第二話『変化』
病院で目が覚めた後、病院で一泊した俺は無事帰宅を果たした。あんまり入院していてもやることないし金もかかるので、医者に無理を言ってさっさと退院したのだ。
今は五月十一日の昼過ぎ。十時過ぎに病院を出た俺は正午頃に事務所に来て、臨時休業延長の旨を書いた紙を張り替えていた。
現在はというと、そんな作業もすぐに終わって家に帰るのも面倒なので、コーヒーを飲んで一服している。現在ギプスで左肩を固定されているので、意外と難しかったが、なんとか熱湯をこぼさずにコーヒーを淹れることができた。我ながら器用だと思う。
ソファにどっぷりと掛け、相変わらずあまり美味くはないコーヒーを飲みながら思い出す。
一泊する際に食べた病院の食事は非常に美味しかった。それはもう、あの駐屯地の飯とは天と地ほどかけ離れており、こんなに飯が美味いのなら飯だけ食べに病院に行きたいと思ったほどだ。
さて、飯を食いに行くわけではないが、俺はまだ病院に通う予定がある。昨日レヴォルに呼ばれて来た医者に聞いた怪我具合は、左鎖骨骨折と左肩火傷、首の捻挫、それに左腕には擦り傷多数といったところだった。合計全治二週間。臨時休業は一週間ではきかなかったようだ。
医者には、至近距離で榴弾が暴発したのにそれだけで済んだのは奇跡に近いと言われたが、まあ確かに自分でもそう思う。……そういえば、昔から悪運だけは強かった気がするな。
まあ、そんな事情で一週間後にギプスを外しに、そしてその後一週間は経過観察で病院に行かねばならないのだ。
さて、コーヒーは飲み終わってしまった。やることも無いのでこのままソファで寝てしまおうかと考えていたら、
ピンポーン!
事務所のインターホンが鳴った。前にも似たような状況で厄介事が舞い込んだな、などと考えて出るのをためらっていると、再度インターホンが鳴った。
「はぁ……」
臨時休業の張り紙が読めない来客に、思わずため息が漏れる。ここはガツンと言ってやるしかないだろうと、立ち上がり玄関のドアを開ける。
そこにいたのは二日ぶりくらいに見る仏頂面、もとい政府のなんたら課の課長のナムだった。
「あー、退院祝いなら指定口座に現金で振り込んでもらえれば大丈夫ですので」
と言ってドアを閉めようとする。ナムは俺をこんな状況に巻き込んだ張本人だ。別に怒ってるわけではないが、また面倒を持ってこられてもたまらないので、追い返しを試みたわけだ。
だが、前回同様に扉に手を掛けられて止められてしまった。
「む、退院祝いではないが、そうだな退院祝いを持ってくるべきだったな。すまない」
このオッサン意外と律儀なようで、本当に申し訳なさそうな顔でそう返してきた。こう見えて常識はあるのだな、と感心していると、さらにオッサンが続ける。
「退院おめでとう、エヌ=トルーフ。さて今日は臨時休業だそうだが、時間はあるかね?」
またもや萎縮しそうになる厳つい表情を――今回はスマイルを浮かべている。
「生憎ながら、何時いかなる時であろうと俺の人生にオッサンと逢引する時間はありませんが」
「そう言うな。用事は軍からの出頭命令だ。明日出直してもいいが、面倒なことは早めに済ますことをお勧めするぞ」
出頭命令か、任意を装った強制、また有無を言わさない類の話か……
「……わかりました。じゃあ今日行きます。怪我人なんで車の運転は任せますけど、いいですね?」
「ああ。この下に車を停めている。準備が出来たらこい」
そう言ってナムは扉から手を離すと、事務所前から去っていった。
十分後、ナムの車に揺られて全く心弾まないドライブをしていた。厳ついオッサンと二人きり、しかも行き先は政府軍の第四要塞都市本部、楽しいはずが無い。
こんな気の弾まない日に限って、空は真っ青、五月の日差しが気持ちいいくらいに降り注いでいるのだからやってられない。沈黙が重過ぎるので、何か世間話でも試みるか。
「レウのやつは、元気にしてますか?」
とりあえず、共通の知人の話から始めるのは、なかなかいい作戦だと思う。こいつがレウを知っているかどうかわからないが、あいつはあれでいて顔が広い。知っていても不思議ではないだろう。
「レウ……対蟲強化外骨格部隊のレウォート=リヴド中尉のことかね?」
驚いたな、レウの奴俺がいない間に中尉にまで出世しているとは。
「はい。あの鉱山からの帰りにお世話になったそうなので」
ちなみに、強化外骨格部隊は特殊装備を与えられるため、配属されれば自動的に階級が准尉になる。いわゆるエリートなのだが、その代わり部隊在籍中は大尉までしか昇進は出来ない。これらは少佐以上の階級でしか部隊を指揮出来ないようにする為の措置だ。
オッサンが一瞬何かを考えるように眉をひそめた後、口を開いた。
「ふむ。私はあまり彼女と接点があるわけではないのだが、それでもあれほど元気のない彼女を見たのは初めてだ。よほど心配だったのだろう。今度会ったら礼を言っておくといい」
レヴォルにも似たようなことを言われたが、まさかこのオッサンにまで言われるとは驚いた。こいつはよっぽどだったのだろう。
「わかりました。……しかし意外ですね、あなたがそんなことを言うなんて」
「む……」
余りに似合わないことを言うものなので、うっかり指摘してしまったら、黙られた。気に障ったのだろうか、まあ知ったことではないが。
その後、また車内を沈黙が包む。共通の知人作戦、失敗。
そうこうしているうちに、軍の本部が見えてきた。先ほども本部と言ったが、厳密には少し違う。統合政府軍は、それぞれの要塞都市ごとで独立的に組織されている。ただ第一要塞都市だけは異なっていて、命令系統的に他の第二から第十要塞都市の軍の上に位置している。第一が上で、その他が並列といった感じか。
だから、第一からみれば、今から行く政府軍第四要塞都市本部は支部ということになる。だが、第一要塞都市の方から命令が来ることなど皆無に等しいので、本部と言ってしまっても差し障りないのだ。
車が本部ビル内に入り、地下のだだっ広い駐車場に停められ、ナムとともに車を後にする。おそらくはこれからあの蟲に関する
取調べが始まるのだろう。ならばカツ丼くらい奢ってもらいたいものだ。
軍の本部内に着いた俺は、いかにもな取調室に通されていた。向かい合って座る事務机に卓上電灯、それにご丁寧なことに離れた机には書記官までいる。ナムはどこかに行ってしまっていて、今部屋には俺と書記官しかいない。
部屋に通され、取り調べようの机に座らされて、何のアクションも無いまま五分以上が経ったように感じたとき、
「さあ、楽しい楽しい取調べの時間だよ」
奥の扉が開くと同時に気の抜けた調子の、低い男性の声が聞こえてきた。しゃべりながら部屋に入ってきたのは、四十後半くらいのオッサン。引き締まった精悍な肉体と顔つきに、にやけたような締りのない表情、それに加えてだらしなくクシャっとした髪という、真面目さと不真面目さ混在する人物だった。
「隊長……!」
懐かしさの余り口に出してしまう。この人物は以前俺のいた部隊の隊長だったのだ。気さくで面倒見のいい人で、俺の無茶な退職金に関してもこの人の力がなかったら無理だっただろう。
「今は君の隊長ではないよ。そう呼んでもらえるのは嬉しいけどね」
隊長はそう言いながら俺の向かいの椅子を引くと、どかっと腰掛けた。
「さて、エヌ=トルーフ君。私は統合政府軍第四要塞都市支部対蟲強化外骨格部隊隊長のトナス=ポーレイ中佐だ。今日はよろしく頼む。今遅れた理由はこの肩書きを噛まずに言う練習をしていたからだ。まあ、その辺は勘弁願うよ」
隊長、いやトナスはそう言って、はにかんだ後、いかにも「かっこよかっただろう」と言いたげな顔をして、机の上に持っていた書類を置いた。この人も変わってない。
後ろでは、先ほどの発言を受けて、なにやら書記官がカリカリやりはじめている。
「あ、書記官君! 今のは書かなくていいから!」
「そうですか。しかしどちらにせよ録音されていますよ」
やはり、というべきか、録音はされているようだ。……それにしても何故録音しているのに書記官がいるのだろう。やはりデジタルのデータだけでは安心できないアナログ主義の人間がまだ、上層部にはいるのだろうか。もしくは、単に古い体制を変えるのが面倒なだけか。
トナスはやっちまった、という表情になったあと、机上の書類を何枚か手に取り俺に向き直った。何が来るのかと身構えていると、
「えー、エヌ=トルーフ、25歳、男性。第四要塞都市在住、同都市出身、同都市内でトルーフ傭兵事務所を経営。以上の情報に誤りは?」
なんのことはない身元確認だった。
「ありません」
「えー、次経歴。義務教育終了後、第四要塞都市公立第五高等学校入学、三年後卒業。その後、政府軍士官学校に入学、二年後卒業。仕官学校卒業後は対蟲強化外骨格部隊に配属。二年間の勤務ののち、心的外傷を理由に退職。以降傭兵事務所を開設し、今に至る。以上の経歴に誤りは?」
「ありません」
うーむ、昔のことをぺらぺらと語られるのはあまり良い気分ではないな。まあ取り調べなら仕方無いのだが、俺はこんな取調べを受けるほどのことをしたのだろうか。事情聴取ならまだしも。
「さて、今回のこれは全部録音されるし、文書としても残る。だからと言って黙秘権は無いので気をつけるように」
まさかの黙秘権無しとは、衝撃的なまでの横暴だった。まあ、犯罪者って訳ではないから、知ってることを全部話せということなのだろうな。主にあの蟲について。
「わかりました。で、俺に何を聞きたいんです?」
だがまあ、あえて自分からバカみたいに情報を渡す必要なんてないのだ。
「五月九日に君が交戦したモノについて」
「ああ、あの蟲ですか。確かに非常に強い蟲でしたね」
「どう思う?」
「質問の意味が見えませんね、さっき交戦した感想なら述べましたよ」
トナスは苦い表情を浮かべて俺を見つめていた。比較的長い付き合いのある彼には、俺が重要な情報を掴んでいることはわかっているが、自分から確信に触れるようなことは軍の機密的に言えない、といった感じなのだろう。意地が悪いようだが、軍に対して弱みは見せたくないので、このスタンスは貫かせてもらう。
「ふふ、君はそういう奴だったな。聞き方を変えよう。何か、君からの話を聞くために我々に出来ることはあるかな?」
苦笑を湛えるトナスが持ち出したのは交換条件。さっそく取り調べの様相では無くなってきたな。ふむ、軍にしてもらいたいことか、無いな。
ふと、あの蟲と交戦した日の朝、任務前にレウが見せた悲しい瞳が脳裏に浮かんだ。彼女は何を知っていて、どんな任務に臨んだのだろう。あの日見た俺の数少ない友人は、苦しんでいる様にも見えた。
してもらいたいこと、一つだけあった。
昔の友人に作ってしまった借り、それを返すために、彼女の助けとなれる位置まで行く。
これが軍に対する望み。お膳立てされたあとは、自分で借りを返してやる。
「軍の現在得ている情報を全て下さい。決して外には漏らしませんから」
室内を沈黙が包む。さあ、どうなる。
「……うーん。まあ中佐としての権限を行使すれば、不可能ではないだろうね。中途半端に情報を握られて嗅ぎ回られるよりも、そっちの方が建設的かもしれない。変な噂を流されても困るからね」
トナスは顎に手を当て、蓄えられた短い髭をさすりながら部屋の天井を眺めながら続ける。
「でも、なんで知りたがるんだい?全部忘れて、またただの傭兵に戻ればいいじゃない。これは首突っ込んだらもう後戻り出来ない案件、ってのは薄々わかっているんだろう?」
もちろんわかっている。それでも借りっぱなしは性に合わないのだ。
「今回俺は殺されかけたんですよ、詳細を隠した依頼のせいで。これは話を聞くのが筋なんじゃないですかね?」
でも本当のことは言わない。言えない。
「でも、聞けば、その殺されかけた案件に深く踏み込むことになる。また似たような案件が行くかも知れない。それこそ半強制的に。君はそんな戦いの日々が嫌で軍を辞めたんじゃなかったかい? 昔の君なら聞かなかった様にも思うが?」
天井を見ていたはずのトナスは、今は俺の目を見ている。……このオッサンには隠し事は出来ないようだ。
「……借りがありますので。それに俺は今回仕事を完遂出来なかった。リベンジがしたい、という気持ちもあります。万全を期した上でのリベンジが」
これは紛れもない本心。理由はレウの件だけじゃなく、軍を辞めたときには無かった、傭兵という仕事に対する誇りにも関わってくるのだ。
「あと、戦いが嫌なら、傭兵なんてやりませんよ。軍が嫌になっただけです。もちろん、今の飼い殺しにしようとしている状況も。情報を得て対等になりたいんですよ。今の立場なら、回された仕事を断ることも出来るはずです」
これも本心。戦うことが好きかどうかはわからないが、向いている気はするのだ、それしか能が無いかもしれないと思うほどに。……重要なのは、何のために銃を取るかということだろう。
「へー、ふーん、そうかー、あのエヌがねぇー。一度軍を辞めたお前がそこまで言うようになるとは思わなかったよ」
これだけでこのオッサンは何か悟ったようで、妙にニヤニヤしていて非常に気持ち悪い。
「まあ、そこまで言うのなら話そう。昔の部下の頼みを聞きたいという気持ちもあるしね」
そう言ってトナスは立ち上がると、椅子を戻しつつ、俺を見下ろす。
「でも、ここじゃあ話せない。場所を移すよ」
俺がトナスに続いて席を立つと、後ろでは書記官がそっとノートを閉じたようだった。
豪華なエレベーターで登ること数十秒、トナスに案内されて着いたの、はやたら立てに長い軍本部ビルの上層階にある、中佐の執務室だった。全体的にアンティーク調な感じでまとめられていて、このオッサンのイメージとは乖離した落ち着きを持っていた。
トナスは部屋の奥に設置されているやたらと豪華な椅子に掛け、俺は部屋の隅に置かれているソファに掛ける。
「さて、ここなら録音も盗み聞きも無いし、邪魔も入らないだろう。男同士、正々堂々、嘘偽り無く話し合おうじゃないか」
そう言ったトナスの顔は、何がそんなに楽しいのかわからないが、にやけている。これは宿泊行事で夜中友達の好きな子を聞き出すときと同じにやけ方だ。……面倒なので、スルーして話を切り出すか。
「ええ、それは構わないのですが…… どちらから話しましょう?」
「そうだなぁ、流石に軍の方が掴んでる情報が多いだろうから、そっちが先に話して、それをこっちが補完するような形でどうかな?」
なるほど、一理ある。だが、
「俺が全て話した後に、じゃあこれで終わり、というのは無しですよ?」
口約束を反故にされる可能性もゼロではないのだ。俺の知るトナス隊長はそんなことをする人物ではないが、しかし念には念を入れたい。
それを告げると、トナスは取調室同様、顎鬚を触りながら天井を眺め、唸りだす。
「うーん、信用が無いなぁ。じゃあ、あの子いたじゃん、AIのさ、レヴォルちゃんだっけ? 今呼べる?」
……俺の相方の名前まで覚えているなんて、この人はやはり、侮れないな。
「……呼べますが、呼んでどうするんですか?」
「レヴォルちゃんに俺たちの会話を聞いてもらえば、データとして残るから、証言になるでしょ? それに今後のこと、まだどうなるかはわからないけど、君とレヴォルちゃんの情報は早いうちに一致させといた方がいいと思ってね」
まあ、あの蟲に関しての意見も聞きたいし、レヴォルを同席させてもらえるのは非常にありがたい。
「確かにそうですね。今呼びます」
ソファの傍にあった机の上に、ポケットから取り出した端末を置き、レヴォルを呼び出す。と、すぐにレヴォルはロードされて起動した。
「はい。準備できました。さてじゃあ、話しましょうか。あの蟲について」
沈黙が、操作の止んだ端末がそのバックライトを消す程度の一瞬だが、俺たちの間を包む。
「さっきも聞いたが、どう思う?」
驚くほど真剣な声で発せられたのは、先ほどと同じ質問だが、今度のこちらの回答は違う。
「あれは本当に生き物ですか? 身体の構成は珪素、駆動はガス圧だなんて、ロボットって言われた方がしっくりきますよ」
「我々にも判断難しいところだが、一応生物ということにはしている」
「でも、あんな生物聞いたこともないですよ。近い奴すら思い浮かびません」
「……そうだな。それの詳細は、後で話す」
当然の如く、何か裏があるのだろうな。聞きたくない気もするが、聞かなければな、覚悟を決めたのだから。
「さて、次の質問だ、どうやって倒した?」
「ガス圧駆動だとわかったので、吸気の瞬間に砂鉄を吸い込ませました。そしたらあっけなく沈黙しました」
「……なるほど。何故それが有効だと思った?」
「あの蟲の力から考えて、かなりの強いガス圧で動いていると考え、その中に金属粉末を突っ込めば内部構造を削る作用がかなりあると踏んだからです。いかに強化ガラスでも高圧力下で削られれば自壊するだろうという判断です」
「ふむ。たしかに。ありがとう、奴ら討伐の目処が立ちそうだよ」
これくらいは、戦いの中で気付けよ、戦闘のプロならさ。……って、ん? 討伐……?
「討伐、ということは五月九日前後に主力部隊総出で行っていたのは、あの蟲の討伐、とういことですか?」
さて、こちらが持ってる情報はほとんど出した。次はこちらからも色々聞いて行く番だ。
「ああ、そうだ。八日に主力部隊を展開、奴らの巣を爆撃、出てきた蟲を各個撃破すべく、強化外骨格部隊を展開、敵味方共に約半数が戦死、半数は撤退した。撤退後増援を呼び、九日に再度強化外骨格部隊による攻撃をしかけた。敵をほぼ殲滅、残る一部の敵は追跡不可能な範囲まで逃走。味方の残り戦力は交戦開始時の三割ほど。両日とも戦闘場所は君が行ってた第七鉱山の比較的近く。大体こんな感じだ。」
重々しい口調のトナスが語ったのは、俺の想像を遥かに超える凄惨たる戦闘結果だった。
なんということだ…… この街の強化外骨格部隊が半数以上戦死? そこには俺の知る顔もいるはずだ。いかに軍人に死は付き物と言っても、これは……ショックだ。
「……思った以上に強力な蟲なのですね。しかし、蟲との戦闘は防衛よりだった軍が、積極的に蟲に攻撃を仕掛けるというのも珍しい」
そう、あの蟲の戦闘能力が高いのは認めるが、積極的に街を襲うようには見えなかった。強化外骨格ですら襲うのをためらったような節もあったし、そこまで危険視する理由がわからない。
「あの生物は、現在の人類の敵だ。天敵と言ってもいい。……奴らはテルス原石を食う」
「テルスを食う……? じゃあ、最近流行のテルス泥棒ってのは……」
「そうだ、あの生物だ」
資源を食うのならば、人類の敵、というわけか。……そういえば、さっきからトナスあの蟲のことを“蟲”とは呼んでいないな。
「……トナス隊長は、奴を蟲とは言わないんですね」
「ああ。蟲ではない、という結論が先日研究所から出たからな」
蟲ではない、か。あのサイズの生物は蟲と呼称して間違いないのに、蟲ではないとはどういうことだろう。
「最初我々は、テルスを食う蟲がいる。交戦結果、強化外骨格一機ではとても太刀打ちできない。ならば主力部隊を展開して一掃せねば。こんな流れだった」
トナスは視線を遠くに投げかけながら、これまでの経緯を簡潔に語り出す。
「だが、先日の掃討作戦時と、レウォート君が持ち帰った死骸を解剖した結果、驚くべきことが判明したのさ。それは……」
「……それは?」
「あの生物の体内では、加工されたテルスに良く似た物質が動力になっていた。それはテルスに似てこそいるが、今まで発見されたことの無い未知の物質だった。それにどうやらあの生物は、人間の可聴域外の高音波で意思疎通を行っているらしい、ということだ。そして、奴らが食ったであろうテルスは特に吸収などはされずに、体内にあった」
テルスエンジンのようなものを動力にガス圧で駆動する、恐ろしいまでに強化外骨格に酷似しているな。それに食ったものを吸収せずに体内に保持している、って……
俺は黙ってトナスの目を見つめるが、冗談を言っているような目ではなかった。
……真剣な表情のトナスは、視線をデスクの上に落としながらさらに続ける。
「これらの情報から我々はある仮説を立てた。それは、テルスに良く似た動力を持つ文明の者が、テルスという資源に目を付け、回収するために作り上げた自立型生体ユニット、それがあの生物の正体であるというものだ。この仮説自体は、八日の戦闘後には立てられた。そして、レウォート君の持ち帰った死骸でほぼ確証を得られえた形になっている」
あまりに突拍子の無い話だった。しかし、どちらにせよ珪素で出来たガス圧の生物という突拍子も無いものが現にいるのだ。疑う気は、もうなかった。
「“インベーダー”、それが先日決定した奴らの名称だ。人類はおいそれと簡単に資源を明渡す気は無い。これから、戦争になるだろう」
未知の文明から来た資源の略奪者との戦争、か。規模が大きすぎてついていけない上、なんとも嫌な話だ。
「……ここまでの話を知っているのは、どこまでの階級なんですか?」
ここらで着いていけなくなった俺は、基本的なことに話を持っていくことにする。
「准尉以上なら知っているはずだ。混乱を避けるために、それより下の階級と市民には隠している」
ということは、強化外骨格部隊の人間は全員知っているということか、参ったな。
「で、現在、開戦準備を進めているんだが、我が第四要塞都市部隊は戦力が少なくなっている、戻ってくる気はないか? ……ってのはバカな質問だったな」
そうだ、その質問は馬鹿げている。でも、
「いえ、正直、話を聞いた時点で、民間の協力者という形で戻る気ではいました。しかし、話は俺の想定の遥か上でした。怪我が治るまで、考える時間を下さい」
これも紛れも無い本心からの言葉だった。戦争、戦争か…… 俺は、どうすべきなんだろう。
ソファに浅くかけ、膝の上で腕を組んで考え込む俺を横目に、トナスはふと優しい表情を浮かべる。
「そうか。まだ開戦準備の段階だ。軍の中佐としてはいい返事を期待しているが、君のやりたいようにやればいいさ、ってのが元上司としての気持ちだな」
そう言って微笑むトナスを見て、俺はこの人には敵わないな、と改めて感じた。それを最後に取調べは終わり、俺は頭を下げ執務室から出て行った。
執務室から出た俺は、軍本部ビルのエントランスでナムと再会した。ナムは俺を事務所まで送って行ってくれると言い、俺は再度オッサンと二人きりのドライブを堪能する羽目になった。まあ、怪我人に優しいのはいいことだ。
何の気に無しに目を向けた窓の外は、灰色のオフィス街と街路樹が高速で流れている。
そういえば、こいつにも聞きたいことがあったんだったな。
「今日、俺が取り調べで聞かれた内容って知ってます?」
そう、こいつがどこまで知っていて俺に仕事を投げたのかどうか、ということだ。
「……ああ、私もさっき聞かされたが、インベーダーだったか? スケールの大きい話だ」
大して動揺した様子も驚愕した様子も無く、平然と運転を続けるナムの姿からは、こいつも現実感が伴ってないのだろうと感じた。
しかし、都市開発に関わる重要な部署の課長だからか、流石に情報が与えられているのだな。
「なら、聞きますけど。俺に仕事を依頼したとき、どこまで知ってました?」
これ如何によっては、俺の軍へのスタンスがまた変わる。どこまで軍を信用していいものかどうかが。
「……インベーダーをおびき寄せるためにテルスを発掘・運搬することが必要だった。だからテルスの運搬と掃討作戦の日時はずらせなかった。だが政府は囮のテルスでも、インベーダーに渡す気はなかった。だから君に護衛を依頼した。これくらいだ」
なるほどね、やっと全体像が把握出来てきたぞ。恐らくだが、トナスは意図的に黙っていたわけではないだろう。なぜならこれは、軍と政府の思惑の差から来るものだから。しかしやはり、政府や軍は信用出来ないな。
「では、最初から俺はインベーダーとの戦闘を想定して雇われたと?」
「……軍の作戦が失敗した場合の保険だっただけだ。実際、失敗して、一体取り逃したものが鉱山内に侵入しまったがな」
うーむ。もともとは政府の為の軍だったのに、近年分離が見られるな。まだ、対立には至ってないが、これから戦争があるのだから、先行き不安ではある。
「はぁ……」
思わずため息をついて、それ以降、お互いに黙ったままだった。それでも、車は静かに俺の事務所へと足を進めてくれた。
事務所に戻った俺は、一人考えていた。例によってソファに掛け、机の上には湯気の出ているコーヒーが置いてある。
インベーダー、一体どこの誰が送ってきたと言うんだ。……そういえば、あのインベーダーとの戦闘で気になったことがあったな。インベーダーがこちらに対する攻撃を躊躇ったような動きを見せたということだ。奴らが高音波で会話するのなら、奴らの会話域の高音波をこちらの機体が出してしまったということだろうか。
そう、強化外骨格は起動時に人間には聞こえないレベルの、高音波を発している。それはテルスエンジンを内部に搭載している故だ。
テルスは、あの不思議な石は、内部の質量をゆっくりと消費しながら、常に振動している。と言っても、何も目に見えてゆれているわけではなく、固有振動が何故か非常に大きく、少しだけ空気を揺らしているという程度だ。
そしてまたもう一つ稀有な特性があり、それは、温度、圧力、湿度等の外部影響で固有振動数とその大きさが変化する、というものだ。
この特性を利用して、他の物質の固有振動とシンクロさせ、共振増幅を起こし、そのエネルギーを利用する、というのがテルスエンジンの基本的なところだ。だからテルスエンジンは共振動力とも言われる。
だから、テルスエンジンを内包している機械は、ほとんどが軍や政府の所有車両及び航空機などだが、起動時にエンジンから高音波が出ている。
そしてここからは仮定だが、トナスは、インベーダーはテルスに良く似た鉱石を動力にしている、と言っていた。ならば、それは共振動力で間違いないだろう。
奴らの会話は高音波ならば、共振動力の余波を利用している可能性が高い。そこまで音波を利用し、さらに奴らの身体に目と思われる器官が見当たらなかったことから、奴らの知覚方法は反射音波なのではないだろうか。
会話が出来るということは、音波の受信器官があるということ。ならば余波の反射の受信で周囲を知覚していても不思議はない。
本当にこれが奴らの知覚方法なら、高音波で奴らの知覚音波を相殺出来れば、こちらにも勝機が出てくるのではないだろうか。
そしてもう一つ、奴らがこちらへの攻撃を躊躇った理由。それは、奴らは加工済みのテルスは狙わないのではないか、という説だ。加工済みのテルスは、奴ら自身が持っているものに似ている。だから同士討ちを避けるために、加工済みのテルスを狙うと言う思考が無いということだ。
しかし、いくら考えたところで、真実かどうかはわからない。
軍への返事も考えなくてはならないが、戦争か。昔のことを、軍を辞めた切っ掛けを思い出し、嫌な気分のまま、俺はそのままソファで眠ってしまった。
幕間
あの取調べという名の交渉から一週間が経った。俺はギプスを外しに病院に向かい、医者に、驚異的な回復速度だ、などと言われつつ無事にギプスは取れた。
体力は俺の数少ない財産だ。それに骨折など、軍にいた頃はしょっちゅうだったので、身体の方もいい加減慣れてしまったのかも知れない。
しかし、それでもまた来週も行かないといけないらしい。どうゆうことなのかわからないが、まだ完治した、というわけではないらしいので、おとなしく言うことは聞いておこうとは思うが。
一週間、俺の結論はまだ出ない。話を聞くときにあんなことを思っておいて、なんとだらしないことか。
そんな調子で考えにふけりながら、家に向かってふらふらと街を歩いていると、偶然レウに出会った。
なんというタイミングだろう。偶然にしては、出来すぎている気がする。
「あれー? エヌじゃん。もう大丈夫なの?」
軍服姿に手ぶらという奇妙な格好のレウは、トコトコと近づいてくると心配そうに俺の左肩付近を見つめて、そう言った。
「ギプスは取れた。日常生活に支障はないけど、まだ戦闘とか、激しい運動は控えろとさ」
「へー。回復に向かってるみたいで良かったぁ。すっごい心配したんだからね」
やや説教のような口調のレウからは、本当に心配したんだから、という気持ちが伝わってきた。レヴォルとナムに聞いてはいたが、改めて言われるとやはり申し訳ない気になってくるな。
「まあ、ありがとう、な。その後、俺の受けてた護送の任務引き継いでくれたらしいし」
「うん。でも、大きい蟲は出なかったし、いただけって感じだけどね」
「それでも、助かったよ。ありがとう」
柄でもないのを理解しつつ微笑みながら、そう本心を告げると、レウは誰でもわかるくらいの嬉しそうな顔になって、
「まあ、いいってことよ!」
俺の肩をばしばし叩きながらそう言った。もちろん、折れてない方の肩だ。そういえばレウは、感謝されて照れると、いつもこんなだったな。
「さて、レウさんはこれから、なんかよくわかんない用事で本部に呼ばれているから、そろそろ行かなくてはならないのです」
嬉しくてテンションが上がったからか、それとも照れ隠しか、何故か説明口調になったレウはそう言い、俺に背を向けて立ち去ろうとする。それは、レウが軍服を着ていることからも薄々感づいてはいた。
「んじゃ! またな!」
元気よくそう言って、去ろうとするレウ。その後ろ姿は何かの決意を秘めたようにも、悲しみを背負っているようにも見えた。
「……なあ」
思わず呼び止めてしまった。何故か、そうしなければそれっきり彼女はどこか遠くに行って、追いつけなくなる気がしたのだ。
「なに?」
立ち止まって振り向いてくれるレウ。しかし、呼び止めたはいいが、俺は何を言うつもりなのだろう。戦争のこと? 掃討作戦のこと? それとも、もっと昔のこと? いろんな情報が頭の中を駆け巡ったが、口から出たのは全く関係のない言葉だった。
「今度、デートしない?」
言ったあと、世界が凍りついた、気がした。レウは、固まっている。あー、失敗したな。なんでこんなこと言ってしまったのだろうと、考えていると、
「……ええ!? ちょっ、え? ま、マジで?」
レウはありえないくらいテンパって、わたわたとその場で意味も無く手を動かす、というリアクションをくれた。どうやらフリーズしていただけのようで、引かれたわけではなさそうだった。
「マジで」
何故か、死ぬほど恥ずかしかったので、真顔でそう返しておく。
「わ、わかった。い、いいよ。うん」
耳まで真っ赤になって俯きながら、そう答えてくれた。何故だか、自分でもびっくりするくらい、その返事にホッとした。
そしてレウは、赤くなっているのが恥ずかしいのか、後ろを向いてしまった。
「じゃ、じゃあ、後で連絡してね。あたしは今、ちょい急ぐから!」
そのまま、逃げるように駆け出す。その足取りが、さっきとは変わって浮き足立っているのが凄くよくわかった。えへへー、というレウの笑い声が聞こえて来るようだった。
さて、この前事務所のポストに入っていたチラシ、それに書いてあった第四要塞都市200周年祭とやらの活躍に期待するか。ちょうど今週末だしな。