ちいさいの おとどけ
もぞり。遅い夜明けが布団を恋しくする中、男性が寝台からゆっくり体を起こしました。
雪は降らない代わりに寒風が厳しい港町。通りを風から守るように、海に背を向けて並んでいる二階建ての商店のうちのひとつ。二階の出窓が、きい、と音を立てて開くと、観光客か旅の商人らしい人が海を眺めるように顔を出します。無造作に開けたカーテンが大きくなびいて、ぱたぱたと周りを叩き、慌ててその人はカーテンを丁寧に止め直し、窓を閉じました。陽が伸びきってない時間では、西の海は水平線のあたりが暗く、さわやかな気分とはいかないようです。
他の窓は閉まったままで、通り側から見ると、一階のわずかな光と、二名まで開いていますと書きこまれたボードが見えることでしょう。宿屋のようです。
その人は、商人というよりは観光客です。体格や服装など見た目は特に目立ちそうなこともなく、種族的にもこの港町では珍しい組み合わせの混血でもない限り、黙っていれば注目を浴びることはないと言えます。
彼は、ちょっと頼まれごとを受けていて、荷物を人に届けなくてはいけません。枕元に置いた、厚紙で出来た箱をそっと抱き上げて、さっきの出窓のところでふたをそうっと開けると、
「ふぃー?」
まだ少し小さめの波動生物が、突然の開封に驚いて、ぴょこりと顔を出しました。まだ人の言葉をしゃべることはできず、「にゅい」とか「むぃ」とか鳴いて食事と説明を要求します。
「もうちょっとだからな、待ってろ。ご飯は今からとりに行くところだ。」
寝間着代わりの古着の上に、ふわふわした羽毛を使った上着を羽織り、男は出ていきました。
小さな波動生物がバランスを崩して箱ごとひっくり返り、一生懸命箱から這い出たあたりで、男はトレイを持って戻ってきました。
テーブルの上にトレイを置くと、男はぱたぱたもがく波動生物を抱き上げて、テーブルのあいたところに起きました。
「さぁて、食べようか」
上にかぶさっている、保温用に綿をいれて縫い合わせた布を取り去ると、ふたのついた小さな土鍋と、さらに保温用のコジーをかぶせたポットとティーカップが現れました。この町では、取っ手が両方についた、口の広い大きなカップで飲み物を飲む習慣が根付いているので、お客様向けの料理ということが分かります。そして、ままごとの道具のような掌に乗る大きさの浅い器が一つ。
浅い器に慎重に土鍋のシチューを注ぐと、波動生物を抱き上げて、側に置きなおしてやります。ゆっくり食べ始めたのを見てから、男は自分のシチューをよそって食べ始めました。匙は猫の肉球をかたどったデザインになっています。
食べ終わった男は、体が温かい内に急いで身支度を済ませ、波動生物の身体をふき取って、箱に戻しました。トレイを食堂に返し、主人への料金の清算を済ませると、男は、まだほかの客が居ない寂しい食堂を背に宿を出ていくのでした。
* * *
ようやく少し明るくなってきた空に安堵しながら、男は上着のポケットのメモと町の様子をせわしなく見比べながら大通りを歩いていきます。どんどん港から離れていき、そして、他と違い四階建てくらいはありそうな、一つだけ背の高い建物と、その脇の妙に整った草で覆われた花壇を見つけました。
男は荷物の中からあの紙箱と、魚の絵のついた缶を取り出しました。そして、寒いからいやだなと小声でこぼしました。分厚いふかふかの手袋を外し、花壇の脇に置くと、紙箱から波動生物を取り出し、魚の絵の缶を開けて、中に入っている干した小魚をいくつか紙箱に入れました。男は何かを待ちました。
数分経って、びゅうと大きく風が一度吹き、男がかちかちと歯を鳴らし始めたとき、がさがさと花壇の草がこすれる音がいくつか聞こえ、男のそばに猫が一匹現れました。
男は現れた猫に、紙箱を差し出しました。猫はゆっくり近づいて、上に載っている小さな波動生物をぺろりと舐めました。小さな波動生物が驚いて鳴き声を上げると、撫でるように前足をぽんぽんと乗っけて、それから、箱の中の魚を食べ始めました。
「こんな早い時間に、いらっしゃったのですか」
いつの間にか中年の男性が立っていて、そっと猫を撫で始めました。
「すみません。やっぱり自分でやっておいたほうがいいかなって思ったので。責任というか」
男が頭を下げると、男性は猫の上に波動生物を載せて、
「確認しました。もう大丈夫ですよ。ご協力感謝いたします」
紙箱と餌の缶を持って建物に入っていきました。
この世界では、猫を飼うときには登録が必要です。猫を飼う人は飼うための資格試験を受けて、合格してから初めて専門のブリーダーのところへ向かい、小さいうちから慣らしていきます。全ての個体に避妊や去勢の処置と、基本的なワクチンの接種、戸籍のような管理情報の手続きを済ませた状態で飼い始めるので、猫が飼い主の家へ行けるのは早くても生後半年ほど、遅いと一歳ほどになります。
いなくなった時にも生死に関係なく手続きが必要です。特に、脱走してしまった場合は罰金や捜索費用の負担、ひどいと資格の停止が科せられることがあります。なので、本来は野生の種を除いて、基本的に野良猫はいません。
しかし、この港町にはそうした制度が整う前から、ちょっと変わった人と猫との関係が保たれています。飼うのと違って、猫の行動に人が責任を負うことがない代わりに、人のほうが猫がいること前提に配慮をします。餌をやったり決まった場所で遊ばせるような、飼うのに近い状態の場合は、餌をやったりする人が去勢や避妊の費用を出します。そうでない家でも費用を捻出し、病気の治療やワクチン代、何か問題が起きたときに必要な費用を賄っています。
関わりたくない人や猫が嫌いな人は、距離を置きます。費用などを出さない代わりに、決まった区画に棲んで、決して猫に自分から触りにいったり、餌をあげたりしてはいけません。見つかった場合は費用の負担を課せられます。
そのくらいしないと、猫が増えるスピードに負けて人間が住みにくくなってしまうか、対策する人が偏ってしまい、人が減ったとたんにバランスが崩れてしまいます。過去には、自分の衣食住を捨てて猫の世話をして餓死する人、通称猫自殺が町の問題となり、町の評判が悪くなって魚が売れなくなったり観光客が減ったりという時代があったのです。
人と猫の関係が安定したあと、町では猫の街として観光資源化。観光客は街で購入した餌であれば猫にあげることができます。ゴミの問題を防ぐためかなり少量になっており、必ず食べ終わるまでその場を離れないとかルールを定めています。
また、このあたりの他の町同様に波動生物が多く住むので、人と猫の両方と意思疎通できる彼らを、間を取り持つ者として大切に扱っています。
意図的に、猫とだけ暮らす者と人とだけ暮らす者、両方ともと暮らす者が居り、関係のバランスを取るための情報を集めるために役立っているのです。
男が連れてきたのは、離れた国で、条例違反のショップから救出された幼い波動生物です。彼の仕事は、救出や没収された波動生物を、この町やエルフの町など、保護を担当する地域や施設に送り届けることだったわけです。
餌を食べ終わった猫が、波動生物を載せたまま、男に向かってきつい視線を向けました。男は、やっぱりここは苦手だなあと言ってため息をこぼしました。




