第五判『題短譜笛』
世界は残酷だ 人間は下劣だ
俺は久遠が待っているであろう自宅の玄関の扉を開けた。
ミステリーだったら、ここで鍵が閉まっておらず、そこにいるはずの人の名前を呼びながら、部屋中を探すだろう。
そして、最後の部屋に行き、そこの見えないところで死んでおり、第一発見者は悲鳴をあげたあとに、携帯で通報するだろう。
だが勿論そんなことはなく、
「お帰り」
という澄んだ声と共に、久遠は現れた。
「ああ、ただいま」
そう言い、俺は革靴をはずす。
そうしていると、久遠はコートを俺からするりと手馴れており、すぐに外す。
「今日は何の依頼だったの?」
そう俺は聞かれ、
「いや、実は一度戻ってきたんだが、そのあと心理に呼ばれてな。受け取り屋からの依頼はまあ浮気調査みたいなものだった。簡単だったよ。心理の方は類義殺しの鏡屋許容を殺して欲しいという依頼だ」
そこで、久遠の方に振り向くと(正確には、ダイニングに行くために体を向けたのだが)妻はいつもどおりの顔をしていた。
だけれども
「あなた、その依頼受けるの?」
と、強ばった声を押し殺した声でそう尋ねてくる。
「いや、まだ決めていない・・・・・すぐに決めるのは危険だからな」
そう言うと
「だったら・・・その依頼断って欲しい」
と、バッサリと言ってきた。
「なぜだ?」
率直に質問する。
「だって・・・・許容に勝てるわけないじゃない。刹那ちゃんだったらまだしも・・・・あなたには無理よ」
「俺には」
一間置く。
「『アレ』がある」
そう言うと、久遠は激怒した。
「ふざけないで!!あれは使わないと誓ったじゃん!!なんで?あれはあなたを『壊す』わよ!?それでも使うの?」
そこには妻という存在としてではなく、久遠という存在で言っているということが分かった。
「あなたに・・・・・死んで欲しくない。そんなことをしたらそれこそ私は『壊れる』よ?」
「・・・・分かった。依頼は受けないよ。そこまで・・・・『久遠』君が言うなら」
「ありがとう」
久遠は感謝の言葉を言った。
そしてさっきまで泣きそうにだった顔から一転して笑顔になった。
そして
「ご飯できているよ?冷めないうちに一緒に早く食べよ」
だが結局のところこの喧嘩は意味のないことだと知る。
その喧嘩の対象だったというか喧嘩の中心だったのが結局現れるのだから、そしてそれが原因で『時計』や『鬼流』《裁島》や《一ノ谷》、《有無家》や《春夏冬詩集》が変わっていくのだから。
そして、俺が変わっていくのだから。