80 勇気
巨大な湖に浮かぶその島は、大きさで言うと東京ドームくらいの規模だったが、中央には樹木が犇き合って森を形成し、そんな森の周囲は草が生い茂っている。
「あまり端にいくと泥濘になってるかもしれないからな。気を付けろよ」
空を飛べるようになった事をすっかり忘れて、馬車から解放したミラローズとキロロアにそう告げると、二頭は俺に頬を寄せて話しかけてくる。
『ソウタ様もお気を付けて』
『ソータン。戻ったら二人で空の散歩に行きましょうね』
イメージ的にミラローズは忠実な臣下といった感じであり、キロロアは少し淫靡な愛人といった雰囲気だ。
そんな二頭の首を撫でてやるが、ミラローズはキロロアの台詞が気に入らなかったのか、隣の白馬に冷たい視線を向けていた。
「頼むから、喧嘩なんてするなよ」
『すみません』
『喧嘩って、いつもミラロが吹っ掛けてくるだけよ』
『なんですって! キロロ! あなたのふしだらな発言が悪いのでしょ』
「だから、喧嘩するなって!」
二頭の馬達を宥めすかしながら、なんとか落ち着かせた処で、俺達は出発する事となった。
ただ、ナナミは残ると言っていたのだが、彼女を一人にすると何を仕出かすか分ったものではないので、色々とゴネていたのだが強制参加とした。
だって、戻ったらミラローズとキロロアがユニコーンになってるとか......いや、それ処か天使に変わってましたなんて事すら起きそうで、間違っても目を離す訳にはいかね~。
「じゃ、いくぞ」
今や十歳くらいまで成長したキララの手を引いた俺は、そう告げるとそそくさと歩き始める。
そんな俺の後ろからは、愛人、第二夫人、第三夫人、嫁候補、自称嫁候補、本妻とそれを抱くメイドといった面子がぞろぞろと付いてくる。
まあ、その面子については、もう説明は要らないだろう。
ちょっと分り難い処だけ話すと、嫁候補についてはいつの間にか妹から昇格したマルカらしく、自称嫁候補はサクラのことのようだ。
『カオル。今回の精神試練って全員が試みるの?』
特に獣やモンスターの出る気配のない森を進んでいると、ミイからカオルに向けた質問が飛んできた。
『いや、扉を開くのは一人だから、颯太が頑張れば済む話だよ。というか、颯太しか適性が無いと思う』
ちぇっ! 結局、この中で一番脆弱な俺がやるのかよ。てか、その適性って一体なんなのだ? まさか、心が弱いという条件じゃないだろうな......
決して口には出せない愚痴を心中で溢していると、カオルが続きの説明をしてくる。
『今回の精神試練は扉を開くこと以外にも意味があるんだよ。これを乗り越えたら、きっと颯太は糞神と戦える力を得ることが出来る筈なんだ』
おおお、それってチート的な力を得られるという事かな? それってもしかして、やっと俺TUEEEな展開になるんだよな? それなら、少し気合を入れていくか。
カオルの台詞で気を良くした俺は、一気に湧き起こったヤル気で燃え上がる。
更に、脳裏では既に俺TUEEEの妄想に浸り始めている。
すると、突然、鈍い音と共に衝撃が加わってきた。
「つっ~~~~~!」
「ママ、どこ見てるの? ちゃんと前を見ないとダメなの」
「す、すまん。そ、そうだよな」
そう、調子に乗り過ぎて、妄想の世界に浸っていた俺は、前をよく見ていなくて大きな樹木にぶつかり、それを見ていたキララから叱責されてしまったのだ。
その事を素直に謝って後ろを振り返ると、全員から白い視線を向けられていた。
「し、心配だわ......」
「だ、大丈夫なのか? 戻って来れなくなるとか無いよな?」
とても心配そうなミイとエルが口を開くと、続けてマルカとニアがフォローを入れてくる。
「まあ、お兄ぃだから、きっと大丈夫だよね......たぶん......」
「にゃ~はダンニャ様が居なくなったら泣くニャ~の。だから、絶対に戻ってくるニャ~よ」
自信なさげに告げるマルカと既に泣きそうなニアを見て、俺も気を引き締める事したのだが、そこにサクラが茶々を入れる。
「てか、精神試練って、頑張って何とかなるものなの?」
ぎゃ~~~! こいつ、また余計なことを言いやがった。折角、心を引き締めて、強制的にヤル気を起させた処だったのに、そんな台詞を聞いたらめっちゃ不安になるじゃないか!
サクラの心無い一言で、盛り上がっていた俺は、心中で悲鳴をあげながら一気に崩れ落ちる。
そんな俺を見たカオルが、溜息と共にお約束の言葉を漏らした。
『ダメだこりゃ!』
パクリ現行犯にツッコミを入れる元気すら無くなった俺は、心優しい愛娘に頭を撫でられるのだった。
キララの励ましで何とか立ち直った俺は、粛々と脚を進めた。
すると、視線の先に大きな岩が見える。
「自然の岩にしては、なんか不自然よね」
お決まりのように、ミイが感想を述べるのだが、それは言われずとも一目瞭然というものだ。
だって、その岩には十字の窪みがあり、まるで、そこに人間を填め込むために作り上げられた様に見えるからだ。
「あそこに填まればいいのか?」
エルがそう口にした途端、何を考えたのかサクラが奇行に走った。
「すっご~~い! まるで十字架みたいだね」
「あっ! こらっ! やめろ!」
好奇心旺盛なサクラは、そういったかと思うと、俺の制止を無視して後ろ向きで、その窪みに身体を捩じり込んだ。
こいつは、やっぱりバカだ! 底なしの愚か者だ! あ~、サクラよ。成仏してくれ。
俺はサクラの奇行を目の当たりにして、思わず目を瞑って念仏を唱えそうになったのだが、恐る恐る瞼を開いてみると、その石は何の反応も示していなかった。
「あれ? 何も起きないよ?」
未だに片目を瞑ったままのマルカが、その状況を見て不思議そうに問い掛けてきた。
確かに、あんぽんたんサクラは岩に填まれど、キョトンとした顔でこちらを見ていた。
今度はそれを目にしたニアが、まるで己が痛い目に遭ったかのように顔を歪めつつ、適切な感想を述べてきた。
「きっと、サクラじゃ、ダメニャ~よ」
恐らくは、ニアの言う通りだと思うのだが、誰もその事には触れず、逆にサクラを褒め称える声が上がった。
「サクラは凄いわ。きっと、ソウタを助けるつもりで自分が先に試みたのよね」
「そうだったのか......すまん。サクラ。今までお前を誤解していたようだ」
何をどう勘違いしたのか、ミイがサクラの献身性を讃えると、エルまでもがサクラの行動に感服している。
挙句の果ては、その称賛を受けたサクラが、意味も解らずにテヘッなんて照れているので、もはや呆れて言葉も出ない。
こいつらは、母親の腹に知恵というものを忘れて生まれたんだよな? きっと、いや、絶対にその筈だ。
いや、この場合、真剣に考えるべき事は、サクラの行動であり、その無神経さかも知れない。
だって、幾らなんでもこんな大人が社会で働けると思えない。絶対に彼女に何かが起こっているんだ。いや、もしかしたら、糞神が裏で糸を引いているのも知れない。
俺は出合ってからのサクラの行動を思い出しながら、彼女に起こっている事を予測しようとしたのだが、当の本人が再び空気を読まない行動に突入した。
「あの~~~、お尻が抜けなくなっちゃったんですけど......」
ぐあっ! そんな落ちまで用意しやがったのか!
お尻が填まって抜け出せなくなったサクラが、やや泣きそうな表情で助けを求めてきた。
いやはや、これではまるで子供である。いや、本当の年齢の事を考慮すると、子供よりも質が悪いとも言える。
それに、精神的にはキララよりも幼いかもしれない。
今は無理だが、やはりサクラに起きている事を真剣に考えた方が良いかもしれない。
みんながサクラの脱出作戦を決行いるのを眺めながら、そんな事を考えていたのだが、カオルが俺に助言してきた。
『今は他の事を考えている場合じゃないよ。不安要素は精神を弱くするからね』
どうやら、カオルには俺の考えがお見通しらしい。
『ああ、分ってる。だけど、カオルも何か知っているのなら教えてくれ』
『そうだね。これが終わったら僕の憶測を話そう。だから、今は集中することだよ』
『うむ。分かった』
恐らく、カオルは何かに気付いているのだろう。だが、今は彼女の言う通り、精神試練に集中しよう。
「はぁ~、やっと抜け出せた~~!」
カオルとの会話の最中に、サクラが何とか抜け出せたようだ。
「お尻が取れるかと思ったわ」
まあ、この天然っぷりも、可愛げがあると言えばそれまでだが、もう少し落ち着いて欲しいのもだ。
そんな事を考えながら、俺はいよいよ精神試練に挑む事になるのだった。
全員が心配そうな表情で見守る中、俺は粛々と岩の窪みに向かう。
「じゃ、行ってくる」
実を言うと内心ドキドキなのだが、それを悟られると格好悪いので、必死に耐えているのだ。
「ソウタ、足が震えてない?」
「ソータ、無理するなよ」
ぐはっ! 思いっきりバレてる。てか、無理するなと言われても回避する方法が無い......
やや弱気な精神が復活しつつある俺の姿を見たマルカとニアが、必死になって励ましてくれる。
「お兄ぃ、大丈夫! 信じてるからね」
「ダンニャ様なら問題ないニャ~の!」
そんなマルカとニアの二人を見ていたサクラが、急にそわそわとし始めた。
すると、彼女は何を思ったのか、凄い勢いで駆け寄ってくると、訝し気に見詰める俺に抱き付き、首に両腕を回して濃厚なキスをしてきた。
「ちゃんと帰って来てね」
熱い口づけを終わらせた彼女は、そう言ってゆっくりと離れる。
当然ながら、後ろからは物凄いブーイングが起きているが、彼女は全く気にする事無く、後ろに手を組んで胸を強調した姿勢で恥ずかしそうにしていた。
いや、これって、映画とかアニメとかでは良く見たが、恐ろしく勇気が湧くものだな。
まるで映画のラブシーンのような状況に、呆然としつつも胸の内から込み上がってくる熱い血潮を感じていると、今度は我先にと他の女達が口づけを迫ってくる事となった。
結局、順番に口付けを終わらせてゆき、最後に黒猫のカオルとも口づけをする羽目となったのだが、彼女達の優しさや熱い想いを受ける事で、信じられない程の勇気を与えられた。
「よし! 今度こそ大丈夫だ。みんな、ありがとう」
俺は皆に微笑みを向けると、力強い言葉を放って岩の十字に身体を填め込む。
すると、こちらを見ていた全員が、俺の名前を叫び始めた。
その表情は驚愕を表すものであり、間違いなく俺に何かが起こった事を示しているのだが、そんな彼女達を眺める俺の意識は、あっという間に薄れていくのだった。




