きょうは学校休みます。
一ノ瀬は将来、医者になるって言っている。
確かに、このまま行けば医大には受かるだろうし、余程の事が無ければ国家試験にも受かるだろう。
だが、俺はあいつに命を預ける気にはなれない。それは当然〝まぬけ〟だからだ。
そう言えば、一ノ瀬流に言うと〝とんま〟だったかな。まぁ〝とんま〟ってのは、あいつの間抜けさを一層際立たせる打って付けな響きだな。
仮にも医者になろうと言う人間が本気で高二病って病名を信じたなら、その時点で終わってるだろ。
やばいやばい。一ノ瀬は思った以上にやばい。やっぱりある種のバカと見た。
ちょっと待てよ? 〝このまま行ったら〟って〝変身美少女一ノ瀬(最弱)〟って事だよな。医者はおろか大学受験もおぼつかないんじゃないのか? つまり、これは人助けだ。
だったら少しくらいのオプションをつけて貰う権利があるよな。
てなわけで、奴は目下着替えの真っ最中だ。
ただ、もう少し手間取ると思ってはいた。こんなにもあっさりメイド服着用を受け入れるなんて、あいつもまんざらじゃないのかもな。ってか、やっぱ俺様の話術の賜物?
まぁ、俺だってホントは一応水を汲みに出たはずだった。何せ一ヶ月強の昼代が懸かっているのだから、ふざけている余裕はない。
だが、思い出してしまったのだ。文化祭でボツになった〝コスプレ輪投げ〟の衣装がクローゼットの奥にしまってある事を……
アニメキャラやゲームキャラは勿論の事、メイド服やナース服、アイドルっぽい衣装に身を包んだ女子たちを並べ、フラフープで輪投げをすると言う夢のような企画だったのに。全ての衣装を自費で揃えてまで臨んだプレゼンで俺の夢は潰えた。
女子からは変態だのヲタクだのと蔑まれ、真のヲタ等には節操がない、ポリシーが無いのと罵られ、賛同してくれる公算だった一般男子も女子の剣幕にすっかり他人顔。
その上、一ノ瀬にまで〝痛い、痛い〟と同情される始末だ。
まさか一ノ瀬の奴、あの衣装を俺が趣味で着用するために所持していたとでも思ったんじゃないだろうな! 箱にごちゃごちゃとたくさん入っていたから勘違いしたか? あれは全て女物。俺には着られん! いや、別に着たくないけど。
それはさておき、
俺の昼飯代数か月分相当、夢の残骸(未使用)の使い道を見つけてしまったからには、むざむざ手放す訳には行かないという事だ。
大多数のギャンブラーにとって、ただのダークホースに過ぎない一ノ瀬だが、その馬の仮面の下にあれ程の美少女が隠されていたなんて! それをこうもあっけなく捨て去るのはあまりに忍びないではないか!
取り敢えず、水をかける前にメイドの置き土産という訳だ。
時間が許せば他にも試したいのは山々だが、大事な試験に間に合わなくなってしまっては元も子も無い。これも医大受験への布石、ダークホース一ノ瀬への俺の心優しい配慮だ。
「高橋! 入っていいよ!」
ドアを開けると相当ハイレベルなメイドが無茶苦茶恥じらいつつ床にぺたりと座っていた。
「いいよ! スゲーいい! 思った以上に似合ってるよ! 何で座ってんだ、立って全体像を見せろよ!」
「パンツが見えるからやだよ」
なんだよ、このプレイ! いつの間にそんな高等技術を使う様になった!
「馬鹿を言え! 見えそで見えないギリギリラインにこそ美学があるんだ! つまり! 立ってるだけでは決して見えやしない! 心配するな! さあ!」
「分かったよ。でも、こんな恰好にいったい何の意味があるんだ?」
そう言いつつ、立ち上がった一ノ瀬の全体像は、トランクスがちらりと覗く何ともマニアックな姿だった。
「わりぃ、俺そう言う趣味無いから。
時間無いし、もうさっきの部屋着に戻っていいよ。水汲んで来る」
「はぁ⁉ また着替えるの? じゃあこれは一体何の作業だったんだよ。真の同士に成る為にこの衣装が必要だったんじゃなかったのか?」
「そうだ! これは重要なプロセスだ。着たり脱いだりを繰り返す事こそが精神的鍛錬の繰り返し!
とにかく! お前は着替えろ! 大事なメイド服が濡れる」
何だかすっかり興ざめだ。なんか変な柄の……そう、オジサンっぽいストライプのトランクス。あいつが俺を正気に戻してくれた。
どんなに見た目が美少女でも、やっぱり中身はダークホース一ノ瀬。馬には馬の仕事がある。
時刻は既に九時近い、魔が差した! とんだ時間の無駄だった! 俺とした事が不覚!
またもや訳の分からん事をぶつくさ言っている一ノ瀬を尻目に、俺は水汲みへと向かった。
着替えて教室まで移動する時間を考えれば、髪を乾かす時間は取りたくない。では、下半身だけに水をかけるべきか? いや、不十分な量で下半身だけが男に戻ったりしたらかなり不気味な事になる。それに、戻るのが半分なら上半身が優先だ。顔さえ一ノ瀬なら後の事はどうとでもなる……
待て待て、それではいくらなんでも気の毒だ。この奉仕活動の趣旨に反する。
適量が解らんのだから、ここは豪快にバケツ一杯分にしよう!
そうと決まったら、階段わきの掃除用具入れの中からバケツを持って来て……いや、それよりトイレの方が断然近い。突然の異常事態に悩み呆けている一ノ瀬を一刻も早く救ってやらねばならんのだ。これは、俺が約二十メートルの距離を行って返って来るのが面倒だからとか、そう言う事では決してない。トイレ掃除用のバケツであろうが水は水! 水道水に貴賤なしだ。
一ノ瀬の部屋に戻ると鍵がかかっていた。
「おーい! 一ノ瀬ぇ、また鍵掛けてんのかぁ。おーいっ」
「騒ぐなよ高橋! 合い言葉を言え!」
はぁ? 合い言葉なんてあったか? 今、高橋って呼んでたじゃんか!
まぁいい、一ノ瀬は常識を超越した思考回路を持っている。いちいち真面目に考えるのも馬鹿らしい。
「高二病」
「よし!」
何が〝よし〟なのかはこの際突っ込むまい。決めてもいない俺たちの合い言葉は〝高二病〟に決まったらしい。何故なら鍵は開いたのだ。
中に入るとすっかり元の部屋着に着替えた一ノ瀬がビニール袋をかぶせたダンボール箱を用意して待っていた。
「高橋。悪いけどこの派手な服、出させてもらったよ」
こいつ、俺の大事なコスプレ衣装を出して簡易風呂を製作しやがったな。細かい奴だ。
「随分手回しがいいんだな。まぁ後片付けが楽でいいか。じゃあ時間もないし、早速やるぞ!」
「うん!」
まるで、この為に持って来た様に、すっかりおあつらえ向きな簡易風呂となったダンボール箱の中に立った〝変身美少女一ノ瀬(攻撃力なし)〟。さらば!
一ノ瀬は頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れだ。
「どう⁉ 僕、戻った?」
「……驚くな、落ち着いて聞いてくれ。お前は今、赤い服で体の一部のみを隠した黄色いクマのぬいぐるみになった」
「うそだろ⁉ 女の子ならまだしも、そんなものになったら訴えられちゃうじゃないか! 莫大なライセンス使用料を要求されて、払えなければ使用差し止めになって! でも、着ぐるみじゃないから脱ぐことも出来ない! 僕はいったいどうすれば……夢と魔法の王国で一生アルバイト生活しかないのか!」
一ノ瀬、何故信じる。確かに信じがたい経験の真っ最中なのだから何が起こってもおかしくはないが〝僕はいったいどうすれば〟と言いつつ、お前は自分の手や足元を見てるじゃないか。混乱し過ぎだ。
頭がいいのか〝天然〟なのか、何だかやっぱりおかしなやつだ。
「嘘だよ。幸運にもお前はまだ美少女だ。生きた着ぐるみじゃないよ」
「良かったぁ」
???? 良かったのか? 一ノ瀬!
でも、何だか俺もどうでもよくなってきた。どうせ今からじゃ試験開始には間に合わない。
「なぁ、腹減らないか?」
「空いた。だけどもう食事の時間は終わっちゃったし、僕は食堂には行けないよ」
「今日は学校サボって、どっか行こうぜ。幸いここは一階だし、窓から抜け出しちゃおう!」
「試験は? 僕はともかく高橋は今から行けば何とか間に合うんじゃないか?」
「俺は追試でいいよ。お前と違ってトップ争いしてるわけじゃないし、進級出来れば問題なし!」
考えられないくらい素直に騙されると思えば、鋭い質問。俺は一年半もこいつの隣に住んでいたのに一ノ瀬をただのガリ勉だと思ってた。でも違う、こいつはヤバイガリ勉だ。
「そうと決まったらチヤッチヤと着替えろ! 俺はこっそり靴持ってくるよ」
「服、どうしたら」
「そん中から好きなの着とけ! しましまパンツの見えない奴な!」
二時間前、いや少し前にも考えなかった事だけど、一ノ瀬は見ていて飽きない変な奴だ。こんな友達も悪くは無いな。
三十二人分の昼飯代は正直痛いが、借金と言うのは恐ろしいもので今更そのくらい増えてもたいしたことは無い気さえする。まぁ、親に借りてるんだけど。
部屋に戻ると例の合い言葉。もう寮にいるのは職員の大人くらいなもんだぞ。
だが、俺は扉を開けて驚いた。
めちゃくちゃ似合ってる。スゲーかわいい。けど、ナース服ってどうなの⁉ それで外へ出るつもりなのか? やっぱり頭がおかしいのか?
「何で、ナース?」
「一番スカート丈が長かった。あと、一番普通だったから」
確かに! 言われてみれば尤もだ。メイドは微妙だが丈が問題。アイドル風は派手すぎる。それ以外は明らかに二次元的。この中で最も現実的な選択だ。
「僕、サボるなんて初めてだよ。でも、もうどうにでもなれって気分だし、いいよね!」
「良いも何も、そのまんま登校は出来ないんだし。あとの事は後で考えよう」
意外にも、先に窓を飛び下りたのは一ノ瀬だった。
その後に続く俺……って! 馬鹿! 一ノ瀬っ! 何でそこにいるっ!
――――痛っ!
やっぱり一ノ瀬は間抜けだ! 飛び降りたらどけよ!
……何で動かない? 死んだか? 嘘だろ? 勘弁しろ!
「おいっ! 一ノ瀬! 一ノ瀬!」
「ううううんっ」
良かった。生きてる。
「ひどいよ。ちゃんと確認してから飛び降りてよ」
そう言って立ち上がった一ノ瀬のナース服のすそから、しましまパンツが覗いていた。
「一ノ瀬。背が伸びてる」
「成長期かな」
「とぼけてんのか⁉ 戻ったんだよ‼ お前! 完全な変態だぞ!」
「えっ?」
「急げ! 今からなら間に合うかもだ!」
「サボるんじゃなかったのか?」
「バカ言え! 俺の昼飯が懸かってるんだ! 死ぬ気で走れ! いや、その前に着替えろ!」
それからの事はと言えば、それはもう怒涛の展開だった。
一ノ瀬のどこにそんな機敏さがあったのか、あっという間に身支度を済ませ、追いつけないほどのスピードで教室へと転がり込んだ。試験開始三十秒前の奇跡だった。
―――それから一週間後、試験の結果が張り出された。
残念ながら一ノ瀬は二位。直前にあれだけの経験をしたのだから健闘したと言っておこう。と、余裕の発言の訳は一番人気の柳沢が五位だったせいだ。単勝レースは一位以外無関係。よって今回は勝負なし。 意外な伏兵の登場が無ければ……とも思わなくはないが、変わり種の友人をゲットした事で良しとしよう。俺ってつくづく善人だなぁ。
照れ屋の一ノ瀬は「隣の部屋にいて、何の必要があるの?」とアドレスを教えてくれないが、電話番号は手に入れた。「緊急以外は絶対にかけるな」とも言ってたけど、これはいわゆるツンデレと言う奴なのだろう。
そして、ある朝目が覚めると、俺は女になっていた。
こういう事はよくある事だ。どうやらこの病気、伝染するらしい
……って……マジすか⁉
『一ノ瀬! 助けてくれ! お前だけが頼りなんだよ!』
『緊急? 声、おかしくない?』
『緊急! 緊急だよ! 俺、女になっちゃったよ!』
『フーン』
『フーンじゃない! お前のがうつったんだぞ!』
『ほんとかなぁ。しょうがないなぁ。
じゃあ今からトイレで水汲んで持って行ってあげるから。高橋はメイド服に着替えていてね』
―――一ノ瀬。お前はやっぱり侮れん。