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とんま 2/1(いちぶんのに)

 高橋の瞳は、恐ろしいほど輝いていた。

 先刻までほとばしっていた、何らかの欲望丸出しのギラギラした感じではなく。凶暴な野良犬に勝負を挑む小学生と言うか、何だか理解できない類の挑戦者感だ。

 僕の期末試験が、彼にいったい何をもたらすのかは皆目見当もつかないけれど、こんなにも心配してくれるのは現時点では高橋だけだ。

 そして、この秘密を知っているのも彼だけ……取り敢えず信じてみるしかない。


 高橋が〝高二病〟の情報をどの程度入手しているのかは定かではないが、正直言って藁にもすがりたい。

 現在の時刻は午前七時三十五分。ホームルーム等をパスしたとしても試験開始までは後二時間弱だ。

 それに僕だっていつまでも柳沢に負けたままでいいとは思っていない。今回の試験に臨むに当たっては、今まで以上の努力をして来たし定期試験は落とす訳には行かない。

 しかし、少し勉強にかまけすぎていたらしい事は不覚だった。

 僕が外界との接触を断っていた間に、こんな恐ろしい病が水面下で蔓延り、その魔の手を僕に伸ばしてくるなんて。

 

「それで、男に戻すって何か心当たりあるの?」

 僕の問いかけに高橋は、かなりのしたり顔で答えた。

「どんな病気でも早期発見、早期治療が極めて重要だ。そしてどんなに有効な薬でも、その効果の程を左右するのは投薬のタイミングと言っても過言ではないだろう」


 自信満々の表情とは裏腹に、その発言には全く内容が無い。

 ズバリ言ってしまえば〝だから何?〟ってとこだ。

 僕は早くも、信じた事を悔み始めた。

「そうだね、それはそうだろうけど……最近見つかった病気で公表も控えているって事は、高二病に有効な薬は無いって事だよね」

「そっ、それはそうだ。そう言おうと思っていた所じゃないか! 今のはあくまでも一般論だからな。

 現在、高二病には広く民間療法が用いられているんだよ」


 広く? 病気を伏せているのにも関わらず民間療法が広く普及しているって事か?

 怪しい。かなりな眉唾物とお見受けする。

「例えば、どんな?」


 高橋は少し考え込んだ後、顔をパアッと輝かせて言った。

「水をかぶる! これしかない!」

 何故か拳を握り締め、天を仰いで言い放った彼の表情たるや、とてつもなく素晴らしい思いつきに鼻高々な子供と言った風にしか見えない。児童向けの漫画にでも出てきそうだ。うかつにも〝エッヘン〟と口に出さなかった事を褒めてやりたい。

 しかし、残念ながら顔に書いてある。


―――俺って天才!


「これは昭和の頃から伝わる方法で、女になってしまった男を元に戻すことにおいては非常に有効とされる民間療法だ!」

「高二病は既に昭和時代から存在したって事? 最近発見されたって言わなかった?」


「はははは……いやだなぁ、一ノ瀬。お前はホントにあわてんぼさんだなぁ。何も、それが高二病だとは言ってないだろぉ。

 まぁ、過去の事例だ。昔にも似たような症例があったという事だろうな」

「それ、どれくらい信用できる情報なの? 何だかそれと似た話を知ってるんだけど」


「へ⁉」


 なんて素っ頓狂な声だ。

 多分、高橋は僕が勉強以外の事を何一つ知らないとでも思っているんだろう。確かに、ここ最近の若者文化には若干不案内かもしれない。だが特進クラスに於いて、そう言った知識の類を持ち合わせていない事を憐れむ者は誰一人なく、日常生活に何ら不都合はないのだ。


 しかし、僕だって小さい頃からがり勉だった訳じゃない! 高橋。頓馬(とんま)な奴め! 


「昔、まだ僕が小さい頃、実家の医院の待合室に置き忘れられた古い漫画があった。カバーもボロボロで題名は覚えてないけど、その主人公は水をかぶると男になったり女になったりするって話だったと思う。因みに主人公の父親はパンダだった」

「いやいや、パンダじゃないだろ。元は人間で水をかぶるとパンダになるって話だろ」

「そこ? それ、大事な所なの? そんなのどっちでもいいと思うけど」


 僕のケアレスミスを指摘して動揺を誘う作戦か? いや、待てよ。お前よりも俺の方が変身する人類についての考察が深い、と圧力をかけて主導権を奪うつもりなのか?


「結局、その治療法の出所は漫画って事だよね? 僕は真面目な話が聞きたいんだけど!」

「まぁまぁ、そう怒るなよ一ノ瀬。意外と意外な事知ってんだな。

しかし、その名作のタイトルまでは知らんらしいから、お前には特別に教えてやろう!

『パンダ1/2』だ」

「それは絶対ないよね」


 やはり、これは主導権争い! ならば……

「『とんま1/2』で、どうだ!」


「それも絶対ないだろ」

 くっ! この勝負、ドローか!


「てか、とんまって何だよ」

「君は頓馬も知らないのか? 間抜けって事だよ」

 いいぞ高橋! 頓馬はお前の事だ。このまま主導権を握られでもしたら、何だか解らない高橋のもくろみの餌食にされかねない! 悪いが僕が一歩リードさせて貰った!


「まっ、まぁあれだ……あれだよ……そう言うあれやこれやはいいとして。

 そう! こうなったらあれだ!

 この事態を打開するためには、まず原因の特定だな。

 この症状がいつからの物なのか遠慮せず話してみろ」


 いったい何が『こうなったら』なのかが解らない。でも、ニュアンスがどことなく似通ったセリフを何処かで聞いた覚えがある。

 まだ、おばあちゃんが生きていた頃、夕方のリビングで流れていた時代劇の再放送。その中で頻繁に出てきたセリフ……


―――ばれちゃぁ、しょうがねぇ


 そうだよ高橋。悲しいけれどバレバレだ。

 お前は恐らく、いや確実に、あてどもなく思い付きのままに全く以ていい加減な、中身の無い発言を繰り返しているに過ぎない。

 ならば、高二病と言う病名も信憑性は極めて低い!


「どうした! ほれ! 早く話せよ! 時間無いぞ!」


 脳天気にも急かす高橋。聞いたところでどうしようと言うんだ。

 だが、考えてみれば、この件に関して彼は異常なくらい冷静だ。

 僕が試験を受けられないかもしれない事態の方が己にとって遥かに慌てふためく事であり、隣の部屋に寝起きする男が、ある朝突然女になっている事はさして驚くべき事態ではない。と、言わんばかりの落ち着きはらった様子……

 この事から推察するに、高橋は……


〝高二病〟についての情報を持っている?


 ここは一旦、こいつの主張を真実と仮定して検証してみよう。

 まず第一に、僕がこの姿なのにも関わらず一ノ瀬(のぞむ)本人だと直ぐさま信用した。こんな事、普通信じない。でも高橋は最初少しだけ考えてはいたけれど、すぐに僕が僕であると受け入れ、僕を僕として扱っている。

 そして第二に……第二に……

 駄目だ! 他には高橋の無実を証明する根拠が何も思い浮かばない。

 でも、主張が真実ならば治療方法は解明されていない、もしくは研究段階であって公表されていない。という事になる。高橋が治療法を知らないのも無理からぬ事であるし、彼自身の企ての為とはいえ、僕の回復を心底願っている事は本当だろう。

 そう考えれば、民間療法などという頓馬な言い訳であっても、なにがしかの思い付きを提案した熱意は本物だ。その出所に着目すれば誠実さは微塵も感じられないが……


 要するに、僕たちの利害は一致している。ならば、今ここで覇権争いをする事は無意味。手を携えて事に当たるが上策だ。

 いずれにしても秘密を知られたからには、このまま逃がす訳にも行かない。高二病が真実か否かも解らないのだ。ここは暫くおとなしく言いなりになるふりをしよう。


 そう方針を固めた僕は、朝五時にトイレに起きてからの顛末を高橋に語った。

 そして全てを聞き終わった後、開口一番彼は言った。


「一ノ瀬! 個室に入ったのか⁉」


 個室? それは、何らかのキーワードなのか? 

「そうだけど。それは何か重要な意味がある事なの?」

「ああ、非常に重要な事だ。

 無意識に個室に入ったという事は、その時既にお前は女になっていたという事なのか?」

「いや、個室に入ったのは何となく背中に誰かの気配を感じたりするのが嫌だからであって……でも、その時女だったかというのは、どうだったかな」

「ハッキリ思い出せ! ここ大事なとこだぞ! その、あれだよ! ほら! だ・か・らぁ!

 脱いだのか⁉ 脱がなかったのか⁉ 拭いたのか⁉ どうなんだ!」


「高橋。目が怖いよ! 何、興奮しているんだよ。そう言われてみれば、僕、立ってした。

 って事は、まだ男だったって事だよね」

「何だってぇ⁉ お前は洋式トイレで立って用を足すのか? この野蛮人め! 洋式トイレに便座があるのは座して事を成す為! そんな事常識だろう! だいたい、一ノ瀬の母ちゃんは洋式トイレへの立小便を容認しているのか? いや、それはよもやあるまい! 万が一うちの母ちゃんにうちのトイレで立ってしたなんてばれたら、俺んちならトイレ掃除させられるぞ!」


 野蛮人って、凄い事言い出したな。それとも、それも最近の流行りなんだろうか?

「洋式トイレの便座が上がるのは立ってする人の為だと思うけど? つまり、高橋家ではトイレの汚れを極力抑えるための掟があるって話だろ。君も意外と大変なんだね」

「じゃあ、あのルールは母ちゃんの掃除の負担軽減だけの為に存在したものだったって言うのか? この俺を(たばか)ったと⁉」

「何だか、どんどん芝居がかってるよ。

 いいじゃない、お母さんの掃除が楽になった方が。でも、そろそろこの話いいかな。八時過ぎてる」


「オーマイガー!」

 何人(なにじん)なんだ、高橋。確か実家はどこかの寺だって話だったが。その〝ガー〟の部分は神様じゃないのか?


「もうこうなったら最後の手段だ! 水をかぶってみよう!」

 いきなり最後の手段⁉

「俺は水を汲んで来るからお前はそのパジャマを脱いでいろ! いいな!」

「なんで?」

「お前のパジャマが濡れてしまわない為だよ。なぁに、別に全部脱げとは言ってないだろ? 

 その、ちらっと見えてる真っ白なTシャツになればいい。恥ずかしがるような事じゃないだろ? それに水をかければ何の問題もない」


「断る。どうせ濡れるならどっちも一緒だし。そんなに沢山かけなくてもいいだろ?」

「残念だ。一ノ瀬は何か誤解しているんじゃないのか? 実に残念だよ」

 そんなギラギラした目で見られたら、誰だって身の危険を感じるだろ。


 かと言って何の打開策も無いのだから、馬鹿馬鹿しいが試したい。やるとなったら水の調達は高橋にしか頼めないのだ。

 意味不明な発言も多いが、すべては元に戻る為。多少の事には目をつぶろう。


 チョット待ってろと言い残して高橋は部屋を出て行った。しかし、戻って来た時は人一人入りそうなダンボール箱を重そうに抱えていた。水じゃなかったのか?

「それ、何?」

「時間が勿体ない。取り敢えず着替えろ」

 箱の中には、何やらたくさんの衣装が詰まっていた。

 どう見ても子供向けに休日の朝放送しているようなヒーローの衣装めいた物から、普通あり得ないようなカラフルな制服らしきもの。でも、僕に着替えろと言って選び取った一着はその中では意外とシックな色合いだった。

 白と黒を基調としたフリル付のワンピース……⁉

 って……これはいわゆるメイド服⁉ 流石の僕でも知っている。

 それにしても高橋! 何故こんなものを大量に所持しているんだ?

 子供の頃からサッカー少年だったと聞いていた。それは一点の曇りもない、笑顔の絶えない日の当たる場所を歩く少年の象徴。


―――サッカー少年。


 僕に無い物を全て兼ね備えた存在……

 そんな高橋が、こんなものを身につけて日々の憂さを晴らしていたとは!

 なんて屈折した趣味なんだ。君こそ、自分以外の何かになりたい人だったんだね。

 ごめん、心の中でお前呼ばわりなんかして……毎夜ヒーローの衣装に身を包んで、その袖口を涙で濡らす君を思うと僕の心は何だか痛いよ……

 そうか、痛いって、痛車って、こういう事なんだね。


「高橋。君は痛いよ! ホントに、何て言ったらいいのか解らないけど。僕は君を誤解していた。人は皆平等に悩みを持っているんだね。君を見ていると、僕は心底〝痛い〟よ!」

「泣くなよ。何で泣いてんだよ。ってか、俺が泣きたいよ。何でお前に〝痛い痛い〟連呼されてんだよ。時間が無いんだからややこしい展開にすんなよぉ」


「解ったよ、このメイド服ってやつを着ればいいんだね。そうすれば僕たちは真の同士だ」

「俺、お前が何言ってんのかサッパリわかんないけど、気が変わんない内に着替えろ」

「でも、せめて着替える間は出てってよ」

「男同士だろ、気にするな」

「それは無理。君の目がそう言ってる」

「ハイハイ、解りましたよ。急げよ!」


 高橋は一旦出て行った。僕は生まれて初めてスカートをはく羽目になったのだが、これが何とも心許ない。女性は何故こんなにも無防備な格好をして公然と人前に出られるのだろう。

 これでは下着が見えそうじゃないか。


「高橋! 入っていいよ!」

 僕が声をかけたと同時に部屋の扉が開いた……


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