかいけど、外すと大損っていう。
最後に会った時は、まだいい頃でしたよ。私から捨てませんよ。いいお客さんだったし。私が捨てられたんです。悔しかったね。上客を若い子に取られるってのは悔しいですよ。こんな商売してたら仕方ないことなんだけど。
コーヒー?好きだったね。自分で淹れるの。お料理も得意でしたよ。すごい素敵なカタカナの名前のお料理を、テーブルにずらっと並べてくれて、二人でワイン空けて、食事の後は朝までしっぽり。楽しかったなぁ。
いい男なんだもん。金もあって、優しくて、料理が上手で、ベッドもよくて、その上夜明けのコーヒー淹れてくれて、それがすごく美味しいんだよ。こっちから捨てるわけないじゃん。
やだ、思い出しちゃった。涙出ちゃう。
好きだったですよ。当たり前じゃん。お金持ってる男なんか、他にもいっぱいいるんだよ。こっちだって選びますよ。金がありゃ誰とだって寝るわけじゃないさ。この人とだったら、お店での付き合いだけじゃなくってもいいなって思ったんだよ。
惚れたから寝たんだよ。いい男だったから。
堅気の商売やりゃよかったのに。和さん。
無理だったのかなぁ。ホームレスやるくらいなら、他の道だってあっただろうに。
家族はいるはずですよ。かなり前に別れたって言ってたけど、奥さんがいます。お子さんも一人いるって言ってましたね。娘さん。
猫?ああ、飼ってましたね。そういえば。
いや、影の薄い猫でした。どこにでもいる普通の・・・色も思い出せないな。黒とか白とか、そういうはっきりした色じゃない。なんだかぼんやりした色。
そういうのもかっこよかったんだよね。東京の夜景を見下ろす超高級マンションにさ。なんだかぱっとしない猫と二人暮らししてるコーヒー淹れるのが上手な年収1億円の男。バブルっぽいじゃん。夢みたいだよね。
本当に、夢だったのかもしれないね。
あんな男、もう二度と現れないだろうなぁ。
<春日美和子(被害者の元妻 43歳 会社員)>
もう骨になっちゃったんですね。あの人。
色々お手数おかけしました。ありがとうございました。
ええ、こちらで弔ってやります。一応、この娘の父親なので。
まぁ、この2年くらいは、音信不通で、養育費ももらえなかったから、父親らしいことは何もしてくれませんでしたけどね。
最後に会ったのも、2年くらい前かな。かなり落ち目になってから、げっそりした顔して現れて、お金せびって、逃げるように帰っていきました。
手持ちのお金渡しましたけどね。雀の涙ですよ。何の役にも立たなかったでしょうね。
落ち始めると早い商売だろうなとは思ってましたけど、本当に早かったなぁ。損を取り戻そうとして突っ込んだお金が全部、何倍もの借金になって膨れ上がっていくっていう。挙句にホームレスですもんねぇ。
堅気にはもう戻れなかったんですね。いちど美味しい目をみちゃったから。
まぁ、こういう日が来るかもなとは思ってました。悪銭身に着かずっていうでしょ。その典型ですよ。
これ、あの人の?ホームレスになっても持ってたんですね、コーヒーミル。馬鹿みたい。
コーヒー豆の先物取引だったんですよ。最初に大きく当てたのが。それが忘れられなかったんだねぇ。
最初に突っ込んだお金っていうのがね、いわくつきだったから。
本人も死んでるから、もうお巡りさんに言ってもいいと思うけど。
ある日ね、夜遅くにね。鞄持って、猫連れて、帰ってきたの。
鞄の中にね、札束が詰まってた。五千万くらいあるって言ってたね。
公園で拾ったっていうんですよ。ベンチの脇に、ぽん、と置いてあったって。
腰が抜けるってのはああいう状態のことを言うんですね。本当に、膝ががくがく震えましたよ。
どんな素性のお金か分からない、危ないから、警察に届けなさいっていうのに、あの人、目の色変わってて。
これは神様がくれた金だって。俺に、もう一度チャンスをくれたんだって。
ちょうどね、会社が左前になって、リストラ候補になって、職場イジメとかもあって、あの人も追い詰められてた頃だったから。そんな風に思いこんじゃったんだねぇ。神様がくれたチャンスだって。
実際、本当にツキに恵まれてね。結構危ない商売に全額つぎ込んじゃったのに、それが大当たり。その後もガンガン当たって、ガンガン稼いで、あげくに私も娘も捨てて新宿のタワーマンションでキャバ嬢連れ込んでお大尽生活ですよ。元手がそれだもの。長続きするわけないよねぇ。
猫?ああ、猫ね。
その時、あの人についてきたんですよ。自分で連れてくる、というわけじゃなくて、勝手についてきたみたい。
鞄抱えてタクシーに飛び込んだら、一緒に乗ってきたって、言ってましたね。
猫はいませんでしたか?
コーヒーミルは持ってたけど、猫はいなかったんですね。
まぁ、もともとそんなに猫好きな人じゃなかったからなぁ。なんであの猫飼ってたのか、よくわからない。影の薄い猫でね。猫自体が影みたいな感じでしたね。
夢とか幻とか、影みたいなものを追いかけてたあの人からすれば、いい相棒だったのかもしれませんね。
私や娘よりも、影みたいなあの猫と一緒に暮らす方が、幸せだったんでしょう。
<春日知世(被害者の長女 10歳)>
パパに、最後に会った時に、猫の話を聞いたよ。
猫はこっちに来てないかって、最初に聞かれた。来てないって言った。
いなくなったの、って聞いたら、黙ってうなずいた。
悲しそうだった。
大事な猫さんだったんだね、って言ったら、また黙ってうなずいた。
オレの守り神なんだって言ってた。ツキを運んでくれるんだって。
猫さんが教えてくれるんだって。
猫さんが教えてくれる通りに、お金を使うと、何倍にもなって戻ってくるんだって。
最初のお金がある場所を教えてくれたのも、猫さんだって。
夜の公園歩いてたら、猫さんが、眼の前に立ち止まったんだって。
振り返って、「ついてくれば?」って言ったんだって。
猫さんが喋ったの、って聞いたら、そうだよって言ってた。
もし猫さんが戻ってきたら、絶対つかまえてやるって言ってた。
今度こそ逃がさないって。
パパ、ちょっと怖い顔して、言ってた。
<宮代直樹(別の自殺現場目撃者 52歳 会社員)>
そりゃ驚きました。目の前で、飛び降りですから。
でもねぇ、驚いたのはそれだけじゃなくてね。
私自身が、飛び降りようかと思ってたんですよ。本当はね。
その女の人がいたんで、別の場所探そうかと思って、立ち去ろうとした途端に、彼女が飛び降りたんです。
歩道橋の下のトラックに向かって。タイミング合わせてね。
そうですね、先を越されたって感じでした。やられちゃったよって。
あと、もう一つ、心底驚いたことがあってね。そっちの方が驚いた。
・・・うーん、どうしようかな。
・・・信じてもらえないでしょうけどね、やっぱり話しとこう。
あの女の人が飛び降りた後、あの人の鞄が、歩道橋の上に放置されてたんです。野次馬連中はみんな道路の方に走ってって、歩道橋の上には人気がなくてさ。
鞄だけ、ぽつんと残されてた。高級ブランドの。みたら、中に財布が入ってるのも見えた。
こんなにいいもの持って、お金も持ってそうなのに、それでも人は死んじゃうんだなぁ、と思いました。オレは金に追い詰められてるのになぁって。
死んだ人までうらやましく思っちゃうんですよ。それくらいしんどくてね。今。
今日だって、この後どうしようかなってね。正直、家に帰りたくないんです。
それでこんな話、お巡りさんに向かってしてるんですよ。少しでもここに長くいたくて。
そう、鞄の話ですね。
その時、歩道橋の上には、私しかいませんでした。
歩道橋の下で叫び声とか、クラクションとか、沢山の人が大声でわめいてるのが聞こえました。
気が付いたら、鞄のそばに、猫がいました。
どんな色だったかなぁ。黒とか白とか茶色とか、そういうはっきりした色じゃなかったですよ。なんだか薄ぼんやりした色の。
その猫がね。
私の方を見上げてね。
言ったんです。
「もらっちゃえば?」って。
はっきり、人の言葉を喋ったんです。
そりゃぞっとするよね、って、お巡りさん、おっしゃいますよね。
私はぞっとしませんでした。
別に、不思議なこととも思いませんでした。
なぜか、よく分かりません。
普通に、「そうだね、もらっちゃおう」って、思いました。
鞄に手を伸ばして、取ろうとした時でした。
子供の笑い声がしたんです。背中の方で。
それで我に返りました。
鞄から手を離して、猫の方を見ました。
猫は私の方を見て、「つまんないの」って言いました。
本当につまらなそうに。
「つまんないの」って。
そして、すたすた歩いていきました。
その時やっと、全身に、ぞわっと鳥肌が立ちました。
お巡りさん。
私が今怖いのはね。
もう一度あの猫の声を聞いたら、多分私はその声に従っちゃうだろうなって思うからですよ。
それどころかね、私はちょっと後悔してるんです。
なんであの時、猫の声に逆らったんだろう。
もし猫の声に従っていたら、針のむしろに座ってるようなこの現状から、逃げ出すことができたかもしれないのに。
あの鞄の中にあった財布の金か、あるいは別の、何か素晴らしいものが、私を別世界へ誘ってくれたかもしれないのに。
これから、私は一生、あの猫を探して生きていく気がしてます。
見つけたら、何があっても捕まえて、今度こそは離さずに、あの猫の言葉に従うぞって。
そう思っている自分が、私は心底怖いんですよ。
(了)