お盆的な行事
ほにゅが時折行っている世界にも、お盆のように先祖の霊をまつる行事があります。
アメリアを中心とした文化圏では、夏の野菜の片付けをして秋が深まったころに『供養の日』としてお墓に特別な供え物をします。もともとは季節の変わり目に行っていたのですが、年代が下るにつれてカレンダーに合わせるようになり日付が六月の最終日に固定されていきました。地球の暦では九月の半ばでしょうか。
季節の花と共に、故人の名前や「何々家一族」などと書かれた紙の札を墓に供えます。紙は和紙のように、草花の繊維を割き、すいて作られています。名前は真名を書いているので、お香に巻きつけて燃やします。紙が燃え尽きるまで。墓の周りで故人の思い出話をしたり、親戚同士の顔見せをしたりします。
墓石は何々家というのを正面に、それと個人名を裏面の一番下から彫ります。火葬で、日本より小さな壺や飾り箱に骨をある程度砕いて入れ、それを墓石の下につくったスペースに納めます。いっぱいになってきたら、名前が下の人、つまり先に亡くなった人から墓地の決まった場所に撒くか、素材屋さんに売ります。固めたり土やくすりに混ぜて焼き物の材料として使われます。
高地にある国では文化圏が違うので、墓の様式が違います。専用の埋葬場所が決まっている王族以外は、墓地に埋めたらもうわからなくなります。一般家庭では、位牌に相当するような木彫りの札を飾るスペースを作っていて、大晦日(春分の日の前日)にお経のようなおまじないをささげます。お供えなどは花や置物くらいで、食べ物などを供えるのは稀です。そして、その日以外に何かするというのはありません。個人個人または家ごとに頻度やお供えは大きく変わります。
北方のドワーフの場合は、死んだ者専用の洞窟があり、一人ずつ穴を掘って土葬します。『供養の日』に相当する日にまじないの呪文をお供えします。特に腕がいい職人だったり、素晴らしい狩人だったという者の側には道具のミニチュアが置かれるほかは、物を置きません。泥棒や、食べ物狙いの動物を寄せ付けないためというのもありますが、死んだ者のことは百年はたたないと語ってはいけないという文化があったからです。ここ数十年の墓には、穴のそばに名前や愛称が彫られていますが、そうした新しいもの以外、親族でなければ場所を覚えていないのが普通ですし、亡くなって数年しか、穴のそばまで行くことはありません。
東方では、五体が揃っている者は乾かして香を焚きしめてミイラにします。偉い人なら長く家の守り神として飾られたりしますが、普通の人は数日だけ神社仏閣のお堂に置いたらさっさと埋めます。
東南に近くなると湿気があり難しいため、そろっていようがいまいがさっさと土葬にします。
どちらにしても、一度仮の場所に埋めた後、短くて五年、長くて二十年ほどで掘り出して、主に足の骨や背骨などの形がよく残る部分をいくつか、きれいに洗って一族の正式な墓に納めます。洗う専門の職業があり、長く務めると霊能力的なものが芽生えるらしいです。
砂漠の人々は、集落の外に埋めてまじないの儀式をします。記録や、昔なら口伝は残しますが、特別なことを行う日は何周忌かの記念だけです。そして、ドワーフたちとは逆に、埋葬後五日間は亡くなった人がそのまま生きているかのようにふるまいます。食事だけ専用メニューになる以外は普段の生活そのままです。
長耳族の場合は鳥葬のように動物に糧として分け与えてしまうとか、魔法で火葬して家の近くにまいてしまうので、墓はありません。その代り、故人の形見として代々何かを受け継いでいきますし、特別な日でなくても、気軽に故人の記念日などに話しかけたり、偲ぶための食事会をしたりします。
ただし、幼い子供の場合逆に、その子が成人(百歳)になるはずだった日まで、極力その子の話題を出さないようにする風習があります。
ほにゅの仲間は特に宗教行事などをしないですし、溶けてしまうと骨など残る組織がないので、飼い主や友人などが供養したいと思えば供養をしますが、彼らの間では何もありません。
(・ω・)ちなみに、転移などで日本から来た人は
・お盆は特例で『間の世界』に渡れるのでそこで日本流を貫く
・家族単位の移住で位牌を持っているので仏壇だけ日本流に飾る
・諦めてorやる気がなくて何もしない
くらいに分かれるよ。




